ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第1回 10月02日 鳴海拓志

デジタルな「装い」はわたしをどう変えるか

バーチャルリアリティやメタバースでは、バーチャル空間における身体であるアバタを、その外見・身体構造・機能を自由に設定することができる。本講義では、そのようなデジタル世界の「装い」が使用者の感覚、行動、思考や能力に与える影響を紹介する。その上で、こうした新たな「装い」の力と長期的視座から形成される人生の物語(物語的自己)の関係を考えるための研究についても紹介し、「ありたい自分」として生きていくための「装い」のあり方を議論する。

講師紹介

鳴海拓志
東京大学大学院情報理工学系研究科准教授。2006年東京大学工学部システム創成学科卒業。2008年東京大学大学院学際情報学府修了。2011年東京大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。バーチャルリアリティや拡張現実感の技術と認知科学・心理学の知見を融合する研究に取り組み、多様な五感を提示するクロスモーダルインタフェース技術や、人間の行動や認知、能力を変化させるゴーストエンジニアリング技術の開発を推進。文部科学大臣表彰若手研究者賞、文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門優秀賞など、受賞多数。
授業風景

2024年度の初回授業では、東京大学大学院情報理工学系研究科准教授の鳴海拓志先生にご登壇いただいた。VR(バーチャルリアリティ)やゴーストエンジニアリングなどを専門とされており、今回は、人間の身体と心が密接に結びついていることを示しつつ、バーチャルな身体を使ったデジタルな「装い」が人間を変容させる可能性について講義をしていただいた。講義中には、リアルタイムにコメントを表示させるComment Screenというサービスを用いられ、気軽にコメントや質問が先生に投げかけられていた印象だ。

鳴海先生はVRの定義にまず着目して講義を始める。「バーチャル」は、単に「仮想」という訳が当てられることが多い。しかし英語での“ Virtual ”は、「形や見た目が異なっても、本質、実質的な効果がオリジナルなものである」という意味を持つ。鳴海先生は、「仮想現実」という訳語が誤解を招く可能性があるとして、「バーチャルリアリティ」を「物理的には存在しないものを感覚的には本物と同等のように本質を抽出して感じさせる技術」と捉えることを強調している。こう考えると、バーチャルな体験が単なる一時的な遊びにとどまらず、私たちの生活や行動に実質的な影響を及ぼす可能性があることが示唆されているように思われる。この一貫で「ラバーイリュージョン」という現象について動画を交えた説明があったが、この現象では自分の手ではないものを自分の手だと思い込む錯覚が引き起こされる。ここでは、身体の可塑性、つまり、固定的だと考えられがちな人間の身体感覚が、環境や経験に応じて変化する可能性があることが強調されている。

続いて、アバタの使用がどのように人間の行動や感覚に影響を与えるかについて述べられた。アバタとは、バーチャル、デジタルな世界における自分の身体を指すが、このアバタの姿や特性が変わることで、人間が自己に対して持っているイメージが変化し、それが行動や学習などに影響を及ぼすことが明らかになっているという。たとえば、アバタを変えながら手話を学習すると、学習者の記憶定着が促進されるという研究結果などがある。これは、脱文脈化することで学習内容の定着が良くなることを意味していて、バーチャルリアリティでもこのような効果が再現されることを示している。こうしたアバタの特性から、教育などの分野での適用も今後大いに進んでいくことだろう。

また、アバタが社会的コミュニケーションに与える影響についても言及があった。アバタの姿によって対話の質が変わることが確認されており、たとえば怖い上司に可愛いアバタを使わせ、部下である自分が強面のアバタを使うことで、部下はよりリラックスして対話できるようになるという。これは、アバタを通じて「装い」の変化が、現実で固定していたコミュニケーションのあり方を大きく変化させるという事例の一つである。

