ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第6回 10月30日 丹野義彦

信頼と共感──心理学から共感のメカニズムを探る

人間同士の信頼を支える心のメカニズムに「共感」がある。共感とは他者の心を自分のことのようにわかることである。

 共感について熱心に研究されてきたのは心理療法の領域である。治療者が患者にどれだけ共感できるかにより治療成績が異なるからである。クライエント中心療法の提唱者C. R. Rogersは、エンカウンターグループという方法で集団の共感性を高める実践をおこない、ノーベル平和賞の候補になった。

 また、共感を支える心のメカニズムに「心の理論」がある。発達障害のひとつである自閉スペクトラム症では心の理論の獲得が遅れる。心の理論を司る脳の部位もわかってきた。共感能力の個人差は、性格5因子のひとつである協調性Agreeablenessである。

 こうした研究によると、他者に正しく共感するためには、逆説的だが、自分を正しく理解する必要がある。本講では、以上のような心理学研究を概観し、共感と信頼の関係を考えてみたい。

講師紹介
丹野義彦
東京大学大学院総合文化研究科・教授  心の健康と異常について基礎から臨床まで幅広く研究.テーマは,人はなぜ不適応をおこすのか(精神病理学),感情は認知によってコントロールできるか(感情心理学),精神病理や個人差を解明する「性格ビッグ5理論」等.
授業風景

2019年度第6回学術フロンティア講義では、10月30日に東京大学大学院総合文化研究科教授の丹野義彦先生をお迎えし、「共感」という心理メカニズムを探るというアプローチで人間同士の信頼がどのように形成されるかご講義いただいた。

カウンセリングにおいて共感は非常に重要な役割を果たしている。カール・ロジャースの提唱したカウンセリングの三原則では①カウンセラー自身の自己受容②クライエントに対する無条件の肯定的な配慮③クライエントに対する共感的理解が必要不可欠とされるが、中でもこの③共感的理解が最も治療効果と結びつくとされる。この共感的理解とは、平たく言うと「相手の立場に立ち、相手の身になって感じること」と定義されるが、さらに、相手の服装や表情、社会的地位といった外的枠組みではなく、内的枠組み(内面)から理解を深めようとするアプローチが必須となってくることも丹野先生は付け加える。自分自身を例にとっても、みる自己とみられる自己があるように、他者にも見る自己とみられる自己の二種類があり、共感的理解には、自己認知、視点移動、感情移入といった複数のベクトルの手続きを必要とするのだ。

また、こうした共感を支える心のメカニズム、他者が何を求め、何を考えているか、あるいは他者の心の中で何が起こっているかを推測する能力は「心の理論」と呼ばれる。コーエンが提唱したこの心の理論は、サリーとアンの課題という名で一般にも広く知られた誤信念課題で測定することができ、定型発達児は80月齢でこの課題をほぼ達成する。だが、この課題達成においてはサリーの立場に立てるか(つまり視点移動の能力の有無)だけでなく、アンの立場に立てるか(視点移動、感情移入、自己認知の三能力の有無)という視点も必要だと丹野先生は述べる。

このように、心の理論においては前述の視点移動、感情移入、自己認知の三種類のモジュールが求められるが、この点と深くかかわってくるのが社会脳と呼ばれる脳の特定部位である。共感やコミュニケーションなどの社会活動をおこなう上で欠かせない部位であるが、面白いことに他者への感情移入と自己認知のモジュールは同じ部位に存在しており、脳の構造からも他者理解には自己理解が必要であると考えられる。

