ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第3回 10月16日 村本 由紀子

心を装う、行為を装う:他者への同調とその集合的帰結

人は、服装や髪形、メイク等による外見の装いのみならず、感情や態度についても、しばしば他者の目を意識し、その振る舞いを装います。特に、周囲の他者の多くが同じ行動をとる様子を見ると、たとえ個人的には望ましいと思わなくても、暗黙の規範を感じて同調する傾向があります。しかし、観察された他者の行動もまた、本人の意に反して装われたものかもしれません。この講義では、他者への同調行動の連鎖によって誰も望まない規範が維持されてしまうメカニズムについて考察します。

講師紹介

村本 由紀子
東京大学大学院人文社会系研究科大学院人文社会系研究科・教授。専門は社会心理学。社会・集団の「文化」と、そこに身を置く個々人の「心」との相互構成的な関係を探究している。主な著書に『New Liberal Arts Selection社会心理学』(共著・有斐閣)、『多元的無知:不人気な規範の維持メカニズム』(共著・東京大学出版会)、主な翻訳書にリチャード・E・ニスベット著『木を見る西洋人 森を見る東洋人:思考の違いはいかにして生まれるか』(ダイヤモンド社)など。
授業風景

2024年度学術フロンティア講義第3回では、10月16日に東京大学大学院人文社会研究科で社会心理学を研究されている村本由紀子先生をお迎えし、心や行為を「装う」という心理に関して、「他者の目」による同調行動が影響を与えているということを、多元的無知などの概念を紹介しながら講義していただいた。

まず、村本先生は同調について「個人が、自己の信念と集団規範あるいは集団成員の多数派が示す標準との不一致を認識し、集団成員からの暗黙の圧力を感知して、その規範や標準に合致するよう態度や行動を変化させること」と定義したあと、1951年に報告されたAschの同調実験に言及し、多数派への同調が起きることを例示された。この実験は、線分の長さ当て課題において、実験協力者が易しい課題にわざと誤答し、参加者の行動を観察するものである。この実験はさまざまに条件を変えながら行われたが、実験結果から、多数派への同調に関して、多数派に対する仲間がいないこと、つまり自分と同じ解答をする人間がいないことが同調に対して大きな影響を及ぼしていることがわかるという。

とはいえ、Aschの同調実験は現実社会に則したものとはいえない。というのも、現実の社会での暗黙の規範による同調は、所与のものによる「外界の刺激」に由来するのではなく、人々が対等な立場での一つの行動に参画しているのにもかかわらず生じるものだからだ。村本先生は『はだかの王様』の例を出して、個々人が互いに周りを見て他者の行動に追従し、その自分の行動が他者の意思決定を規定していることに言及し、人々の間に相互規定関係が存在していることが社会現象としての同調に大きな影響を及ぼしていることを指摘された。

このような導入から、村本先生は多元的無知という用語を提示される。この語は、集団内での行動規範が集団の個々の成員には受け入れられてないにもかかわらず、自分以外の他者がその規範を受け入れていると信じるために規範に沿った行動を取ってしまい、その規範が集団レベルで維持されてしまう現象のことである。他者の行動規範を誤推測してしまうために、規範を打破できないというわけだ。村本先生は、付き合い残業、大学生の飲酒規範、日本でのトイレットペーパー買い占め、マスク着用に関する規範に関する実証研究を引きながら説明されていた。特に後半二つについては我々が当事者であったものであり、多元的無知という現象を理解するのに役立った。

