ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第13回 01月06日 湯浅誠

コロナと居場所~こども食堂の取組みから~

少子化・高齢化・人口減・財政難・・が重なる日本は、コロナ以前から課題山積でした。
その課題先進国・日本で、今、「こども食堂」が爆発的に広がっています。一般市民が選び取ったこども食堂という「処方箋」は、何にどう効いているのか。こども食堂を含む地域の居場所がコロナ禍で果たした役割から、その価値と意義を考えます。

講師紹介
湯浅誠
社会活動家。東京大学先端科学技術研究センター特任教授。全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長。 1969年東京都生まれ。東京大学法学部卒。東京大学大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学。1990年代よりホームレス支援に従事し、2009年から足掛け3年間内閣府参与に就任。内閣官房社会的包摂推進室長、震災ボランティア連携室長など。政策決定の現場に携わったことで、官民協働とともに、日本社会を前に進めるために民主主義の成熟が重要と痛感する。2014〜2019年まで法政大学教授。 著書に、『子どもが増えた! 人口増・税収増の自治体経営』(泉房穂氏との共著、光文社新書、2019年)、『「なんとかする」子どもの貧困』(角川新書、2017年)、『ヒーローを待っていても世界は変わらない』(朝日新聞出版、2012年)、『反貧困』(岩波新書、2008年、第8回大佛次郎論壇賞、第14回平和・協同ジャーナリスト基金賞受賞)、『貧困についてとことん考えてみた』(茂木健一郎と共著、NHK出版、2010年)など多数。 ヤフーニュース個人に連載中の「1ミリでも進める子どもの貧困対策」で「オーサーアワード2016」受賞、法政大学の教育実践で「学生が選ぶベストティーチャー」を2年連続で受賞。「こども食堂安心・安全プロジェクト」でCampfireAward2018受賞。他に日本弁護士連合会市民会議委員など。
授業風景

2020年度第13回学術フロンティア講義では東京大学先端科学技術研究センター特任教授、全国こども食堂支援センター・むすびえ理事長の湯浅誠先生にご登壇いただき、「無縁社会」「生きづらさ」「こども食堂」のような観点からコロナ禍と今後の社会のあり方について話した。

このコロナ禍での社会は三つのフェーズに分けられるだろう。なんとか感染を防止することを緊急事態宣言下のフェーズ、経済との両立を目指すウィズコロナのフェース、経済と生活を再建するアフターコロナのフェーズ。経済活動と感染防止はベクトルを異にするため、両者の中で困窮したり、しんどい状況になる人がいる。大きな天災によって新たに被害を受けた人もいるが、元々大変だった人がもっと大変になる側面がある。震災でも同じだが、立場の弱い人ほど厳しい状況になってそれが表面化するのだ。

このコロナ禍のパニックは全く問題ない社会から生まれたわけではない。もともと日本の社会に多くの問題があったと言える。

日本の人口構成を考えると、障害者人口、外国籍の方、L G B Tの方、引きこもりの方、介護離職する方、親と同郷している未婚の方などいろんなバックグラウンドを持っている人がいる。昭和的に大多数だと定義された「若くて健康な日本人男性」はごく少数になっている。今までは若くて健康な日本人男性になるべく「若いものには負けてられん」「仕事ができなくてすみません」という考え方に囚われていた。それが近年になって変わりつつある。

こうした変化は福祉では「支え合い」という概念に現れた。誰かが誰かに支えてもらうという考えから、互いに支え合うという考え方が広がった。2008年の「全員参加型社会」以降、首相や政権が変わってもこの点に関しては発するメッセージは一緒だった。

そんな社会の変化を受けて、このコロナ禍で何を人間として汲み取れるのか?そのヒントがこども食堂にあった。

こども食堂の認知度は非常に高いが、実際に行ったことがある人はいないんじゃないだろうか。認知は80%、実際に行ったことある人は5%程度である。行ったことがないけどイメージがあることは大概にしてあるが、それが実態から解離している場合がある。

