跳出思维框架

第5回 11月02日

人生は廻る──社会は廻る

评价内容(最新2件 / 8)

MI710    reply

「人生の踊り場」という表現がとても興味深く感じられた。講義においては、私たちの人生の中でふと訪れる踊り場において、何が行われるのか、そして何を行うべきなのかということを話していただいた。それは例えば、現実をひとまず受け入れることだったり、それを今の自分から一歩離れた視点で見て、時間的・空間的広がりの中で捉えてみるということであったりして、これは非常に有意義で実生活上の応用にも富む内容であった。一方で、これらの問題と同じくらい重要な問題として、そもそも私たちは人生の踊り場にどうやって気付けば良いのかという観点もあるのではないかと感じた。階段の場合は、規則的な登り(下り)が繰り返されるため、踊り場に気づくのは容易い。規則の途切れたところがそのまま踊り場である。しかし、人生においてはそのような規則的な何かがあるわけではないし、ともすれば踊り場に気づくことなく通り過ぎてしまうこともあるかもしれない(「過労死」という言葉がよぎる)。自分の人生という物語がどこかで途切れる、中断される瞬間(それが人生の踊り場だと思う)を物語の中にいながらにして認識するなんてことがどうやってできるのだろうか。そこで決定的な役割を果たすのが「他者」なのではないかと私は考える。それは家族や友人でもなく、職場の同僚でもなく、自分について全く知らない他者、つまり自分という物語の完全な「外」にいる存在である。踊り場は、階段の一部でありながらにして階段を超えるような何かを秘めている空間である。それはあたかも、小説における章の合間の空白が、その物語について何の情報も持たないが故に、何かを語ろうとあるいは語らせようと迫ってくるように、「他者」という自分の物語の外にいる存在と出会うことで初めて、自分ですら認識していなかった自分に気づくのである。

Taku0    reply

「人生の踊り場」という言葉が強く印象に残った。自分自身、なんとなくもやもやした感情を抱えていた時期があり、そのときはその感情に蓋をし、自然に消えるのを待つしかなかった。今回の講義の学びを活かして、これからはそのような危機に直面したら、一度立ち止まり、自分を省みるチャンスとしたい。レジリエンスという言葉は聞いたことがあったが、想像していたよりも多様かつ自由な概念で驚いた。自分がこれまでしてきた正攻法としてのレジリエンスと、それだけでは上手くいかなくなった時に新たに養うレジリエンスの両方を自覚的に活用することは、自分のためだけでなく、悩みを抱える他者に寄り添い、悩みを解消する手がかりになると思った。そしてその姿勢は、コミュニティ心理学が対象とする個人と環境の関係調整にも活かされるのではないだろうか。

u1tokyo    reply


人生の中での「踊り場」と普通の社会生活との循環について、深く考えることができた講義だった。ここで言う人生の「踊り場」というのは、せわしない日々の中で何かを失うのがきっかけであったり、あるいはやる事から目を離して故意に立ち止まってみた時であったり、そう言うときに普段の生活について考える時間のことだが、自分にとっての「踊り場」として1番身近に思い返すことができるのは新型コロナウイルスによって授業が全面的にオンラインになった2020年のことである。今回の講義で先生は「仕事」の持つ良い面にはそれを失うまで気づかないと言う話をされていたが、僕は学校に関しても同じことが言えたなと思った。僕があのオンライン生活の中で気づいた学校の持つ良い点というのは、学校に通うことによって生活リズムが崩れ過ぎないようになるとか、友達と教室で毎日話せるとか、そう言う今わざわざ書いても当たり前のように思えてしまう事である。しかし、そう言う当たり前の日常こそ、失って初めてその貴重さを身にしみて(辛いほど)実感できた。講義でPostTraumatic Growthという言葉が出てきたが、僕もまさにそのように、その期間に音楽を聴いて数少ない大切な友達と過ごした時間で大きく成長したと感じていて、今回の講義で自分の境遇を上手く位置付けることができた。本当にためになる講義でした。ありがとうございました。

kent0316    reply

今回の講義はとても自分に刺さる内容でした。中でも一番刺さったのは「人生の踊り場」に関する話でした。
時々一人で、一番幸せなことって何だろうとぼんやり考えます。もちろんいろんなベクトルの幸せがあると思いますが、今自分の中で出ている結論は、「自分の好きなことを職業にする」ことです。
思えば、高校生の時の私はまだ自分が興味を持つ分野・職業が絞れず考えるのが面倒くさいからと、とりあえず大学進学を選び、大学進学後も様々な分野に進む選択肢があるからという理由のみで東大への進学を決意しました。
今現在、進振り先が決まり専門的な授業を受け始めましたが、ようやく今頃になって自分のしたいことはこれだったのかと悩み始めています。
話は少し変わりますが、私は歌うのが好きで弾き語りを趣味にしています。先述した通り、「好きなことを職業に」という観点から自分のやりたい仕事を考えた時に、自然と自分の中でミュージシャン・アーティストという道も選択肢に入ってきました。
しかし、明らかにその道はいばらの道であり、今現在、安定した行先が保証された学歴エスカレーターに乗っていることも相まって、音楽の道で食っていこうという覚悟が持てず二の足を踏んでいる状態です。
そんな僕にとって、今回の講義はとても刺さる内容でした。
将来への漠然とした不安感から将来についてじっくりと考えなければならないと思うものの、日々の授業・課題・バイトに追われてただ時間だけが過ぎるという状況でした。この講義で、確かに一度立ち止まってじっくり「踊り場」でこれからの行先について考えるのが今の自分には必要だなと思わされました。
なので、少し1年ほど休学するというのを今視野に入れています。無理やり安定したエスカレーターを途中で降りて立ち止まり他の道を一度も模索してみようと思います。
とてもためになる授業でした。ありがとうございました。