村本先生は加えて、男性の育休取得をめぐる多元的無知について説明された。日本では女性の育休取得率は80%ほどだが、男性の育休取得率は、ここ数年微増しているものの、依然として低い状態で維持されている。男性の育休取得率が低い原因について、村本先生は調査の結果を引きながら、「職場が育休を取得しづらい雰囲気だった」という項目が上位に挙げられていることを指摘している。実際、20~40代の男性従業員の育休取得期間別の望ましさに関する調査を参照すると、男性は個人としては長期間の育休取得を肯定的に感じる一方で、同世代の他者は短期間の取得を望ましく感じていると推測している。また、別の調査を見ても、男性の従業員は育休取得については肯定的に捉えつつ、一方で他者はより否定的に捉えていると推測していることがわかるという。もちろんあらゆる集団でこのようなことが起きているわけではない。しかし自己と他者の考え方が乖離していると推測しているグループでは、自己と他者の考え方がともに肯定一致しているグループに比べて、育休取得の意図が低くなっていることを考えれば、ここでも多元的無知の現象が起こっていると考えることができるだろう。他者の行動規範についての誤推測によって自らの行動を同調的に「装い」、それが翻って他者の行動にも影響を与えていることがわかる。

次に、村本先生はアメリカの「名誉の文化」に話を移された。この「名誉の文化」は「個人の名誉が侵害されることを嫌い、そうした辱めに暴力で応じることを是とする暗黙の共有信念」だそうで、アメリカ南部の白人男性の間で根強いとされている。実際にこうした傾向があることを村本先生はいくつかの資料を引きながら説明された。

元来、これは地中海沿岸からの入植者の特徴だったというが、ここで問題となるのは、この文化がなぜ今も存続するのかという問題である。大きく二つの理由を考えられる。第一に、他者が攻撃的な行動をとっている以上、臆病者とみなされないために「タフな自分」を「装う」必要がある。第二に、個々人がこのようにして「タフな自分」を「装う」ことで、自己成就的に「名誉の文化」が維持される。この背景に多元的無知が関わっていることは明らかであるように思われる。実際、あるデータによれば、他者からの侮辱への対応について、周囲の反応は自らの反応よりも血気盛んであると推測する傾向が、特に南部では顕著に現れるそうだ。

村本先生は最後に、日本人のいわゆる「相互協調性」について言及された。先生によると、自己観については二つの単純化されたモデルを考えることが可能だという。一方は「相互独立的自己観」であり、他方は「相互協調的自己観」である。そして。ある実験において相互独立的なAさんと相互協調的なBさんとに人が持つ印象を調べた際に以下のことが分かったという。自己の評価としては、参加者はAさんをより高く評価する一方で、他者はBさんをより高く評価すると推測したのである。このことから、自分が生きている社会(日本)は相互協調性を備えていると人々は推測していることがわかる。また、この二つの自己観について、現実自己と理想自己との間で、そして社会に対する共通認識と個人の認識との間で乖離があることから、他者の信念(の誤った推測)こそが日本の社会において相互協調性の基盤になっているのではないかと村本先生は指摘された。

村本先生の講義では、進行の半分あたり(男性の育休取得をめぐる多元的無知についての説明の後)で質問の時間を取られ、そこで活発に質疑応答がなされた。また、講義の後で、「相互独立的自己観」についてアメリカ人は自己と他者のそれぞれの立場がどのように評価しているのかという議題でグループディスカッションの時間も取られ、履修者間で盛んに議論されていたように思われる。議論や講義で用いられた文献へのアクセスにも言及されていて、大変有益であった。

(文責:TA荒畑/校閲:LAP事務局)

コメント(最新2件 / 17)

kaki6    reply

講義を聞きながら、自分の中で定義しきれていなかった言葉たちに気づいた。「文化」「社会規範」「マナー」「同調」「協調」といった言葉の違いがよくわからなくなってきた。特定の文化があるから同調するのか、文化を壊さないように協調するのか、文化というのはその背景にマナーがあるのか、それともマナーそれ自体が文化の一つなのか、などの疑問が頭に浮かんできた。自分でじっくり考え直しながら、言葉の再定義と向き合いたい。
周りの行動が変化しない限りは現状維持の行動を選択した方が自分にとっては有利、という話を聞きながら、first penguinを想起した。実際のfirst penguinというのは、ペンギンの群れの中では特に立場が弱い存在で、水中の安全を群全体のために確認するために、命を懸けなければならない犠牲、生贄のようなものだそうだ。それが生物学的には理にかなっているとすれば、アメリカなどに見られる相互独立的自己観というのは生物学的なあるべき姿と不一致することになるので、興味深いと思う。

