跳出思维框架

第8回 11月28日 渡边 雄一郎

生物が生きていく上でみせる変容

生物在生存过程中,有不少都会遇到生长环境的变化。动物可以自由移动,而植物一旦扎根就无法从那块土地上离开。在这样的制约之中,植物只能通过自体的变 化,去适应环境。让我们一同去考察植物的这一能力吧。同时还将与动物和昆虫进行对比。如果能由此联想到一些人生教训就更令人高兴了。

讲师介绍

渡边 雄一郎
以植物为观察对象,关注基因及RNA分子等,研究生物在地球环境中生存繁衍至今的机制。并不是对“树木为何会变大”这样的目的论感兴趣,而是想知道“怎样才能变大”。
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评价内容(最新2件 / 5)

luke    reply

本日の講義で、最も強く印象に残ったのは、「植物の言語」を「人間の言語」に「翻訳」しようとする、渡邊先生の真摯なご態度です。

それは、大津波に襲われた後の陸前高田で、渡邊先生がふと、地面にタナツケバナが生えていることにお気づきになった時に、環境の劇的な変化が起きたのにもかかわらずタナツケバナが生えているということそのものに感動し、そのタナツケバナがそこで芽を出し生長するに至った経緯を、タナツケバナ自身は語り出してくれないから、自分が代わりに語りたいという先生のご気持ちに、端的に表れていたと思います。

思うに、人類は、科学の進歩によって、自然を――少なくとも地上の自然を――ほとんど掌握したかのように見えて、実のところは、自然に対して非常に無知なのだと思います。たとえば、本日の講義の主要な話題の一つは、シロイヌナズナが春に花を咲かせるという現象がいかにして起こっているのか、ということでしたが、この現象自体は、誰もが知っている、非常に当たり前のことです。しかしそれを、人間という主体から見た「風景」としてではなく、シロイヌナズナという一つの「主体」の「体験」として記述しようとする試みは、少なくとも近代科学では、あまりなされてこなかったわけです。

シロイヌナズナはいかにして花を咲かせるべき時期を知るのか――それは、シロイヌナズナが周囲の環境をどうとらえているのか、いわばシロイヌナズナにとっての「世界観」を知ることであり、世界観というのを人間風に「言語」と言い換えてみるならば、シロイヌナズナの「言語」を人間の言語で記述しようとする試みに他なりません。しかし、当然のことであり、残念なことでもあるのですが、シロイヌナズナの言語そのものを人間が語ることはできません。シロイヌナズナの言語を、何とかして人間の言語に「翻訳」する必要があります。その時に有力な手がかりになるのが、遺伝子なのだと思います。

しかし、遺伝子というのもまた、実に複雑な言語です。一つの形質の発現に複数の遺伝子が関与していることがしばしば認められるだけではなく、シロイヌナズナの花成に関してAhgFLCという遺伝子の発動が鍵を握っているように、遺伝子の「オン」「オフ」の切り換えまでもが重要な意味を持ってきます。

このように、人間以外の生物の言語を人間の言語に翻訳する試みは、決して容易なものではありませんが、ちょうど、いわゆる「異文化理解」が、相互を理解しようとする不断の努力によってのみ成立するように、私たち人間は、人間以外の生物を理解しようとする不断の努力によってのみ、これらの生物との「関係」を保つことができるのだと思います。

そこに、何か功利主義的な価値、つまり人間社会にとっての価値を見出すことは難しいですし、むしろ気味が悪いですが、それでもなお何らかの価値が人間にとってあるとすれば、それは、人間以外の生物との対話が、人間という存在の認識そのものの変容を起こす可能性がある、ということなのだと思います。

人間以外の生物の視点からその「体験」や「世界観」を記述すること――それによっていよいよ怪しくなってくるのは、人間と非人間の境界でしょう。人間と非人間を分かつ重大な要素とされる「自由意志」なるもの――これは本当に存在するのでしょうか?冬が終わりに近づき、6週間もの間、いつ花を咲かせるべきかうかがっているシロイヌナズナと、冬が終わりに近づき、いつ衣替えをするべきかうかがっている人間(ただし、天気予報を見ながら!)。両者は、遺伝子の生み出すそのメカニズムにおいては、かなり近いのかもしれません。だとすれば私たち人間に固有だとされている自由意志は、どのように設定するべきなのでしょうか。

