ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第1回 03月04日 岡田泰平

植民地主義のなかの異物?―宗主国人?、先住民?、はたまたアジア系外国人?―

植民地主義とは人種差別がその統治の中心に置かれている体制であり、「人権」が定着した現在では過去の遺物となるべきものです。他方、その残滓が現在にまで残り続けているという人もいますし、現在の人種差別そのものが植民地主義の負の遺産だという議論もあります。この回の授業では、宗主国・植民地間の関係と植民地教育を通して、 植民地主義における「異物」とは何であり、その「異物」がその後の国民国家体制の中の「異物」にどのようにつながっているのかを、考えてみたいと思います。

講師紹介

岡田泰平
東南アジア近現代史、アメリカ近現代史、特にアメリカ植民地統治下のフィリピン研究、最近はアジア太平洋戦争や「記憶の政治」の研究もしています。主な業績:岡田泰平『「恩恵の論理」と植民地――アメリカ植民地期フィリピンの教育とその遺制――』法政大学出版局、2014; Jose Eleazar R. Bersales, Taihei Okada. The Japanese Community in Cebu, 1900-1945.Manila : National Historical Commission of the Philippines, c2023.
授業風景

2023年度の南京大学集中講義が始まった。2010年から南京大学の学生向けに、毎年開催されていたが、コロナ禍に影響により、2019年度以降、日本から教員を現地に派遣することが一時的に中止されていた。そのため、今年度は4年ぶりの対面での開催となった。

南京大学の張俊翔先生の進行のもと、同大学の施林淼先生と戴者華先生、東京大学の原和之先生からご挨拶を頂いた開幕式につづいて、最初の講義に東京大学大学院総合文化研究科の岡田泰平先生をお迎えした。先生は東南アジアにおける植民地支配、とりわけフィリピンを中心に研究なさっている。「異物」という概念を、歴史学のディシプリンのもとで考える二日間になった。岡田先生は日本語で授業を行う一方で、南京大学の日本語学科の修士課程の学生が同時通訳を行い、南京大学の学生たちはイヤホンをつけながら授業を受けることになった。

3月4日

授業は、「異物」とは何か、という問いから始まった。医療・生物学から出発されたこの用語を、人文学において使用することは、不適切かもしれない。人に当てはめることは、排除と差別につながれえない。授業はあくまでも思考実験としての試みである。

しかし、人文学において、「異物」は必ずしも悪い意味を持たないかもしれない。実際に異物という言葉が、どのように使われているかを整理するために、青空文庫にある日本文学の古典における使用例を分類・整理した。特に印象深いのが、「真珠」を「異物」の比喩とし、人間の情熱などを賛美する使い方として使われた例である。

つまり、「異物」とは、全体性や標準的なものという概念の反対を意味するようだが、「害」にもなりうるし、「真珠」にもなりうる。言い換えれば、強みになりえるということだ。実際に、南京大学の学生からは「料理している時に、間違った具材を入れてしまっても、料理が美味しくなって、いい結果に繋がった」という実例があがり、教室内に笑声が響いたワンシーンもあった。いったい「異物」は「害」なのか、それとも「真珠」なのか。この問題設定は、これから二日間かけて、様々なテーマを考える上での出発点となった。

授業は本題に入り、19世紀に、時代は、世界帝国の時代から、西欧諸国による植民地支配の時代に変わっていく。主権国家体制が欧州で成立した。そして産業革命による技術力の獲得した西欧の列強は、世界中で植民地支配を行っていった。

東南アジアは、本来「風下の土地」であった。膨大な土地に希少な人口は分散し、中国やインドなど様々な世界帝国の影響を受け続け、貿易が盛んに行われた地域である。領土の境界線も曖昧で、人種の構成も多様であった。貿易を中心とし盛んであった港市国家においても、人種は混淆し、多人種・他民族を利用する統治がなされた。たとえばマラッカでは、マレー人の王のもとで、長官はアラブ人や、グジャラート人、アチェ人、ブギス人などが勤め、外国人の商人たちとの取引を行った。「ニャイ」と呼ばれる、商人たちのマレー人の現地妻達も、商売において活躍した。長官たちが外来の商人と同じ言語が喋れて、文化や慣習を理解した方が、税金の徴収など物事が順調に進むし、その方がよっぽど合理性がある。また、現地における王は、世界の様々な宗教伝統をいいとこどりしたかたちで自らの統治の正当性を獲得していった。まさに、「風下の土地」であった。