こども食堂に「食べ物が食べられない子供への慈悲の場所」というイメージがあるが、実際はこどもを中心にしていろんな世代が集まる場であって地域内でつながりを作る場所である。

さて、そんなこども食堂もコロナ禍の緊急事態宣言によって、9割が普段やっていた食堂での交流を取りやめた。これだけを見ると自粛の一端を感じるだけだが、こども食堂の人たちでお弁当の配布、食料を送付する人など、何かしらのアクションをしていた人たちは6割を超えていた。全く人が動いていない中で6割がアクションしているというのは当然目立つ。人と人が対面する場をなんでこんな時に作っているのかと非難する人もいた。しかし、有名人や企業がこうした、密にならないこども食堂の活動を支援した。コロナ禍で苦しんでいるはずだけど、どこにいるのかわからない子供たちを支えるためにとこども食堂に支援が相次いだ。こうした状況下で動けば批判を受けるが支援も受けることが示された。

一方、コロナ禍で防災などの自治組織は動いていなかった。例えば防災の消防団などは自然災害ではないから動かなかった。存在目的が何かしらの課題を解決するためな団体は動けなかったのだ。しかし、こども食堂も本来の目的はできなくなったが、こども食堂の人たちは食材配布、文通までやってなんとか活動をしている。

ここで大事なのは、こども食堂で育まれるのがInformalな繋がりだという事だ。病気になったら友達じゃなくなるなんてことはない。目的のために友達にはならない。ともにいるためにそばにいる。こども食堂はそうした繋がり自体に価値がある活動なのだ。繋がり続けるためになんでもやるのだという事がコロナ禍で奮闘するこども食堂の人たちの姿は教えてくれる。

そうすると、なぜそこまでして繋がり続けるのかという疑問が生じるだろう。そのキーワードが「無縁社会」という言葉だ。

無縁社会、2010年のN H Kで無縁社会が取り上げられたことがきっかけだった。生きている間につながりを失っている人が多くいる。課題解決型のアプローチではご近所さんや友達は特に必要性をうまく伝えられない。なぜなら、こうしたものは主観的な「生きやすさ」を前提としているからだ。テレビドラマの「逃げ恥」は金銭的、健康的にも幸せにも関わらず、どっか生き辛さを持っている主人公の物語だ。自分に興味を持つ人なんていないという前提を持って生活している主人公の葛藤は見る人の共感をよんだ。これは児童養護におけるお試し行動と呼ばれるものだ。児童養護施設にいる子供たちは親と保護者の離別を経験している。その離別を受けて子供たちは大人はみんなそういう存在だと思うようになる。そこで初めてきた施設の人に「どうせ仕事なんでしょ?」と嫌なことを言うなどの嫌がらせをする。本当は自分に興味がないことを自分で確認するためそういった嫌がらせをする。そこには自分の世界観が間違っていないと言う安心感と、孤独感がつきまとっている。大人でもわざわざめんどくさいことをふっかけてくる友人がいるのではないだろうか。

こうした「無縁社会」に対して、こども食堂という場でつながりを直接作り出すことができるというのは大きなことである。そしてこの活動は行政にはできないことでもある。

行政は客観的な指標で見る事ができる。収入がなくなる、仕事にいけなくなると言う客観的な指標がない以上は役場は動けない。行政というのは、浅くて広い。全ての人に対して一斉に動かす事ができる、しかし全員の顔色を見ないといけないから薄い政策になる。民間は限られた狭い範囲になるかもしれない。しかし、目の前にいる人に集中して深い事ができるかもしれない。そこに働きかける事で「予防する」事がこども食堂のような場の大切さなのだろう。ボランティアにもかかわらずコロナ禍でも186箇所のこども食堂が増え続けている。

