ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第11回 12月16日 綾屋紗月

当事者研究とともに生きる

当事者研究とは、2001年に精神障害のある人々とその支援者によって生み出された、自分自身の抱える苦労や困りごとを仲間と共に研究する取り組みである。本講義では、当事者研究誕生の歴史と方法、自閉スペクトラム当事者である講師自身の当事者研究について述べる。また、コロナ禍における発達障害者の当事者研究会の取り組みと、その研究会の中で語られた、コロナ禍で発達障害者が抱える不安や困りごとの一部を紹介する。

講師紹介

綾屋紗月
東京大学先端科学技術研究センター特任講師。自閉スペクトラム当事者。幼少時より発声困難や原因不明の虚弱体質ほか、人とは異なる感覚体験を抱え、「自分は何者なのか」という問いに苦しみ続ける。2006年に診断を得てからは、精神障害や発達障害など、外側からは見えにくい症状を内側から記述し、仲間と共に自らのメカニズムを探っていく「当事者研究」をおこなっており、2011年からは発達障害者が中心となって運営・参加する当事者研究会を主催している。また近年は、当事者研究の歴史・理念・方法についての研究にも取り組んでいる。著書に『発達障害当事者研究』(共著:医学書院)、『増補 前略、離婚を決めました』(よりみちパン!セシリーズ)、『つながりの作法』(共著:NHK出版)、『ソーシャル・マジョリティ研究』(編著、金子書房)など。
授業風景

2020年度第11回学術フロンティア講義では、12月16日に東京大学先端科学技術研究センター特任講師綾屋紗月先生に登壇いただき、当事者研究と障害、そしてコロナ禍での当事者研究が置かれた課題についてお話しいただいた。

綾屋先生自身が当事者研究に到るまでにも様々な物語がある。その中での大きな挫折が、高校一年生の時に教科書を見れなくなったことだった。文字がちらついてしまい、読み上げることができなくなった。「人と繋がりたいけど繋がれない」という、居場所のなさや孤独感に対する焦りも積もりつづけていた。コミュニケーションの齟齬を克服するべく、大学時代に手話を覚えた。しかし、聞こえるがコミュニケーションがうまくいかない綾屋先生は、手話通訳をしようにもうまくいかなかった。聞き取りや手話でのコミュニケーションができる聴覚、発声に問題がない人に対して、コミュニケーションで聴覚障害の方と健常者とを繋がなくてはいけないというプレッシャーの中で、なんで私はうまくできないのだろうというと戸惑った。

自分が抱えているこの困難はなんなんだろう。そう思いながら、図書館や本屋に行くたびに自分に近い人の話が書いていないか探していた。そして、30歳を過ぎた頃に、アスペルガー症候群の当事者の考えていること、思っていることが書いてある本と出会った。書いてある内容が自身の「症状」に近いと感じて、病院で診察を受けた。まず、自分がどんなものなのかということがわかることはとても大事なことだった。しかし、自分が何者かわかったが、それで解決するように簡単にはいかなかった。社会性やコミュニケーションに困難を抱えて、こだわりが強いというアスペルガー症候群という人たち。それが逆に人と人とのすれ違いが「綾屋さんのせい」になってしまうようになった。

そもそも、コミュニケーションとは相互作用であり、齟齬があったときに人のせいにするのはおかしい。しかし、自閉症や精神障害のような診断名は、コミュニケーションが取れる人と取れない人と区別し、医学もそれを結果的に後押ししてしまっている。コミュニケーションがうまく行っている多数派と、個性を持った少数派の人たちとのギャップをより広げて決定的なものにしてしまっているのだ。

障害は、医学的に治すものという個人的なものではなく、マイノリティーをのけ者にしないようにするという社会モデルに注目するべきだという考え方がある。これを踏まえて自閉スペクトラム症を考えると、標準から外れた身体特性と、少数派の身体特性を持った体が多数派の社会に関わった時に起きる障壁、の二種類の障害があるのではないか。その両方を特性の違いのせいにするという社会の捉え方に問題があるのではないか。社会に関わった時の障壁は必ずしも身体障壁のせいだけではない。