mayateru63    reply

「人生の踊り場」についての話は個人的に刺さるものだった。私にはあまり他人には言いたくない夢がある。しかしながら今はそれに憧れつつも夢に挑んでも本当に叶えられるか、それが本当にありたい自分なのか、このままでもそれなりの人生を送れるのではないか、など色々な迷いや葛藤があって、それから目を背けるように最初の一歩を踏み出せず漠然と毎日を過ごしてしまっている。この講義を受けて一回立ち止まって自分を振り返り、そしてこれからをゆっくり考える時間というのは大切だと改めて感じた。今一度自分の夢についてよく検討してみようと思う。

Roto    reply

第5回
高橋先生は「循環」というテーマに沿う形で、ライフキャリアの臨床心理学を紹介されていたが、学問全体として見たときに、応用心理学という大きな体系の中で、循環モデルによる議論はどの程度受け入れられているのだろうか。循環モデルによって解決される問題、解決されない問題について、どのくらい知見が集まっているのか。このことは、授業内では言及されなかったものの、応用心理学の特性上非常に重要である。
応用心理学では、ある仮説が提案された時に、それが学説として受け入れられるか否かは、その仮説が正しいと証明されるかどうかではなく、その仮説がどれだけ「個人」に受け入れられたかによって決まる。応用心理学の知見は、必ず臨床の現場に持ち込まれ、有効性を確認するという手続きを踏むが、その有効性は「個人」に対する有効性である。この対象は、医学では人間という「生物」、物理学では「宇宙」、社会科学全般では個人の集合である「社会」である。これらカテゴリーにおいて、「個人」は最も単位が小さい、したがって不安定で予測不可能性も最も高い。
この個人を相手とする学問である心理学も、しかし、学問として成り立たせる以上は、複数の「個人」に対して仮説を当てはめ、その結果を知見として積み上げていく。ということは、こういう個人については当てはまったけどこの個人に対してはうまくいかなかった、という事例が出てくる。ここで重要なのは、先ほど挙げた自然科学、社会科学とちがい、心理学は、仮説が当てはまらない個人がいたからといって、その仮説が間違っている、とはならないことである。ある程度当てはまる人々がいて、その人々の問題の解決につながれば、仮説は十分に有効性を認められる。かといって、文学のように、なんでもありではなく、やはりある一定の規模の人々に受け入れられなければいけない。この意味で、心理学、特に応用心理学には、ビジネスとよく似た側面がある。ビジネスも社会全体に受け入れられる必要はないが、複数の個人からの支持を取り付けなければいけない。その複数の個人は、必ずしも共通点を持った人々ではなく、街中を歩いていてたまたま前を通りかかったような人々でよい。すなわち、ビジネスモデルを立てることと、臨床心理学の仮説を立てることには類似性がある。
臨床心理学のビジネス的側面を考えれば、やはり「循環モデル」がどの程度の規模のクライアントに受け入れられているのか、ますます興味がつのるところだ。

futian0621    reply

自分はSセメスターで心理Ⅰの授業を受講したが、そこでの心理は人間の視覚をはじめとする五感や認知、脳科学に関する題材を扱ったが、今回扱った臨床心理学は、ライフキャリアや人生についてのマインドについてなど、啓発的な内容で、心理学という学問の裾野の広さを感じた。人は誰しもが思い通りに行かないと思う時があると思うが、日常に忙殺されているとなかなか立ち止まって振り返ることができないので、人生の踊り場の話は大切だと感じた。臨床心理学についての書籍を読めば参考になると思ったので、一冊読んでみようと思う。

YCPK4    reply

「人生の踊り場」という言葉が強く印象に残っています。私自身の体験として、浪人をしているのですが、その時はよく自分の過去や未来について考えたものです。あのような何ともいえない時期と心情のあり方を、「踊り場」という言葉は綺麗に表現してくれていると思いました。(何より、響きが少し詩的なのが好きです。機会があれば広めていきたい…)
加えて印象に残っているのが、「人生の踊り場」において必ずしも生き方を変える必要はなく、改めて、今までの生活を選択してもいいのだ、という話です。つまりは、選択肢そのものよりも、自分がその選択に納得することが重要なのだ、という風に理解しましたが、これは何となく普段の生活からも実感できます。普段は無意識や惰性で選択してしまっているポイントで立ち止まって思考できるのが「踊り場」ということなのでしょうか。
前期教養で「教育臨床心理学」という講義をとっていたのですが、そこで学んだことと被ってしまうのかな、と思いきや、全くそんなことはなく、今回のお話しの方がより実践的といいますか、より自分の生活にも取り入れやすいトピックでした。自分にもともとあった心理学の (わずかなものですが) 知識を広げることができたのもよかったです。

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