丹野氏は、共感能力の低い例として自閉症スペクトラム症、また共感能力の高さが引き起こすいじめの問題についても言及している。退陣相互反応の生涯やコミュニケーション障害、活動と興味の偏りによって人口に膾炙している自閉症の患者は、平均80月齢で達成する誤信念課題を13歳ほどでようやく達成する。訓練によって心の理論課題は解けるが、共感能力をはぐくむことは難しいようだ。しかしながら、共感能力が高いことが一概に良いとは言えず、いじめの要因にもなり得ると丹野先生は指摘する。ドイツ語でシャーデンフロイデと呼ばれる感情、「他者の不幸や苦しみを見て喜ぶ感情」はまさに共感性の高さの困った一面の発露ともいえる。いじめられる人間の不幸や苦しみを理解しているので、他者理解の成立に必要な視点移動や感情移入、自己認知能力はあるのだが、それがマイナスに機能しているのだ。

共感は人間社会において信頼関係を構築する際に機能する重要な部分を占めているが、それには良い面も悪い面もある。わたしたちはそうした二面性を把握したうえで自分の心、そして相手の内面と向き合う必要があるのだろう。丹野先生の朴訥としたお話しぶりには、先生ご自身の誠実な人柄が感じられた。信頼は他者という存在があってこそ成立するという当たり前の事実にあらためて気づかされた講義だったのではないか。

(文責:朱宮)

コメント(最新2件 / 24)

Tyuki23    reply

心の理論が3つのモジュールから構成されているという考え方は、直感的には理解しているものであり当たり前のように感じるが、いじめを楽しむ行為者などの心理(シャーデンフロイデ)を解釈する上では個人的にしっくりはまる理論であった。カウンセラーに必要な3つの条件のうち、クライエントに対しての共感的理解の体験という条件は必要不可欠であり、納得のいくものであったが、クライエントに対しての無条件の肯定的な配慮という条件には疑問を持ってしまう。確かにクライエントが求めているのは自分に対する相手の理解であり、それは多くの場合、共感的理解をした上でのカウンセラー個人の考え方によらない無条件の同意などの肯定的反応という形で表されると思うが、これは応急処置的な対応でしかないと考える。肯定的反応を続けてもクライエント自身に改善が見られない場合、クライエントは肯定的反応を求めているだけで根本の問題は何も解決していないように見える(ただしカウンセリングを通しての精神状態の保持がなされている場合もあるため一概には言えないが)。改善を促すためにはあるタイミングにおいて根本的な要因の指摘が必要となると考える。そして肯定的な反応を続けるほどそのタイミングを逃しがちになってしまい、また指摘時のクライエント側の反応が負の方向に大きくなってしまう可能性が高くなるため、この条件はジレンマ的な問題を内包しているように思われる。このことはカウンセリングに限らず私たちが誰かから相談を受けるときにも当てはまるため私たちは相手の主張に対しての反応を省察する必要があると強く感じた。しばしば言葉は凶器であると言われるが、言葉にする前の共感といった感情にも凶器的な側面があることを実感した。

chihi0315    reply

共感能力を測る共感指数の項目に「他人の視点に立つのは簡単だと思う」というような、明らかに共感能力が高いことを示すような項目が複数含まれているのに疑問を持ちました。というのも共感能力が高いという自己認識と、実際に共感能力が高いという事実が必ずしも一致するわけではないと思うからです。自閉症の人はみな自分が共感能力が低く、自閉症であると自覚しているのか気になりました。

Suzu0705    reply

健常者の共感能力は、何に影響されるのだろうか。おそらく、主に友人や家族との交流を通じて形成されるのであろうが、それ以外にも文学作品や映画、絵画などの芸術作品からの影響も大きいように思われる。加えて、他人に共感することのできる時間的・精神的な余裕も原因のひとつであろう。一時期話題になった『彼女は頭が悪いから』という本に、東大生の感受性がなめらかだという描写がある。テヅルモヅルのように触手がうにゃうにゃしているようでは、何でもが引っかかってきて負けると。たしかに受験勉強中私の共感能力は著しく低下していた。受験勉強の役に立たないことは一切したくなかったし、考える時間すら無駄だと思った。クラスで同じグループだった人が不登校になっても、ラインの1つもしなかった。頭の中はとにかく「時間がない」「効率的に生きたい」ということでいっぱいであった。しかし、大学に入学してしばらくたつと私の共感能力も徐々に回復した。おそらく受験のストレスから解放され、時間的・精神的に余裕が出たからだと思われる。このように、共感能力の高さには、実際に共感能力を養う機会に恵まれているかということだけでなく、それを受容するだけの余裕が自身にあるかということも大きな影響を及ぼしていると考えられる。