このような土地に、西洋植民地主義が到来したことは、どういうことを意味していたのか。東南アジアでは、異民族を利用したゆるい支配がなれ、また、社会では異なる集団ごとに高い自由度が認められていた。規範やルールに関しても、民族独自のルールなどが、交差する形で存在していた。しかし、近代植民地体制の下、そのシステムは変わり、宗主国による統治支配、そして白人種を優位とする人種差別的なものに変わっていった。宗主国出身の人が優位に立たされ、近代的な官僚制による行政中心の統治が行われた。そのような東南アジアの文脈で、誰が「異物」になりうるのか?そして、その「異物」は、「害」であったのか、「真珠」であったのか?

もちろん、このような問いに対する答えや、実際の状況は、東南アジアのそれぞれの国によっても異なる。東南アジアの白地図が学生に配られ、それぞれの国名・元宗主国・歴史的経緯などを復習した。それを踏まえた上で、初日の終盤は、フィリピン、とりわけフィリピンにおけるアメリカ人の事例からの考察がなされた。

フィリピンは、米西戦争の結果、アメリカの植民地になった。新たに宗主国となったアメリカの下、軍政から民政への転換は、早い段階で実行された。その背景として、アメリカにはなるべく早くフィリピンを独立させたいという思惑があり、そのためには自分たちの「優れた」文明を早く伝えたい、という考えが存在していた。しかし、多くのアメリカ人がやってくることはなかった。そこで、アメリカ人教員を雇用する方針となった。アメリカ人官僚の中では、教員が大多数を占めた。そして、彼らは、現地のフィリピン人の教員の数倍から十数倍の給料を得ていて、教育局の政策を決定するなど圧倒的に優位な立場に立っていた。

ここまで聞くと、このような教員たちは、「害」ではなかったと思うかもしれない。何よりも、アメリカは自分が優れたものであると思い込み、自身の文化を優位なものとしてフィリピンに「押し付け」ようとした。逆にこのように考えると、フィリピンのナショナリズムにとっては、これらアメリカ人の教員も、「害」である、と言えるのかもしれない。

しかし、そんな彼女らのことを、本当に「害」と一概に片付けてしまって良いのか。実際、そんな彼女らがアメリカに帰国したとき、待ち構えていたのは、職の見つからない極貧だった。高齢になり、熱帯性の病気に罹っても、経済的には困難で、支援の手はない例も多い。そして、追い討ちを受けるように、フィリピンの独立準備政府の設置に伴い、彼らの年金を打ち切る議論もなされた。フィリピンに残りつづけたアメリカ人教員は、自分たちはフィリピンの発展に貢献したとして、猛烈に抗議をしている。何よりも、彼らは、自分を「真珠」であると思っているわけである。授業は一旦ここで、終了時間を迎えた。

授業中、そして授業後、多くの学生さんからは質問や、議論の問いかけがあった。授業の「異物」に関係する直接な議論に関連するものの中では、ベネディクト・アンダーソンの『想像の共同体』の枠組みを借り、国民国家そのものに対して疑うような意見が聞かれた。また、興味深い考察をした学生もいた。実は「真珠」という装飾品は、真珠貝が異物を排出するために出来上がったものである、という点である。つまり、異物が真珠貝の体内に混入し、「真珠」になるのだが、真珠貝にとっても結局は「害」であり、母体によってそれが「害」か「真珠」で決まるのではないか、と。

現代東南アジアの国際政治や国際情勢につなげる学生も見られた。ミャンマーで現在進行しているロヒンギャの問題があるが、それはミャンマーが国民国家として成功していないからではないのか、との質問があった。また、ASEANEUなど他の国際連合に比べて構成国の自主性が高めということとの繋がりを指摘した声があった。