こども食堂が平時にも非常時にも繋がり続けたいと言うことは大きい。平時の繋がりと、セーフティーネットが常に繋がり続けている。そしてこれはコロナ禍を受けた現代の「新しい日常」にも通ずる。長い日常が続いて突然災害で非日常がやってくる昭和的な「非日常」に対して、ここ数年は毎年災害が起こっている。今の日常は災害と災害の間「災間」に日常があるとも言える。そして、その「災間」でこども食堂は大きく拡大している。熊本の震災でこども食堂が熊本に300箇所できた。2018年の西日本豪雨で愛媛県のある町で13箇所のこども食堂が一斉にできた。豪雨の水害において、飲料水を一軒一軒に運ぶという問題を地域で解決するためにこども食堂が機能するようになったのだ。

昨年の年末、湯浅先生も今回は帰省しなかった。母親が実家に住んでおり、様子を伺えないのはとても心配だが、近所の人が母親の様子を見守ってくれている。母が要介護になった時、湯浅先生本人でしか面倒ができなくなった。介護離職が頭をよぎった時、近所の人が代わりに様子を見てくれたおかげで、今自分が働く事ができている。介護サービスだけでは全てをカバーする事ができない。湯浅先生もこのコロナ禍で身をもって繋がりが見える地域と社会が成熟型の社会であり、大事な社会の形であると実感した。

湯浅先生は東日本大震災の復興の際に内閣府にて伴走支援と言う言葉を使った政策を作った。寄り添うと言う言葉は、当時は聞き慣れない言葉だった。しかし、今では「寄り添う」と言うのはありふれた言葉になっている。こども食堂の活動が始まった頃、「それじゃ食っていけない」との言葉を多く聞いた。そんなことやったって「焼け石に水だ」と言う人よりも自分で動く人の方が偉いと言う感覚も10年前にはなかった感覚だった。

成熟型の社会に日本社会が変わっていくのではないか。成長の質を問う社会。成長至上主義から中身を問う成熟型の社会に変化して来ているのではないだろうか。それがより成長にもつながるのではないか。

コロナ禍でおじいちゃんおばあちゃんのコーラスグループは川辺まで行って歌を歌っていた。側から見れば何をしているのかとバカにされてもおかしくないかもしれない。しかし、例えば野球の座席にダンボールで作った人の模型を置いた取り組みもバカみたいかもしれないが、それ以外にどうすればいいというのだろうか。一つ一つの取り組みはバカにできる、でもそれしかないからこそ、やり切る事が社会を変えていく力になるのだ。

最後に紹介されたこども食堂は一風変わったこども食堂だ。子供の繋がりの場を作るためにとあるおばあちゃんは89歳の時に自宅をこども食堂にした。90歳の時に入院し、91歳にお亡くなりになった。ご臨終の際にご親族に加えてこども食堂の人たちに見守られながら亡くなった。都会で1人で暮らす高齢者の亡くなる姿としては非常に珍しい、多くの人に見守られた今際の際だった。2020年代の一つの指針が、繋がりと成熟型社会なのではないだろうか。

(文責:岩永淳志)

コメント(最新2件 / 23)

mermaid592229    reply

とても素敵な講義をありがとうございました。
子ども食堂については、ニュース等で耳にしたことが多々あるが、その詳しい実態についてはこれまで触れたことがなかった。しかし、今回の講義を通して、繋がりの薄くなっている生きづらい現代社会において、人々の繋がりを作り、災害時のセーフティーネットともなりうる活動であることを改めて実感することができた。また、私自身、コロナ禍において人と会うことのできる機会や話すことのできる機会が減り、自分の気持ちを整理できなかったり、楽しみにできることが減ってしまったような感覚を覚えたりという経験を通じて、改めて人の繋がりにいかに支えられていたかを強く実感した。したがって、コロナ禍においてこそ人々の繋がりは大切であるということには非常に共感を覚えたし、このような繋がりを増やしていく活動が自分自身の地域を含めより広い地域に広がって欲しいと思った。また、オンライン下において従来のような温かさを持つ交流は難しくなっているが、子ども食堂に限らずとも、今できることを最大限に使って自分自身の周囲の人との繋がりを大切にしていきたいと感じた。