このように、VRではアバタを用いることで、自分と違う特性を持った体に没入することができるわけだが、そうすることで自己のイメージや相手の反応が変容する。これが積み重なることで、自己がVRによって書き変わっていくのである。鳴海先生は、この変容を捉えることは複雑だが、これを解明することで何かしら役に立つことができるのではないかと指摘されている。体と心とが結びついているのであれば、バーチャルの体が我々の体と同じように、今後機能するのであれば、バーチャルな体を変えるだけで、我々は心の状態を我々の望む通りに変えられるのではないかという期待がある。そうした技術を鳴海先生は「ゴーストエンジニアリング」と呼び、研究されているとのことだ。自己の改善や社会的相互作用を円滑に進めることが可能になれば、人々は緊張を和らげたり、よりクリエイティブな思考を促進させたりすることが可能となるだろう。

さらに、VRを用いて他者の視点を体験することの効果についても話が及んだ。たとえば、白人の警官が黒人の視点を体験することで、人種差別に関する無意識のバイアスを軽減できるという試みが行われているという。このように、VR技術は単なる娯楽の枠を超え、社会的な問題の解決にまで応用できる可能性を秘めている。ドメスティックバイオレンス(DV)の加害者に被害者の立場を体験させることで、自分の行為に対する認識を深め、暴力を減少させる効果も確認されている。このように、VRを通じた視点の変換は共感を増進し、人間関係の改善にも役立つことが示されている。

次に、アバタの外見が喚起するステレオタイプが、ユーザの知覚、行動、態度に与える「プロテウス効果」と呼ばれる現象について話された。たとえば魅力的なアバタを使うことで、交渉や社会的な交流がスムーズに進み、活発になることがわかっているという。また、筋肉質の体を持つアバタを使うと、ある重さの物体がより軽く感じられるなど、身体的な感覚にも影響を与えることも確認されている。これにより、アバタの姿が私たちの行動や認識をどのように変えるかが明らかになり、バーチャル体験が現実世界における行動やパフォーマンスにも影響することが示されている。しかしながら、プロテウス効果には批判も存在する。効果自体は確認されているものの、その効果量には疑問が投げかけられているからだ。また、特定のステレオタイプを強化、再生産する可能性も指摘されている。

ここまで鳴海先生は、アバタを通して自分が違う存在に変身する、ということについて研究を紹介されてきたが、ここで話を転換し、分身や融合など普通とは異なる身体の使い方についての話に移った。例として、多数派と少数派が現れる議論の中で少数派に対して分身を導入すると、少数派意見で合意が形成された場合に多数は参加者の納得度が有意に向上することが実験で示されているという。また、融合身体のVRについては、教師と学習者がVRで融合身体を使うことで、教師の身体図式が学習者側に共有され、学習側が身体技能を効率的に身に付けられるという。アバタを用いることで、思考を変容させ、身体に関する能力を上げられることがわかった。

こうしたデジタルな「装い」の持つ力を利用することで、全員が幸せになることができるだろうか?と鳴海先生は指摘される。ここで先生が問題としていたのは、過去から未来まで、持続性・一貫性を持った自己である物語的自己と、今ここにいると感じる最小限の自己である身体的自己との間にミッシングリンクが存在するなかで、その連環をどう作っていくかということであった。さまざまな事例、実験を紹介されるなかで、アバタの継続利用による時間蓄積、過去から未来という時間変化を考慮したアバタの変身体験、他者との関係による自己認識・行動の変容などの重要性が語られていた。

とりわけ興味深かったのは、分身ロボットカフェでの拡張アバタ接客である。誰にとっても均質である遠隔操作ロボットのOriHimeを用いることで、新たな自己を獲得し、未来に展望を持つことができるのは想像ができたが、自らが選択した多様なアバタを用いて「こうありたい自分」を顕在化・個別化・前景化し、かつ他者と関わることで、アイデンティティが徐々に変容し、定まっていくということが示唆されているという。これは従来的なアバタ理解を超え出るもののように思える。

鳴海先生の議論では、VRが単なる技術的な体験にとどまらず、私たちの心や行動に直接的な影響を与える力を持っていることが強調されていた。人間の身体と心が密接に結びついていることを前提にしつつ、バーチャルな身体を使ったデジタルな「装い」が心の状態を変容させる可能性が示唆されている。今後の研究が進むことで、より豊かな体験や相互作用を享受できるだけでなく、現実の課題を解決するための新たな道を切り開くことが期待されるだろう。