他にも、現在の国民国家という体制そのものに関しても、様々な事例が議論で上がった。中国は世界帝国がそのまま国民国家になったという、特別的な存在である指摘があった。様々なディスカッションが授業後の壇上で行われながら、授業は二日目に向かって、一旦幕を閉じた。

3月5日

授業二日目は、昨日の学生たちから提出されたコメントシートの質問をいくつピックアップすることから再開された。

昨日の講義の終盤に取り上げた、フィリピンにいたアメリカ人教師が、実際に「害」であったのか、「真珠」であったかという問いかけについて、岡田先生はメリー・フィーというアメリカ人女性教師の事例を取り上げ、さらに掘り下げた。まだ女性差別が根深かった年代、高校卒の女性でもすでに高学歴であった。メリーは、師範学校卒。つまりもっと学歴が高かった。女性がまともな職につく機会がなかった中、フィリピンで教員になることは彼女に残された数少ない選択肢であった。

そんな彼女が順調な一生を送ることはなく、悲惨とも言える結末を迎えることになった。フィリピンに来た時から、他の女性と比べても高給与で優遇され、地位と給料は上がるが、キャリア中の最高峰でも、他の男性教員と比べて低い職位で働かされていた。そして、帰国後は仕事が見つからず、本のセールスマン、第一次世界大戦時には赤十字の食堂で働くなどと、職を転々としているうちに、あまりに貧乏であるため、自死未遂を起こしてしまう。移民局に送られた手紙が残されているが、彼女は仕事を必死に求めていたいたことが分かる。

このような彼女の経験を考える上で、同情を覚えるかもしれない。しかし、そんな彼女が残した記録を辿ると、彼女の思想は明らかに白人が優位なものであり、フィリピン人に対して差別的なものを抱えていたということが見えてくる。彼女はフィリピン人の人間性を自らの想像力から排除しているのだが、困窮していくなかで白人としてのアイデンティティが彼女の自尊心の拠り所になっていたことと関係している。先生は、植民主義研究をやっている実感として、やはり「害」が強かったのかもしれない、少なくともよかったとは言えない、という感覚が常にあるとコメントしていた。

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そして、先生は次のように述べた。このように「異物」、とりわけ帝国主義における排除や差別の歴史を語ることの意義に関して,考える必要がある。先生は日本人の立場から、東南アジアの歴史を研究していて、植民地主義の歴史に関して今回は南京大学で講義している。加害国であった日本から来た人として、フィリピンに行って戦争の記憶を取り扱うこと、そしてこの度、南京大学で講演することは、実際にデリケートである。戦争の痛ましい歴史は、それなりにお互いが理解できているとしても、緊張感のある事実には変わりがない。

その感覚を理解してもらうために、先生は一つの実践を試みた。自分が教員として、日本の大学で、学生に向けて南京大虐殺をどう語っているのか、実際に使われた授業のスライドをみなさんにお見せした。そして、『国が燃える』事件、南京大虐殺を取り扱う映画館のエピソード、そして河村たかしの事件否定発言などを例に、日本の大まかの世論の状況を説明した。

それを踏まえた上で、先生は、東南アジアの視点から、日本の侵略の意義がどうであったことを説明した。

今までは西洋の植民地体制中にあった東南アジアに、日本軍が大量にやってきた。古い植民地体制は破壊されたが、日本が「民族解放」という名の下行ったのも、結局は同じ植民地統治体制の構築を目指したものだった。つまり、「異物」のパラダイムを借りると、東南アジアにとって、日本は新たにやってきた植民地主義なのだが、その暴力は安定した植民地社会を破壊していった。すでに宗主国が作り出した植民地社会に、日本人がさらに加わり、その結果、植民地社会が崩壊していったという状況に近い。そして戦争の延長線上、オーストラリア人の兵士や、インド兵も新たに東南アジアにやってきた。日本占領期は、東南アジアにとっての「異物」がさらに増えた時代とも言えるかもしれない。