spring1359    reply

興味深いお話をありがとうございました。私が生きる時代は核家族化や少子化、高齢化が進みつつ、コンビニエンスストアなど便利なものの普及によって周囲の助けを受けずに一人で生きることを容易にする時代であるように感じてきました。しかし講義を受けて、子ども食堂をはじめとした人々が助け合う仕組みが重視されてきていること、このコロナ禍の中で今まで以上にそれが浮き彫りになっていることを認識しました。また、行政と民間にできる役割についても、双方が補い合い相乗効果を目指すことが理想という指摘に納得しましたし、自助・共助・公助それぞれの特徴とより良いバランスについても考えていく必要があると思いました。コロナ禍での報道を見ると、正直、まだまだ生きづらさに苦しむ人々やよりよく助け合うための仕組みに社会が注目する余地があるように思います。さらなる進展を期待すると同時に貢献していきたいです。

mytm1187    reply

講義ありがとうございました。都会では近所のつながりが減ってしまっているのはもちろんのこと、地域の八百屋だったり製肉店のような、店員と客が顔見知りで世間話をするというような風景も減り、コンビニでコロコロと変わる店員を前に、客も店員も無口で無愛想のまま会計を終えるということが多いように感じます。正直なところ、今まではこの事務的な対応は楽だと感じていましたが、今日の話を聞いて災害時などは人と人とのつながりが必要になるという点にかなり納得しました。
また、自分は中学生や高校生だった頃は”全てオンラインでやってくれればいいのに”だったり、”一ヶ月休みたい”だったりということを冗談交じりに口にすることもあったのですが、コロナで緊急事態宣言が出されて実際にオンライン授業になったことで、学校に通って対面で授業を受けることの良さというものを痛感しました。その点で当たり前の喜びというお話はとても共感できるものでした。
最後に、自分はいつも壮大な理想論を語っては結局何もできずに終わるタイプの人間だったので、今日の少しの行動の積み重ねが大切というお話は少し耳が痛いものでしたが、まさしくその通りだと考え実践することに重きを置いていきたいと思いました。

1k_neru    reply

コロナ禍で、弱い立場にある人ほどその影響を大きく受けるという話は他の先生方もおっしゃられていたことではありましたが、そのような状況下で如何に人々を救っていくかという具体的な解決策についてはあまり考えついていなかったので子供食堂の例はとても参考になりました。自分自身もそのような得体の知れない団体が世間の動向に従わず活動を続けていれば批判的になってしまっていたかも知れないので、子供食堂の重要性、このような危機下にあるからこそ活動をやめられないという理念を考えると、それぞれの事情をよく調べてから発言することが重要だなと感じました。僕自身、何事に対しても課題解決型の解決策を挙げてきた面があり、今日の話を聞いてつながりの大切さを考える機会をいただきました。たとえば僕は一人暮らしを始めてから、近所の人との付き合いは全くなく、実家の周りで親が近所付き合いをしていることが馬鹿らしい、無駄な時間投資だと思っていたのですが、これでは自分が危機に陥った時、どうしようもなくなるなと感じました。これまでは危機に陥ったことがなかったためこれらを軽視していましたが、コロナ禍を通じて孤独感を痛感することとなり、繋がり続けることも大事なのだなと学びました。

aim180    reply

別の講義で青年期にかけての子どもがとる引きこもりといった行動のメカニズムについて学んできたので、他者との関係が希薄になってしまう子どもの居場所を作る取り組みには関心を持ちました。私のようなオンライン上でも居場所が多く取れる大学生にとっては、ローカルなつながりは極端に言えば通常の人間生活についてくるおまけ、楽しみとしても扱えるわけですが、だからこそつながりを生きていくために求める人々がいると意識すべきだと感じました。また、未来はどうなるかわからないから「災間」だ、という考え方は新鮮なものでした。平常時からいつか大きな災害が発生することを前提とした対策は、コロナ禍をきっかけに多くの分野で実践されるべきだと感じました。

