ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第2回 10月07日 西大輔

新型コロナウイルスから考えるトラウマティックストレス

新型コロナウイルスの感染拡大は、安全・安心に深刻な脅威をもたらす出来事であり、トラウマティックストレスと捉えることもできる。本講義では、今年2月から3月にかけてダイヤモンドプリンセス号などで救援活動を行った医療従事者のメンタルヘルスに関する研究の知見を紹介しつつ、精神保健学の観点からこのトラウマティックストレスにどのように向き合っていけばよいかについて考えたい。

講師紹介

西大輔
東京大学大学院医学系研究科 公共健康医学専攻 精神保健学分野、健康科学・看護学専攻 精神保健学分野 准教授。 精神科医としての臨床経験を活かしつつ、うつ病やPTSDなどの予防をテーマとして、妊婦、災害救援者、労働者など様々な集団を対象に研究を行っている。
授業風景

2020年度第2回学術フロンティア講義では、10月7日に東京大学大学院医学系研究科 公共健康医学専攻准教授の西大輔先生にご登壇いただき、「トラウマティックストレス」というキーワードに、コロナ禍で働く医療従事者の精神保健学から見た知見についてご講演いただいた。

まずはじめに、CBRNEという言葉を取り上げ、コロナの影響を、化学(chemical)生物(Biological)放射線物質(Radiological)核(nuclear)高性能爆発物(high-yield explosives)による災害による影響の一種と捉え、それによる行動・社会・経済そして健康への影響を紹介した。特にメンタルヘルスという観点からは非常に強い不安・不確実性から新たな精神疾患が発病するリスクについて注目している。

①トラウマティックストレス

そしてまず前提として、今回のキーワードである「トラウマティックストレス」とは何かを説明した。通常人間はストレッサーから受けるストレスは時間経過とともに元に戻っていく力を持っている(レジリエンス)。しかし、あまりにも強烈なストレスは出来事が終わっても人間に影響を残す場合があります。そのような出来事が終わっても影響が残ってしまうような強いストレスのことを「トラウマティックストレス」と呼んでいます。トラウマティックストレス状態後、回避(トラウマを思い出さないようにする)・再体験症状(トラウマ体験時の記憶を突然思いだす)・過覚醒(気分が高ぶりコントロールできなくなる)・認知と気分の陰性変化(物事を後ろ向きに捉えるようになる)・感情の調節障害・対⼈関係の障害などの症状が出てしまい、元々リスクを抱えている人やトラウマティックストレス状態後にサポートがなかった人は治癒できず、様々な精神的な病気にかかってしまう。

②COVID19に対応した医療従事者について

次に講師が医療従事者に対して実施した調査の結果からコロナ禍のメンタルヘルスを考えた。

COVID-19のパンデミックにおいては、感染者やその家族・社会的なマイノリティと共に、医療従事者がメンタルヘルス上ハイリスクを抱えている。医療需要が急増することで、自身の感染リスクの脅威に晒されながら、過重労働、防護装備の負担や不足、差別中傷の危機など負担は多岐に及ぶ。今年2月の「ダイヤモンド・プリンセス号」での集団感染では、多くの医療従事者が救援活動に派遣された。救援活動を行なった災害派遣医療チーム(DMAT)および災害派遣精神医療チーム(DPAT)の人たちが、普段の職場から離れて医療活動に従事した後に、職場復帰しようにも感染リスクのため復帰できず、家族や職場から誹謗中傷を受けている隊員が一定数いた。

今までの新興感染症流⾏時の医療従事者におけるメンタルヘルスやその関連要因が報告されている。しかし、医療機関外という特殊な環境下で救援活動を行ったDMAT・DPATに参加した医療従事者に活動直後にインターネット上で聞き取り調査を行った。なお、研究への患者・市民参画の一環として先行研究だけでなく、DMAT/DPATおよび事務局員とのインタビューも参考にして質問項目を作成した。

主たる結果として、コロナ陽性の患者さんとの接触が濃厚であったDMAT隊員の方がPTSD症状が高いという結果が導き出された。一方で派遣後に救援活動について話を聞いてもらう機会があった人はPTSD症状が発症しにくいという結果も表れている。コロナ禍の救援活動は感染を防ぐ厳重なマスクの装着や防護服が不快感を与えるものだった。加えて、防護服の着脱も時間がかかり大掛かりなため、トイレや休憩を我慢するようになることで失禁や気を失いそうになることが起こった。これらの状況がPTSD症状と強い関連があった。また、活動が行われたのはコロナ患者数が急増する直前だったため、普段の勤務先である医療機関との温度差や、派遣後の就労が2週間禁止になることが事前に知らされていなかったことなどでさらに負担を感じる隊員もいた。支援をする側を守らないと有効な救援活動ができない。支援者、救援者に対して緊急事態の元でも医療従事者の環境をよくすることが非常に大切であることが強調された。