Yukki35    reply

自分自身は相互独立性を高く評価しているものの、他者は相互協調性を重んじているために現実では相互協調的な自己観を重んじているということは、まさに日本人が社会的に示す「多元的無知」を表しているなと感じました。ただ、授業中盤に提示された「名誉文化」では、他者の攻撃性のため個人の自立性を強く主張しなければならないことが文化存続の理由として説明されていたので、日本とは違って自己観の自他逆転がないアメリカでも、「名誉文化」の色濃いアメリカ南部に絞って考えると、自分よりも他者の方が相互独立性を高く評価しているとみなしがちなのだろうかとも考えています。

tomo65    reply

多元的無知という言葉を聞いたことはないが、他者の価値観を誤認することによって規範が形成されうるということは認識していた。
しかし、これほど明確なデータとして表れているとは知らず、今日の講義はとても印象的だった。
特に最後の日本人の相互協調性に関するデータには衝撃を覚えた。
日本人が自身の理想として、これほど相互独立的でありたいと思っているとは想定していなかった。「日本人は相互協調的だ」という考えを持っているからこそ、ある種ないものねだりのような形で、相互独立的であることを望むのではないかと思った。

esf315    reply

多元的無知という言葉がこれまで聞いたことがなかったのですが、意外と身近に感じてきた概念でびっくりしました。多元的無知によって維持されている文化があるというのはすごく興味深かったです。相互独立性の評価の関係はアメリカと日本では逆転すると思っていたので、それが見られないというのもおもしろかったです。ありがとうございました。

0524yuta    reply

今回の授業は多元的無知について学び、育休について同調という面から考えた。昨今育休を満足に取得しない夫と、とってほしい妻の間で不協和が生じることが多いと話題になっている。私としてはこのような問題が話題になり、男もとるべきだという風潮が強まってきているにも関わらずなぜそのような夫婦間のいざこざが絶えないのだろうと不思議に思っていた。なぜ夫側は満足いく量の育休をとらないのだろうと。しかし、今回の授業を経て、自分としては育休を取りたいと思っているし取るべきだとも思っている、そしてそういう人たちがほとんどであったとしても、周り(他者)はそう思っていないだろうと誤推測してしまい、育休を取れずに夫婦間の不協和は絶えないというロジックを理解し納得した。このロジックまで世間で話題になれば、多元的無知の状況は起きる可能性は下がるため、夫婦間の育休問題の解決に役立つのではないかと考えた。

awe83    reply

同調実験の話から、社会現象としての同調には実験のような仕掛け人はいないこと、そこから多元的無知の説明への話と
展開していったのがわかりやすく全体的に聞きやすい講義だった。
男性の育児休暇は単に多元的無知の例として挙げられたものだとは思うが、調査は既婚男性を対象としており、育休を利用しない理由を考える上では職場にいる他の独身社員も含める必要があるように感じた。
今回興味深く学んだ多元的無知という概念で説明できそうな事象を今後見つけてみたいと思った。

dohiharu1729    reply

個々人の性格や集団心理を装いと捉える視点は、僕がこのテーマを見たときから感じていたことと非常に近く、興味深い講義を聞かせていただきました。我々はコミュニケーションをとるにあたって言語あるいは身振り手振り、絵や音など何かしらのツールを遣う必要があり、伝えたい事実、伝えたい意図に加えて表現の方法によっても影響を受けてしまいます。その中で多元的無知という概念は表現の影響の最たる例だなと感じており、社会で生き抜くために自らのあり方を外側から定義する、周りの思想や行動を推測しそれに合わせて自分を微調整していくというのは、厳然たる事実によってのみ人が動いているわけではないということを感じさせてくれ面白いなと思います。一方で社会心理学の理論的研究については少し疑問が残るところもあり、今回の講義だけとってもあまりにファクターが多すぎてある実験から導き出される帰結が多すぎる、勿論他の影響をなるべく避けたり簡略化した傾向を導き出す意識があることは理解できますが、それにしても解釈が広すぎたり例外が生まれすぎるのではないかと感じました。この学問について僕はむしろ占いに近いところがあるように感じており、より幸せに、自由に生きるために人々の行動をどう捉えればいいか、というある種演繹的な学問として考えるのが、例えば今回の講義だと日本人の中で過度な協調に苦しんでいたり逆に独立に生きなければと思っている人の助けになるのではないかなと思います。取り扱いが難しい学問かとは感じましたが、装うというテーマで非常に面白い視点を提示してくださり考えさせられることの多い講義でした。ありがとうございます。