(文責:TA荒畑/校閲:LAP事務局)

コメント(最新2件 / 20)

kaki06    reply

個人的には、アバターを使って自己表現することにはどちらかというと抵抗を感じる。講義でもお話しされていたように、なんだか短絡的で現実味に欠けて、自分として受け入れることができないと思う。ただ他方で、現実世界である程度の肩書きや立場を持った、縛られた個人から自由になって、人間としての可能性を高められる、有用なツールでもあると感じた。たとえ無意識にであっても、依存する使い方ではなくて、人間らしさを高めていくツールとしての活用が増えていったら、人間のより良い面が磨かれていくような未来の側面もあると考えた。今までデジタル世界やVRには全然興味を持ってこなかったが、関心が高まった。

esf315    reply

とてもおもしろい講義ありがとうございました!まさかVR関連の話を授業で聞くことになるとは考えてもみなかったのですが、すごく楽しい経験になりました。VRChat始めます!

dohiharu1729    reply

コンピュータ上でのアバター、即ち仮想の見た目が人間の現実での行動に多大なる影響を与えるというのは、人間の認知の複雑さを感じられて興味深く思いました。連想された例として、体操などのアスリートがイメージトレーニングをすることで演技の成功率を上げていたり、ボーカロイドの普及によって人間による歌唱もより複雑でハイレベルなものに変化してきていたりと、イメージがパフォーマンスに影響を与える事例はVRに限らず存在し、それがコンピュータ上でも起こっていると考えれば決して新しい概念というわけではなくむしろ人間の想像力をより豊かにするツールと考えてもいいのかなと感じます。一方でコンピュータというツールには少し気になる点もあり、やはり人間が作り上げた機械である以上その性能は現実世界の模倣になってしまい、ある種今の人々が想像できる程度の理想の実現、例えば見た目が良くなるだとか好きな場所に行けるだとか、早く走ったら楽器の演奏が出来たりというただ人の能力に下駄を履かせるだけの道具と化す危険性もあるなと思います。コンピュータが人間の能力に近づくスピードがとても早いため、人間の側がコンピュータを用いた更なる可能性の開拓を弛まず行っていかないことには機械に手足を握られているだけの動物となるか人間の機械離れが起こるかとなってしまいそうなので、コンピュータに馴染んでいる我々、ひいてはさらに下の世代がそれを前提とした新たなアイデアを出し続ける必要がありそうです。

dohiharu1729    reply

コンピュータ上でのアバター、即ち仮想の見た目が人間の現実での行動に多大なる影響を与えるというのは、人間の認知の複雑さを感じられて興味深く思いました。連想された例として、体操などのアスリートがイメージトレーニングをすることで演技の成功率を上げていたり、ボーカロイドの普及によって人間による歌唱もより複雑でハイレベルなものに変化してきていたりと、イメージがパフォーマンスに影響を与える事例はVRに限らず存在し、それがコンピュータ上でも起こっていると考えれば決して新しい概念というわけではなくむしろ人間の想像力をより豊かにするツールと考えてもいいのかなと感じます。一方でコンピュータというツールには少し気になる点もあり、やはり人間が作り上げた機械である以上その性能は現実世界の模倣になってしまい、ある種今の人々が想像できる程度の理想の実現、例えば見た目が良くなるだとか好きな場所に行けるだとか、早く走ったら楽器の演奏が出来たりというただ人の能力に下駄を履かせるだけの道具と化す危険性もあるなと思います。コンピュータが人間の能力に近づくスピードがとても早いため、人間の側がコンピュータを用いた更なる可能性の開拓を弛まず行っていかないことには機械に手足を握られているだけの動物となるか人間の機械離れが起こるかとなってしまいそうなので、コンピュータに馴染んでいる我々、ひいてはさらに下の世代がそれを前提とした新たなアイデアを出し続ける必要がありそうです。

