ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第2回 10月17日 原 和之

精神分析における主体の変容

「なにかがうまくゆかない。変わりたい。でも変われない。」
私たちが日常に出会う悩みは、しばしばこういった表現をとる。しかしそのとき変わるのは何なのか。それはどのようにして変わるのか。精神分析は、ヒステ リーをはじめとする精神疾患の治療を考えるなかで、この問いに「欲望」という概念をもって答えようとする。本講義では、精神分析の創 始者ジグムント・フロイトと、フランスで精神分析に独自の展開を与えたジャック・ラカンの議論を参照しながら、「変わる」ということ が精神分析においてどのように捉えられているかを検討してゆく。

講師紹介

原 和之
東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻多元世界解析講座准教授。 東京大学から同大学院で地域文化研究(フランス)。パリ第一大学、パリ第四大学で哲学を修める。パリ第四大学博士(哲学史)。電気通信大学 専任講師・助 教授を経て、2004年4月より東京大学大学院総合文化研究科助教授(准教授) (地域文化研究専攻)。著書に『ラカン 哲学空間のエクソダス』(講談社)など。
授業風景

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コメント(最新2件 / 4)

koco2    reply

二回の講義を通して「欲望」が一つの安定状態であるという観点は非常に面白いと思いました。この安定は流動的であり、多方向的であり、しかしその総体として欲望するという点は変わりません。恒常的な「変容」を孕んだ上で欲望は一つの形を得ているわけです。これは動的平衡という人間性(あるいは生命性)と重なり、「欲望」が人間の重要な要素であることを明確に指摘するものだと思います。中々踏み込んだ形でのお話を聞けなかったのは残念でしたが、精神分析を考える際に「変容」という視点を持つことは一つの軸を得ることができるのだと知る良い機会となったように思います。

mushamusha    reply

人間の欲望というのはいったいどのようなものかと個人的に考えたとき、泡のように生成消滅するというモデルはたしかに正しいと思います。しかし、欲望が満たされたときに 消滅するものだとしたら、欲望はあたかも消滅を望んでいるかのようで不思議な印象をうけました。というのも欲望がまるで人間のように振る舞っているように感じるからです。そこで僕は欲望を消えるものではなく、餓えのようなものだと仮定してみました。欲望は僕たちが様々な形の食料を欲するように、高次なレベルから低次のものまであらゆるものを欲する怪物のようなものだと考え、僕らはそれにえさを与えているようなものだと。僕らは欲望に振り回されるという表現をつかいます。この場合は、まさにその表現が当てはまるのではないでしょうか。欲望が変容するというのは、まさに空腹な欲望が様々なものを食べたいと欲するために起きる現象ではないだろうかと感じます。つまりある欲望が達成されないとき、「欲望」はその代わりとなる食物を欲するのではないか。それが欲望の転移の秘密なのではないかと思います。精神の変化に関して、正しいモデルや理想的なモデルはないのだと思うので、このようなメッセージを送らせていただきます。

You    reply

前回の講義に引き続き、ヒステリーとその精神分析を端緒に「欲望」の変容についての公園、ありがとうございました。前回は基礎事項の確認を深めていたためにテーマである変容との結びつきを感じにくくどうにもコメントしづらかったのですが、今回の講義では、認識する「私」から変容する「私」へ、という展開を、完全に理解できたかと聞かれればおそらくいくつか不安な点もあるのですが、自分なりに変容の一つの形を知ることができたと感じられたので、非常に有意義な講義になったと思います。
また、講義が終わった後で変容とは少し離れるのですが、こうした議論においてフロイトがある意味で特権化している理由を聞くことができてたいへん嬉しかったです。

luke    reply

今回から、このテーマ講義を受講させていただきました。刺激的な講義をありがとうございました。

今回の講義では、まず、ヒステリーの治癒を「変容」という捉える見方が新鮮でした。一般には、疾患というのは、それが身体的なものであるか精神的なものであるかを問わず、ある時間を超えて存続する固定的な〈私〉が、病によって一時的に侵され、病の治癒によって再び「本来の」姿に戻る過程だと、みなされがちだからです。
しかし、そのような見方では、精神分析を通じて、医師と患者の関係までもが「変容」していくような事態を説明することはできません。フロイトは、この「転移」と呼ばれる現象に着目することで、ヒステリー研究を超えて、人間の幼児期からの精神の発達過程全体を理論化するという壮大なプロジェクトに乗り出していったわけですが、診断や治療を通じて医師と患者の関係が変容するという問題は、現代的意義も十分に備えていると思います。なぜなら、一般に、医師というのは、どんな患者に対しても、「客観的に」最善の治療法を提示することが期待されており、そのような想定が、医療機関による柔軟な対応を阻害しているように思うからです。
医療技術と人間の生死との関係が、さまざまな場面で問題化する中で、診断や治療を通じた患者自身の変容、そして医師と患者の関係の変容を視野に入れた、医療人類学的な研究が、今後さらに重要になっていくことでしょう。

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