ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい
第7回 11月20日 平芳 裕子
ファッションスタディーズへのいざない
私が駒場キャンパスでファッションの研究を始めた頃、正門前でブラックレザーのロングスカートを着こなす一人の男子学生を見かけた。時代は変わったと感銘を受けたものだが、それから30年、いまだにファッションをめぐる規範は強固である。この講義では、昨年の本郷キャンパスの集中講義録『東大ファッション論集中講義』(ちくまプリマー新書)のエッセンスに触れつつ、私たちの日々の何気ない装いが、いかに現代の社会問題、歴史文化の継承、課題への取り組みと関わっているのかを考える。
- 講師紹介
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- 平芳 裕子
- 神戸大学大学院人間発達環境学研究科准教授。専門は表象文化論・ファッション文化研究。東京藝術大学美術学部芸術学科卒業、東京大学大学院総合文化研究科博士課程単位取得退学。博士(学術)。主な著書に『まなざしの装置−ファッションと近代アメリカ』(青土社)、『東大ファッション論集中講義』(筑摩書房)、『日本ファッションの一五〇年−明治から現代まで』(吉川弘文館・10/25発売予定)など。
- 授業風景
2024年度学術フロンティア講義第7回では、11月20日に神戸大学大学院人間発達環境学研究科で表象文化論・ファッション文化研究を研究されている平芳裕子先生をお迎えし、身近なファッションとその背景にある社会的、歴史的な問題についてお話しいただいた。
さて、普段われわれは何気なく服を着ているが、その服を着る理由を考えることはあまりない。あるいは考えたとしても「そのブランドが好きだから」、「着心地がいいから」という個人の選択のレベルでそれを考えている。しかしファッションについてよく考えてみると、そこには個人選択のレベルでは説明されない問題が浮かび上がってくる。
たとえばスーツの広告でよく見かける「暑い夏のスーツをどう着こなす?」という文言。しかしよく考えてみれば、蒸し暑い日本の夏にスーツを着ること自体に無理があるのではないだろうか。あるいは「ヒール」も足を痛める原因となり、長時間の労働に向いているとは言えない。それでもわれわれはスーツやパンプスを着用し続けているし、それをやめることには抵抗を感じる。なぜだろうか。
また、そもそも「ファッション」と言うとき、それは女性のものとしてイメージされることが多い。実際デパートなどでも圧倒的に女性服売り場の方が多いし、たとえ「メンズフロア」があったとしても、その呼称自体がファッションにおける女性の中心的立ち位置を表しているといえよう。「ファッションはなぜ女性のものとして語られるのだろうか」。これは、平芳先生が学生時代に駒場キャンパスでファッションの研究に出会ったとき、当時の研究状況に対して抱いた疑問でもあった。
このように、実はファッションという身近な装いには個人の選好を超えたさまざまな問いが潜んでいる。こうした問いを考えるには、日本や世界におけるファッションの歴史に目を向ける必要がある。
そもそも日本において「洋服」が着用されるようになったのは、明治時代のことである。近代化が急がれた当時の日本は、公式の礼服として洋服(西洋の衣服)を採用する。すなわち「洋服」とは、それまでの日本の生活習慣から自然に広まっていったものではなく、国家戦略的に取り入れられたいわば「ルール」だったのである。
こうした点に、われわれが不便を感じながらもスーツやパンプスを着用し続けることの背景があるかもしれない。それは最初から「ルール」として輸入されたものだったのであり、だからこそそこから逸脱することには大きな抵抗感を覚えるのである。ここにおいて、スーツに関する身近な問いはもはや歴史的・政治的な問いと切り離して考えることはできない。この点については、先生のご著書『日本ファッションの一五〇年―――明治から現代まで』(吉川弘文館)が詳しい。
そうした日本に対し、当時の西洋ではどのようなファッションがあったのか。エドゥアール・マネ『バルコニー』(1868年)を見ると、男性のスーツが暗く背景に沈むように描かれているのに対し、女性のドレスは白く際立っており、極めて対照的な装いをしている。これは日本にも影響を与えたであろう装いだが、とはいえこうした衣服における性差はいかにして生まれたのだろうか。実のところ、衣服における性差がもっとも際立った時代こそ近代であり、近代以前はそれほどその違いは明白ではなかったと先生は指摘する。
