跳出思维框架

第3回 10月20日 石原 孝二

脳と心・身体:哲学・倫理学の視点から

本讲座将从哲学、伦理学角度思考脑、心、身体的关系。首先我们会从哲学的视点出发去了解最近的脑科学发展,然后从哲学角度重新认识脑与心、与身体的关系。然后再从伦理学观点出发,对脑科学技术在脑、心、身体上的运用进行议论。最后再综合以上的议论,对从古至今一直持续着的,有关脑、心、身体的各种哲学问题进行思考。

讲师介绍

石原 孝二
东京大学大学院综合文化研究科副教授(科学史·科学哲学研究室) 专业是哲学·伦理学(特别是科学技术哲学·科学技术伦理)。最近在进行的是精神障碍·发育障碍的科学哲学及关于Robotics(机器人的伦理)的研究。

评价内容(最新2件 / 5)

tomykaira    reply

脳を中心とした人体・身体に関する新たな問題にかんするさまざまな研究・意見を知ることができ、刺激的でした。
さて、先生は授業中「スマートドラッグやトラストホルモンは良くない、ブレイン・マシン・インタフェースなども障害者に限るべき」というような意見でいらっしゃるようでしたが、私の意見では一概にそうとも言えないと思います。
アメリカのいつぞやの大統領(名前を忘れてしまいました)は麻薬は人に危害を加えない限り自己責任で用いられるべきであると述べたそうですが、私もこの考えに立ちます。集中力を高める作用のある薬品は学生の成績や企業の成績を向上させるのに当然プラスになりますし、ブレイン・マシン・インタフェースを利用することで現在のパソコン作業がもっと直接的で高速なものになりえます。したがって健常者であるというだけでこれらの技術の使用を禁止するのは、社会的・経済的観点から得策でないと考えます。
そもそも、必要は発明の母という言葉があるように、人間は道具をつかって自分の欲求を実現してきました。いま物質的道具が完成されようとし、脳科学が時々刻々発展しているわけですから、人間が操作する対象が外面から内面に向かうのは当然のことと思います。同時に、コンピュータや自動車、大型機械など人の手先の延長を大幅に超える器具が登場し、それらのコントロールに人間の生得の性能の限界が現れています。星新一の短編にも社会システムの変化の圧力で突然変異がおこり、暗闇でも360度知覚できる子供が生まれる話があります。それと同じように機械をつかって人間の能力をエンハンスしていくことは、倫理的に問題であるどころか、これからの生活に必要であると思います。
もちろん新しい技術の利用の線引きがどうおこなわれるかは各々の文化や社会で決定すべきことですが、その場において、結論をせくことなく、過去にまなび、副作用や悪影響の観察も含めて多角的に検討する必要性を強く感じました。個人的には、できるだけ自由度の高い決断がくだされることを願っています。

meg    reply

 脳科学やそれを巡る倫理学的・哲学的議論に関する様々なお話をお聞きできて、新たな視点を持つことができました。
 エンハンスメントと自律性の問題について「脳科学技術の利用が社会的に許容されうる境界はどこにあるのか」というような質問に対して、先生は「今のところ医療目的かそれ以外かが主な境界となっている」という趣旨のご返答をされていましたが、アメリカでリタリンが医療外目的で既に使われている現状を考えると、将来的に「病気」の概念自体が変化してしまう可能性が多分にあると思いました。つまり、例えば社交性を例として挙げるならば、元々社交的な性格の人やエンハンスメントによって後天的に社交的になった人の社交性のレベルが「正常」、元々内気な人のレベルが「異常(=病気)」と捉えられて、内気な人を「治療」するという名目で投薬が行われうるということです。現在では社交的であることも内気であることも個性として認識され許容されていると思われますが、社交的であることが善でありそれが当たり前だと見なされ、内気であることが異端視される社会が到来してもおかしくありません。(なんだかフーコーの議論に似ていますね)また何を善とすることが善なのかという議論はありますが、それは別の話です。しかしこのような価値観の変化を経済的その他の目的で利用しようとする人間はいるでしょう。