youcan19    reply

シャーデンフロイデという概念や、それに基づいていじめが行われるということは初めて知ったが、もしそのような背景でいじめが行われるのであれば(学生による質問でも同じようなことが言われていたが)、いじめの加害者が被害者の感情を理解していないという前提のもとでいじめに対する指導を行うのは適切ではないように感じられた。もし加害者が被害者の苦しみを理解していないためにいじめが起きるのであれば、他者の感情を理解せよと教育することで改善が見られると考えられるが、加害者が被害者の苦しみを理解している状況でこそいじめが起こるのであれば、そのいじめをやめさせることは難しいように思われる。最近大人による大人へのいじめが問題となっているが、そのいじめの原因もシャーデンフロイデと集団の斉一性に基づいていると考えられるように、子供よりも精神的に発達しているはずの大人でさえもそのようなことをしてしまうのであれば、なおさら子供のいじめをやめさせることは難しいであろう。現在、小学校や中学校で行われているいじめに対する指導は被害生徒の保護や加害生徒に対する説教など、その場しのぎのようなものが多く、予防的な教育は「自分がされたら嫌なことは他の人にもしてはいけない」などといったことしかされていないように感じる。自分がされたら嫌なことは他の人にしないということはシャーデンフロイデとは対極にあり、根本的な解決にはつながらないと考えられるので、これからはそれぞれの個性を理解し尊重し合えるような教育をしていくべきだと感じた。

baya0903    reply

・他者理解のための内的枠組みによる理解について、内的な感情を追うためには、クライエントを取り巻く状況や個人史的背景を要素として取り出す必要がありますが、その操作を行った段階で「外的」枠組みによる理解を免れえないと思います。そのため、外的/内的という二項対立が適切であるかどうか疑問に思いました。それよりも、カウンセラーとクライエントの心理的距離などによる区別が適切なのではないかと考えました。
・共感指数とは、共感に対する自己認識なのではないかと思いました。「共感できる」自らを好ましいと思うかどうか、という文化的・ジェンダー的・社会的フィルターを排除してabilityとして測定する手法はあるのでしょうか。
・また、丹野先生は共感と信頼を概念的に区別せずに話すとおっしゃっていましたが、 山岸先生の研究における、日本に特徴的な「安心」(assurance)は、「自分を搾取する行動をとる誘因が相手に存在していないという判断」であり、共感とは別種の概念なのではないでしょうか。
・シャーデンフロイデの研究は、メルロ=ポンティなど、感情理解を直接的体験として把握しようとする現象学的な他者理解の理論を批判する上で重要な事例であると考えました。

satoshi31    reply

共感と信頼について考えてみると、自分では全く想像だにしないことを平気でやってのける強者には全く共感や理解はできないが信頼はできるし、自分がよく共感できる相手だからこそあの人は信頼してはいけないということが多い気がしました。あなたのことをわかっていますという態度を取ってくる相手は信頼できないし、共感と信頼を自分の中でうまくリンクさせるのが難しかったです。しかし、共感能力の低い人とは付き合いづらいということは言える気がします。相手の立場にたって、と言うと少し陳腐かもしれませんが、自分の考えていることを相手に伝える努力や、相手が話したいことを探り聞き出す能力が共感能力ではないかと考えました。一方的に話されたり、自分の意見ばかり押し付けてくる人とは付き合うのがしんどいです。だからもちろん信頼もできないし、関係を保つことができません。このように考えてみると、共感能力や脳の発達と信頼というのは関係があるといえると思いますが、それについて議論することはタブーになるのではないかと個人的には思いました。話をうまくまとめられませんでしたが考えることの非常に多い内容でした。ありがとうございました。

