ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第12回 01月09日 渡邉 正男

14世紀日本における社会秩序形成・維持構造の変容

網野善彦氏の「文明史的・民族史的な転換期」という言葉に代表されるように、13世紀後半から14世紀にかけての時期、すなわち鎌倉時代末から南北朝時代が、日本史上の大きな転換期、いわば「変容」の時代であることは、広く認められていると言ってよいでしょう。法制史・国制史の観点からも、法や裁判のあり方など、社会秩序を形成・維持する構造が、この時期に様々な点で変化することが指摘され、画期として注目されています。講義では、実際の史料を講読することを通して、この「変容」について具体的に考えてみたいと思います。

講師紹介

渡邉 正男
東京大学史料編纂所准教授。 専門は日本法制史。法・制度および権利の関係のあり方が歴史的にどのように変化していったかを、史料に基づいて、具体的に明らかにしたいと考えています。現在は、14世紀の社会秩序の構造変化において、在野の法知識・法技能を有する者達が果たした役割に関心があります。
授業風景

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コメント(最新2件 / 6)

luke    reply

 今回の授業で展開された、13世紀末から14世紀半ばにかけての社会の中で法が果たした役割を、具体的な史料から読み取っていく作業が、私にとっては実に新鮮でした。鎌倉時代に、すでに高度な裁判制度が成立していたという話は聞いたことがあったものの、それが実際にどのような文書によって機能していたかは、これまでまったく調べたことがなかったのです。実際の文書を見ることで初めて、一般的には「高度な」裁判制度が成立していたと言われるものの、幕府での法令や判例の管理は、必ずしもうまくいっていなかったことや、そのような状況下で、裁判の当事者たちが、何とかして自分の利益を守ろうと、自分の主張を支える法令(あるいはそれに類似するもの)を求めて奮闘した様子が、よく分かりました。そして、そうした鎌倉時代後期の法の運用状況を知って初めて、「永仁の徳政令」というものの特異性や画期性を理解できました。

 今回の授業を通じて、私は、江戸時代以前の日本の法やその果たした役割を知る必要を痛感いたしました。現代社会を生きていると、「法」というと、近代国家におけるそれを前提に考えてしまいがちですが、近代国家成立以前の社会にも、「法」はたしかに存在して、人々の生活に影響を与えていたのです。前近代社会における「法」を知ること――そこにこそ、現代社会の「法」を、もう一度考え直す手がかりがあるのだと思います。たしかに、鎌倉時代の「法」のあり方は、明らかに未熟です。しかし、それは、室町時代の「式目追加」や戦国時代の分国法を経て、着実に体系化され、そして効果的に管理されるようになり、江戸時代の武家諸法度や禁中並公家諸法度へとつながっていきました。しかも、近代的な「法」、すなわちヨーロッパ的な「法」とは異なる仕方で、です。これは、当然のことのようで、実は、近代的な「法」しか経験したことのない私たちにとっては、驚くべきことなのではないでしょうか?いったい、江戸幕府は、日本列島及びその周辺を、近代的な「法」ではない「法」で、どうやって約260年にもわたって支配したのでしょうか?そこでは、「法」はどのようにして作られ、どのようにして公布され、どのようにして利用されたのでしょうか?こうした問いを、実際の史料を丁寧に読み解くことを通じて、考えていきたいです。もしかしたら、そうした営みから、死刑制度の是非のような、きわめて今日的であり、また古典的である議論をする時のヒントが、得られるのかもしれません。

 刺激的なご講義、本当にありがとうございました。

koco2    reply

普段、古い文献などを読む機会はないため、次々と引用される中世の記録はむしろ新鮮かつ刺激的で、非常に楽しくご講義を聞くことができました。根拠とする文献を怪しむ人間がいると思えば、本当に幕府が文献を管理していなかったり、下々の人間のほうが記録を手に入れていたり、今から考えると滑稽なほどずさんな法体制ですが、それが徐々に現代のような法体制観とでもいうべき「常識」を得ていく動きは、日本史の授業では得られないダイナミズムを感じました。また、訴状の端々に私たちにも通ずる人間臭さが垣間見えて、歴史がより質量を持ったものとして感じられたように思います。ご講義ありがとうございました。