③セルフケアとトラウマインフォームドケア(TIC)

では、トラウマティックを受けた場合、メンタルヘルスの観点からどうするべきなのだろうか。一つに自分自身で精神状態を整えるセルフケアのアプローチが挙げられる。セルフケアについて、心理療法を通して偏った考え方を修正する方法、ヨガや呼吸法など体の末端部分から脳に働きかけて修正する方法がある。そして別の方法としてトラウマインフォームドケア(TIC)すなわちトラウマを念頭に置いたケアが挙げられた。

具体例として、診察では単なるアルコール依存症の症状だったとしても、その人はトラウマティックストレスからの回避症状としてアルコール摂取に追い込まれているかもしれないという例が提示された。様々な疾患の患者のケアの背景にトラウマ体験の結果PTSD症状に繋がったということを想定してケアすることを指す。

TICは専門家が使うテクニックというよりも、患者と接する全ての人が対象となるものだ。友達同士、自治体の担当者のような身近な立場の人がTICを持って接することができるかどうかがPTSD症状の発症を大きく予防するのだ。TICは患者の恐怖を緩和することはもちろん、治療を行う側、患者に寄り添う側にとっても治療がうまくいかないことで燃え尽きてしまうことを防ぐ役割もあります。

患者に対して専門家だけではなく、社会全体がトラウマを想定して接することができるかがコロナ禍でストレスを受けた人たちへの1番の処方箋なのです。

本講義は最後にNHKで放映されたドラマ「心の傷を癒すということ」の紹介で締めくくられました。

「世界は⼼的外傷に満ちている。”⼼の傷を癒すということ”は、精神医学や⼼理学に任せてすむことではない。それは社会のあり⽅として、今を⽣きる私たち全員に問われていることなのである。」

メンタルヘルスと聞くと精神医療や精神病といった医学に関わる言葉が想起される人もいるかもしれない。今回のコロナ禍では自治体が病院関係者に感謝のメッセージを発したり、感謝のライトアップや灯籠流し、医療関係者に拍手を送ったりなどの試みも見られた。CBRNE災害の矢面に立ち戦う医療関係者の方に改めて感謝の気持ちを表明するとともに今後も継続的に感謝の気持ちを表したい。

知らず知らずに引いてしまう「精神疾患と自分との壁」コロナ禍は私たちに「頑張っている人を労い労わる」という大切なことを再認識させたのかもしれない。

(文責:岩永淳志)

コメント(最新2件 / 28)

musashi1825    reply

非常に興味深く聞かせていただきました。社会的に、感染者への支援が真っ先になされ、それを支援する医療従事者の精神面を含めたケアが、手薄になっているのは、問題であると考えました。
講義の中で、COVID-19に特徴的なのが、失禁しそうになる、気を失いそうになるというのがあったかと思いますが、先生は、これの原因として、マスクや防護服などに原因の一端があるとおっしゃっていたかと思います。私は、これらのポイントが精神的な問題を明らかにするための問いだと思っていたので、ゾワっとして失禁しそうになるとか、あまりの事態の凄惨さに気絶しかけるのようなものだと思って話を聞いていました。ダイヤモンドプリンセス号では、完全に内的要因だけでは説明されない、外的要因のように思われる防護道具が、精神的に悪影響を及ぼした、という理解でよろしいのでしょうか。

5325ryo    reply

自分にとってのコロナウイルスは、自分の新しい可能性を気づかせてくれる存在でした。この講義内容とは反していくらかポジティブな見方ですが、特にこのことを強く感じたのは大学の授業です。コロナの流行前は僕はサークル活動やクラス活動に明け暮れ、授業をなおざりにすることもしばしばありました。テスト勉強は(語学以外は)付け焼き刃のもので胸を張って東大生だと言える状態ではありませんでした。しかし、オンライン授業になってからは、アーカイブから何度も授業を視聴できることや、stay homeする時間が増えたことにより以前よりも意欲的に授業に参加するようになりました。また、これまでは決まった人とばかり関わってきましたが、オンラインで人と会うことは自分にとって普段よりも障壁がなく、国内外や理系文系問わない多くの人と交流するようになりました。もっとも以上のことは、単位をある程度1年時に取得しきった2年生だから感じえた余裕と可能性であり、実際に週に十数コマオンライン受講をしている友達のなかには苦言を呈しているものも多かったです。

この授業を受講して感じたことは、自分がこれまで狭い視点でコロナの影響を感じていたということです。コロナウイルスのような人の命を危険に晒すレベルの脅威に直面するとき、人はおそらく他人のことを考える余裕がなくなり自分の生存を優先するようになると思います。これは自分の場合にも例外ではなく、僕はこれまでもともと何の疾患やdisabilityのない自分という視点からコロナ禍を捉えており、最近では「なんだかんだ大丈夫だろう」と以前ほどの危機感は薄れています。しかし少し視点を変えると本来厳しい状況にある方々(身体障害者や精神障害者、人種的マイノリティ、高齢者、妊婦)が感じる心理的不安や障害は自分に比べてずっと大きなものであり、その人たちの視点になって考えたときに自分の行動も反省することができると思いました。例えば医療従事者たちが被った誹謗中傷などは、彼らへの理解が一般の方達の中で少しでも進んでいれば軽減されていたことであり、僕自身もコロナが及ぼす影響を様々な視点でこれからも考えていきたいと思います。