yasu1026    reply

講義ありがとうございました。
現代における生きづらさの問題に対してどのような助けの手を差し伸べるか。地域間の関わりが希薄となりがちな子供たちに対してコミュニティを作ることになる子ども食堂、大人にとっても「生きづらい」社会を生き抜くための術を差し伸べる場所の提供。今現在我々が置かれている非常事態の下でどのような役割が求められていて、どうやってそれを提供できるのか。まず今困窮している人たちが誰なのか、メディアなどでスポットライトに当てられている飲食店の人などはもちろん、必ずどこかにスポットライトの下に曝け出されていない困窮している人間をどのように援助するか。全て解決するのは当然容易でないと改めて認識しました。おそらくそのような注目されない困窮している人たちは他の立場の人間に注目してもらうまでは理解してもらうことは難しいと思います。このような人たちの発見を考える必要があるなと講義を聞いて感じました。

ito hiroka    reply

気候変動、グローバル化の影響でしょうか、災害や疫病の蔓延をはじめとする災害は年々増えていると肌で感じます。子ども食堂のように、地域住民同士が日常的な繋がりをもてる場があることは、地域住民の精神的な支えとなると同時に、有事の際の共助を促進する上でも重要だと感じました。コロナによって住民同士の交流がいっそう疎遠になってしまっている今だからこそ、このような交流の場は存続させていかないといけないと感じました。

minami373    reply

貴重なお話をありがとうございました。こども食堂の意義は私もよく理解していなかった点が多く、とにかくつながり続けるための場所だということに大変納得しました。
社会に生きづらさが蔓延しているというのは、一部の厳しい環境にある人たちに関わる問題だと思われがちでしたが、今では誰にとっても本当に身近な問題だと思います。逃げ恥の平匡さんが「自分に関心を持ち続けてくれる人なんて現れるはずがない」と思い込んでいるという例がとても分かりやすく、今の若者たちは恋愛に無関心だというのにも関係しているのかなと思いました。かくいう私も他者に十分な関心を持てているかというととても怪しいです。直すべきかどうかも含め、きっかけを探っていきたいです。

mizutatsu0116    reply

まず講義の中で最も衝撃を受けたのは「若くて健康な日本人男性」はマイノリティだということだ。社会にはそれぞれ様々な障壁を持った人々が暮らしている。そうした個々の「障壁」を隠しながら生きていかなければ不利になる社会はおかしい。全員が子育てや病気、介護などの個々の障壁と両立して働ける環境作りが今の社会には不可欠だろう。加えて例えば子育てに男性が積極的に関わるなど、一定の人に障壁を押し付けるのではなく、みんなで協力していくことも大切だろう。
そのような中、子ども食堂は人々のつながりを提供する貴重な場である。地域が絆で結ばれることで、子ども食堂が各々の障壁を地域みんなで協力して乗り越えられる場所、無縁社会に苦しむ人の「拠り所」として機能していくことを期待したい。
また今回のコロナ禍で多くの人が孤独に陥ったり、雇用削減に苦しんだりしている。こうした非常時のセーフティーネットとして機能するのが子ども食堂である。緊急事態宣言下でも多くの子ども食堂が活動を続け、批判も受けつつ支援を得て、地域の拠り所をキープしたことは素晴らしい。非常時だからこそ地域のつながりを強め、みんなで困難を乗り越えていくべきだと思う。

musashi1825    reply

こども食堂の役割が、食糧の提供だけでなく人々のつながりを維持し続けることであることをすることができました。このコロナ禍のなかでつながりを維持し続けることの難しさを実感しながら、それを、動き続けることで維持したこども食堂はすごいなと感心してしまいました。動くことは、批判も支援もどっちも得られるということは、納得させられました。動いてしまうと叩かれるから、やらないという選択をした団体は、このコロナの中でたくさんあったと思います。特に、大学の対面授業の開始がその例になるように思いました。学生の間で感染が出ると、大学に批判が集まってしまうから、オンラインだけを選んだ大学はたくさんあったように思いますし、現在も対面を全くやっていないところもあるようです。その中で、東大が対面を導入することで学生同士のつながりを持たせてくれたことは、こんな時に学生を動かすのはいかがなものかという批判もあったとは思いますが、新しい人とのつながりという、入学前は当たり前に4月から実現されると思っていたことが実現させてくれて、結果とても良かったように思っています。当たり前がありがたいことは、このコロナのなかで私自身も切に感じました。