こうなると、人間の尊厳なるものが失われてしまうようで悲しいと感じる方もいらっしゃるのかもしれませんが、むしろ私は、これは、これまで近代科学のもとで「沈黙」を余儀なくされていた人間以外の生物と人間が、ようやく――あるいは再び――多少なりとも「通じ合える」ようになった結果だとして、肯定的に受け止めたいと考えております。

今後、人間以外の生物の言語を「翻訳」する試みが、(あくまでも謙虚な姿勢で)さらに進展していくことに期待いたします。
渡邊教授の今後のさらなるご活躍をお祈りいたします。
本日は、刺激的なご講義をありがとうございました。

koco2    reply

高校の生物の授業で教わった春化処理が、遺伝子単位の巧妙さでもってコントロールされているということに非常に驚きを覚えるとともに、その仕組みを作り上げた植物の進化に茫漠たる思いを抱きました。あるいは葉の形にせよ、葉緑体の機能にせよ、植物が長い時間をかけて組み上げた精密なつくりは想像するだけでも果てがありません。しかし、それでも少しずつそれを解明していこうとする植物学者の姿は(無論、この分野に限らずですが)、とても真摯かつ実直に思われます。様々な写真と体験談を語ってくださったことで、科学者の自然に対する姿勢がより現実味をもって感じられ、感銘を受ける授業となりました。

mushamusha    reply

駒場祭のときにちょうど黄葉真っ盛りだったのを思い出して、なんで祭りのときに一番の見ごろだったのかと考えていました。植物の変容はまさか人間の祭日に合わせて動いているわけはないんですが、じゃあ人間側が銀杏の木に合わせて祭日を設定したのだろうかとも思うわけです。でも毎年毎年そんなにうまく行くものだろうかと。日本はもちろん世界には気候というものがあります。冬の日だってちょっと暖かい日があったりもするわけですが
、冬だから連続的にそうはならないでしょう。むしろ暖かいのは例外的なのであって、だからこそ僕らはそれに冬という季節を感じるわけです。植物が子孫を残すメカニズムというのは本当に今が春なのかな、というのを感じるところに尽きるわけですね。ひょっとしたら小春日和かもしれない、なんてけなげに考えているのです。人間のほうは季節を知っていますから、ちょっと空の様子とか気温とか感じればいいだけですからね。でも、暦がなかったとしたら、と考えることはあります。僕らは季節というものを植物のように感じなくてはいけなくなるわけで、植物のやっていることは盲目だからあんなに慎重なんじゃなくて、むしろ暦を持っていないから慎重なんだろうとも思います。第一、人間だって植物の変化を見て、春だとか秋だとか感じている面は多いわけで、植物がリアルな暦であるともいえますね。そんなに躍動するわけでないけれども、植物にとっては時間はあるわけじゃなくて、植物が教えてくれるものを季節とか時間とかいうのかもしれないと感じました。

You    reply

「生きる」ということは「変わる」ということだと言います。動物も植物も含めた生物は、少なくとも時の流れの中で生の維持の為にエネルギーを消費し、その細胞は生まれて死んでを繰り返しており、そういう意味で確かに不変ではありません。さらにもっと大きなスパンで見ると、環境の変化に応じてその在り方を変容させていることがしばしばあります。
今回の講義では植物の春化処理を中心に、成長や発生という変容について学びました。遺伝子の観点から変容の実態が解析されつつあることに驚くと共に、植物が非常に繊細に創られ、細密に環境に適応せんとしていることが印象的でした。植物の回帰性・安定性は周期性によるのではないか、そしてそうだとすると周期性を成り立たせる正の要因・負の要因があるはずだと考察していく姿には、生物に限らずあらゆる変容について考えていく際に役立つものであると感じました。

HAT    reply

先週は、貴重なお話ありがとうございました。
もちろん講義の内容も興味深かったのですが、私が印象的に思ったのは、先生が講義の中で一貫して、植物達のことを「彼ら」と呼んでいたことです。皆さんがおっしゃっていることですが、植物の変容についての研究の試みは、必ずや自然科学全体、ひいては人文・社会科学全体への利益になる可能性を孕みます。自然を余すところなく吸い上げ人間の利益にしようとするのではなく、自然と同じ目線に立つその姿勢が、自然と語り口、文体にも現れているのでしょうか。感激いたしました。

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