1k_neru    reply

貴重なお話ありがとうございました。医療従事者に関するお話については、周りにそういった関係者が少なかったこともあり新鮮でした。PTSDなどの精神疾患を患う要因は様々ということですが、実際に事が起こってしまった今、医療従事者をはじめとする先端に立って下さっている人たちを守るためにわたしたちができることは、やはりその任務への理解と配慮ではないかと考えます。ですが、逆にそうした方々に感染の疑念を抱いている人たちも精神が過敏になっているのは事実だと思います。医療関係者として、両者の認識の齟齬を解消するにはどうすればよいとお考えでしょうか。

mermaid592229    reply

まず、私にとってコロナウイルスとは、という観点でコメントをしたいと思います。私は、コロナウイルスに対して、2つの印象を抱いています。1つは、本日西先生がおっしゃっていたように、人々の間の差異を露呈してしまう存在だということです。経済格差、教育格差、いじめや差別、家庭内暴力を始め、健康面にも多大なる影響を与えていると感じています。また、外出に対する人々の考え方の差異なども現れることによって、価値観の違いも表面に出てしまい、摩擦を生じる原因にもなってしまいます。そう言った面では、本日のメンタルヘルスケアのお話にもあったように、それぞれの人に対する適切なサポートや、自分に対するケアなどが必要です。その一方で、コロナウイルスは私たちの既存の価値観に大きな変革をもたらしたものであると思います。都心集中主義からリモートワークへ、対面で会えるありがたさとオンラインならではの良さ、自宅での過ごし方や人との関わり方など、そう言ったこれまでの価値観を問い直すきっかけとなったという点では、ポジティブに捉えることのできる面もあるのだと思います。

次に、本日の講義についてですが、まず医療従事者の負担の大きさが問題になっている現在において、研究を元としたメンタルヘルスの状況について知ることができ、非常に勉強になりました。特に、失禁しそうになる・気を失いそうになると言った項目がPTSD症状と関連があるというデータは興味深く、医療物資の不足や現在の労働環境が大きなストレッサーになっているということを実感しました。また、周囲からのサポートが必要であり、全ての人がトラウマティックストレスについて知る必要があるという点について、身にしみてこう言った考え方を広める必要性があると感じます。まだ多くの人がコロナウイルスに対する恐怖を抱えている中で、誰かが感染しているのではないかという目を向けて生活をする人が多く、医療従事者や他者に対しての思いやりを持つことが難しくなっているのかもしれません。そんな中でも医療従事者をはじめとした他者への思いやりと感染予防対策が両立できるよう、メディアなどの媒体を通じて発信していく必要があるのだと思います。そして、トラウマティックストレスはどんな人にも起こりうることであるからこそ、より身近な問題として全ての人が知ることによって、コロナ禍に限らずポストコロナの時代においても、他者を尊重し合い、自分の言動を見直すことができるようになるのではないかと感じました。これをきっかけに、自分自身もTICという考え方について、また自分自身のケア、他者の心のケアについて知り、活用していきたいと思います。

Kon1019    reply

現場に近い先生の講義で、より深く新型コロナについて考えるきっかけになりました。特に自分のような医療に全く関わりのない人間もTICの対象であり、トラウマに関する一般的な知識を身につけておくのは必要なことだと感じました。
少し違和感というか疑問なのですが、「医療従事者に感謝を」というメディアのメッセージが強すぎるように感じるのですが(そこまでしなくとも大半の人は心の中では感謝していると思うし、学校全体で拍手している映像には少し違和感を感じました)、あれは医療従事者に対する差別的な考えを無くそうという意味合いが強いのですか?
個人的には、コロナ禍になって自宅にいる時間が圧倒的に増え、色々なことを考えるようになりました。特に、人間関係という面において考え直すきっかけになったし、人間は絶対に一人では生きていけないということも実感しました。良くも悪くも今後の人生に大きく影響を与える出来事だと思います。
科学技術が急速に発展してあらゆることができるようになった人間が、ウイルス1つでこんなにも混乱することには非常に衝撃を受けたし、逆にこうした大きな自然災害やパンデミックによって世界は変わっていくのだなと思いました。