ultra100    reply

こども食堂という場が、至る所に存在し、誰もが気軽に来られる、おいしいたのしい場所を提供していることはこの令和の時代の多世代地域交流や貧困の観点から良い取り組みだなと思った。コロナ禍においても厳格な感染対策のもと活動を継続したところが多いというのは、人の繋がりを生めないコロナ禍において必要なことだと思う。今日をしのぐ、明日をひらくコロナ禍で、運営費などやりくりするのが難しいし、課題なんだろうなと感じた。

Ugetsu5    reply

子供食堂などに対してはどうしても困窮者への支援というイメージがあったが、地域のつながりを生む目的であることを理解した。
講義で「無縁社会」が取り上げられていたが、子供が遊ぶ声を騒音と思って苦情を入れる人がいる問題だったりと、人間関係が異様なものになる中で、子供と地域社会のつながりを見つめ直したり、地域社会のつながりを見つめ直したりする機会になるという意義も子ども食堂にあるのだろうと感じた。田舎の人間関係のような温かみのある取り組みと思った。
政府と民間の優劣を語るような主張が見られるということが触れられていたが、背景には「政府ならなんでもできる」「民間ならなんでもできる」といった思い込みがあるように感じた。格差問題への取り組みであったりと大規模な取り組みが要る部分では政府・自治体、人間関係であったりと生活の基礎的な部分は民間といった形で、棲み分けと協調が進んでいけば良いと感じた。

kohei8192    reply

恥ずかしながら自分は子ども食堂というものを知らなかったが、子ども食堂に注目することで、課題解決を目的とする団体と「つながり」を目的とする団体に分けて考えることができるというのが興味深かった。一人暮らしの上オンライン授業のみで学校にも行かなかった時期には「つながり」の欠如を身をもって感じていたことが思い出されたので、「つながり」に関して自分ができることを探してみたい。

yjiro1638    reply

今回の講義では、コロナ禍におけるこども食堂などについてお話を聞くことができました。自分もそうですが、コロナによって他者とのかかわりが少なくなり、孤立感を覚えることもありますが、ある意味「家」のような存在、まるで帰る場所である存在というのは精神的な支えにつながると思いました。また、コロナ禍にとどまらず、様々な人間が交流する場で生きがいが生まれてくるということを、様々な場面で聞きますが、それが広い視野でつながることができるというのは魅力的ではないかと思いました。抽象的ですが、現在のような非常事態が終わった先にも、つながり続けたものは新たに意味を持つことになると思いますし、大切にしていくべきだと感じました。

kamiwafu8746    reply

こども食堂の例など、コロナ禍で人と人との関わりが希薄になれば弱者ほど影響を受けてしまうという危惧のもとさまざまな活動をしているということを初めて知った。コロナ禍ではオンラインの可能性が見いだされ、また人とのつながりが重要であるということがかえって顕在化したという側面もあると思う。弱者に手をさしのべる活動も進展があればよいと思うと同時に学問の分野からそれを支えたいと思った。

cf1133    reply

貴重なご講義をありがとうございました。講義後にこども食堂について調べてみたところ、コロナが流行し始めた2020年2月以降にこども食堂が約200箇所増えているということを知りました。かつてのような「密」な活動はできないとしても、誰かとつながり続けることが暮らしには不可欠だということはコロナ禍で身に染みて感じたことであり、こども食堂のような居場所がそのつながりを生み出す重要な拠点になっていくのではないかと思いました。

nori1121    reply

講義ありがとうございました。私は今回の講義で初めてこども食堂のことを知りました。コロナ禍の影響で多くのことがオンライン化し、外出を自粛しなければならなくなった今、自分も含め多くの人が孤独感を感じていると思います。こども食堂はコロナ禍以前からそうした問題に目を向け、人と人とのつながりを重視する活動を行っていたという事で、コロナ後の生活再建のサイクルにおいてとても重要になると思います。しかし、やはりその企画趣旨と昨今の「密」を避けるという情勢からこども食堂の運営が厳しい状況にあるというのも深く理解しました。こども食堂がもっと多くの人に、社会に浸透して欲しいと思います。また、自分なりにこの無縁社会について声を上げていきたいと感じました。

