ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第1回 10月08日 原 和之

発達のなかの「排泄」 ――精神分析理論の観点から

19世紀末にヒステリーの治療法として「精神分析」を考案したウィーンの医師ジグムント・フロイトは、ヒステリーのさまざまな症状の原因として、はじめ主体が大きなショックを受けた経験の回想、いわゆる心的外傷(トラウマ)を考えるが、やがて一般に無意識の欲望こそが病を引き起こすのだと考えるようになる。この欲望は、症状を生み出し支えると同時に、それを解消しようとする治療的な努力に対する抵抗としても現れてくるが、分析技法についての議論が深められていく中でこの後者が問題になるにつれて、そもそも人間の欲望がどのように形成されてゆくのかという理論的な課題が浮上してきた。分析理論においてこれは、さまざまなものへのさまざまな欲望(ないし「リビード」)が人間の成長の過程でたどる変転の過程を論ずる、いわゆる「リビード発達論」として展開されてゆく。その初期の段階には人間の基本的な欲求が位置づけられるが、ここで「排泄すること」は「食べること」とならんで重要な契機として組み込まれていた。

本講義では、精神分析における欲望をめぐる議論の中で、排泄にかかわる諸契機がどのように位置づけられているかを概観する。主たる参照先は、ジグムント・フロイトのほか、20世紀イギリスの精神分析家メラニー・クライン、同じく20世紀フランスの精神分析家ジャック・ラカンらの所論の予定である。

講師紹介

原 和之
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻多元世界解析講座准教授。 東京大学から同大学院で地域文化研究(フランス)。パリ第一大学、パリ第四大学で哲学を修める。パリ第四大学博士(哲学史)。電気通信大学 専任講師・助 教授を経て、2004年4月より東京大学大学院総合文化研究科助教授(准教授) (地域文化研究専攻)。著書に『ラカン 哲学空間のエクソダス』(講談社)など。
参考文献
  • フロイト『フロイト全集』(岩波書店)
  • カール・アブラハム『アーブラハム論文集―抑うつ・強迫・去勢の精神分析』、現代精神分析双書 (2-18)、岩崎学術出版社、1995 年
  • メラニー・クライン『メラニー・クライン著作集2 児童の精神分析』、誠信書房、1997 年
  • タイソン、P.、タイソン、R.L.『精神分析的発達論の統合』、全二巻、馬場禮子監訳、岩崎学術出版社、2005年
授業風景

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コメント(最新2件 / 12)

taro    reply

クラインはファルス的母によって男根期以前のエディプス・コンプレックスについて説明していましたが、ただ単にその時期の子供の男女の区別があいまいなだけだと思ったのですがどうなのでしょうか。

とも    reply

幼児オナニーについて。子供が成長してくると、親が抱く考えが変わるというのが面白かった。その境目はいつなのだろうか。

きお    reply

自分が精神分析の勉強に触れたことが無かったので、「幼少期の排泄の問題が人間の性格形成にあたって重要な役割を果たす」という考えが新鮮でした。自分は性格は他人に言われることや両親の仕事などで形成されていくような気がしていたので、排泄の問題が正確に影響するというのが納得しずらいです。性格類型も、几帳面、倹約、強情だけであるのも他の性格もある気がしました。自分の理解が追いついていない部分が多かったので、もっと詳しくゆっくり勉強したいと思いました。

うひろ    reply

おむつの取り替えの際に赤ん坊が泣き叫ぶという現象に関して、フロイトの理論に基づけばそれはナルシス的な肛門性愛への固執から生じたものであると考えることが可能であると授業中に言及されていましたが、私はこの事例においてはラカンの欲望の弁証法における考え方がより正しいのではないかと思います。すなわち、ラカンの欲望の弁証法による考えに基づけば、それは母への愛の要求として、母を引き止めるために泣き叫ぶのだということでしたが、私はこちらの方が正しいと思うのです。というのも、おむつの取り替え時における赤ん坊の涙と、例えば親による「あーん」(食事)の拒絶の涙(この涙は明らかにラカンの欲望の弁証法に該当するかと思います)は、感覚的に同質のものだと思われるからです。

りな    reply

フロイトの理論に基づくと、排泄物は単に自らの身体的快楽を得るためのものというだけではなく、他者との関係の媒介者として、攻撃手段とも愛する人への贈与物とも考えられるというのが興味深く面白かった。