yasu1026    reply

第一回ということで疫学的な話であるかと予想していてたが、COVID-19とそれに伴うメンタルケアの講義であった。意外ではあったが、1時間半の講義の後にはなぜ1回目にふさわしい内容であったかが理解できた。このパンデミックに対して最前線で闘う方々のメンタルケアが怠っている、という深刻かつ見逃すことができない状況について知ることができた。講義を聞いた率直な感想としては「これほど待遇が悪いのに、職務を終えた後も周りから差別偏見の目を向けられる可能性があるのに、最前線に立つ方々はもっと讃えられるべきなのではないか」というものを持った。私人個人としては世間にもっと理解を得られることを願うしかないのだろうか。医療従事者も様々なことを賭けて治療に当たっていただいてるのに、どうにか待遇の改善はできないのだろうか、と思った。COVID-19にとらわれる問題ではないが、これから悩んでいる人に接した時に専門家ではないが、TICを念頭に置いた行動ができるように意識していきたいと思った。

cf1133    reply

私は部活動に所属しているのですが、上京の目処が立たなかったために1ヶ月間参加できず、技術面でも人間関係の面でも遅れをとりました。このような経験からコロナウイルスが自分に与えた影響への大きさを実感し、本講義の受講を決めました。
専門的な話もありましたが、自分が「支援者に対するケア」という視点を見落としていたことに気づかされ、非常に興味深い講義でした。私のような人は他にも多くいると思うので、医療従事者が心理的苦痛を受けているという事実が周知されることが解決の糸口になるのではないかと思います。

kou0907    reply

COVID-19に最前線で対応している医療現場の人々が過度な労働や低賃金労働を強いられ、周りの人も厳しい目を向ける。この悲しい現実をニュース等で見聞きするたびに心苦しい気持ちになるが、本講義でその精神的苦痛の叫びをデータで見せられることでその従事者のメンタルケアがあまりに不十分であることを思い知らされた。その苦悩をしっかり理解すること、またその理解を態度で表して医療従事者のストレスを軽減していくことが私たち一般市民に必要である。ニュースやワイドショーでは逐一クラスターが起こった病院を病院名をあげて報道しているが、確かにその病院のある地域に住む人々には重要な情報だが、その反面このことが医療従事者のストレスにつながるのではないか、と思う。

nori1121    reply

医療従事者のトラウマティックストレスに関する講義、大変興味深い内容でした。
コロナウイルスが話題になり始めてから、私自身は「感染したくない・家族に感染させたくない・外出自粛せねば」程度のことしか考えておらず、コロナウイルスが生物災害だといわれても”災害”という言葉があまり似つかわしくないと思っていました。なぜなら、私は”災害”という言葉に対して”人類がどうすることもできない自然の脅威”というイメージを持っていたからです。ある程度気を付けていればかからないだろうし、死亡率もそこまで高くないから”災害”というのは大袈裟すぎるのではないか、と高をくくっていました。
 しかし、今回の講義を聞き、考えを改めました。医療従事者は感染者と接触することが避けられず、その上世間からは厳しい態度を強いられる。コロナ患者に対する治療・対応を最前線で行っている医療関係者(DPAD・DMAT)の方々は本来称賛されるべき人達です。自分たちがいつ感染してもおかしくない状況に身を置きストレスを感じる上に、彼らが感染者と同様に煙たがられてしまいさらにストレスを抱えてしまう。このようなどうしようもない状況を作り出してしまうコロナウイルスはまさしく”災害”なんだと認識しました。
 その問題から展開して後半触れられていたTICについては、ストレス社会といわれる現代で生きていく上で大変重要な考え方だと感じました。友達からの悩み相談でトラウマを呼び起こしてしまう、などということも考えられるので、精神科医だけではなく、一般人である私たちもTICの考え方は重要であると気づくことができました。アメリカでは既に法律も制定されているということで、日本でも一般常識となるようにまずは自分から理解を深めていきたいです。

TICについて考えるなかで一つ疑問が浮かびました。上でストレス社会という言葉を使ったのですが、最近、テレビやネットを見ていると、精神疾患の病名をよく耳にします。診断したらADHDでした、アスペルガー障害でした、朝起きられないのは怠惰ではなく病気でした、といったふうにです。これは実際に現代のほうがストレスが多く、昔の人々に比べて精神疾患を患っている確率が高いのでしょうか。それとも精神科分野の研究が進み、病名をつけることができるようになったからなのでしょうか。専門家の先生の意見を聞きたいです。

Ugetsu5    reply

講義の内容としては、DMAT/DPATといった支援者側のメンタルヘルスに関する話、ケアの手法に関する話の二つが中心でしたが、個人的には後者がより印象に残りました。
PTSDの治療に関する社会的サポートの重要さ。患者などの現状がトラウマを反映したものである可能性を考慮して関わるTICという手法。この二つについては、社会的、包括的なケアを志向している点で、(医療と直接の関係は無いものの)倫理や哲学とも通底するところがあるように思われます。差別がトラウマの一因に挙がっていることからも、解決すべき問題としては倫理学などと符号するかと思います。
多分に個人の興味を含むコメントで申し訳ありませんが、医療的なケアや知識の提供に限らず、(差別への対処、十分な精神的サポートの提供という点で)社会制度の設計といった側面からも、支援者側への精神的ケアの問題にはアプローチできるのではないかと感じました。