そんな思いを持っていた時に、困りごとを抱えた本人である当事者が自分のことを研究するという「当事者研究」と出会い、自身も当事者研究をすることにした。

当事者研究は2001年、北海道の「べてるの家」で生まれた。仲間の力を借りながら、自分のことを自分自身が研究して行こうという取り組みだ。アスペルガー症候群とは何かなどの定義を話すのではなくて、「私自身に何が起こっているのか、何を感じているのか」を詳細に記述する。

例えば、綾屋先生自身の例では、

「私はお腹が空いたという感覚がわかりにくい、鼻水が出る、寒い、足しびれた、という情報があちらこちらに出てきていて、それがそれぞれ『お腹が空いた』という感覚のことだと気づくのに二食以上経過してしまってしまう。その時には体が動けなくなっていたりしていて助けを呼ぼうにも呼べなくなってしまう」

という記述になる。

道に落ちている小さな葉っぱの模様が気持ち悪いことが目に入ったり、にぎやかな場所だといろんな情報が頭の中に溜まって行ってしまう。教室の反響音や、自分の話す音の跳ね返りでもうまく聞き取れないようになってしまう。

以上の例を違う視点で言えば、全体のものを見ているときに、綾屋先生はもっと小さなものを見ていると言える。原っぱに紫の雑草が生えている、と言ってもいろんな紫の花があるし、そもそもそれは花なのか?細かいことに目が向くので話についていけなくなることも多かった。文字を読む上で、形をまとめ上げることにも困難がある。単語も、小さな部分がちらついて見えてしまい読むことができない。

以上をまとめると、「多くの人よりも細かくたくさん情報を受け取る」という一時的な身体特性が、多数派の身体特性が作り上げた社会のルールやコミュニケーションに参入した結果、「社会性、コミュニケーションの障害」と呼ばれるすれ違いが生じている。ということになる。ここで大事なのは、コミュニケーションの障害の手前に何があったのかに注目することだ。

当事者研究のポイントは、問題を持っている本人という、問題と本人を一緒くたにすることに一石を投じることだ。問題の当事者が、他人事のように考えることで問題を「外在化」する。そこには当たり前を壊す力がある。医学的な定義や、先輩が語った経験という「当たり前」が自分に合わないと、「本物ではないのか?」という不安を抱いてしまいがちだ。自分自身の経験を分析して、説明できる言葉を作り出す。言葉が広がる新しい概念や言葉が通じることができる。

当事者研究においては、具体性、構造性、共有性が重要だ。

具体性とは、「いつも、みんな」という言葉を使わずに、具体的に何が起こっているのかを細かく見ることである。構造性とは、誰が悪いという責任問題ではなく、なぜそれが起こるのかを構造的に分析することである。最後に共有性は、その研究中に本人を密室状態にせずに、人に伝えることで言葉が生まれる。だから、自分の話を話すことはハードルが高いけど、安全な範囲からでも人に伝えていく、だんだんいろんな人に伝えていくことが大事ということだ。

こうして当事者研究について友人を中心に伝えると、当事者研究の方法と歴史についても話せるようになる必要を感じた。

いわゆる、当事者研究といってもいろんな方法がある。「べてるの家」では、本名で10人ぐらいでワイワイする。取り組み方によってパターンも変えて、写真やマップや年表など、ホワイトボードに書いて発表するのだ。一方で、ダルク女性ハウスでは、集団で、自分たちがどんな困りごとを抱えているのかというテーマで匿名性を保っている。KJ法を使って自分たちの経験をチームでまとめて、自分たちに何が起こっているのかを研究する。依存症患者は自己開示のハードルが高いため適切な距離感を匿名性で保っているのだ。

どちらのグループでも、全体で2回か3回は発言する。無理やりやらせずに、発見する喜びを大事にして話を引き出す。1人の経験を深掘りする際に、周りの先輩の例を使いながら