kero1779    reply

他者を前提として生きているというこの授業のシラバスを見た時に今回の授業の主要なテーマでもあった同調のことを頭に浮かべたので今回の授業はとても興味深かったです。自分の意思ではこう動きたいと思っていても周りの同調圧力によって異なった行動をしてしまうということは簡単に人の考えを制御できてしまうということにつながるなと思い怖かったです。そのような点で見ると第一回の授業であったVRを使って自分を分身させ人数を調整して討論を行うことの有用性を改めて認識させられました。日本であっても個が大事とされ相互独立性が好まれた時代はあったのでしょうか?

ak10    reply

多元的無知という言葉を初めて知ったが、様々な現象が説明されて面白いと感じた。最後のアメリカでも日本と同じように周りの人々の方が自身より相互協調性が高いと思っているかという問いに対して、私はアメリカでは相互独立性が高く、周りの人々の意向を気にしない傾向があるため日本のような結果にはならないと考えた。しかし実際には、アメリカでは周りの人は自身よりも相互独立性があるが、その程度が低いと思っていると知り、確かに周りの人に合わせようとして大学生が過度にお酒を飲んでいたという事象も説明がつくと感じた。またお酒の事象では女性にはそのような傾向が見られないなどがあるため、多元的無知が生じるかどうか、またどの程度生じるのかは性別や人種、年齢など様々な要因が影響しそうだと感じた。
多元的無知という言葉を初めて知ったが、様々な現象が説明されて面白いと感じた。最後のアメリカでも日本と同じように周りの人々の方が自身より相互協調性が高いと思っているかという問いに対して、私はアメリカでは相互独立性が高く、周りの人々の意向を気にしない傾向があるため、周りの人に合わせるという日本のような結果にはならないと考えた。しかし実際には、アメリカでは周りの人は自身よりも相互独立性があるが、その程度が低いと思っていると知り、確かに周りの人に合わせようとしてアメリカの大学生が過度にお酒を飲んでいたという事象も説明がつくと感じた。またお酒の事象では女性にはそのような傾向が見られないなどがあるため、多元的無知が生じるかどうか、またどの程度生じるのかは性別や人種、年齢など様々な要因が影響しそうだと感じた。

lapis07    reply

多元的無知については心理の授業で説明を受けたことがありましたが、様々な実証研究の例やアメリカと日本の比較などにより、さらに理解が深まりました。また、相互協調性と相互独立性が多元的無知とどう関係しているかという議論については、理論が難しく十分に考察することができませんでしたが、私が1番に感じたのは日本において相互協調性が否定され相互独立性を促す教育が行われてることも、他者が相互独立性を重視していると感じる一要因なのかもしれない、ということです。反対にアメリカにおいて相互協調性も重視する教育がされているのか、日本において相互協調性が特に理由もなく軽視されてるのではないかといったことは疑問に感じました。

att1re    reply

名誉の文化はアイデンティティ・ポリティクスと分かちがたく結びついている。ある種の政治ないし思想集団には一種の名誉が仮構される。集団心理の底知れなさにはつね心を配っていたい。