最後に、自分にとってのコロナ禍の経験ですが、生活の無気力化や画一化と形容しておきます。生活が新鮮味に欠け、新しい体験も少ないためか、ここ数ヶ月の記憶が非常に少なく、心なしか時間の経過も早く感じます。

mizutatsu0116    reply

私はコロナ治療に尽力する医療従事者を見て、彼らがコロナに感染しないか心配していたが、それだけでなくトラウマスティックストレスに襲われ、様々な症状が現れる恐れがあるということを今回の講義を通して学んだ。講義の中で印象的だったことは、差別や誹謗中傷を受けることによってトラウマに襲われる確率は高まるが、逆に周りの人が彼らの現状を十分理解し、彼らの話を聞き、その大変さに共感すれば、トラウマに陥る可能性は軽減されるということだ。すなわち私たちの行動でトラウマ被害から彼らを守れるのだ。これからはコロナ治療に尽力する医療従事者に感謝し、理解を示していきたい。また彼らをメンタルヘルス面で支える仕組みを国は構築するべきだと思った。
またトラウマ体験は話されにくく、その症状は外からは見えにくいため、TICの有効性を感じた。患者、治療者相互のとって良い治療法だと思う。トラウマは何気ないわたいたちの言葉から再発する可能性もある。コロナ渦で世間が安定していない今こそ、今まで以上に配慮ある言動が求められているのだろうと思った。

minami373    reply

今年の春、夢と希望に満ち溢れ晴れやかな気持ちで入学を迎える…はずであった。しかし、思い描いた大学生活、ましてや普通の生活でさえも新型コロナウイルスによって早々に打ち砕かれてしまった。コロナによって私たちの生活は大きく変わっていくだろう。オンライン化の波。私にとってコロナの経験とは、人と人が実際に顔を合わせることの大切さ、肌で感じる体験の真の価値を改めて実感するものであった。そして、この状況にただ絶望するのではなく何かを早くに学び取るべきだと感じ、この講義に参加することにした。
そんな私がコロナについての諸々を感じ始める前に、大変な経験をしていたのが今回の講義で取り上げられていた医療関係者の方々だった。感染リスクに晒された環境という理解はあったが、その後の精神的苦痛については表面的な情報しか得ていなかったため衝撃が大きかった。感染者のメンタルヘルスケアをする人、またその人のメンタルヘルスケアをする人、またその人の…と考えるとキリがない。いかに社会を構成する一人一人の行動が大切か見えてきた。他者の内面は直接アクセス不可能なものであり、自己の心を基に他者の心情を類推する。しかし、トラウマティックな出来事というのは極めて稀な個別の事象が多く、想像力を働かせなければ他者を思いやることはできない。家に籠っていることで鬱になってしまう人も、何かトラウマを抱えているからかもしれないというお話にはハッとさせられた。これからもコロナで精神的苦痛を感じる人はたくさんいるだろう。忌々しい新型コロナウイルスでも、人々が「思いやりの心」を思い出すきっかけになって欲しい。

kohei8192    reply

ちょうど授業の直前まで「1984年」を読んでいたので、「日常」を政府が定義することへの危惧には強く共感した。
3月ごろの報道では「ダイヤモンドプリンセス号」での救援活動が批判的に取り上げられることが少なくなかったように思う。乗客乗員のストレスが大きく、不満が出るのも当然かと思うが、そうした不満に基づいた批判は、被支援者にしか注目しておらず支援者のケアがないがしろにされる典型だと思った。

LP37    reply

DMATの方々のPTSDの症状として「失禁しそうになる」「気を失いそうになる」が挙がっており、いかに極限状態であったかを感じることができた。人命を救いたい思いで出動されたにも関わらず、その後に職場や家庭で冷たい扱いを受ける心境は如何ばかりかと胸が痛くなった。今回の感染症では身体的のみならず精神的に追い込まれた方も多くいらっしゃるので、そうした方へのサポートが身近に広まっていけば良いと感じた。