自分自身を見つける手がかりにする。治そうという意識ではなくて、興味関心で結果よくなったらいいねぐらいのテンションが重要とされている。

当事者研究で大事なことは、時間を超えて変わらない、1人の私としての特徴と変わりながらも連続した自分を見ていくことである。

また、1人でやるのではなくて、仲間のコメントをもらうことを大事にしている。アドバイスではなく、自分もそんなことあったよなどの同じような経験を共有してもらうようにしている。そして、最後には、明日からすぐにできるような気軽な実験計画立てる。失敗してもいい。それをもとに次の目標を考えることを重要視する。プレッシャーを持たないような目標設定を心がける。

当事者研究を主催している中で綾屋先生自身も、「自分はどうにもならない、無力だ」という大前提じゃないと自分は救われないのではないかと思うようになった。自分の弱点をいい方に生かして、治して、頑張って健常者並みに働けるようになりたいという上へ上へという気持ちへの違和感からあった。1人がどんどん頑張ろうという思いを強めるのではなく、周りに助けてもらいながら生きていくという方法への転換が当事者研究の大切さである。

当事者研究の源流はいくつかの要素から成り立っている。そのうち、障害者自立生活運動が系譜の端緒である、一方で、アルコール依存症の共助グループの系譜もある。自分だけではどうしようもないから仲間と分かち合う必要があると知ることが共助においては最重要なことだ。

このような前提を踏まえて、コロナ禍の当事者研究についての現状を論じる。

綾屋先生の下で発達障害の当事者研究を10年間続けてきていた。仲間と分かち合う、自分のわからないことがわかっていく喜びを伝え続けてきた。コロナの発生で、オフラインでの交流が難しくなり、4月からWebミーティングへ移行した。Web上での当事者研究では、感覚過敏でマスクをつけられない。外出が気持ち悪い、水が苦手で手が洗えない、病院や仕事にいけない。適切な距離、不要不急、という具体的でない表現に混乱する、施設の封鎖などで居場所がないというコロナ禍ならではの課題が挙げられた。鬱、情緒不安定、圧迫感、孤独感、逆にハイになっている、ストレスで怒りが爆発している、依存が強まったなどの心配も多く寄せられた。

当事者研究会のオンライン化でコミュニケーションが取れずに困難が生じている。人に会うストレスが減ったが、集中継続ができない。Web会議のやり方に慣れないというストレスが溜まっている。

6月ぐらいになるとWebでもなんとなく再現できそうだという見通しがついた一方で、さらに数回実施すると、リアルの当事者研究会にあった良さが失われていることが明らかになった。

参加者は情報が入りやすくなった(聞き取りにくいことがなくなった、要約された内容が受け取りやすい)が、主催する側の人は非言語の情報を受け取れなくなった。もっとたくさんの情報が欲しいということで、情報の不足にとても違和感がある。新しい人の情報が少なすぎて場づくりでの心もとなさを払拭することができない。リアルだとなんとなく繋がることが、オンラインではできないのだ。開始前にはリアルでは緊張するが、そういう緊張はなかった。顔の表情を使うのが難しいので、首から上だけで表現する、下半身を固めてしまうのはかなりの負担だった。1人で回すのを見守られているようになってしまい、主催者の支配力がましているように感じる。結果として、リアルの場を再現するのでは限界があることがわかったので、おやすみしている。やり方を変えないといけない。

当事者研究を企業で働いている人にしてもらえるようにする。大学院生の授業にも参加した。人数とかメンバーからwebで当事者研究がスムーズになる条件がはっきりした。

4~14人で全く同じのメンバーで数回連続、同じ場に継続していることが大事であると感じた。自己紹介をすることで人となりがわかるようになる。参加者同士の共同作業は効果的であり、参加者の半数以上のスタッフで場を作ることで場をあっためることも効果的だった。

以上をまとめた時に、4月からやっていたweb会議は全く逆のことをしていた。オフラインでの当事者研究会はバラバラのメンバーで一期一会の中で、自分の課題、問題を先に共有することでなんとなく繋がっている状態を作っていたがwebではそれが難しかった。参加者に配慮して顔を非表示にすることで場が生まれない。その結果、ファシリテーターが一方的に進行することになった。スタッフがいると特権性が出てしまうのではないかという不安からスタッフはいなかったが、逆に安定性がなくなってしまった