tanyn0580    reply

今回の講義は本当に非常に分かりやすくて興味深かった。
まずはカウンセラーになるのが大変だと感じた。普段、共感する能力が高いという“タイプ”の人がそういうタイプの仕事に相応しいとよく思われるが、共感する能力はある程度生まれつきのものだということは正しいのか。あるいは誰でも(その熱心があれば)努力し、トレーニングを受ければカウンセラーになれるのか、と気になった。
また、自閉症児に関して、その子たちが他人と共感するのが難しいということだけではなく、他人もその子たちとあまり共感できないのではないかと思った。もし他人も自閉症児の脳自体が自分の脳と違うことを理解すれば、自閉症児の生活も少しでも楽になるかもしれないと思った。“通常”の人たちも責任を持つと思った。また、自閉症児は天才的な能力を持つということは、social brainが十分に発達していないが脳の他の部位が平均より発達していると示すのか。
そして、共感があっても、必ず信頼関係が築くわけではないと講義から分かった。その逆に、共感がないが信頼があるということがあり得るのかと考えていた。例えば相手のポジション・職業などによって、あるいは信頼しているAさんはBさんが信頼できると言うから、自分からはBさんと全然共感していないがBさんを信頼するとかというような状況があり得るのかなと考えていた。
これから他人ともっとうまく共感できるように頑張りたいとも思った。

lyu39    reply

信頼というのは社会・人文科学の分野で取り上げられる概念という印象が強く、心理学の視点で信頼の原点である「共感」を司る心理的・身体的メカニズムを解明しようとするこのアプローチは私にとって新鮮だった。漠然とした社会の中の信頼を論じるのも良いのだが、やはり一人ひとりに対してミクロに分析するのが信頼の本質に近づけそうだと思った。十分に理解したとは言い難いが、新しい視点をゲットできた素晴らしい授業だった。

ykiki373    reply

他人に共感したり、他人の心を理解するには、まず自分の心や感情を理解することが大事であるということが分かった。心の理論のメカニズムである、自分を相手の立場に置き換えて考えるという視点移動、相手の思考を追ってみるという感情移入と自分が相手の立場だったらどうするかという自己認知は確かに日常生活で相手の感情を理解しようとする時にとても重要だなと思った。しかしこの共感のメカニズムにはよくない面もあり、他人に共感するということは、自分の思考が相手の思考に近づいてしまうことは避けられないことであり、そのことによって、集団の同調・同圧力が作用してしまい集団でのいじめにも繋がってしまうのだということが理解できた。そして日本人に特有なのかもしれないが、人間とは無意識のうちに他者に共感し、集団内で同一意見を持とうとする反面、自分らとは異なる意見を持つ人を排斥してしまう傾向にあるのではないかと感じた。

kfm1357    reply

「共感」と言うとどこか曖昧な概念のように感じていました。今回、丹野先生の講義を聞いて、共感的理解は視点移動・感情移入・自己認知という3つのパーツに分かれるということがわかりました。実際、自分自身が共感的理解をする場合を考えてみれば、このようなプロセスを辿っていると気づきます。さらに、共感的理解が一般に必要とされる場面を考えてみると、「相手の立場になって考えて」と言う言葉がよく発せられます。これこそまさに視点移動です。現在、日本で暮らす、国籍の異なる人が増え、今後も増加することが予想される中で、共生社会を築いていくためには、この視点移動が大切だと考えます。これは、国籍の異なる人々との交流だけでなく、障がいを持つ方々、LGBTの方々との交流にも当てはまると考えます。このような意味で、共感的理解を行うプロセスを認識できたことは非常に良い機会となりました。