Yukki35    reply

ヴァーチャル技術によってヒトは生まれた時に与えられたものとは全く異質の外見を手に入れられるようになった。それは、他人に生まれ変わることなく自分の生まれや育ちを継承しつつ、一瞬だけ自分ではないものになる行為だと言える。しかし、自分にとって異質な存在を演じ続けることは、たとえ自分のなりたい外見であったとしても多くの場合苦痛や違和感を伴うことだと思う(これは、性別違和を抱えている現実の人々にも当てはまる)私たちが自由にヴァーチャルなアバターを使いこなすには、そのアバターと現実の自分の間の文脈を創作することが大事であり、それが授業でも触れられていた「プロセスのある変身体験」なのかもしれないと思った。

Tanaka0825    reply

バーチャルで「装う」ことと、物語的自己についての箇所が非常に興味かった。
バーチャルでの「装い」の場合、「装」うことになるアバター(他にはボイスチェンジャー、名前など)は「装」う前の自分とは明確に異なる。この差によって、違和感を覚え、VR空間上での体験に没入できない人たちは講義内でも触れられた通り一定数いるだろう。私は、ビデオゲームをプレイした経験の少ない高齢者層に特に多いのではないかと思っている。高齢者層の中には、家から出られず孤独であったり寝たまま起き上がることのできない人たちも多い。私はメタバースがこのような人たちに生きる楽しみや人との交流を提供できると考えている。このような人たちが違和を感じることなく VR空間上での体験に没入できるようにすることはデジタルな「装い」のもつ課題のひとつだと思った。ただ、「装」ったあとの生活のなかで感じる違和は、デジタルな「装い」だけのもつ問題ではない。たとえば、トランスジェンダー者が異性装を行い生活するなかで感じるかもしれない違和はデジタルな「装い」への違和感と構造が同じではないか。「装う」前と後の自分が非連続である、または「装った」のに、自分の中に「装う」前の自分が混じっているという感覚だ。人間は生きていくなかで何かから何かへと「装う」ことを繰り返すが、そのなかで自我同一性に大きな影響を与え、「装」う前のアイデンティティと「装」ったあとのアイデンティティとの間で板挟みに遭い、その後の生活に没入できなくなるような違和感をもたらす「装い」を経験する者もいる。その違和感へのひとつの対抗策として「装いたい自分」をとらえそれをアイデンティティとすることが挙げられはしないか。「装」う前のアイデンティティ(たとえば、生物学上の性、自分の生まれ持った外見、声、本名など)や「装」ったあとのアイデンティティ(着ている服のもたらす外見上の性、VR空間上でのアバター、ハンドルネームなど)に固執するのでなく、「そう「装」いたい」という指向性や意志、それをもつ自分の方こそ自己であるという方向に思考をシフトするのだ。さまざまなカテゴリーや境界がさらに多様化し、それにつれて自我同一性に危機を迎える者が多くなるなかで、「装」いたい自分がいるということは万人に共通する。もちろん全ての人の違和感がそれによって解決されはしないかもしれないが、そのような、自分を認め「装」いたい自分のために「装」うことを以て自己の実現となす思考を持てば、「装い」への違和感を低減しつつ、他者の「装い」も自分の意志と共通するものとして相互に理解しあえる可能性がひらける。メタバース技術によるデジタルな「装い」は、アバターの使用や現実世界と異なる世界の提示を通じて、「装いたい自分」を発見する手掛かりとなる。それは、すべての「装い」が抱える問題や、異なる「装い」の衝突がもたらす相互不理解を解決する糸口となるのではないか。

tomo65    reply

「virtual」と「仮想」のニュアンスの違いという一番最初の話や、授業を通じた鳴海先生の語り口の明るさから、先生の「デジタルの装い」に懸ける熱い思い、抱いている大きな希望が伝わった。
「視点を変える」ことで自由なアイデアを促進したり、他者を経験し差別意識をなくすという試みは、非常に興味深く、すぐにでも実装し世に広げるべきだと思った。
「アバターを変える」ことも、自己を更新し新たなコミュニケーションを生み出すなど、多くの魅力があるが、アバターも含めて自分であると認められるのか、徐々にアバターを演じることがしんどくなるのではないかという懸念が残った。
ままならない自分をある種「上書き」して理想を目指す技術ももちろんいいが、ままならない自分をそのまま受け入れ、社会もそれを受け入れる、その一助となるような技術があれば、まさに理想ではないのだろうかと考えた。