綾屋先生はオフラインで当事者研究会に参加する時はとても緊張していた。実際に生身の人間に会うと、予想だにしない応答が始まるかもしれない。場を共有してしまうこと、人と集まるということで綾屋先生の身体が勝手に意識以上に緊張している。1週間ぐらい前から前日は何も喉を通らないそうだ。そして、実際に会が終わった時には緊張がほぐれている。オンラインでの会に参加するときはその逆が起こっている。始まる前には緊張していないが、終わった後に爆発している。

世の中の考え方が「等身大より上を目指すこと」が当たり前になっている、それが成功だと言われている。その「成功」を過剰に強いられてきた人たちが依存症の人たちなのではないか。等身大じゃなかったことは屈辱的かもしれないが、それでも認めないといけない自分の無力を認めることを依存症患者のグループは行っている。いわゆる「エンパワーメント」は力を失われた人が取り戻すという文脈、必要な人は一定数は必要だろう。でも一方で、当事者研究を通して失敗してもいいやと思い試行錯誤してみたり、声を出さないで話す自分を大事にしてもいいのかなと思うようになった。

当事者研究からという視点は企業や、大学生、障害者が雇用される先に広がっていって欲しい。と綾屋先生は最後に語った。企業側が、環境として変わって欲しいそのために、弱さを伝える場としての当事者研究を広げたいのだ。医学的な診断も大事だが、その個人が具体的にどうすれば生きやすいか。何ができるのか、何は譲れないのか、本人はどこは変われるのか、そこにスポットライトを当てるための当事者研究なのである。

(文責:岩永淳志)

コメント(最新2件 / 23)

spring1359    reply

興味深いお話をありがとうございました。当事者研究について詳しく伺う機会は今まであまりなかったのですが、今回講義を受けて、人のメンタル、それも発達障害の方が対象というなかなか不用意に触れることが憚られるテーマに対しいかに真摯に向き合っていらっしゃるか伝わってきたように思います。競争社会(東大生はそこで価値を見出されるわけですが)において無力を認めることは趨勢に逆行的で、自分にとって必要と理解してもなお受け入れがたい部分があると思います。しかし、他者と支えあいながら自分を見つめなおすことによって冷静になれるのではないかと思いました。またコロナ禍において健常者にとっても不自由な点、負担になっている点が発達障害の方にとってさらに苦しい状況なのではないかと思いつつ、様々に試行錯誤を重ねて当事者研究をよりうまく運用しようとされていて私も何か良いアイデアを考え出したいと思いました。

kou0907    reply

講義ありがとうございました。自分の周りにも自閉スペクトラムの人がいるので、今回の講義で詳しくその症状や当事者研究のことを知れてよかったです。私はあまり実感していませんでしたが、この世界というのは特に現代においては無数の情報に溢れていてその全てを受け取っていてはきりがないことを今回の講義で意識しました。パワーポイントの見やすさについても言えることですが、ユニバーサルデザインやバリアフリーといったものの重要性に気づきました。

mermaid592229    reply

大変いろいろなことを改めて考えさせられる機会となった。
まず、私自身自閉症スペクトラムの詳しい症状などは知らなかったけれど、今回改めて自閉症スペクトラムの一つの症状パターンとしてご自身の経験をお話しいただき、思ってもいない症状などがあったので、このように発達障害の症状について知ることが、社会のディスアビリティに気づくきっかけにもなる重要なことだと思わされた。また、当事者研究についても詳しく伺ったことがなかったので、自分自身の経験をもとに分析を行うという研究の概要を掴むことができたことに加え、この手法は障害のある方などに限ったことではないのではないかと感じた。私たちも、生活の中で困ることや苦手なことは存在しており、なぜそう感じるのか、どんなパターンがあるのかと言ったことは、自分を知ることにつながるのではないかと思う。また、他者の当事者研究を通じて単なる一般に言われる症状などに限らない、本人の感情や障壁と感じていることがわかるという点で、今後とても役立つのではないかと感じた。私自身もこれをきっかけに自分自身について考えるとともに、社会に存在するディスアビリティについても考えてみたいと思う。