TS34    reply

新型コロナウイルスによる医療従事者への過度な負担が叫ばれる昨今、被支援者のみならず支援者にも目を向けることが大事であると再認識した。特に、医療従事者が活動後に家庭や職場で冷遇される現状は彼らにトラウマを与え得る大きな要因となっているため、社会全体として活動後の医療従事者をサポートしメンタル面での負担を減らすことが重要であると感じた。また、こうしたトラウマを抱えた人を支えるためのTICという概念を初めて知り感銘を受けた。トラウマの影響による行動に心ない言葉をかけられトラウマの傷が深まるという再被害がある以上、様々な行動の背景にトラウマがあるかもしれないと配慮することは大切であり、これは全ての人が理解しておくべきことであるのでTICは教育の一環として浸透していくべきものだと感じた。

sandy67123    reply

自分にとってのコロナ体験というのは、人との関係の変質だったように思えます。それまでは毎日のように誰かしらに対面で会うのが自分にとって普通であったのですが、一人暮らしをしているというのもあり、自粛によって一切人と会わない生活が長く続きました。はじめは人と会わないことによってあまりにも大きく増えた独りの時間に困惑しましたが、次第には会わなくても済むようになりました。それは恐らく、孤独というストレスからのdistractionが「人と出会うこと」から「本や映画と向き合うこと」に転嫁されたからだと考えています。自粛期間が終わった今でも友人と面会する時間は圧倒的に減りましたし、ほとんど会いたいという欲求も無くなりました。単純に人と会わないことによるストレスに慣れてしまった、と考えることも可能かとは思いますが、孤独からくるネガティブな心の動きを自分でコントロールできるようになったのだ、とポジティブに捉えることにしています。

ultra100    reply

COVID-19が拡大を始めた2、3月の医療状況を思い出しながら、DMAT・DPATが救援活動をしていた状況を知ることができ、さらに病院外という特殊な状況下で未知の感染症の救援活動を行なった医療従事者のメンタルヘルスを調べた研究を見ることができた。アンケート調査結果などを通して、苦しい環境の中で重い労働をしていた人たちがどのような気持ちを抱いていたのか知ることができ新鮮だったし、日々感染のリスクと隣り合わせであったことは、かなりの重荷であり、何か別のトラウマの背景がある人などがもしいたら、要因が重なって苦しい経験をした人もいるかと思う。DMATの方がDPATよりもPTSD症状確率が高そうである要因は、DPATはメンタルケアなどを専門にしているから自分の状況もメタ的に捉えることができるが、DMATはそうはできず、自分をコントロールできなくなってしまうかもしれないというケースもあるのかなと思った。TICについては、専門医でもない僕たちが、他人と関わるとき、もしかすると問題を抱えているその人は、トラウマの背景があってそれにより引き起こされた影響や症状や現状にあるかもしれないということを念頭に置いておくことが非常に重要だということを納得できたし、トラウマ体験を自らは話せない人がいることを理解し、想像してケアして、人と関わるようにしようと思った。

yjiro1638    reply

僕はもともと活動的な人間ではなく、新型コロナの影響での自粛はそれほど苦痛なものではありませんでした。むしろ、授業など受ける際にわざわざ登校しなくていいなど、楽だと感じる部分もありました。ですがその裏で、自粛要請により生活が困窮した方々や、大学でも僕たちに何としても学びを届けたいと苦労してくださった方々、過剰なストレスを抱えた医療従事者の方々などがいらっしゃることも事実で、僕たち学生はそういうことを正しく、幅広く知ることが最低限必要なことではないかと感じたのが、僕のコロナ体験の一つであるように思います。今回の講義で特に印象に残ったのはTICに関する話でした。相手がトラウマを抱えている可能性を考慮し、配慮するという考え方は、いわゆる「思いやり」の一つの具体例であるだろうし、日々他者とのかかわりの中で持っておかなければならないと感じました。また、それに伴って、トラウマに関する広範な知識を持っておくこと重要さを強く意識していこうと思いました。

taki3    reply

最初に、私にとってのコロナの経験について書きます。この状況下での一番大きな経験は、コロナの流行のために上京を諦め、地元に止まったことです。上京して様々な刺激を受けることは楽しみでしたが、諸々の事情もあり断念しました。しかし、そのことがかえって地元への愛着を高めてくれたように思います。地元の遺跡や博物館を巡ったり、郷土書を読んだりは良い経験になったのではないでしょうか。地元について研究をしたいという気持ちも芽生え、良かれ悪しかれ人生の転機になったのではないかと思います。一方で、人との直接の交流は激減し、深い関係は育成できないが、オンライン上での交流は増え、知り合いの数自体は以前よりも増えたのではないかと思う。だが、それはフラットな関係とでもいうべきか、どの知り合いも認識の程度が同じくらいで、友人としての親しさの深さや浅さが生まれず、若干奇妙な関わり方であるように感じる。私は、全体としては、コロナの経験が大きな転機となったように思えるため、辛い経験ではあるものの、肯定的に受け入れている。