17世紀初頭における上流階級の衣装を見てみよう。第三代ドーセット伯とノイブル公夫人の衣装を例にとると、どちらも同じくハイヒールやストッキングを着用し、豪華な毛皮や煌びやかな宝石、手間のかかったレースや花柄の刺繍を身につけているという点で共通している。衣服の「造形」は異なるものの、その「装飾」は極めて類似的なのである。この時代、高価な装飾を享受できるのは一握りの上流階級だけであり、ファッションはそうした階級の指標として機能していた。すなわち西洋の近代以前の服飾に関しては、「性別」による差異ではなく、「階級」による差異が際立っていたことになる。したがってときに男性の装いが女性貴族以上に豪華になることもありえた。
では、こうした変化はいかにして起こったのだろうか。そこには二つの革命が関わっている。一つはフランス革命における身分制の廃止である。これにより、身分の視覚化という服飾の役割を成立させていた社会基盤自体が崩れ、衣服着用の自由が広まることとなる。もう一つは産業革命における裁縫技術の革新である。紡績機の発明や織機の改良、ミシンの実用化などにより既製服を作ることができるようになったことで、庶民へのスーツ供給が可能となった。
こうして19世紀に、コート、ヴェスト、長ズボンを基本とする典型的な男性服が登場する。それまでの貴族の華美な装いとは異なり、色彩や装飾を排除し、黒一色のスタイルが目をひく。これは旧来の貴族的な価値観を否定することで出てきたスタイルである。貴族とは、生得的な特権を有し、暇を弄んで遊びに興じることが許される存在であった。これに対し市民社会は、生まれによらず、努力によって禁欲的に働けばチャンスを掴むことのできる社会が理想とされた。外見を飾ってうわべを整えるという欲求を放棄し、より良い未来を作るために自己研鑽に励むという市民社会の理想を標榜するものとして、こうした男性服のスタイルは広まっていくこととなる。
これに対し女性服はどうだったのか。実は女性服の方は、貴族的な装飾を引き継ぎ、華美な装飾と洗練された流行を追い求めるようになった。なぜだろうか。近代以前の貴族社会においては、王を頂点とした階級によって社会が成立していたのに対し、近代の市民社会は、家族を単位とした社会が構築される。そこにおいて、男女分離主義的な家族観が発展し、私的な領域が生まれることになる。すなわち男性は社会で働き、女性は内なる家庭を守る、という役割分担が生じることになる。ここにおいて、実用的な黒のスーツを着用し仕事に励む男性に対し、女性は家事や育児に勤しんで家を快適に保つことが仕事となる。さらに女性は、家や自分を飾り、美しく保つことによって夫の経済力や社会的地位を象徴する役割を担うようになった。近代においてファッションが「女性のもの」になったのには、こういった背景があるのである。
そして、こうしたことの反動として続く20世紀には、女性においては「ファッションからの解放」が、男性においては「ファッションの奪回」がたびたび掲げられることとなる。すなわち、優雅だが窮屈なドレスを脱ぎ捨てようとする女性と、スーツにとらわれない「おしゃれ」を取り戻そうとする男性の運動である。
女性における「ファッションからの解放」に関して、19世紀に見られる華やかなドレススタイルを支えていたのは「下着」であった。コルセットは、お腹周りを紐できつく絞ることで、ウエストを引き締め、なおかつバストやヒップの膨らみを強調することができた。しかしこうした下着は女性の健康に被害を与え、かつ行動を著しく制限するものだった。
そこで女性のファッションを改革しようという動きが起こる。先駆的な例として、アメリア・ブルーマーがいる。彼女が紹介したのは、スカートの下に二股のズボンを着用するドレススタイルである。当初は拒絶反応もあったが、19世紀後半末になると、スポーツの流行や自転車の普及により、こうした二股のスタイルは受け入れられていくことになる。
さらに20世紀になると、女性ファッションを改革するファッションデザイナーが次々と現れる。コルセットの追放(ポール・ポワレ)や、女性用スーツの考案(ガブリエル・シャネル)、女性用パンツスタイルの考案(イヴ・サンローラン)などが挙げられる。こうして、女性の身体を拘束していたコルセットは追放され、男性のものであったスーツが取り入れられるようになった。こうした20世紀の動きは、女性がファッションにおいて自由を獲得していく道程である。
とはいえ、「女性の身体はもはや解放された」と結論づけることはできない。たしかにコルセットは無くなり軽装化は進んでいるが、しかしその代わり女性はダイエットや美容整形などを行わなければならなくなった。「コルセットの内面化」と呼ぶこともできよう。2012年にはVOGUEによって「やせすぎモデル」の起用に対する反対声明も出されたが、いまだSNSなどでは痩せ型体型のモデルやアイドルが注目を集める。男性の側においても、ファッションショーなどで新しい男性像の提示が試みられているが、実際の社会には波及していないというのが現状である。