mytm1187    reply

講義ありがとうございました。自分の症状に合致する先例が見つからないというのはとても不安なことなのだと思いました。周りの人も識字障害だったり、全ての音を拾ってしまったり、声を出しづらいというのは一般的な病院でも健康で終わってしまうと思うので家族ですら中々理解しづらいのではないかと思うのです。そのような中、自分の行動をまるで他人の行動のように考えるということはとても斬新で面白い考え方だと思いました。周りに認めてもらえない環境だと自分で自分のことも否定してしまいがちだと思うのですが、自分と向き合う術を見つけそれを周りと共有することが出来るのが良い点だと思いました。
コロナ渦においては多くの方が強いストレスや不安に苛まれ、自分の家族もコロナ拡大のニュースに対して神経質になっており、街中に出てはコロナの脅威に常に怯えていました。普段から周囲の環境に対して敏感な方々にとっては想像を絶する不安だったのではないだろうかと思われます。また集会の独特の空気に支えられている活動がコロナによってオンラインになり失われてしまっているとのことで、改めてコロナウイルス の罪深さというものを感じました。

ultra100    reply

先生の直接的な経験も含めて自分のあまり考えたことのない視点のおはなしお話が聞けました。コロナ禍における具体的じゃない表現に対する不安や怒りを当事者は感じてきていたというのは、たしかにその面もあるなと認識させられました。コロナの影響で急激に増えたWebミーティングにおいて、顔の情報が相対的に大きくなってしまい、参加者やファシリテーターの負担になるというのも印象的でした。いろんな場面に直面してきた、問題意識のあるいろんな人の視点を当事者研究という点で知ることができて興味深かった。

mizutatsu0116    reply

今回の講義で最も印象深かったことは障害の方が不便を感じることを個人の責任ではなく、社会の責任であるとすることで、障害のある方にとって生きやすい社会を作るという考えだ。確かにインスペアメントによる障壁は個人によるところが大きいが、ディスアビリティの障壁は我々多数派の人々が、障害を持つ方の特徴や接し方などを理解し配慮すれば、取り除くことができると思う。まずは障害の方にとって優しい社会を構築するべきだろう。私も自閉症という言葉は聞いたことがあっても、それが具体的にどのような症状なのかは知らなかった。まずは他の人よりも感覚が敏感な人がいる、同じものでも私たちと違うことを感じる人がいるということを知ることが大きな一歩だと思う。
確かに他人との違いに苦しみ、孤独感の中で自分は何者なのか迷いながら生きる者にとって、自閉症という一種の症状として診断を得ることは心身の負荷の軽減になると思う。しかし最近は少し他の子と変わった子供はすぐに精神科医に連れて行かれ、自閉症を疑われると聞く。自閉症と決めつけることはその子の可能性を閉ざすきっかけになりかねないので、親は安易に自閉症を疑うのではなく、それをその子の個性だと捉え、しばらくは成長を見守るという試みも大切だと思う。

minami373    reply

貴重なお話ありがとうございました。コロナ禍においてwebミーティングが増えたことについての綾屋先生自身の変化を聞いて、私自身のことも考えてみようと思いました。私は対面授業よりもオンライン授業の方が緊張します。オンライン授業が始まって以来、発言が必要な授業の前にときどき胃が痛くなるようになりました。大学という新しい環境に慣れないからなのかとも考えましたが、秋学期になり語学などで一部対面授業が再開されると対面授業の日は体調に変化がなかったので、やはり「オンライン」という形態に何か問題があるのだと考えました。そこで、私の普段のコミュニケーションに対する姿勢について考えてみると、言葉以外の表情やジェスチャーなどのnon-verbal communicationに頼りすぎているのかもしれないと思い当たりました。その一部はオンラインでも伝わるかもしれませんが、伝わりにくいか反応が悪いことが多いです。また、教室での授業なら、早めに教室に入り、周囲の人たちと会話をして段々と雰囲気を作ってから授業に臨むことができるので、心に余裕が生まれます。そして、授業中も私はいつもあらゆる人たちの話に聞き耳を立てているということに気がつき、オンラインだとそれができないため不安に駆られているのだと思いました。このように分析してみたことで、いわゆる「普通」で「多数派」だと思っていた自分も、必要以上に観察したり情報を集めようとしたりしていたのではないかとも考えられ、そう思うことで「多数派」と「少数派」ではなく「個人」に注目することができ、視野が広がったのではないかと思います。

