跳出思维框架

第8回 11月29日

移民からみる境界の現代的変容

评价内容(最新2件 / 12)

oku2222    reply

在日パキスタン人のエスニックビジネスの話がとても興味深かったです。私は高校の時、パキスタンについてのビジネスアイデアを構想する課題研究を行なっていましたが、このような観点で考えたことがなかったのでとても学びになり、面白かったです。

Shintaro0610    reply

受験期世界史を勉強していた頃には、移民が異物として捉えられることは至極当たり前の事のように思っていた。その上で、今回の講義で述べられていた、どのようにその排除や受容が行われるかということの基準としてマジョリティが有用だと感じている要素が用いられることは、新しい気付きだった。
加えて、偏見と差別の違いには、3回前程の講義でのインペアメントとディスアビリティの区別に似た考え方があるように思えて、異物というテーマに1つの軸としてそのような区別を置くことが重要だと感じた。

dadasaba2023    reply

境界形成のメカニズムに関して、権力関係のもとでの闘争という言葉がありました。権力を持っているような集団が自分達のチャンスを独占するというような意味だと解釈しているのですが、不平等の再生産的なことにつながるのだろうかと考えました。自己責任とかそういう言葉も耳にすることがありますが、そもそも環境など諸々の要素に関して格差がある状況でのレースの結果をすんなりと受け止めてしまうことに対する私の中の違和感とも繋がりました。自分で異物の授業を履修するにあたって九月ごろに異物とは何かというのを今までの体験をもとに集団における人間のケースについて少し考えてみたのですが、本当は人は一人ひとりバラバラだが、勝手にいくつかのものを何らかの理由で同じと見做し、そうでないものを異物として扱っているというのがその時とりあえず自分なりに作った定義のようなものでした。今回の授業では人間の集団についての話であったこともあり、以前自分が考えたことは果たしてどうかというのも考えながら授業を聞くことができた気がしています。

nezumi02    reply

 最後の、「われわれ」と「かれら」の境界は変わりうるもので、なぜそれが変わらないものと見なされるようになったのかが大事、というお話が印象に残りました。エスニック集団などは強固な境界があると思われがちですが、実はそれはとても曖昧で、変化しうるものにすぎない。そのことを改めて認識するきっかけとなりました。移民問題や差別・偏見について考える際、まず「かれら」との線引きはどこにあるのか、から考える重要性を認識できました。

ustubi23    reply

この連続講義のテーマである「異物」という文字を目にし、それを社会という視点から考えたとき、初めに思いついた話題の1つであった移民の問題について、詳しいお話を聞くことができ、とても興味深く感じました。特に、エスニック集団というのは境界によって作られるもので、それ故に、その境界は変化しうるものであるという社会学の見方は、異物というものを、固定的な実体と捉えず、状況や、観察する者の捉え方によってその構成要素が変動するものと考えた、第3回の講義や、第5回の講義の内容と共通する面があると考えました。さらに、そうした相対化にとどまらず、ある人種と他の人種との対立といった、永遠の対立に見える関係について、その境界を見かけ上固定的としている要因を分析するという、今ある現実に対してなすべき問題提起についての言及もあり、とても示唆に富んだ内容に感じました。

achi003    reply

ちょうど現在、他の授業で移民文学(在日文学)について詳しく学んでいたので、今回の移民についてのお話は興味深く聞かせていただきました。移民については文学的観点からしか学んだことがなかったので、エスニック・ビジネスを例にとった境界やネットワークの形成の説明をはじめとして、今回の講義では様々な知見を新たに得ることができました。今講義は今までの「異物」というテーマの中でも、特に境界について着目していたように思いますが、第3回の講義で植民を扱った際とは「異物」というテーマに対するアプローチが大きく異なっており、学問的アプローチの幅広さについても感じることができました。

yamori59    reply

日本人はエスニックな意識が強く、外国人が日本国籍をとっても日本人とみなさない傾向があるという話は自分にとってかなり衝撃的だった。例えば日本人は道で外国人を見ても無関心で差別をしないというような話があるが、講義での話を踏まえると、国籍などを考えず見た目で外国人だと判断している時点で強烈な境界意識があるなと考えさせられた。この意識の強さは、島国で他の国に比べて国境を超える人の出入りが少なかった歴史が関係しているのではないかと考えられる。

so6man    reply

日本人はエスニック的な分類をするという話が、凄く思い当たる節があってなるほどなと思いました。私は在日韓国人のハーフで、かと言って特に周りにそれをアピールすることもなく、自分のアイデンティティだとも思っていない(完全に自分は日本人だと思っている)のですが、時々、在日韓国人に対する心無い言葉がどうしても目に入ってしまって、その度に「日本人が持つエスニック的な民族観」と「自分は日本人だというアイデンティティ」がぶつかり合って、なんとも言えない気持ちになります。自分自身の問題でさえ、この歳になっても上手く処理しきれていないので、深く根付いた価値観というものはなかなかどうして深刻なものだなと思います。

marika0401    reply

 多様な境界線の形成の話が新しい視点を提供してくれて面白いと思った。医学の分野では、基本的には異物と異物ではないものの境界線は予め引かれており、すでにある境界線の内実を明らかにしていく作業が行われる。しかし、ここでの境界線は、その時交わった他者・他集団との相互関係で境界線が生まれる。「境界が集団を作る。」そして、その境界線は行為者がその時の状況に応じて意味あると思うものを基準として引かれる。もちろん、境界線を引くのは行為者であるべきだが、他者によって恣意的に境界線を引かれることもあるだろう。境界線が移動したり、消失したり、個人が越境したりといった行為は、人間で構成される集団同士ならではの境界線の性質だなと思った。
 移民の人々が境界形成や越境を経験する際に、社会的にどのような変化が起こるのか、個人の内部にどのような変化が生まれるのか、両方とも興味深い。前者に関しては、在留資格や就職差別、ネットワーク形成など、別の集団の中に入っていき、そこでさまざまな作用を受けて形成され、形成していった境界線があった。後者は、質疑応答であったように心理学で検証する道があったり、越境文学を読んで当事者の感覚を共有できるのだと思う。恥ずかしながら越境文学にあまり親しんでこなかったので、これを機に読んでみたい。

otomitl3    reply

文化や民族的に共通した実体的、原初主義的な集団があるから境界ができるのではなく、境界が集団を作るという点、そしてそれは移動したり変化しうるものであるということは意識しておきたいことだと思いました。

k1t0k1t0    reply

パキスタンの方々が日本で中古車貿易をしているという話は非常にきょうみぶかかったです。集団、特に国家の中で境界が形成され変化していくさまをこれからも社会学的な見方で追いかけられたらと思います。クルド人の諸問題なども広い目で再考していければと思います。

Thomas69    reply

他者化には偏見が伴うという言葉がとても印象的でした。ある集団に属している人を見ただけでその集団の特性がその人に付与されるという事実自体偏見でしかないと思いましたし、実際にそういった偏見を自分も持ちうるということに気づくことができました。移民の人々など、個ではなく集団を一緒くたにして考えることに少しだけでも違和感を持つ余地があるのではないかと思いました。

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