「布そのものには性差はありません。服に意味を与えるのは、人間の方です」と先生は語る。すでに社会に浸透してしまったファッションに対し、それをただ脱ぎ捨てるのではなく、あるいは問題を無視して着続けるのでもなく、その背景を明らかにすること、そして、そこに潜む問題を考え続けることにファッションスタディーズの役割がある。本講義のより詳しい解説は『東大ファッション論集中講義』(筑摩書房)に書かれている。今回ファッションスタディーズの「いざない」を受けたわれわれがその先の探究へと向かう時、様々な道が考えられるだろうが、このご著書はきっと一つの大きな道標となるに違いない。
(文責:TA田中/校閲:LAP事務局)
コメント(最新2件 / 13)
- 2024年11月20日 18:40 reply
個人には常には意識し得ない、文化や歴史の影響力の大きさを改めて感じた。
社会のあたりまえは、急な変化ではなく、誰かが起こした変化の小さな積み重ねと、少しずつの広がり・浸透で実現するものなのかなと思うが、そこにじっくりさ・ゆっくりさがある分、固定化されたあたりまえを崩すのも大変だと思う。ファッションに限らず社会のさまざまなあたりまえに対して、個々人がじっくり向き合うことは大切だと思う。
- 2024年11月20日 20:38 reply
今までファッションについてそこまで深く考えたことがなかったけど、布がデザインされることで、社会を動かしたり、人間の身体の形を変えてしまったりと人間にとても大きい影響を与えることに驚いた。
私はファッションと聞くと、なんとなくパリコレや今年流行 のファッションなどをイメージするが、無意識に女性の姿が思い浮かんでいた。
今回の授業で、なぜファッションが女性のものとして認識されてきたかがわかったし、ファッションの歴史が深く人間社会と関わっているからこそ、そう簡単に「女性らしい」とか「男性らしい」服装というのをなくせるものではないのだと思った。
今回の授業で一番印象に残ったのは、時代ごとに女性の体型が変わっていたことであり、ファッションは人間の身体構造すらも変えてしまう力を持っているのだと知って衝撃を受けた。
しかし、このような大きな力を持っているファッションこそジェンダー問題を解決する鍵を握っているのではないかとも感じた。
平芳先生は今までファッション研究は浅いものだとみなされてきたとおっしゃっていたが、
絶対にそんなことはないだろうと今回の授業を終えて強く思った。
- 2024年11月20日 20:45 reply
今回の授業では、現代ファッションがどのような経緯をへて現在の形に至ったのかを学んだ。スーツが黒くシンプルな理由など考えたこともなかったが、フランス革命が大きくかかわっているとは思いもしなかった。それまでの貴族的な服飾はうわべのものであり、それらに対して身を清め清潔にし体を鍛えることが重視された禁欲主義的な考え方がスーツの背景にあることはとても興味深いと思った。そしてそれが日本に取り入れられた、普及したのは、明治維新の際に政治的な意図を持って西洋化を目指したからであることは、想像に難くはないがその理由について考えるきっかけができたこと自体ためになった。また19世紀のファッション(クリノリンやコルセット)は女性の健康へ非常に悪影響を与えていた話があったが、現代もあまり変わらないのではと思った。最近の日本人は痩せてた方がいいという社会的通念のせいでほとんどの人がダイエットをして過度に痩せているように見える。平安時代の貴族女性が非常に重い着物を着ていたこともあるように、女性が社会的によく見られようと無理をすることは人間のサガで変えられないものなのかもしれないと思った。
- 2024年11月21日 21:41 reply
とてもおもしろい講義ありがとうございました。理想的な女性の身体の形が時代を追うごとに変化しているために、マネキンの形も変わり続けており昔の服が現代のマネキンにはかからないという話が特に印象的でした。普段何気なくしていたおしゃれの基盤となっている歴史や社会的観念の一端を見れたと思います。本当にありがとうございました!
- 2024年11月25日 12:28 reply
私は中学生時代のみ制服があり、(後から聞いた話ですが)女子はズボンとスカートどちらも選択する権利があったが男子にはズボンが強制であったらしく私の友達は疑問を持っていたそうです。私はその時幼かったので特に何も感じなかったのですが今回の講義を聞いていてその話を思い出しました。学校という子供に教育を行う機関でそのようなファッションに関する性差を示してしまったならば性差がなくなるという可能性は一切ないのではないのかなと思います(最近は変わってきているという話も聞きますが)。
現代に残っている痩せている方が美しいという考えが内面のコルセットになっていると言う話がありましたがぽっちゃりしている方が美しいという考えの時代もあったのでしょうか?