amuamu1020    reply

肉体と精神の関係は古くから議論の対象となってきていた。「病は気から」という諺は有名だが、このように精神の変化に肉体側が引っ張られる事例は様々なところで見られる(ex.思い込みの力、プラシーボなど)。一方、今回の講義ではその真逆、肉体の変化に引っ張られて精神が影響を受ける事例について学び、新たな知見を得られた。それらが科学的に示されたうえで実際に応用を見据えた実地検証が行われていることは驚きであった。今後の展開に注目していきたい。

highriv21    reply

今までVRはゲームとして使うものやVtuberが使用するものといった程度の認識しかなかったが、今回の授業でVRが病気の治療やスポーツの向上、社会の改善といった私たちの身近な場所から世界を変えようとしていることが垣間見えて興味深かった。

ak10    reply

人間関係においての問題を解決するためには相手の立場に立って相手の気持ちを考えることが大切だが、想像だけは解決が難しいことが多々あるため、VR空間で実際に体験してみるということはとても良い解決方法だと感じた。
しかし先生のお話の中で、多くの学生がアバタを使ってなりたい自分になることに抵抗感を抱いているとあったことから、アバタを日常的に利用する社会が訪れるのはまだ時間がかかるのだろうと感じた。そのようなアバタを使う人が少数派である社会では、アバタである理想の自分と現実の自分とのギャップに悩むなどの問題が生まれるだろう。本当の自分とは何かという疑問も生まれてくる。私自身はアバタを利用して理想の自分になってみたいが、あくまでそれは自身の一要素であるということを忘れてはいけないとも感じる。
またソーシャルタッチの実験では異性にタッチされると、さまざまな効果があるというのは意外だった。女性ではそのような結果にならないのではないかと思った。

lag24    reply

恥ずかしながら、「バーチャルリアリティ」と聞いて講義前に私が思い浮かぶものはまさに「日常と関係ない世界に行って、非日常な体験をする」というものでした。そしてそれがどう「装う」というテーマと繋がっているのかもよくわからず参加していました。しかし授業を通し、「バーチャルリアリティ」とは、物理的には存在しないものを、感覚的には本物と同等のように、本質を抽出して感じさせる技術なのだと知りました。
驚いたのは、バーチャルな世界において「アバター」を使用することで、さまざまな実験を行うことができるという点です。特に印象に残っているのは、笑顔ビデオチャット環境でブレインストーミングすると、普段の1.5倍アイデアが出る、というものです。実践したいと思いました。
そして、アバターの存在によって「理想の自分」に一瞬で変身する事ができるようになった、ということが「装う」というテーマと繋がっているようでした。印象に残っているのは、障害を持つ方が、見た目的に均質的なロボットを用いて接客する、というシーンです。彼ら彼女らは均質的なロボットから「理想の自分」のアバターに変身して接客していました。ある方の「理想の姿」が、健常者であったり、自分ではない動物であったり、アニメ調だったりに見えました。それに気づき、なんだか切なく、虚無感を感じました。「理想に近づきたい」という感情は一般的に、現状に甘んじない成長志向で素晴らしい、と思われているように感じますが、一方で、その感情は現在の自分を全否定するものでもあります。障害を持つ方が自分の障害を全否定し「健常者」に変身するということ、それはいかに今「障害者」に対して厳しい環境が作り続けられているのかを示唆しているように感じました。アバターを用いて「理想の自分」を思い描いてみることは、他方で「否定したい自分」を描き出し、「それは否定されなければいけないのか?」という問いに発展させる事ができるように思いました。

