ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第13回 01月25日 高橋 哲哉

記憶のエチカ II

※受講生は事前に参考資料を読んでおいて下さい※
(上の【レジュメダウンロード】よりダウンロード可能(要パスワード))

戦争、虐殺、迫害など、人類や共同体の歴史に大きな傷跡を残すトラウマ的な出来事について、「記憶せよ」「忘れてはならない」と、「記憶の義務」が語られ ることがある。記憶すること、忘れないことは、「和解」や「赦し」を可能にするのか、不可能にするのか。それは、克服されるべき被害者のルサンチマンの声 なのか、無慈悲な時の流れに抗議する正義の要求なのか。ナチス・ドイツのホロコーストに関する、哲学者ジャンケレヴィッチ(V. Jankélévitch)の議論とそれに対する反響を主な素材として、こうした問題を考える。
 

講師紹介

高橋 哲哉
1956年生まれ。専攻は哲学。近年の研究テーマは、共同体や宗教における犠牲(sacrifice)の論理の批判的検証、ジャック・デリダの脱構築 (deconstruction)思想の再検討など。大学では、社会哲学、倫理学、表象文化論、人間の安全保障などの科目を担当。中国語訳著書に、『デリダ脱構築』、『靖国問題』、『国家と犠牲』、『戦後責任論』。
授業風景

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レジュメダウンロード

高橋先生講義資料(ジャン・アメリー『罪と罰の彼岸』)

高橋先生講義資料(ニーチェ『道徳の系譜』)

コメント(最新2件 / 5)

宮崎榛名    reply

ご講義ありがとうございました。
ルサンチマンというものの複雑な性質に、興味をもちました。一般的に、恨みというものは持つべきでないもの、道徳的に悪いものと認識されています。しかし、ある重大な事件(ホロコースト)の被害者にとって、それは犠牲者の存在を忘れないために、持ち続けるべき感情にもなるのです。ルサンチマンを抱き続ける苦しみも含めて、ジャンケレヴィッチやアメリーはこの感情と記憶を引き受けたのでしょう。
ただ、アメリーの「被害者はルサンチマンにケリをつける必要がある」という主張が気になりました。加害者に勝てる見込みがない以上、被害者はルサンチマンを捨てるべきということなのか、それとも他の意味があるのかという点について、考えを深めてみたいと思います。

紅葉咲姫    reply

 ご講義ありがとうございました。
 講義をお聞きして、加害者がそのことを後悔することを求めるというのは、とても新しい視点に感じました。罰において精神面を問題とせず行為や結果を問題にするのに対して、真逆のことであるように思われました。
 また、ルサンチマンという同じ用語に違う意味を付加しつつ、根底にある共通の概念を用いているのを面白く感じました。

yu    reply

ご講義ありがとうございました。恨んではいけないとみんな思っていると思いますがそれでも恨みというのは時には必要だと思います。しかし恨みは犠牲者を忘れない大切なことだと思います。日本でいえば原爆とかもそうだと思います。それを忘れないために毎年その日になるとニュースとかにもなると思います。

s.s    reply

ご講義ありがとうございました。
恨みというものは記憶のひとうの形なのではないかなと僕は思いました。また、ルサンチマンの話はとても興味深かったです。

mamamama    reply

ご講義ありがとうございました。
ルサンチマンというものについての話でした。講義の最後に出てきた記憶の問題は、最終的には世代間の記憶の受け継ぎに関わるものだったと思います。
長いスパンで記憶を受け継いでいく、ということは一筋縄ではいかないと思います。これについては自分自身も深く受けとめなくてはならないと感じました。

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