yka710    reply

これまでの講義は文系的な内容にせよ理系的な内容にせよ、信頼の制度的な理解が中心であったが、今回はより根源的な個人の内面の働きを通して信頼を理解するという全く新しいアプローチが取られており、また一つ知見が広がったように思う。本講義では、心の理論を中心とする共感の心理的メカニズムとその功罪を扱ったものであったが、この「共感」と「信頼」との関係性については、考察の余地がある。他人に共感する時、人は自らを仮想的に相手の立場に置いて自己認知を他者に投影するという。人が他人を信頼する時にも、例えば自分はこのくらいの報酬があればこの仕事をやるだろうから、他者に対しても同じ報酬で一定の行為を期待する、といった形で、一度自己を媒介とした心理的プロセスが展開される。その点で、共感と信頼は不可分の関係にあるのではないだろうか。しかし、しばしば他人を信頼することが困難であるのは、結局自分と他人が別々の個体であるがゆえに自己認知と同様の反応を他者が示すとは限らないからである。また、共感のプロセスについても、「みる自己」と「みられる自己」の関係は極めて曖昧である。自己の認知が及ぶ範囲を「みられる自己」とするならば、自分が「みる自己」として認知している部分も「みられる自己」であるということになり、結局「みる自己」は循環的に絶対に認識不能な領域にまで縮小されるという問題を孕んでいる。とすれば、他人の「みられる自己」に共感することはできても、その深層心理である「みる自己」には到達し得ないことになる。今回の講義を通して、信頼や共感がいかに未確定で曖昧であるかを再認識させられた。

吉村龍平 RY9248    reply

カウンセラーに必要なのはもちろん高い共感能力ですが、その気持ちとどう接するか、どう対処するか適切にアドバイスできるかが最も重要なものだと思います。カウンセラーは共感能力を高める訓練を受けているとおっしゃっていましたが、アドバイスする能力の訓練もあるのでしょうか?

ayana2630    reply

興味深い講義をありがとうございました。「共感」や「心の理論」について、より知り考えたいと思いました。
共感歴理解=他者理解のスライドの図を見て、カウンセリングでしばしば見られる、クライアントの言葉を繰り返すということは、クライアントがカウンセラーを通して自身を客観的に見るという意味を持ち得て、このときこの図に新たに逆の矢印を加えることが可能になると考えました。
疑問に思ったこととしては、よいカウンセラーには共感の力が必要ということでしたが、これに関して、共感しているように見せる能力は研究の中でどう捉えられているのか気になりました。実際のところは相手の身になって感じていなくても、テクニック的に理解して、そうしている風に見せることができればクライアントにとってはよいということもあるのかもしれないし、もしくは、共感の力が優れていたとしても、それをクライアントに伝えるもしくは還元する力が十分でなければよいカウンセラーとはならないのではないかと思ったからです。もちろん、前提として相手の感じ方を推測し理解できることはとても大切だと思いますが、カウンセラーに求められることによっては、加えて他の要因も同じくらい重要になるのではないだろうかと思いました。
今回は、共感を様々な面から見ることができておもしろかったです。

shooji68    reply

共感が起こる際のステップに自己認識が含まれることは驚きでした。また、共感の負の側面についてもっと長く先生のお話を伺いたかったです。

shiori0310    reply

個人的に心理学に興味があったため、心理学の側面から信頼関係を見るというテーマで、大変面白く感じた。私は人から協調性が足りないと言われることが多く、そういう文脈での協調性と心理学における協調性に多少の違いはあるとはいえ、他人との良好な信頼関係を築くために共感能力を養う方法を考えていきたいと感じた。

phu884    reply

信頼、共感のもたらす負の側面である同調圧力やいじめといった内容にも言及しているのが、斬新で興味深かったです。
特に、「相手の気持ちが分かるからいじめをする」という説明は、自分にとって新しい知見で、いじめの心理構造がよく分かって参考になりました。