そして、日本軍による暴力的な支配や歯向かう住民を虐殺する体制は、東南アジアにおける国民国家の意識の形成につながり、また独立運動のリーダーたちの正当性の根拠となった。その後、敗戦によって、日本軍と日本人は消え去り、旧来の帝国が戻ってきたが、その彼らもまた敗れ去っていくことになる。国ごとの状況は異なるが、少なくともフィリピンの場合、戻ってきた宗主国であるアメリカに対しても、複雑な感情を抱いていた。アメリカによって、日本の軍政から解放をされるが、そのアメリカによって、共産主義者は弾圧を受けることになったからである。アメリカの復帰を「再占領」と捉える、フィリピン人ナショナリストの視点もある。

日本が破れ去った権力の空白、そしてその後の植民地主義の撤退による権力の空白は、多くの国で著しい暴力を引き起こした。新たに出来上がった国民国家の体制でも、その国民国家からの「異物」として、華人、宗教的少数者、民族的少数者を排除する動きが見られた。

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結局、誰が「異物」であったのか。フィリピン・セブの日本人の敗戦時の事例を取り上げられた。日本人は、戦後のフィリピン社会で「異物」として排除され、居場所を失った。そして、敗戦時には、日本人の子供が日本兵によって殺され、その中で、混血の人も殺された形跡がある。子供や混血の人々は「異物」として排除された。戦争は暴力な形で、「異物」の排除を引き起こし、許容できないものを生み出す。フィリピンにいた日本人たちのこともまた、一概に「害」としての「異物」と片付けてしまって良いのか。彼らは、無垢で無害でなかった。男性は日本軍と一緒に戦っていた。だからといって、自業自得と言ってもいいのだろうか。歴史研究はこのような矛盾を私たちに突き付けてくる。

21世紀になった現在の日本においても、民族性に基づく政治は依然として行われている。人手不足になっていく日本では、今度は海外に取り残された日系人を優先する移民政策を行うようになる。民族や人種によって、「来ていい、来ちゃいけない」と区別するような行いは、アジア・太平洋戦争から70年以上経った現在でも行われている。学生たちからは、中国の旧満州の残留孤児問題が似ているのではないか、と指摘する声があがった。そして、彼らは日本社会にも受け入れられず困難に満ちた現状を直面している。他には、スリランカ女性で入管で放置され死に至ったウィシュマさんの入管事件も授業後に議論された。

「異物」に関して考えてきた授業の最後に、先生はフィリピンのホモンホン島で出会った姉妹の写真を見せてくれた。姉と妹でありながら、肌色が全く違った。しかし、それでも姉妹であることは、そして、血縁関係があることは、フィリピンでは疑われたりはしなかった。

この写真を見ると、誰が「異物」かがわからない。「混ざりまくっちゃっている」状況に置かれているフィリピンでは、このように人種を根拠に「異物」として人々を分けること自体が、もうできないと先生は説明した。東南アジア研究をやるながら日本を見ると、東南アジア諸国の、国家の弱さや混沌性を認めつつ、「異物」の存在を許容するあり方も、一つの解ではないか。そんなモデルを提示して、先生の二日間の講義は終了した。

同時通訳を担当してくださった、南京大学の日本語通訳の修士課程の学生である、吳雨氏、沈斌清氏、周沂葦氏に感謝の意をお伝えしたい。

(文責:TA 市川)

コメント(1)

子猷    reply

岡田先生の授業を受ける前、私の東南アジアの歴史に関する知識は空白に近かったと言える。 自分の世界に没頭するあまり、植民地主義について考えることはおろか、国際的に起こっている歴史的な出来事にも目を向けようとはしなかったからだ。 慰安婦記念館を訪れたことがあるかと聞かれたとき、手を挙げられなかった自分が恥ずかしかった。 先生はとても魅力的で、私は先生の言葉に深い人間性と事実の力を感じました。 先生の授業は、私の学習努力の方向転換を促し、今後はより示唆に富んだ現実的な質問ができるようになりたいと思います。 先生にも深く感謝いたします!

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