kero1779    reply

まずComment Screenを用いた授業を初めて受けzoomのチャットなどとは異なり、他の人の意見がリアルタイムで画面上に流れるためどこでどのような疑問を持ったのかということが分かりやすく他の授業でも利用して欲しいなと思いました。
アバターの切り替えが学習や定着に効果があるという話で教師側のアバターが変わっても定着が良くなるとおっしゃっていたのですがそれは生徒側のアバターを変えた時と同じように脳が刺激されるからでしょうか?個人的には同じことを色々な外見の教師から教わると混乱する気がしました。
昔テレビでアメリカの非行少年・少女たちに刑務所で1日生活するというプログラムがあり実際の囚人と接したりする中で更生するというものであったがVRで同じような企画を行った場合現実でやった時とどれだけ効果に差があるのか気になりました。
今日マイノリティーの人々にもスポットが当たるようになりその生活の不自由さも少しずつ分かってきましたがやはりまだ実際に接すると壁や同調圧力を感じることが多いという話をよく耳にするので同調圧力調整効果が良い形でそのような人へ役立ってほしいと思います。

tahi2024    reply

とても面白い講義でした。患者のリハビリや身体障害者の治療ないし社会参画のために情報理工学の技術が活用されていることは知っていましたが、デジタル上のアバターに自分の理想の姿や、運動、接客など個々の場面に適した人格や体型を投影し、さらにデジタル上の空間に自己形成を目指す例を知って興味が湧きました。誰もが自分の身体や性格について何かしらのコンプレックスや理想を抱いていると思うし、時間を必要とせずに理想を実現でき得る媒体としてVRの技術は大いに活躍すると思います。しかし、一生付き合っていくのは、皮膚を纏った自分のこの身体であり、いくらデジタル上で理想を再現できたところでいずれ現実に戻ってきた時に自分の身体や精神にさらに疑問を抱いたり、コンプレックスとしてまざまざと認識してしまう可能性も孕んでいるようにも感じます。でも確かに、理想の自分をまずはバーチャルリアリティの「現実」に見出し、それからその理想の姿を、肉体を持った現実で実現させることを目指す。というように、理想状態を追求する契機としてこうした技術を活用することも可能だとも思うし、考えれば考えるほど現実とはなんなのか不思議で面白いと思いました。

att1re    reply

色色の人のさまざまな興趣尽きぬ研究を知ることができ,こちらも励みになった。
「装い」という言葉自体は,装った状態の主体と,自身の身体的・物語的自己が綯交ぜとなった基底状態の主体との間隙ゆえに生起する一種の浮ついたぎこちなさと不可分だと思っていた。しかるに技術の発展は,ともすればデジタルな「装い」をアナログなそれよりも「装い」でなくするかもしれない,と考えを新たにした。あるいは「装い」がアナログな身体性を必ずしも強く必要としなくもなるのではとも。

C4000H8002    reply

現実の肉体について装いを変えるのは時に困難であるのに対し、デジタルでは例えば「体の部位を加える」「複数人になる」など現実には全くあり得ない装いをとることができ、その状況が当人や周囲の人々に及ぼす影響を簡単に検証し実践もできるという利点が興味深かった。

XK04    reply

VRやアバタといった仮想のものを身につける、装うことが、また、それと相対することが、我々の感情に影響し、学習や能力にあらわれるという点が最初に印象的だった。例えば車が人間の歩くという身体機能を外部化したように、アバタを使うことは、アバタという複数の新たな外見がそれぞれその人の所属するさまざまな(仕事、趣味のコミュニティ、学校などの)社会、コミュニティにおける役割を代表するという点で外見の外部化であると考えた。人間が車を使うことによって体力をそこまで消費することなく長距離を速く移動することが可能になったように、人間がアバタを使うことによって社会的な役割、認識が変わり仕事におけコミュニケーション能力が上昇した(アバタを使うことでいつもよりうまく苦手な上司と話すことができたという例)ことがその具体的な例であろう。ここまでは今まで自分でも考えていたことではあったが、その先の、アバタを通して苦労もなく獲得してしまった能力や、アバタで築いた人間関係等が自身にとってどのような意味を持つか、や、授業であった通り身体的自己と物語的自己がどのように相互作用をしているのかが非常に興味深く、考えたいテーマだと感じた。この講座を通して装うということを、デジタルな装い、概念の装い、服飾としての装い等、多角的な視点から捉えることによって、装うことが人間自身にとってどのような意味を持つのか、どのような影響を持つのかについて深く考えていきたいと思った。