Satoshi1024    reply

心理学の講義をsセメスターで取っていたこともあり、今回のテーマは親しみやすく興味深かった。性格5因子の話などは勉強したことがあり、その中でも協調性の部分が共感能力、ひいては信頼関係の構築において鍵となるということがわかった。また、臨床心理の話題にも触れていただき、実際の治療現場からわかった研究結果などを知ることができて大変面白かった。

Tsyun94    reply

先生は今回共感という言葉を信頼という言葉に置き換えて話していらっしゃいました。信頼の問題の多くは自己他者関係に終着すると自分は考えていて、この共感もそういった側面があると思います。しかし、自分が考える信頼という枠組みに今回の共感という言葉がしっくりと当てはまりませんでした。それはおそらく共感という言葉は利己的な自分という存在を取り去り、利他的に相手の内面を自己に投影しその感情を知るという行為であるのに対し、自分の考える信頼とは最終的には自己になんらかのメリットがあってそのメリットを享受すべく相手の本性(内面)を理解したうえで相手を頼るという利己的な側面が含まれるのではないかと思うからです。両者には相容れないこうした性質があり、さらに信頼は双方の理解と相手を頼る覚悟をなんらかの利益を得る際に持つことだと自分は考えました。今回は講義ありがとうございました。

sanryo1335    reply

心理学の観点から、「信頼」を「共感」と読み替えて探るという講義で、このオムニバス全体の中でも特に興味のある内容でした。これまでの学期で認知心理学や進化心理学など心理学に関するいくつかの授業を履修してきたので、その中でも扱われていたテーマ(「心の理論」、「社会脳」など)が登場し、それぞれの分野の関連性や視点の違いが感じられる内容でした。今回の講義で扱われていた事例の中で、3つほど気になった点があるのでそれぞれ挙げていきます。
まず一つ目に、心の理論を測る誤信念課題についてです。この課題では視点移動の能力が必要なのはもちろんのこと、サリーとアン、両者の視点に立つという感情移入や、アンとしての自己認知も必要であると指摘されていました。しかし、サリーとアンの課題の場合、最後に答える質問は「サリーの視点に立っているか」を確かめるだけのものであるように思えます。そこで、いたずらの意図を理解しているか確かめるような、たとえば「アンはなぜビー玉を箱へ隠したのか」というような質問を実験に加えれば、「3つのmodule」の存在をより明確に示せるのではないかと思いました。ただ、4歳児レベルでそこまでの質問に答える言語的な能力があるかどうかは課題となってしまいますが…。
二つ目は、自閉症児に対する「心の理論」訓練課題に関してです。ここでは犬に追いかけられる人の表情、感情を理解するという課題が例として挙げられていました。しかし、これはある程度言語精神年齢が進んだ児童であれば、「犬に追いかけられると恐ろしい」ということは共感とは関係なく定型的な知識として身についているように思われます。ある種のスキーマを用いて応答できてしまうために、この課題には弱点があるのではないかと考えました。
三つ目に、アッシュの「集団の斉一性」の実験についてです。再現可能性は認めにくいかもしれませんが、同調の圧力の強さを示す一つの良い事例であると思います。気になるのは、誤答をする人の認知的な過程です。彼らは、線分の長さが異なっている、つまり誤答であることを認識した上で同調し、あえて誤答するのか、もはや線分の長さが違うという認識すら歪み、無意識的に誤答してしまうのか、どちらなのか疑問に思いました。
講義の最後には、共感のデメリットという観点で締めくくられていました。常に「相手と同じ感情になろうとする」ことが正しいわけではないというのは、日常でも度々感じることですが、心理学的な考察に裏付けられるとより信ぴょう性のある議論だと感じられます。

