跳出思维框架

第1回 10月05日

「循環」はデザイン可能か──茅葺民家の葺替えの実践

评价内容(最新2件 / 7)

MI710    reply

共通の問題意識によってコミュニティが自然に生じ、そのようにして形成された人のつながりが、自然資本や人工資本とともに社会的共通資本として、循環的な社会の基盤となってくるという話がとても印象的でした。講義後の個人的な考えとして、一つのコミュニティにおける問題を別のコミュニティに押し付けてしまうといった場合にはどうすれば良いのかが気になりました。例えば、現在の日本は食料自給率が低く、食料生産を他国に頼っているわけですが、それは食料生産に関わる問題を別の国に押し付けているということにもなります。そうなった場合に、日本国内には問題意識はないわけですから、共通の問題意識を核にコミュニティを作るというのが難しくなってしまうのではないでしょうか。このことを踏まえると、地域を超えて問題意識を共有することでコミュニティが自然発生するような場やシステムをデザインする、そのようなやり方で良い循環を目指していくという方向性があるのではないかと考えられます。建築学にとどまらず、経済学、環境学、社会学など様々な領域に関わる取り組みを知ることで、自分の中での問題意識をもう一度問い直すことができました。貴重な講義をしていただきありがとうございました。

Taku0    reply

民家の茅葺きを出発点に、自然の循環や地域コミュニティへと話が展開していったのがとてもおもしろかった。建築学、環境学、経済学、人類学など学問分野の関心の横断的な広がりを聞き、新鮮な感覚を覚えた。今まで私は循環型社会について考えるとき、循環を可能にする新しい技術や新しいシステムに関心を向けがちだったが、今回の講義で自然の循環(バイオスフィア)に自分を埋め込み直すという循環の形があることを学んだ。また、必ずしも常に結びついているわけでもなく、状況に適応しながら緩やかに維持されている地域コミュニティの「自然」なあり方が印象的だった。現在、都市において自然の循環を肌で感じられる機会はほとんどないし、デザインできない循環である以上、各地の農村の自然や伝統が受け継がれていってほしいと思う反面、無理に残そうとする政策は人工的な介入になり、かえって循環を妨げる可能性もあると気づいた。これから、一つの視点に固定せず柔軟に循環について考えていきたい。

武藤和哉    reply

授業内で先生が仰った通り、人間によってデザイン可能と考えられている人為的循環と、自然界の秩序である循環とは、代替不可能であり相容れない。しかし、そもそもなぜ人為的循環が必要になったかと言えば、それは人間の知性が、自然界の循環の中に組み込まれない人工物を作ったことに由来する。言い換えれば、人間の知性は、本来生物の知性を超越したものである自然の循環を、容易に破壊しうる能力がある。一方で人間には、破壊する可能性があることに気づく知性もあった。しかし、どうすれば人為的循環を完全にデザインできるか、という問題に答える知性はまだ獲得できていないと言える。
しかし、より優れた知性を獲得するということは、同時に、自然界の循環に対してさらなる脅威を与える能力をも獲得するということに等しい。その発展によっては、現在の核よりもさらに強力な、宇宙秩序をも変更しうるような技術が生み出されるかもしれないし、それによって人間は地球外生命体となるのかもしれない。そうなっても人間は、地球の自然的循環を必要とするのだろうか。
これは、人間の知性の宿命のように思えるが、実際には、完全な循環をデザインする知性、また宇宙秩序を変更する知性、このような知性の登場がいつ訪れるのかは誰にもわからない。また、このような人類規模の仮説は一種の世界観であり、あまり的確ではない、重要ではないと考える人もいるかもしれない。実践を大切にされている先生のお話を聞き、自分とはまた別の、より実体験に根付いた世界観が広がっていることを想像した。

u1tokyo    reply

僕がこの講義を受ける前は、社会の基礎というとインフラなどの人工物、特に治水施設や道路、雨風を凌げるためのしっかりとした作りのコンクリート建築などの自然界の「循環」から人間を守る働きをするものを思い浮かべがちでした。しかし、茅葺き屋根の建築という自然界の 「循環」に溶け込む建築、そして茅葺きという場や技術から広がっていく地域コミュニティの「循環」についての講義を聞いてからは、そのイメージが覆されました。今までは建築などによって地域社会や自然界の循環を人口的にデザインし作り出すという視点でしかそのような事業を捉えられていませんでしたが、既存の循環にその建築を埋め込み、循環を増強していくといったやり方があることを気づかされました。人為によって自然界に介入・開発していく時代から、気候変動対策のための再生可能エネルギーなど自然と共存する開発へとやり方が大きく転換し始めている昨今ですが、この講義で聞いたことを大事にして今後まちづくりなどについて考えていきたいなと思いました。貴重なお話ありがとうございました。

YCPK4    reply

しがらみが多いというイメージを持たれがちな農村のコミュニティも、意外とサバサバしているというか、「ビジネスライク」なものであるという話が特に印象に残りました。よく考えてみると、そもそも人がコミュニティを形成するのはその方が互いの益になるからで、不必要にしがらみの多くなったコミュニティはその目的に反しているため自然に消滅していくのかもしれない、と考えました。
また、里山の循環のエンジンになっているのが民家だという話も印象深かったです。私のそれまでのイメージでは、里山の生活サイクルの中で民家というものがそこまで中心的ではなかったからです。
循環と地縁コミュニティの関係については、それらは社会的共通資本という概念で包括されて説明されているのかな、とも思いましたが、正直よく分かりませんでした...。

futian0621    reply

最初にこの循環の講義において茅葺き屋根というテーマを見たとき、単純に植物の茅をとって屋根にして、葺き替えの時に堆肥に利用する、といったマテリアルと自然の循環といったことを想像していましたが、講義の中で、「茅葺きをする」という行為自体がつながりを生むという話が印象的でした。また、女性解放運動家としてのイメージを持っていた伊藤野枝の、共通の問題が起こった時に協働するという地域コミュニティのあり方の考えには、東大でいう、試験という共通の課題に対して協力しあうクラスのシケプリ文化のようなものだろうか、と身近なことに結びつけて考えました。また、地域コミュニティは衰退しているという訳ではなく、活動のあり方を変容させて適応しているという考えは、短期的にはそうかも知れないが、長期的な持続を考えるとやはり維持困難なコミュニティも多数あるだろう、と思ったが、新しい形でのコミュニティが生まれていくと考えれば、それも一つの循環とも考えられるかも知れないと思った。

yok50    reply

人間が手を加えることによって「循環」をつくりデザインしている、と言うのは我々人間の驕りであって、人間は環境やコミュニティへのケアを通し「循環」を維持し実感するのだという話が印象的に感じた。茅葺き民家がサブテーマに含まれており人間の意図的な行動が循環を維持していくのに不可欠だ、というようなよくある環境学の結論に収束するのかと思っていたが、そうではなく、人間は常に適応し続けている「循環」の輪の手助けをしているに過ぎないという主張は、私にとって新しい考え方であった。またその考え方が人間の人工的な構築物である建築の再構成を原点にしているという点から、自然の「循環」を逸していると捉えられがちな人間の行動がその維持に貢献することも可能である様にも感じた。

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