ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第5回 03月18日 高谷幸

移民からみる境界の現代的変容

現代において、移民や難民は、境界を越え、多様性や新しい文化を生み出す存在として注目される一方で、国境によって守られてきた社会秩序を脅かす「他者」として警戒されてもいる。本講義では、こうした移民と境界をめぐる複雑な現象に注目することで、現代における境界の変容の一端を捉えてみたい。

講師紹介
高谷幸
東京大学大学院人文社会系研究科准教授。専門は社会学・移民研究。著書に『追放と抵抗のポリティクス—戦後日本の境界と非正規移民』(ナカニシヤ出版、2017年)、『入管を問う—現代日本における移民の収容と抵抗』(共著、人文書院、2023年)、『移民政策とは何か—日本の現実から考える』(編著、人文書院、2019年)、『多文化共生の実験室—大阪から考える』(編著、青弓社、2022年)など。
授業風景

3月18日

日本において、移民はしばしば「外国人」、すなわち「日本人」とは異なる、国民国家の「異物」として捉えられる。「日本人」と「外国人」を峻別するかくなる二分法を問い直し、現に日本社会の一員として在る移民の姿を描きなおすことが、この講義の目的である。3月18日の講義は、日本における移民および移民政策の歴史、社会学における移民研究の理論史、それらを踏まえての日本での国際結婚の分析へと進む。日本国籍を持つ男性と結婚した外国籍女性の状況の分析を通じて、移民は日本の社会構造に取り込まれている一方で(その意味で移民は「異物」ではないといえる)、他方では社会構造のなかで周縁化される存在として特有の経験も有するという状況が明らかになるだろう。

日本に住む移民について、まずは日本の植民地支配の歴史が生み出した人の移動が言及されたのち、1980年代以降にはそれとは異なる理由で来日する移民が増えたと述べられる。政策の観点からは、1990年以降、政府は、「専門的・技術的分野」以外の労働者は受け入れないとした一方で、別の入国目的によって受け入れられた日系人や技能実習生が人手不足の現場で働いてきた。こうした政府の対応は「サイドドア」政策といわれてきた。また、後に取り上げる国際結婚での移民は、1990年代という特定の時期に増加したのち、近年は減少している。先取りして述べるならば、このことは日本の社会構造において、特定の時期に国際結婚の需要が高まったことを示唆する。
 続いて、移民についての社会学の歴史が概観される。20世紀前半に影響力を持った同化理論は、20世紀後半には批判されるようになった。講義では代表的な批判として、A. ポルテスの「分節化された同化 segmented assimilation」を取り上げる。移民がみな均質なアメリカ人になりうることを前提とする同化理論に対してポルテスは、エスニック集団ごとに受け入れ国への編入のされ方には差異があることを主張し、またその差異に大きな影響を与えているのが制度的な文脈であるとした。制度的な文脈の例としては、移民政策、労働市場の構造、家族構成のほか、移民に対する差別の存在や、それゆえ重要性を増すエスニック・コミュニティの存在が挙げられる。
 以上を踏まえて、日本における移民の編入の具体例の分析へと移る。取り上げられるのは、国際結婚を通じて日本に編入された移民の例である。先述の通り、国際結婚による移民の数は90年代頃に有意な増加がみられ、この時期に国際結婚の需要が何らかの理由で高まったと理解できる。
 はじめに国際結婚をした移民女性へのインタビューが紹介される。インタビューからは、彼女が地元に根付いた人間関係を構築しているさまがうかがえる。
 ついで、国際結婚の増加が当時のどのような文脈に位置付けられるのかが説明される。60〜70年代の高度成長期に成立した「家族の戦後体制」の下では、農家として妻も労働に従事する家庭が減少し、会社勤めの夫と主婦の妻からなる家庭を築くことが一般的となった。ところが80年代に入ると、農村地方での「嫁不足」が顕在化し、「家族の戦後体制」の不安定化も進行して、結婚が必ずしも簡単なものではなくなる。日本国籍男性が家系を守るべく結婚を望む一方、移民女性にとって国際結婚は「先進社会」のより良い生活を手に入れるための移動の機会となる(ここには国際的なジェンダー不平等の構造が見られる)。このような文脈のなかで、国際結婚を斡旋する取り組みやビジネスが出現し、日本国籍男性とアジア系移民女性の国際結婚が急増したのである。
 最後に、彼女たちの日本社会への編入様式を分析する。まず初めに、日本の労働市場の構造に注目したい。新規採用と終身雇用を前提とする日本型雇用慣行では、正社員に無限定な働き方が要求され、それを支えるケア要員が必要とされるというかたちで、性別役割分業を再生産する構造がある。またこの構造のなかで、女性は労働市場から排除されたり、非正規として不安定な地位に追いやられたりしやすい。国際結婚の移民女性たちは主婦化する傾向にあることがデータから示されるが、それは彼女たちが日本国籍の女性と同様に、この社会構造のなかに位置付けられた結果だと理解できる。他方で、移民女性は偏見や差別によって労働市場においてもより傷つけられやすい立場に置かれているほか、夫の社会経済的地位の低さや歳の差婚に起因する経済的な不安定、DVなどにも直面することが多い。