なな    reply

精神分析理論の観点から排泄について考えるという事は興味深かったです。講義中、「母を欲望する」ということに言及されていましたが、これは子の性別による差異はあるのか気になりました。また、母を欲望する理由として母が最初に子の空腹を満たすから、などいくつか挙げられていましたが、これは人口授乳の場合など特殊なケースではどうなるのでしょうか。

post    reply

フロイトの精神分析理論については予備知識があり、興味深く聞くことができました。排泄に関連の深い側面から話を深められたことは、とても斬新でした。特に、子が思い描く母子関係が、父母が強固に結びついた存在であるファルスであることには驚きでした。ちなみにここでいうファルスは、両性具有者かそれに類するものと考えても良いのでしょうか。

いとう    reply

人間が生活する上で避けては通ることの出来ない「排泄」を精神分析の観点から考えてみるという今回の講義は非常に興味深いものでした。以前から精神分析については興味があり、いくつか本も読んでいましたが、この講義で改めて「排泄」というものの精神分析的な位置づけを概観することが出来ました。ただ講義では主にフロイトの精神分析理論の紹介だったのでもう少しラカンについての紹介があると良かったです。ラカンによれば糞便は対象aとのことですが、機会があればこの辺りを詳しく講義していただけると良かったのかもしれません。(そうなるとラカンについての講義になってしまうかもしれませんが・・・)

たこ    reply

 このテーマ講義の主題は排泄であるが、各々の回によってその言葉の意味するところは変化しているようだ。
 初回の「排泄」は文字通りの意味、それも人間の排泄に焦点を絞った話であった。人間における排泄は講義の冒頭で触れられていたように一般的には忌避されるものである。これは、自分を一般的な観点から観測すると至極当然のものに感じる。なぜなら、排泄という行為は必ず「汚い」というイメージを持つからである。しかし一見当然に思われるこの考えも実は大きな矛盾を抱えている。
 まず第一に、その行為のもつ不可避性である。排泄という行為は人間が生きている以上付き纏う、避けられない行為である。トイレ・トレーニングを完了していないような幼い頃から、年老いて自分では身動きもとれないような最期まで、この行為なしでは人間は健康に暮らすことはできない。しかし、このような不可避性を持つ排泄という行為が日常で話題に上がることは稀であるし、話題に上げれば忌み嫌われる。このことは大きな自己矛盾と言えるだろう。
 第二に、間接的な不可避性である。「自然には解消されない」という話が講義にもあったが、処理に関する問題である。人間の排泄物は時間をかければ自然に消滅するものの、消滅するまでは人間にとって害悪なものである。したがって、排泄物の処理は人間が真剣に取り組まなくてはならない問題なのである。しかし、先に挙げたような忌避する風潮に加え、処理は多くの場合他人任せである。
 以上のように排泄に関して扱うとき、人間は常に自己矛盾と向き合うことになる。したがって、今回の講義を聴講した際、ほとんどが目新しい解釈に感じられた。まだ自分の中で消化しきれていないのだが、理解が進んだ際や今後の講義を経て今回の解釈を多角的に理解できると思う。

たか    reply

フロイトのリビドー発達論については多少の基礎知識があったため、興味をひかれた講義だった。フロイトの研究がヒステリーなど従来の神経学が通用しない病気に対処するために興ったことや、フロイトの後の精神分析家の理論が様々であることなどを学べ、たいへん意義のある講義であった。文献を読んでさらに自らの理解を深めたいと思った。

てつ    reply

精神分析理論を知らないところからのスタートで始めて聞く用語が多く深い考察までは至ることが出来ませんでしたが、フロイトの糞便を幼児の贈り物として捉える発想やクラインの絵を見てのファルス的母の解釈を聞いた時には新鮮な驚きを覚えました。知らない学問分野であらゆる方向から排泄というひとつの言葉について論じられるこの講義を知らない学問を学ぶきっかけにしたいと思います。

po-nomo    reply

 精神分析の観点から「排泄」というテーマを扱う今回の講義はとても興味深いものでした。精神分析を学んだことのない身としては、フロイトやラカンの学説に触れられる貴重な体験でした。
 フロイトとラカンの思想の比較軸として「愛が先か、身体が先が」という論点が挙げられていましたが、授業中の説明だけでは両者の説ともに納得しかねるというのが個人的な感想です。両説ともに幼児の行動を論理的に説明はしているのですが、実定的な根拠に欠ける後付の説明と感じられるのです。つまり、愛が幼児を動かすにせよ、身体が動かすにせよ、幼児に欲動が生得的に備わっている根拠は何なのか、ということです。
 また、幼児期に限定しない人間の行動が精神分析の観点からどのように説明されるのかにも興味がわきました。幼児期に”贈り物”であった糞便が如何にして忌避の対象へと移り変わるのか、など調べがいのあるテーマに思えます。(そう考えると、口では「うんこ、うんこ」言いながら(僕はそんな下品な少年ではなかったのですが)、一方で学校で大便をするのは頑なに拒む小学生の姿が思い起こされます。)これを機に学習を広げていきたいです。

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