Polaris_737    reply

今回は、大変興味深いお話をしていただき、本当にありがとうございました。お恥ずかしながら、今までの自分は当事者研究についてあまりにも無知であったため、先生のお話を伺って、たくさんの新しいことを知ることができました。ありがとうございました。今回の授業で自分が一番関心を持った点は、web上において円滑な当事者研究の場を作っていくために必要な条件は何か、という部分でした。なぜなら、自分も現在zoom上で様々な人が交流するワークショップのようなものに参加する機会が増えていく中で、どのようにしたら円滑に物事が進んでいくのだろうかと考えていたところだったからです。特に、メンバーを完全に流動的にするのではなく、メンバーを固定して行うというのは極めて大事なところであると自分も感じました。メンバーが流動的であると、その人の人となりを掴むだけでかなりの労力を消費してしまい、本題にたどり着くまでには時間と体力を消耗してしまうという体験に最近の自分も悩まされていたため、先生の示唆は大変貴重なものとなりました。さらに、先生のお話の中にあった参加者同士の共同作業も大事な要素であると感じました。今後、先生が指摘してくださった条件を意識の中にとどめていこうと思いました。
また、先生の幼少期の頃の体験がとても衝撃的であり、自分ももっと勉強しなければな、と切実に感じました。今までも、そのような体験をされた方の手記などは読んだことがあり、何となく分かった気になってしまっていたのですが、当事者の方が直接肉声で話す実体験は重みが段違いであり、今までの自分の無知を突き付けられたような気持ちがしました。

1mae    reply

コミュニケーション障害を、健常者と障害者との間に生じる障壁ととらえるのではなく、社会の多数派と少数派との間に生じた差異と定義したのは目から鱗であった。確かにそう考えることもできるが多数派の中に存在していたら気づきにくいのではないだろうか。気づきにくいからこそ多数派による少数派への差別、偏見が発生し、無くならないのだろう。だからこそ当事者研究が重要になるはずだと感じたが、新型コロナについては少し疑問を感じた。治療による完治が見込める身体的な病である新型コロナウイルスの当事者研究そのものが有効になるのはワクチンが開発されるまで、もしくは危険性のとても低い改良ワクチンが開発されて普遍的な病になるまでの間であろう。もちろん新型コロナの当事者研究はこの先再びパンデミックが発生した時に有効活用されうるが、いまだに治療による完治が見込めない学習障害などの心的な病における当事者研究ほどの重要性は帯びていないように感じられる。感染者数が莫大ゆえに短期間でも有効活用できるのかもしれないが、新型コロナ単体の当事者研究は無意味に感じる。講義中にも先生が言及されていたが、心的な病をもつ人々のコロナ禍における当事者研究も興味深かった。

kohei8192    reply

コミュニケーションが失敗することはありふれたことだから、コミュニケーション障害は相互的なものであるという考え方はASDの当事者以外にも有意義なものだと思う。哲学や心理学の授業でも、責任を個人だけに求めることがいかに短絡的かを見てきたので、それらがつながった感じがした。

sandy67123    reply

去年駒場で履修した現代教育論や今回のSセメスターで履修した西洋思想史での精神医学の話を関連して当事者研究に関わる具体的なお話を聞けて理解が深まりました。自分自身も昔から注意欠陥がちであり、周りには笑って誤魔化していますが、やはりどんな人であっても快適に感じられるリモート環境の構築は不可欠ですし、これからは今回お聞きした内容をぜひ周囲の人にも啓発して環境整備の重要性の認知を広めたいと思いました。