 以上の分析を通じて、現に日本社会で生きている移民は、日本国籍を持つ人と同じ社会構造に位置付けられているという点で、社会の「異物」ではないことが例証される。他方で、だからといって移民に固有の経験を無視することはできない。国際結婚における移民女性は、同じ日本の社会構造のなかにより脆弱なかたちで位置づけられ、移民であることと女性であることが交差する地点に立っているといえるのではないか。「我々」/「かれら」の単純な二分法ではなく、個別具体的な文脈に即して理解することの重要性を、改めて実感する講義だった。

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3月19日

2日目の講義でも、移民を「異物」とみなすことの問い直しがなされる。現在、世界的にも、移民を「我々」に対する「かれら」として表象し、強固な境界線を引くことで、社会的対立の原因を移民に帰す言説が生じている。この日の授業では、引き続き「我々」/「かれら」の弁別を疑問に付すと同時に、むしろ移民が境界を越えたり、境界を変容させたりする可能性を探る。講義では、まず境界に関する学問的な理論史を、原初主義―構築主義―それ以降という系譜のもとで概観する。ついで構築主義以後の理論を用いて具体的な事例の分析を行う。ここでは在日パキスタン移民の、中古車販売ビジネスを通じたエスニック境界の形成が取り上げられる。この例からは、境界が「我々」/「かれら」の二分法ではとらえきれず、可変的で複雑な様相を呈することが示される。以上を通じて、境界を固定的で強固なものとして捉えずに考える糸口が得られる。

 境界に関する古典的な理論は、境界によって区分されるそれぞれの集団に、前もって何らかの本質的な実態があるとみなしている。例えば心理学では、集団間の差異を所与の前提として、その差異に基づいて個々人の心理のうちに生じるものが偏見であるとされた。また社会学でも同様に、集団間の差異を自明視したうえで、差別行為の背景が考察された。
 古典的理論のこのような原初主義的側面に対しては、後に構築主義などの立場から批判が提出された。共通の言語・祖先・文化を共有するものとしてエスニック集団を定義する原初主義に対してF. バルトは、何を共通とみなし、何が異なるのかを弁別する線引きが恣意的になされていることを指摘する。バルトは文化や言語の差異によってエスニック集団が形成されるのではなく、初めに境界が引かれて「我々」と「かれら」が区別され、そこからアイデンティティが形成されると考えた。プリミティブな文化がエスニック集団を形成するという見方を覆し、文化を生成的なものとして記述した点で、バルトの理論は大きな影響力を持った。
 他方でバルトにも見られる構築主義的な見方には、カテゴリーの構築性・可変性を強調するあまり、それが持つ現実に人々に及ぼす影響を見落としかねないという限界もある。したがって、境界の構築性を強調する立場にとどまらず、境界が資源の不平等分配に関わっていることを認識したうえで、社会的な境界がどのように生成・維持され、変容・消滅するのかを問うことが重要となる。
 講義では最後に、境界形成に影響を与える要素を「制度」「資源の配分と不平等」「ネットワーク」の3つに分類する研究を取り上げ、それを具体的な例にあてはめて分析を行う。そこで取り上げられるのは、70年代以降に海外向け中古車販売ビジネスの市場を開拓し、独占した在日パキスタン移民(男性)の例である。これは、ビジネスチャンスを独占する過程でエスニック集団が生成した例と考えられる。分析を通じて、このエスニック集団の形成には移民への差別やジェンダー不平等の構造、日本やパキスタンの政策変更の影響が反映されているほか、日本国籍を持つ妻の存在がエスニック集団の形成に重要な役割を果たしているという逆説的な事実が明らかになる。境界は単純に「我々」/「かれら」の二分法で捉えられるものではなく、時代によって異なる文脈の中で生成するものだということが、ここでも例証されることになる。
 講義を通して、「異物」を生み出す境界は人々の生活に大きな影響を与えつつ、可変的でもあり、またその生成や変化は社会構造や資源の不平等分配と結びついていることが述べられた。今回の講義からは、「異物」を考えるうえで「我々」/「かれら」の単純な二分法を退けるだけでなく、その区分が実際に人々にもたらす影響や権力関係に着目し、排外主義に戦略的に対抗する言説を構築する姿勢を学ぶことができると考える。

 2日間の本講義は、南京大学日本語学科の学生である周沂葦氏と陳悅祺氏によって通訳された。両名とも、講義資料やコメントシートの翻訳に活躍されたのみならず、事前に駒場での高谷先生の授業の録画を文字起こしして読み込むなど、多大な労力を払って通訳に臨まれていた。両名の尽力なくして講義は成り立たなかったことを、ここに記し謝意を表明する。

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