HAT    reply

興味深い講義をありがとうございました。

近代的な法を常識として育ってきた私たちにとって、中世日本における法体制はあまりにも杜撰に感じます。
当時の法文を読むことは、私たちの常識をぐらぐらと揺さぶり、そして中世の武家や一般の農民の目を手に入れ当時の世界観に没入するという刺激的な体験でした。

日本史は苦手だったのですが、それは教科書の記述が無味乾燥でダイナミズムを感じないものだったからかもしれません。
歴史学を楽しむためには、まず目を持つこと。これを知らずにのこのこと大学に進学してきてしまいました。なんともったいないことか……。

西井克弥    reply

鎌倉幕府の制定した御成敗式目はその補足のため式目追加が行われていた、という話は知っていましたが、それがまさか訴訟処理のため事あるごとに出され、しかも整理すらまともにされていなっかたとは驚きでした。時宗の頃になりようやく変化を迎えると思いきやその後も失敗を続け、挙句の果てに政府を信用できない百姓・雑掌ら自ら対策を考える始末…。

「最初の武家政権」と立派に語られる鎌倉幕府とその後の武家政権の政治がいかに杜撰なものだったかが良く分かる講義だったと思います。ありがとうございました。

You    reply

講義ありがとうございました。日本史の史料集で見かける古い文献を、大学生となり受験勉強から離れて学び直すことで様々な発見を得られたと思います。
講義中も質問が出ましたが、当時は情報の伝達速度は遅かったであろうに、徳政令のように有力(?)な情報が圧倒的な速度で広まったことは非常に面白いです。拡散力といいますか、近年ではSNSの発達で真偽を問わず様々な情報が瞬時に出回りますが、当時は読める人は限られていただろうに広まったのは、読める人というのは地位ある人間で、その人間が自分に有利になるよう情報を恣意的に解釈し不利な部分は隠して有利な情報だけを口コミで拡散していったのか、と思います。
当時の法令はたくさん穴があったことを考えると、現在も法解釈で議論が重ねられているように、統治の難しさを実感しました。

mushamusha    reply

中世日本史と現代の中で思うことがひとつ。現代でも法律の内容というのはだれもが知っているものではない。もちろん「法」があるということは現代人なら小学生までが知っている事実であり、「警察呼ぶぞ」と子供が言っているのを見る機会がある人ならだれでもうなずいてくれるものと思う。法律の勉強をしていなくても法に抵触しないのはそれが人間の理性に基づいたものだからであり、また殺人罪などは本能に基づいているとさえいえる。同族を殺す生き物というのは自然界にはまれにしか存在しないからだ。さらに現代の法律は六法全書にくまなくおさめられている。それに法律の書き変えも多い。実情に合わせて法律は変化していくべきだという考えにのっとった性質だと思う。
それに比べ中世の法律を見てみると、更新されるされないの問題ではなく、まず農村などは場所によって法律が変わってしまったりする。加えて幕府さえその判例や条文を十分に保管していない始末。幕府法という「法」の存在さえ知らないのではないかと思われる節もある。しかし、己の権益を守るために法律をかさに着ようという農民もいることはいるようだと知られている。一言で言ってしまえばあまりにも混沌としていて始末に負えない。
一方で中世には中世のいいところがあったように思われる。税金も今みたいに一律ではなかったことだろうし、「あそび」があったという感じだ。不完全であるともいえるのかもしれないが。現代のカチカチの法律模様を見るにつけ、大岡忠助のような名奉行が事件を一刀両断するといったことが減って慎重を期するようになったのが何となくさびしいような気もするのである。

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