ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第1回 10月06日 熊谷晋一郎

当事者研究ー固有の〈わたし〉を探求する

 障害や病気、依存症や被災など、十分に言語化されず、従って共有されていない困難を抱える当事者が、類似した困難を抱える仲間と共に、困難の言語化、メカニズムや対処法を探求する当事者研究について、具体例と共にその歴史や方法を紹介する。とくに、自閉スペクトラム症と依存症の当事者研究を通じて、コミュニケーション障害や、競争の激しい能力主義的環境における孤立といった、普遍的なテーマについて考える。

講師紹介

熊谷晋一郎
大学先端科学技術研究センター准教授、小児科医。東京大学バリアフリー支援室長、日本発達神経科学学会理事、日本学術会議連携会員、内閣府障害者政策委員会委員。 新生児仮死の後遺症で、脳性マヒに。以後車いす生活となる。東京大学医学部医学科卒業後、千葉西病院小児科、埼玉医科大学小児心臓科での勤務、東京大学大学院医学系研究科博士課程での研究生活を経て、現職。専門は小児科学、当事者研究。主な著作に、「リハビリの夜」(医学書院、2009 年)、「発達障害当事者研究」(共著、医学書院、2008 年)、「つながりの作法」(共著、NHK 出版、2010 年)、「みんなの当事者研究」(編著、金剛出版、2017 年)、「当事者研究と専門知」(編著、金剛出版、2018 年)、「当事者研究をはじめよう」(編著、金剛出版、2019 年)、「当事者研究」(岩波書店、2020 年)、「<責任>の生成」(共著、新曜社、2020年)など。
参考文献
  • 綾屋紗月、熊谷晋一郎『発達障害当事者研究:ゆっくりていねいにつながりたい』医学書院、2008。
  • 石原孝二・編『当事者研究の研究』医学書院、2013。
  • 上岡陽江、大嶋栄子『その後の不自由』医学書院、2010。
  • 熊谷晋一郎『当事者研究:等身大の〈わたし〉の発見と回復』岩波書店、2020。
授業風景

 第1回では、大学先端科学技術研究センター准教授、東京大学バリアフリー支援室長の熊谷晋一郎先生にご登壇いただき、当事者研究の基本理念や歴史、具体例についてお話をいただいた。専門家がおこなう研究とは異なり、当事者研究では、障害や生きづらさを抱える当事者自らが話し合いを通じて解決策を見つけていく。一人一人の<固有性>を、共有しやすい形で分かち合うことで個人、社会に関する新たな知見を生むというのが、その意義のひとつである。

 熊谷先生自身も脳性まひをもち、自身の症状にぴったりと合致する研究に中々出会えないという経験から、自らの固有性到達への難しさを実感されていた。「かけがえのない自分」という言葉は、われわれが了解している概念であるが、当事者研究ではどのように自己の固有性にアプローチするのだろうか。

 まず、当事者研究では固有の「わたし」をわたしだけの「からだ(身体性自己)」とわたしだけの「物語(歴史的自己)」に分けて捉える。そのうえで、周囲の人からの聞き取りを交えつつ、エピソード(なかでもとりわけ、困ったこと)の連なりである「自分史」を作成することで、個々のエピソードのパターンからは身体的自己の特徴が、連続性からは歴史的自己の在り様が見えてくる。

 こうした自己の多角的知見が、当事者自身にもたらす恩恵は幅広い。身体的自己の情報は、「自身が環境の変化に対してどの程度変われるか」という可塑性を示すことで、日常生活に大きな見通しを与える。そのうえで、自身の変えられない部分は社会への新たなニーズという「資源」も生み出す。歴史的自己は自伝的記憶とも言い換えられるが、こうした記憶が個人の生きやすさや他者への共感性、将来へのビジョン形成や創造性を向上させるという研究成果も出ている。

 当事者研究では、同様の経験をもつ他者と対話し、それぞれの記憶を共有することで編みあがる自己知識が重要だという。このアプローチが生まれた背景には、悩みを打ち明けづらい障害を抱える人々による、自助的な研究実践があった。2001年、精神障害等をかかえる当事者たちの地域活動拠点「べてるの家(北海道)」を舞台として、ある症状を抱える当事者たちによる共同研究が行われた。この研究の目的は、「爆発(自己が制御できず、破壊行動に至る状態)」という身近で喫緊の「困りごと」を解決することにあった。ここでのアプローチは後に、多様な困りごとを抱える人々に広がっていく。

 この研究の特徴は、障害が引き起こす、一般的に「症状」と呼ばれるものを、客観的な解明対象に据えて、その価値判断を保留した点にあった。対話を通じて、べてるの家の当事者たちは爆発の原理を探り、「爆発」の後の「反省(ひきこもり)」が精神的な不安や焦りをもたらし、次なる「爆発」の起爆剤となっているのではないか、という仮説を立てた。検証のために当事者自身による「実験」(「爆発」をしても「反省」せず、周囲とコミュニケーションを取る様に努める、というもの)が行われ、最終的に、周囲との対話は「爆発」の負のスパイラルを断ち切り、更なる大規模な「爆発」を防止できる、という結論にまで至った。

 このように、在野で芽吹いた当事者研究は世界的な広まりを見せたが、その理念的背景としては、当事者活動の系譜に取り残されて、声をあげることの難しさを感じていた当事者の存在があった。