Stella1220    reply

「人間は社会的動物である」というアリストテレスの言葉を改めて実感した講義でした。他人の目や社会を意識した上で現れる同調、多元的無知に関する詳しい内容を学べて非常に有意義でした。特に「世間」、「空気を読む」などの概念があるほど社会的目線や共同体を意識する日本では非常に意味のある議論だったと思いました。

flower25    reply

線分の長さを当てる同調実験については聞いたことがありましたが、実験で集団の人数の多さよりも自分一人だけ異なる立場に立つ状況の方が、当人に不安をもたらし同調に導くことが興味深かったです。様々な実験結果を通して、多くの場面で多元的無知が規範の維持に関わっていると分かりました。自分の行動が他者の行動に影響され、また影響を与えることはある程度仕方のないことでありながら、それが望まない規範の維持につながってしまうのは問題になると思いました。例で挙げられていた残業や育休に関する会社の状態など、特にコミュニティの構成人同士が近い場合には、意見を語り合える関係を築くことが重要だと考えました。

choshi70    reply

「装い」というテーマを今まで中身との対比で捉えていたが、一見個人的なものに思われるような、判断や嗜好にも他者を前提とした「装い」が存在するということが興味深かった。授業の最後に出てきた、相互独立自己観と相互協調自己観についての、アメリカと日本の比較の問題からは、社会や人間相互の関係というものの複雑さを改めて感じた。私自身一人の日本人であって、他人の気持ちや他文化を完全に知ることができない中、他人がさらに他人をどう見ているのか、他文化の中ではどうなのかということを考えるのは非常に難しかったが、その難しさを体験できたのも貴重な経験だったと思う。Aschがやったような単純な実験から始めて、頭で考えるだけでは発見できない心理を描き出すような社会心理学の意義を強く感じた。

XK04    reply

本来自分の持っている考えや規範にそぐわないものだとしても、集団の中において同調する、「行為を装う」ということが少なくともアメリカや日本など複数の文化圏で見られる、というのはその行為にメリットがあったからということになる。行為を装うということは、他者との相互作用の中で、自己が他者の期待や社会的規範に合わせて行動を選択することであろう。それには個性のある各人が秩序のある社会を保とうとしてしばしば「他者の目」を意識し、個人の信念や欲望を抑えて集団に適応しようとする側面があり、ひいては一度共通認識として形成された規範が他者の行為を同僚圧力として制限する雰囲気を生み出している。言い換えれば集団の中では、個々人が他者の行動を手がかりにし、自身の行動を決定するという相互依存的な関係が生じ、そのために他者が持つ暗黙の期待に従い、自分を「装う」ことで、集団の一員としての役割を果たしながらも、社会的な調和を保つための重要な手段として機能する。この苦痛やストレスを伴うプロセスをどの程度各人が許容しているのか、その人の性格や文化圏、住んでいる社会に影響されるであろう、周囲に同調する精神的な余地、意思にどのような性質、傾向があるのかが気になった。

tahi2024    reply

ある規範を共有している社会集団の中で、間違っているのではと思っていてもファーストペンギンにはなれず、結局は集団に同調し望まない規範が維持されてしまうというロジックが本当に当てはまるとしたら、どうやってその規範を変えることができるのかと疑問に思いました。誰か一人に意を呈するものが出てきても、出る杭は打たれる(または出てきた杭が空気を読んで自ら引っ込む)としたら、ある規範を変えるにはその規範を共有する社会集団の構成員の大半の思考を、同じタイミングで変えなくてはならない問い追うことになり、それは甚だ難しいことではないのかと思いました。

C4000H8002    reply

「周囲の人が自分に期待している通りの自分の姿を装う」こととしていわゆる日本の「同調圧力」を説明し、しかし、実際に周りが思っていることより更に抑圧的、非積極的なように想定することでみんな必要以上に自由に振舞いづらく感じるという説明が面白かった。他人の期待する通りではない内心の希望を抱いていることに気づかれたくないと思うあまり、他人の期待を正しく伺うことができず、結果的に他人の期待通りの行動が逆にできないというジレンマを解消するために、むしろ自ら自己独立的に動いて積極的にお互い過剰に縛り付け合う関係を解消させようとすることが結果的に自分が快適に過ごすことにつながるのではないか。

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