ouin3173    reply

バーチャル空間において自分の求める装いを実現することで、積極的に意見を出したり自分と相手を肯定的に受け止めたりといった現実世界では難しいことを可能にするのはさまざまなことに役立てそうだと思った。また障害者の方が周りから「障害者」という色眼鏡で見られない体験ができるというのは特有の価値があるうえ、バーチャル空間で自分と異なる属性・見た目になるロールプレイを行うことで、そのような存在を認め理解する機会になる可能性も感じた。しかし、これらの効果を生み出すのはある属性・外見に対する本人のイメージや偏見なので、かえって属性や外見への価値観を固定・助長させてしまう恐れがあるうえ、外見でその人の本質を判断することを肯定してしまうのではないかというデメリットも考えられる。

Stella1220    reply

 人間の世界認識について、人間が受け取る全ての情報が感覚器官というフィルターを通過しているという点で、それ自体が一種のバーチャルリアリティであるという解釈に新鮮さを感じました。従来、バーチャルの概念や必要性は多くの人にとって理解しづらいものだと考えていましたが、人間が認識する現実世界もある意味でバーチャルであると説明することで、より多くの人々にバーチャルの概念を身近に感じてもらえるのではないかと思いました。さらに、人間の認識と世界との関係性について再考する機会にもなりました。
 また、認識される自己像や他者像が、外見とは直接関係のない分野(生産性や行動能力など)に影響を与えるという事実に興味を覚えました。私自身、バーチャル技術についてはV-TuberやVR体験程度の知識しかなく、その応用可能性について深く考えたことがありませんでした。しかし、この講義を通じて、教育や医療など、バーチャル技術の幅広い活用方法について学ぶことができました。
 とても有意義な講義、ありがとうございました。

choshi70    reply

"virtual"という単語に対して「仮想」という訳語は不適当という話があった。しかし、デジタル技術によって「実質的」に「本質的」に、とはいえ、身体ごと自分自身を離れて他人を装うという状況はいままでの人類に経験のないものであり、「本物の経験なのか、偽物の経験なのか」という疑問を呼び起こすのは確かだと思う。また、それは倫理的に善いか否かという疑問もあるだろう。授業中学生の反応として紹介されたコメントにあったように、「現実世界で、自分の身体で成功することこそが善いことだ」という価値観は我々の中にある。そういう価値観の元では、紹介されていた、実証された数々のメリットも水泡に帰してしまう。私もそう感じていたが、この授業で実際のワークショップの事例を見て印象が変わった。アバターの本当のメリットは、他者の装いを経由して、自己の知らなかった一面に出会えることなのだと思った。自分で規定してしまったネガティブな自分自身の殻から飛び出すような、そういう治療的な行為としての価値は大きいと感じる。しかし、薬が分量を誤ると毒になるように、アバター側に依存して現実の自分を疎かにしてしまう危険もあると思う。重要なのはいかに自分の物語に組み入れる事ができるかであるようだ。

awe83    reply

私はVRを一度も体験したことがないので、率直に技術や研究の進展具合に感動した。人間の認知システムを利用した仮想世界が現実的に感じられるというバーチャルリアリティの技術により、実際には実現困難な体験を人々に提供でき、高所恐怖症の克服や疑似同調効果生成システム、ロボットカフェといった多様な方面に活かされうることに希望が感じられテンションが上がった。ただ、アバタを使えるのはVRの世界の中だけなので、現実世界で期待する成果が出るまでにはどれほどの鍛錬がいるのか気になった。全体的に応用範囲が広そうでとても面白く興味を持てた。

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