続いて西先生の講義の感想を述べさせていただきます。講義の前のトラウマに対する印象は、トラウマは精神的なもので、医療というよりもカウンセラーなどの心理的な分野に関連するものだというものでした。また、カウンセラーなどは切羽詰まった医療現場よりも、生活に余裕のある人たちが自身について悩んだりするときに利用するものだと考えていたため、災害現場での精神のケアなどの存在は知っていたものの、医療現場ではトラウマなどについて考えないのだろうと認識していた。しかし、実際の現場ではDMATだけではなくDPATも派遣され、災害現場でも(だからこそ?)精神的なケアが重視されていると知り、その重要性についてある程度分かったように思う。また、TICなどの考えは医療に携わる人以外、それこそ私自身にもためになるものであると感じた。トラウマなどの知識をしっかり得て正しい行動を取れるよう心がけたい。

mytm1187    reply

とてもためになる講義でした。ただでさえいつ自分も感染するかわからない環境で感染者のために努力されている医療従事者の方々に対してアメリカはヒーロー扱いをしているという話をニュースで聞いたことがあるのに、差別的な扱いをする日本の現状をしって悲しくなりました。ダイヤモンドプリンセス号のパンデミックの報道は主に主眼が感染者および一般乗客の方にあり、医療従事者および乗務員は焦点が当たらないどころか対応に関して批判的な報道も一部あった気がしますが、もっと積極的に医療従事者の過酷な労働状況を世間に知ってもらい、ねぎらいの言葉がもらえるようになるだけでもだいぶトラウマになりにくかったりすると思うので報道も大切だと思いました。そのようななかで自分は家に長く引きこもっていたことで一時期何事に対しても無気力になってしまったということがありました。確かに第三者から見れば引きこもっていただけですが自分としてはとても辛かったので、TICという考え方がいかに大切かということが身に染みて実感されます。自分も人にTICの考え方を持って接するべきだと思いました。また今回セルフケアの方法についても教えていただいたので今度精神的に応えるようなことがあれば実践したいと思いました。

tetsuya1221    reply

私にとってのコロナの体験は孤独を感じるものでした。新しい環境に行けると期待していたのですがすぐに実家に戻ってしまい、高校の延長のような生活を送りました。新しい友達もできず、どこかに遊びに行くこともできず、やる気も起きない日々でした。その一方で人と関わることの大切さも感じる期間でもありました。友達とZOOMで会話をしたり、軽い登山をしたりするととても気持ちが晴れました。
この講義は一つの問題にそれぞれの学問領域がどのような視点からアプローチするかをタイムリーかつ社会的に大きな問題であるコロナを通して考えることのできる貴重な経験だと思います。次の講義も非常に楽しみにしています!

yuki28    reply

新型コロナウイルスに感染することに対する恐怖が精神的な影響を及ぼすという観点をこれまで見落としていたので、今回の講義はとても興味深いものだった。医療従事者などの支援者は感染への恐怖と闘いながら、感染者を支援しているということを考えると、医療従事者に感謝し、応援するのは当然だと感じた。新型コロナ関連のニュースでは、感染者への誹謗中傷などのマイナスのものしかないように感じてしまっていたが、医療従事者を支援しようとする人々もいることに目を向けるべきだと感じた。コロナ渦の中で感染の恐怖と闘いながら感染者を支援してきた医療従事者へ感謝するだけでなく、彼らが精神的に危険な状況にあることを理解して、社会全体で取り組むべき課題の一つとみなすべきだと思った。

GFree59    reply

(遅ればせながらのコメントになるため、講義の内容との重複等があるかもしれません。)
 今回の講義、特に講義の後半の内容を興味深く感じつつ聞いていました。DPAD・DMAD隊員のメンタルヘルスに関する研究の結果・考察内容を見て、隊員達の対応するCovid-19の感染症としての特性(やそれへの対抗策)が与える心理的な影響がどの程度あるのかが気になりました。当時の段階で、Covid-19の感染経路や潜伏期間がはっきり分かっていない状況の中でそれらに対応することへのストレスが十分にあったことが想像され、その点でも感染症に対応した医療従事者の精神状態について取り扱ったこの研究を応用できるのではないかと思いました。トラウマに対するケアの方法や、TICを念頭においた患者への対応については、あらためて実際に対応する患者個人を想定することの重要性を感じました.。

kamiwafu8746    reply

私にとって新型コロナウイルスは、今まで歴史上での出来事としてしか捉えることができなかったパンデミックを当事者として考えさせられるような存在です。具体的には、スペイン風邪の時代の知識として知っているように、国家や共同体の形が変わっていくさまを当事者として捉えるようになる一方、日本では活動自粛や感染防止策にみられるような人類の進歩をも感じることができました。

さて、今回の講義では最前線に立たれている方々のメンタルヘルスの問題があることを学びました。今までコロナウイルス感染者や社会経済にばかり目をむけておりこういう視点に欠けていたと感じました。医療行為をうけるにも人の手が必要で、待遇の改善など具体的な改革が望まれると思います。