TS34    reply

貴重なお話ありがとうございました。こども食堂については今まで少し聞いたことがある程度でその実態については詳しくは知らなかったのですが、講義を通してこども食堂が子供たちの食のサポートのみならず地域社会の人のつながりの面でも大きな役割を果たしていることを知ることができました。実際にコロナウイルスによる自粛生活を経て、人とのつながりが欠けた生活は大変苦しいものであると感じているので、こども食堂が三密を生じやすいという批判を受けても尚、このコロナ禍で活動を継続していることは人のつながりの大切を象徴しているように思えました。こども食堂の活動を皮切りに、人のつながりを強めるような様々な活動が今後展開されていくことが人々の生活に大切なことであると感じました。

Tetsuya1221    reply

興味深いお話をありがとうございました。実感につよく裏付けられた、人と人との繋がりの重要さについてのお話が非常に印象的でした。リモートワークやオンライン講義などの新しい生活スタイル、距離の感覚が注目されているコロナ禍において、かえって物理的に近い場の話である地域の繋がりが非常に重要なことであると実感することが面白いと感じました。講義の中で民間と行政の性質と役割の違いについて述べられていましたが、その中で民間のプロジェクトの安定性について気になりました。行政によるサービスと違い、民間のプロジェクトは人が主体となって運営されますから長期的な視点でみた時、新たな担い手が見つからないなど安定性の問題にどこかでぶつかると思います。安定的にするためどのような取り組みがなされているか、または可能なのか気になりました。。

somanypeople    reply

子供食堂は初耳だったので聞けて良かった。
小さい時の交流ほど信頼できる(繕ってないその人を知っているため)と思うのでこういう場は非常に重要だと思った。
私自身もこういう暗い情勢の中では人との交流がないと気が滅入ってしまうので、子供なら尚更大事だと思う。
自由に交流することが非難されるようなコロナ禍ではあるが、最大限配慮しこういう場を大切にして守り続けている人たちがいることに感動した。
ニュースでは感染対策の面から交流を控えるようなことばかり流されるが、交流の場を守るためにあらゆる努力をしている人たちがいることも知らせて欲しいと思った。

1mae61    reply

こども食堂についてはテレビニュースなどで見たことがある。コロナ禍によりただでさえ人とのかかわりが希薄となっている中で、貧困層の子どもが食の援助を受けられるのは良い仕組みであると思う。自分の出身である沖縄にもこのような食堂が広がればと願っている。

yuki28    reply

子ども食堂については最近ニュースなどで耳にすることが多くなっているとは感じていたけれど、自分が思っていたよりも新しいもので、貧しい子供の援助のみを目的とするのではなく繋がり続けるための場所だと初めて知った。今まではあまり意識してこなかったけれど、自分が小学生くらいの時には地域の人や他の子供達とのつながりがあったことは、とても重要だったのだと感じた。だからこそ地域内のつながりが薄くなっている中で、つながりを保ち続ける場として子ども食堂が存在することは必要だと感じた。

taki3    reply

講義ありがとうございました。名前だけは知っていた子ども食堂の実態について知れ、非常に勉強になりました。マジョリティーと同じ振る舞いをマイノリティー(もはやマイノリティーこそがマジョリティーであるのかもしれませんが)に強いることにいかに無理があるのかを実感しました。繋がり続けるという思想はとても魅力的で、自身でも子ども食堂のことについて調べ、ぜひ参加してみようと思いました。成熟社会の中で質を重視した関わりができるようになっていければ、と願います。

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