 心・脳・身体をめぐる議論については、昔からクオリア問題に近いことが気になっていたので非常に興味がありました。今のところ脳の存在は心の存在の必要条件ではあるけれど十分条件ではないと思っています。またクオリア問題はそもそも科学の範疇に入るのか疑問に思っていて、擬似問題である可能性もあると考えています。お話の中の「身体化された心」という概念自体は面白いと思いましたが、少し抽象的な印象を持ちました。

mare    reply

認知神経科学の解く「脳と心の関係」についてのご講義、非常に興味を惹かれました。

脳科学研究の注目分野など、魅力的な話題ばかりでしたが、もっとも考えさせられたのは、ニューロエシックスでした。これについて私はtomykairaさんとは異なった考えに立ちます。

「エンハンスメント」に付き添う"便利"や"進歩"という価値、「自己責任」や「自己決定」の背後にある"自由"という価値…人々が認め疑わない価値に対して、産業的・経済的な立場などから一線を画してとらえなおそうとする哲学・倫理学的な議論は決して無視することはできないと思います。

ただどうしても、恋の相手にトラストホルモンを飲ませることと、おいしい食事で気をひくことの線引きは、分析を繰り返したとしても難しい。
立場にとらわれない大雑把な議論も期待したいと思いました。

最後に、南京大学の学生さんと中継しての授業・質疑応答も非常に有意義でした。
中国の学生さんから、同性愛の"治療"についての質問がありましたが、一昨日土曜プレミアムで放送された『X-MEN ファイナルディシジョン』でミュータントの"治療"という表現があり、似ているなと思いました。以上です。

久保田悠介    reply

今回の講義は非常に興味深かったのと同時に、実際に脳に対していろいろな介入が可能であると考えたら、映画「猿の惑星」で脳をえぐり取られた人間を思い出し、少し怖い気がしました。様々な研究の結果、人類の思考能力が脳の構造にかなり依存していることを認めざるを得ないため、脳に介入するということは、何らかの形で思考に介入することになります。私が感じた恐怖というのは、私の脳に電極を埋め込まれて何らかの介入が行われたとき、私は今のままでいられるのかということです。自己同一性が損なわれるのではないかという恐怖です。
授業中の質問であったように、我々は電極を埋め込まれなくても、他者から様々な介入を受けています。人間は一人では生きていけないのですから、それは当然です。一般的に授業とマインドコントロールの区別をするのは難しいと思われます。むしろ明確な基準による両者の区別は不可能でしょう。それと同様に電極などで脳に介入することは、授業などよりも直接的であるというだけです。
それでもなお今回の授業で挙げられた例に倫理的な問題が発生するというのは、あるいは薬は電極などによる介入に違和感や嫌悪感を感じ得ないというのは、示唆的であると思います。一般的に洗脳と聞くと嫌な気がします。人間にとって、この嫌悪感が自己同一性の最後の砦ではないかと思いました。
とは言ってもこれを拡張すると世の中が感情的になりすぎてどうしようもなくなってしまいますが。

jump坊主    reply

僕が今回の授業で改めて感じたことは、肉体的健常者は脳科学技術を使用するべきではないということです。

肉体的に欠陥がある人が、脳科学技術を用いて健常者と同水準の行為を同じくらいのクオリティで実行することは倫理的に問題でしょうか?
(例えば、先天的に盲ろうの患者さんの脳に電極を埋め込み、カメラの映像を脳に電気信号として送ることで、目が見える状態になります)
僕は問題ないと考えています。

この技術を肉体的健常者が使うとスーパーマンが生まれるのでしょう。
もちろん、肉体的健常者が脳科学技術を使用することで、個人の生産性は確かにあがります。それによって人間社会の歩みは速くなり、社会に果たす役割は大きいでしょう。
けれでも、それが社会の成熟につながるか、退廃につながるか、が問題なのです。

社会的云々についてはよくわからない、というのが実感です。なぜなら、僕には何を基準としていいものか分からないからです。なので、議論しようがないですし、僕の手には余る問題です。他の人のコメントに期待します。
最後に、殊に科学技術が加速度的に進歩している昨今、立ち止まって昨日の倫理的問題を議論していては将来破たんを来します。技術が完成するまでに倫理的な線引きをする必要があります。
希望せずとも生まれたときから、脳科学技術に慣れ親しんで成長してきた僕ら世代が積極的に取り組まなければならない問題と思います。

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