morita1016    reply

自分にとって「コロナの経験」はつらさを伴うものだった。人の移動が制限され、勉強場所だったキャンパス内の食堂や図書館には入ることができない。旅行に行くなど論外である。必然的に自宅に籠らざるを得ず、単調な日々を過ごした。友人と会うこともほとんど無くなった。オンラインで会話はできるものの、やはり直接会って会話をするのとは訳が違う。ありきたりな言葉だが、改めて友人と会って他愛もない会話ができることのありがたみを実感した。
DMATについては以前から存在を知っていたが、その精神科版といえるDPATは今回の講義で初めて耳にした。コロナ禍のような災害によるトラウマティックストレスの影響は後々まで付きまとうものであり、しかもトラウマティックストレスを持つ可能性のある人々の範囲は自分が想像していた以上に広いことが分かった。トラウマティックストレスを未然に防ぐDPATが果たす役割もDMATと同様に大きいものだろう。DPAT隊員の報酬があまり高くないという話が講義中にあったが、精神医療の果たす役割の大きさが日本において更に認知されることでこの問題は解決されるかもしれない。

aim180    reply

私にとってコロナウイルスは、「初めての災害」でありました。地震や台風による災害で大きな被害を受けるのは特定地域に住んでいる人々であり、それ以外の人々はテレビ越しにしかその災害の大きさを感じることはできません。私は幸い、生活に大きな影響があるレベルの災害に遭わずに生きてきました。それに比べると、コロナウイルスによる災害は、世界の人々全員にとって非常に身近である点で特殊です。外出自粛が要請され、町を歩く全員がマスクをつけていて、活気はありません。Sセメスターは全ての授業がオンラインになり、3週間外出しない期間さえありました。誰もがこういう生活を強いられています。そういう意味では、コロナウイルスの流行は未曾有の大災害といえると思います。
そして、この身近さが遠因となり、最前線にたつ人々に思いをはせる余裕がなくなったようです(自分含め)。「自分も大変なのに他人の心のことなんて」という考えがありました。
「トラウマ」は災害による深刻な被害でありながら「外から見えにくい」というのが、講義での印象的な部分でした。この災害の真の怖さを感じました。これは物資を投入し続ければ元に戻るようなものではありません。周りの人々のケアが必要という考えには強く同意します。しかし、身近な災害であるために、さらに外から見えにくいために、医療現場で闘う人々への思いやりがかけていると考えられます。この現状には危機感を覚えます。心の問題の重要性を感じ、コロナ禍をきっかけとして、見えない心の問題について理解することが大切だと考えました。

Polaris_737    reply

大変興味深く、また面白い話をしていただき、ありがとうございました。今まで自分は、医療従事者の方々が経験する苦労を物質的な面からばかり考えており、精神的な負担にはなかなか考えが至らなかったため、今回このような貴重なお話を聞き、新しい視点を持ってニュースを見ることができるようになったと思います。また、同じように、物資面の負担ばかりに焦点を当ててしまい、精神面の負担にはなかなか思いを馳せることができない自分のような人が多いと思われるので、このような考え方を広く周知していく必要性があると感じました。
個人的には、コロナウイルスがもたらした経験の中で一番大きかったのは、「今まで当たり前だったことの多くが解体され、再構成される中で、それらの見直しが行われたこと」だと思います。その一例としては、対面授業が挙げられます。就学してから去年まではずっと、対面で授業を受けるという行為は至極当たり前のことであり、そのメリット・デメリットなどは考えたこともありませんでした。ですが、一度全面的なオンライン授業を経験し、その後一部の授業に限ってキャンパスに行くという過程を経る中で、対面授業が今まで自分たちにもたらしていた恩恵や不便についてじっくりと考えることができました。また、旅行についても同様の経験をしました。今までは、旅行とは(予算と時間が許せば)好きに行けるものであり、旅が自分に与えてくれるものについて一歩引いた視点から考えることはなかなかできていませんでした。ですが、緊急事態宣言が出され思うように旅行ができない日々が続く中で、旅行をしたいという思いが募り、ではなぜ自分はこれほど旅に出たいのか・今まで自分は旅をすることで何を捨て何を得てきたのか、という問いに対して落ち着いてまとまった答えを考える、という作業ができるようになりました。
「失って、初めて気づく、大切さ」という言葉がありますが、コロナウイルスは自分が今まで生きてきた中で、この言葉を一番骨身に沁みて分からせたものであると言えるでしょう。

西大輔    reply

この質問紙が開発されたときは「ゾワっとして失禁しそうになるとか、あまりの事態の凄惨さに気絶しかける」というような意味でこれらの項目が作成されたと思います。今回のDMAT・DPAT隊員の方々の中にも、そのような精神的な反応を示された方もいらっしゃったかもしれません。ただ、おそらく、失禁しそうになったり気を失いそうになった方の多くは、マスクや防護服などの影響を受けたものだったと私は理解しています(活動された隊員の方からそのような話を聞きましたので)。マスクや防護服は活動を行う上で必要不可欠なものですが、それらを身に着けて長期間の業務にあたるのは過酷なことであり、その過酷な業務の中で十分な休息等が確保されなかった(だからこそ失禁しそうになったり気を失いそうになったりした)ことが精神的に悪影響を及ぼした、ということが研究結果からは示唆されると思います。

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