goto114    reply

心理学の「共感」という側面から信頼についてお話をいただき、具体的な実験やデータを用いた講義で非常にわかりやすかったです。
しかしながら、お話の中で、「共感」という言葉でひとくくりにされていたその「共感」には実は差異があるようにも感じられました。
例えばアッシュの、「共感」の悪い側面を浮き彫りにしたとも言える有名な実験ですが、これについて、共感と付和雷同することは違うのではないかとわたしには思われました。付和雷同というと言い過ぎかもしれませんが、明らかに不正解と断定できるものを正解として選んでしまう、この他者へのいびつな共感は、いいかえれば自分に対する信頼の欠如であり、信頼とは、もしかしたら自分ではなく他人を信じること、自分への裏切りなのだろうか、という疑念が不意に頭をもたげました。
しかし、アッシュの共感の例にしても、中学生のいじめ問題にしても、自分と同じ考えを持っている(自分の味方である)存在が誰か1人現れさえすれば、我々は自分のことを再び信じることができる傾向にあるらしく、わたしはそれこそが本当の意味での共感ないしは信頼なのだと信じたく思います。
もちろんこれは、それならばそもそも自分の信念を固くもつことこそが重要で、相手の気持ちを理解しなくても良いということには決してなりません。
我々が相手の気持ちを本当には理解できないにしても、だからこそわたしは他人の気持ちをなるべく豊かに想像できるようになりたいと思っています。
共感的理解の三要素すなわち自己認知・脱中心化・感情移入のモデルは、非常に興味深いものでした。健全な他者理解には自己認知を欠くことができないのだということについて、確かにその通りだと深く納得しました。
他者理解が自己理解に反射してくるときに、私たちはどこまでが自分自身で、どこからが他者なのか、その境界がわからなくなってしまうものだと思います。何故ならば、私たちが理解する他者とは、他者そのものではなく、私たちの中にある他者の像であり、自分によって作り出された、完全には他なるものたり得ないものであるはずだからです。
わたしはただ、相手のことを尊重しさえすれど、決して自分を見失いたくはないというだけなのです。何故ならば、自分のことを自分自身が信頼し、またそうしたことの上で他者から健全な共感・信頼を勝ち得ることは、それらを相手に感じることと同じくらいには尊いものであるはずだからです。

pulpo10    reply

先日は為になる講義を、ありがとうございました。

人間の他者理解の仕組みをわかりやすく解説していただき、実生活への応用にも役立ちました。ありがとうございました。

martian5    reply

 貴重なご講義ありがとうございます。
 有名なサリーアン課題の話に着地する今回の講義は信頼というテーマへの心理学的なアプローチを存分に楽しめました。
 序盤のカウンセラーの条件についてのお話に登場した、みる自分とみられる自分についてのお話が僕には興味深かったです。特に、落語家とカウンセラーの職業的な近親性については有名で、落語家も落語をするときつねに客を見ながら(観察しながら)客から見た自分を見るそうです。
 すこし俯瞰的に考えれば、社会の構成員を仮面(ペルソナ)を持つ人たちと考えることができ、そうすると社会の成員となった時点で人は自分を見られることを経験してしまっているのでしょうか。
 もう少し考えてみたいです。

yuto0813    reply

今回の講義では心理学的に「信頼」ということはどういうことなのかについて、「信頼」を「共感」に置き換えて学習した。普段心理学を学習していないため、どのように相手の心に寄り添っていくかについて学習することができとても興味深かった。また、相手に共感できることは必ずしも良い結果を招くとは限らないという点も面白かった。特に、他人を引きずり下ろすことにより快楽を得ることを意味する「シャーデンフロイデ」という概念は初めて知ったが、自分も経験のあることなのでその概念を知ることができてよかった。

reon2012    reply

単純な課題を7人がそれぞれ取り組んだ際に自分以外の6人が間違った結果を導いたとして自分も間違った結果を導いてしまう人が37%もいたというのは面白い結果だと思う。多数からの同調圧力というものはあらゆる場面に存在していて、私達自身がそれに気づいている場合も気づいていない場合もあるだろう。特に気づいていない場合には注意が必要で、集団で間違った方向に進んでしまっては物理の慣性の法則のように容易には止められなくなってしまうだろうと思った。

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