kamiwafu8746    reply

コロナ禍で弱者が困窮を深める様相を呈しているお話はここまで多角的な観点で学んできた。発達障がいをもっていたりとくに不安を感じやすい方のケアについても当然深刻なものがあるだろうと思った。当事者とかかわり合いのなかであらゆるケアを講じなければならないと痛感した。

yjiro1638    reply

今回は精神的な障害や当事者研究についてあらゆることを知り、考えることができました。発達障害と言われているものに、その特徴によって名前が付けられている(ADHDやASPDなど)のはよく耳にしますが、その特徴が、定義と個人個人の例との微妙な齟齬によって、「自分が何者か」わからずに苦しんでしまうというのは、孤立感も相まって重く大きな問題だと感じました。当事者研究によって、自分に対しての理解が深まったり、ほかの同じような悩みを抱える仲間とともに話をしたりして、そういった苦しみを取り除いていくというのは、障害といわれるものを抱えている人だけのとどまらず、様々な場面で応用できそうだと感じました。また、コミュニケーションの例の話で、それがうまくいかないのは個人に属する性質の問題ではなく、周りとの相互作用としての問題だということが非常に印象的で、社会全体(その中の一人)として、障害を持つマイノリティの方々が現状抱えてしまっている問題を、他人ごとではなく自分たちの問題として取り組んでいかなければならないと改めて強く感じました。

Ugetsu5    reply

当事者研究自体は、薬物に苦しむ方々や不自由のある方々などの困りごとに向き合う、或いは等身大の自分を見つける営みであるとのことであったが、生きづらさに向き合うという点では、個人の置かれた状況や属性に関わらず、様々な問題に向き合う一つの選択肢になりうるように感じた。講義の中で社会の競争的な側面を指摘されていたように思うが、(当事者研究をしていく上では)他者との比較に依らない文脈で自分を捉えることが重要になるのだろうと理解した。すなわち、(基本的には先生の仰ったことと大きく違わないかと思うが)他者との比較に基づいた「優劣」という尺度でなく、自分自身の中で完結する「得手/不得手」という尺度で自分を捉えていく必要を感じた。無論、周囲との助け合いの関係によって様々の困りごとに向き合っていくことは大切だが、自分の現状を認め、現状の自分に肯定感を持つことがその前提になるように感じた。

ch1133    reply

興味深いご講義をありがとうございました。障害を乗り越えようと努力するだけでなく、あえて自分の無力を認めるという考え方、起こっている問題の責任や原因を個人ではなく社会に求める考え方は、非常に共感すると同時に、自分が今後生きていく上でも通じるなと感じました。特に後者に関しては、人格は自分以外の人との関わりの中で形成されるものであるし、「コミュニケーション障害」という言葉も、コミュニケーションは相手がいないと成り立たないものであるのに、コミュニケーション不全の原因を一方に求めているのはどうなんだろうか、という考えを抱きました。

musashi1825    reply

当事者研究をされている方のお話を聞くのが初めてだったので、全く知らなかったことを聞く非常に自分にとって衝撃的なものでした。ありがとうございました。
自分の困りごとを客観的に見る、その困りごとを共有するということが当事者研究の中で重要なのだと感じました。
ディスアビリティの原因がどこにあるのか、個人に帰属するのか、社会・環境側に帰属するのか考える機会にもなりました。私たちは、どうしても、社会全体に求めて社会に改善を求めるよりも、個人に求める方が容易であるので、いまだにそちらを取ってしまう傾向があるように思われますが、そのディスアビリティが生じてしまう原因を冷静に見つめ、社会をより良い方向に変えていけるように考えていく必要があると強く感じました。

yuki28    reply

今回の講義を聞いて、多くの人が共有している考えに合った特徴を持っている人が普通の人で、そうでない人は障害者と区別されるという考えを知らず知らずのうちに持ってしまっていると感じさせられた。障害のある人々は少数派であるというだけで、多数派の普通と考えられている人々と同じ人間であるという当たり前のことを認識すべきだと感じた。当事者研究で当事者が客観的に記述したものは人々の認識を改め、社会を変えるきっかけになるのではないかと思った。