- 2024年11月25日 20:51 reply
ファッションを学術的に研究するとはどういうことなのか疑問であったが、今回の講義を聞いて身近なものでも遡ったり掘り下げていけば様々な発見があることがわかった。また、初年次ゼミナールで「味覚」をテーマにした授業を履修したのだが、そこでの学びとつながる点が多いと感じた。例えば時代ごとに美しい(美味しい)とされる体型(見た目)異なっていることや、それらが社会的構造や時には政府の政策によって形作られている点、またファッションそのもの(味覚そのもの)だけではなくそれらを伝えるメディアからのアプローチが有効的に取られている点などは非常に重なる部分が多いと感じた。ここからファッションや味覚といったやや世俗的とも言えるテーマへの研究について理解をより一層深め、興味を持つことができた。
- 2024年11月26日 02:14 reply
今回の講義を通じて、ファッションが単なる装いではなく、時代や社会の価値観、ジェンダー観、経済構造と深く結びついていることを改めて実感しました。特に、19世紀に男性服が禁欲的なスタイルに変化した背景や、女性服が華やかさを維持しながら女性の社会的役割を象徴していた点が印象的でした。
また、20世紀にコルセットが追放され、パンツスタイルが普及したことで女性の解放が進んだ一方で、現在も続くスーツやパンプスをめぐる議論は、ファッションが依然としてジェンダーの枠組みから完全に解放されていないことを示していると感じました。このように、服を通じて社会とつながりを考える視点の重要性を学べた講義でした。
- 2024年11月26日 21:01 reply
西洋の伝統的装飾がフランス革命や産業革命を経て意味や価値を変えていったという話が面白かった。産業革命初期には紡績機の発明があり、今まではただ開発されたものや開発した人を勉強して覚えるだけだったが、それがこのような服飾の、そして社会通念の変化を導いていたということに気付かされ、興味深かった。また少し前、同じ装いについて男性には「こだわり」女性には「わがまま」という単語が使われていだことがSNSで話題になっていたが、服装の社会的役割や地位を規定する役割は私が思っていたより大きいのだと感じた。
- 2024年11月26日 23:07 reply
歴史上のさまざまな転換点で発明されたあらたな「装い」は、それを支持するものたちによって実行され、「装い」の型としての強度を増していく。しかし型の宿命として、型ができてからしばらく経つうちに、それは誰かを押しこめ、自由な表現を許さない檻のようなものになっていく。そのなかにあってなおその型を用いて「装い」続けることは、その型が規定する何かの図式や限定、簡略化、圧縮を支持し、再生産し続けることを意味するだろう。それらへの反発のなかで、既存の型にとらわれないあらたな型が創出され、それ以前の型が産んでいた構造は無効化されていく。そのあらたな型さえ、次なる反発のなかで刷新の礎として破られていくことだろう。ファッションにおいて、既存の型への反発と、あらたな型の創造は、他に多く例のないほどひっきりなしに、流行という形で循環する。よりよく皮膚を獲得しなおすことにはじまって、自分が何者であるかを自分に、そして他者に教えるための「装い」のなかには、この激しい循環のなかにあってもいまだに人を縛り付け苦しい思いをさせるものも少なくない。それはおそらく、「装う」ことが定型であれ不定型であれなにかの型を前提することに起因する、装うことの根本的な問題だろう。それでも、ファッションをはじめとする「装い」における、型をめぐる不断の循環のなかで、ただひとつの型を破ってひとつの型を作るというのではない、すべての人にそれぞれ心地よい型が生まれるような、多面的な型の創出が目指され続けるなら、型をめぐる問題への暫定的な解決が提示されていくことだろう。
- 2024年11月26日 23:51 reply
今回の講義で取り扱われた内容はほとんどが知っているものだったのであまり面白味を見出せなかったが、ファッションの変遷や歴史は個人的にかなり興味があるので(メンズファッション中心ではありますが)講師の方の著書を読んでみたいと思った。ファッションが人々の気分や感覚の変遷を表すと共に、ファッションの文脈から世間の価値観が大きく変わるというのが面白い。自分のアイデンティティを反映させたファッションもあれば自分のアイデンティティが影響を受けることもある。その価値観の変遷を文化として楽しみたい
- 2024年11月27日 08:27 reply
ファッションを研究する分野があることを授業で初めて知った。最近はジェンダーレスな服装、男性がスカートを着る、女性がメンズライクな服を着るなどが増えてきているが、それも今の徐々に性別に寛容になっている日本の社会の状況を表していると思った。服からそのときの社会状況が見えてくるということに面白みを感じた。なぜ今私はこの服を着ているのかを問い直すとても貴重な機会となった。また明日から私が選ぶ服の範囲が広がりそうだと感じた。
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階級を重んじていた中世において、被服はいかに他人の評価に合致しているかを示すものであったが、個人主義を重んじる近代から現代に変化し、いかに他人との差異を強調するか、という新しいファッションの基準が生まれた。しかし他人の評価にいかに合致するか、という評価基準はマスメディアによる「男性らしさ」「女性らしさ」の喧伝などでも残存している。これは階級的な圧力というよりも、大量生産された被服を売るにはそちらの方が便利だからかもしれない。