ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第5回 11月09日 渡邊 雄一郎

植物がしめしてくれる記憶と記録

植物が地球上に誕生して以来、地球の環境を数十億年かけて変えてきました。それによってわれわれを含む動物も現在生きることができます。その過程を記録と して捕らえ、そのような記録があるか。そして以後の進化の過程で生物それぞれの遺伝子の使い方(発現制御)を工夫(変異と淘汰)してきたと見ることが出来 ます。このように植物を見た際に、遺伝子を記録としてみた際に、記憶に相当するものがあるのか、それは何なのかを、一緒に考えてみたい。私も一緒に答えを 出していくことになるので楽しみにしています。

講師紹介

渡邊 雄一郎
植物を対象にして、生物が地球環境の中で生きていること、生き延びてきた仕組みを、遺伝子やRNA分子に注目しながら研究している。なぜ木は大きくなるのかといった目的論ではなく、どのようにして大きくなることができるのかという機構に興味があります。
授業風景

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コメント(最新2件 / 7)

mare    reply

どうやって植物が花を咲かせる時期を判断しているのか、いわば、植物が季節を知る方法について、とても興味深く伺いました。
植物が、「過去6週間の気温」など、外的な条件を統合して判断している、いわば「記憶」を持っている、ということに驚きました。

しかし、植物は毎年同じ季節に花を咲かす、植物は季節に応答する、というような語られ方には、少し違和感があります。
私たちは、桜、菜の花、あじさい、彼岸花、銀杏など、風物詩とも言える植物の様子を見て「もうそんな季節か」という言葉をよく口にします。
暦(カレンダー)を発明してしまった私たちには薄らいでしまった感覚かもしれませんが、「季節」という時間感覚は、大きく植物によって形成されてきたのではないかと思います。
ある季節になるとある植物が花を咲かす、というより、ある植物が花を咲かすその時期をある「季節」と名付けた、という方が当たっているような気がします。

「季節」というものを、ある植物が様々な情報を統合して最も良い咲き時として選んだ時期、とするならば、それは植物の「記憶」と呼べると思います。

秋のころには、銀杏が葉を黄色くし、私たちはそれを見て「秋だなあ」と思う。
「季節」とは、私たち人間と植物との「共有された記憶」とも言えるのではないでしょうか。

P.S.
いまは全く区別せずに語ってしまいましたが、開花ではなく、紅葉や落葉なども「過去6週間の気温」のような「記憶」によって抑制-促進されているのでしょうか。

宮崎榛名    reply

植物は周囲の環境や、その変化を記憶し、開花などをコントロールしているというお話を伺って、植物が記憶によって遺伝子という記録を制御し、より種の生存に有利になるよう行動する、非常に合理的な存在であるということがわかりました。さらに、6ヶ月間の気温の変化という比較的短期の環境記憶だけでなく、環境の変化に適応したかたちに遺伝子の発現を変化させ、その記憶を次世代にも伝えるという、長期的な記憶をも使っているということが興味深かったです。記憶を記録にも反映し、より有利に生存できるように変化していく。植物と記憶ということばの間には、あまり関連性がないように思っていましたが、両者の間には深いつながりがあるとわかり、驚きました。
植物がどのように記憶を保持しているのか、その仕組みの解明が楽しみです。

yu    reply

植物も種の生存のために長年の経験である記憶によって遺伝子という記録を制御するというのを知りました。
動物には記憶があるというのはすんなり受け入れられますが植物にあるというのは少し意外でした。
しかし僕たちが当たり前と思っていることがじつは植物の記憶によって作られているとは驚きです。

紅葉咲姫    reply

ご講義ありがとうございました。
 遺伝子を植物の記憶ととらえるということはとても興味深かったです。そう考えると動物の遺伝子も生理的な記憶とみなせると思いました。
 植物を過去の事実を知るための証拠と考えることは、記録そのものの検証のやり方を垣間見れたようで面白かったです。

s.s    reply

ご講義ありがとうございました。
ま植物にも記憶があるというお話は初めて聞いたものでとても興味深かったです。植物の記憶は種の保存に役立っているという点で、人間の記憶とはまた違った働きをしているんだなと思いました。

mamamama    reply

ご講義ありがとうございました。
植物の外的な環境を自分のからだの中にたくわえており、またそれを遺伝子に書き残すという形で、記憶を次世代に伝達しているというお話でした。たいへん興味深くうかがいました。
ふだん私たちが人間の記憶について考えるときにイメージするものは、具体的な出来事についてのことであったり、またそれに付随する感情や思いのことであったりすることが多いとおもいます。しかし、一方で、意識の俎上にあがらない微細な感覚、それはまさに植物の場合と同じように環境の微妙な変化であったり、または対人関係でのほんの小さな感情の動きであったりすると思いますが、このような「記憶」も日常の行動に大きな影響を与えていると思います。たとえば、風邪を引いてつらい思いをしているときの日記の文体は、平常時に比べて確実に変化が起こっているはずですよね。
直感的には植物と人間の記憶の扱いはまったく別のアナロジーに基づいているという気がしますが、実際は似通った部分もあるのかな、とおもいました。植物についての記憶と記録のことを考えることで、人間のそれについての考え方も拡張していけると面白いとおもいます。

C.O    reply

ご講義ありがとうございました。
私は理系の学生で、夏学期に生命科学の授業を受講していたために、エピジェネティックな情報の伝達についてもう少し細かな話が聞きたいと思いました。生命科学の授業で、ヒストンやDNAの化学修飾情報と、その結果として発現する形質の情報が一対一に対応すると考えるのではなく、修飾状態を、ネットワーク上を推移する状態として捉えるべきではないか、という問題点を扱いました。植物の記憶、というものについて考える上では、DNAの塩基配列と結果産生されるタンパク質を関連づける程容易くはないと思いました。
そして、その伝達される記憶情報の複雑さは、我々人間の脳内で、神経細胞が複雑なネットワークを作っているという様相に、どこか近いものがあると感じています。

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