Tetsuya1221    reply

障害として認定されると人との関わりで齟齬が起きた時、自分の側に原因があるとされてしまうということは非常に大きな問題だと感じます。その上で障害を人個人が持っているものではなく、人との関わりの上で生じるものだと捉えることは非常に意味のあることだと感じました。
当事者研究の取り組みのメゾットは幅広い応用が可能であると考えます。生活の中での困りごとはどのような人も何かしら持っていると思います。例えば授業中に眠くなってしまう、つい遅刻してしまうことなどです。よくある悩みはそのままの形で扱われがちですが、言語化して共有して考え合うことで新たな発見や関係性の向上が可能であると考えます。

TS34    reply

 自閉スペクトラム障害というものを講義を通して初めて知りました。自閉スペクトラム障害を持つ人はあらゆる物事について細部まで極度に意識してしまうことで、多くの人と物事の見方や価値観が異なってしまい、どのようなコミュニティにおいてもマイノリティになってしまいやすいというのは大変苦労する点だと思いました。同時に、このような状況で障害を持つ人々に問題があるとするのではなく、社会全体として障害を持つ人々を支える体制が整っていないことを問題視し、改善していくことが重要であると感じました。
 また、当事者研究という概念も目新しく、特に問題を持つ人に対して本人と問題を切り離して考え、本人でさえ第三者的視点で自分を見るという問題の外在化の考え方は印象的でした。コロナ禍では生身で触れ合うことが大事な当事者研究が制限されてしまいますが、コロナが落ち着いた後により一層当事者研究が発展していく可能性を感じることができました。 

GFree59    reply

障害の社会モデルの考え方に、自分が薄々そうあるべきなんじゃないかと思ってきたことが的確に言語化されていて非常に共感できました。講義内では社会の中でのいわゆる少数派にあたる人々の自己分析や探究に焦点が当たっていましたが、そうでない(と自認している)人にとっても当事者研究の様な指向性をもった考え方はとても有効であるように思います。少数派にあたる人々からの、当事者研究に基づいた社会への要請が受け入れられるような環境を作るには、単に障害の社会モデルの考えを共有するのではなく、こうした考え方があることもより広がる必要があるように感じました。

morita1016    reply

何らかの悩みを抱える人々にとってはそれを共有して互いに助け合うことが必要なわけで、そういった場としての当事者研究グループの重要性を認識しました。当事者研究の重要性は疑う余地がないにも関わらず、始まったのがかなり最近であるということは、長く当事者研究が発達するのを妨げていた要因があるということなのでしょうか。また、「コミュニケーション障害の人がいるわけではなく、マイノリティとマジョリティの間にコミュニケーション障害が生じる」という話が印象的でした。

LP37    reply

大変勉強になる講義をどうもありがとうございました。不勉強ゆえ当事者研究と言う取り組みを知らなかったため、精神障害を持つ方がこのように研究に参画していること、またコロナ禍において様々な不安を抱えていることを知ることにより見識が深まり、貴重な学びとなりました。

taki3    reply

当事者研究については熊谷晋一郎さんの話も聞いたことがあり、少し興味を持っていた。障害を個人モデルで捉えるのではなく、社会モデルで捉えるのは意外な発想だが、一度そう聞くとその考えに今までなぜ至らなかったのか不思議なほど良い発想である。また、当事者研究について、今までは身体的な特徴を持っている人のものとうっかりイメージしてしまっていたが、精神的な特徴を持っている人にも当然当てはまるのであり、それに今まで気付いていなかったのは、つい、目に見える障害ばかりを意識し、精神的なものは努力でどうにかなるという発想があったからかもしれない。書籍を読むなどして、これからも勉強していきたい。

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