 当事者活動にはふたつの系譜があり、大きく分けると難病・障害者運動と依存症自助グループのふたつの流れとなるという。綾屋紗月先生の研究によれば、語りの統合による、難病・障害をもつ当事者の社会的権利の要求および社会変革が前者の特徴であるのに対し、後者は語りの陳列(並置)により、依存症の当事者自身の無力さへの自覚や、各自の固有性の共有を目指していた(授業では、それぞれが「シンフォニー」「ポリフォニー」という言葉で紹介された)。

 しかし、それぞれのグループは、固有の手法では十分にケアしきれないようなマイノリティを内に抱えていた。障害をもつ当事者の間では、慢性的な痛みを抱える当事者や、精神障害、発達障害をもつ人々が、自己への知識を必要としていた。依存症の当事者のなかでは、貧困や差別に苦しむ者や、重複障害をもつ者、女性や違法薬物の依存症者といった人々が、社会変革を求めていた。

 当事者研究の利点は、対話にもとづく「自分史」の共有が生む個人・社会への還元にあると先に述べたが、上のふたつのアプローチの統合がこの手法に繋がったといえる。

 当事者研究をより良くするための手がかりは3つある。ひとつは「外在化」であり、当事者の「困りごと」の原因を本人に押し付けるのではなく、他の要因(周囲の人々や環境といった外在的要因)を視野に入れつつ、周囲の人とともに向き合うことを意味する。さらに、「具体性」、すなわち自伝的記憶を成す記憶をできるだけ具体化し、クリアな歴史的自己を得ることも必要である。最後に、「分かち合い」があり、これは前述の精神障害をもつ当事者のように、共有しにくい経験をもつ当事者たちが集い、自己の経験を語り合える場の構築が求められる。

 講義終盤では、当事者研究の事例(身体障害・依存症・自閉スペクトラム症ASD・精神障害)が、専門家による同分野の研究との比較の形で紹介された。長い研究の歴史をもつ身体障害だが、障害を当事者に内在するimpairmentとして捉える見方(医学モデル)が主流であった。一方で障害を社会との接点に生じるdisabilityとして考える(社会モデル)当事者研究は、コロナ禍の現代社会についても重要な示唆を与える。その背景には、感染症の拡大によって、ひろく人々のあいだにも、社会とのミスマッチ(孤立問や情報・医療サービスへのアクセスへの困難、差別、等)が発生している現状がある。言い換えれば、新型コロナによる社会の変容によって、ひろく人々がdisabilityを体験していると言える。

 ASDはアスペルガー症候群と呼ばれる場合もあり、当事者は社会から周縁化される傾向にあった。しかし、当事者研究においては、コミュニケーション障害の原因は本人の欠損よりもむしろ社会との接点に求められ、当事者自らが新たな社会を提案する。例えば、ASDの子供たちにとっては、視線を交わす対面ではなく、横並びのコミュニケーションがより楽である、という研究成果が発表されている。

 当事者研究は多岐にわたるが、いずれの研究も、当事者の声が届きづらかった医学研究に風穴を開けている。「治療法の民主化」という言葉がとても印象深かった。

 授業後には質疑応答の時間が設けられた。いくつかの質疑をご紹介する。自助運動が高まる現代において、専門家による医学研究の今日的意味を問う質問に対しては、あくまでも当事者・専門家の両者によるアプローチが重要であり、当事者の経験と医学的知識の双方が当事者には必要である、という旨のご回答があった。価値判断に適さない医療が手段を、当事者研究が目的を提供するという捉え方も紹介された。

 専門家による研究と、当事者研究の間のずれの原因を尋ねる質問もあった。先生は医学研究における専門家と当事者の間のコミュニケーション不全(権力勾配に起因する、対話もどきが起こってしまっている現状)を指摘され、さらに当事者が自らを十分に言語化できていないというお話もあった。

 偏った情報やストレスなど、われわれは現在も様々な要因から人をグルーピングし、「問題がある人」という見方を押しつけてしまいがちなように思われる。そうした一義的な見方に囚われる前に、困りごとを抱える人の声を聞き、社会を柔軟に変えるという発想の転換が必要であると学んだ。そのうえで、声を上げることが難しい人々の希望を社会と接続するような、当事者研究の意義はますます大きくなっている。

(文責:TA松浦)

コメント(最新2件 / 20)

濱口泰征    reply

自助グループにおいて、例えば相手のリアクションを気にして本音を吐けない人々のグループであれば、相槌を打つことなく対話を進めていくというのが非常に興味深かったです。障害は身体の内に宿るものではなく、社会環境にあるのだという考え方はとても新鮮でした。また、本人に問題があると考えるのではなく、問題を本人から切り離すという、外在化の概念も目新しかったです。

sk0515    reply

当事者研究というものを今回の講義で初めて知りました。「わたし」の感覚は当然自分自身にしか分からないものであり、自分自身を研究対象にするということは非常に合理的だと感じました。また、障害は自身の体の内側に宿るのではなく、そのインペアメントがあることが生きづらさにつながってしまう社会環境の方にあるのだという考え方にも非常に納得しました。

ken0712    reply

今まで身体障がいや精神疾患を持った人に対して、健常者の立場から何ができるか?というようなことを考える機会しかなかったので、障がいを持った人の視点に立つ今回の講義はとても興味深かったです。お互いを理解するための対話の重要性を実感させられました。

yk0819    reply

当事者自身が、類似した問題を抱えている人々と協力しながら自分を研究するというのは非常に興味深いと感じた。医師は決まった型にそれぞれの人の抱えている問題・障害をはめる傾向がある。そして、この問題はこういう風に治療して最終的にはこういう状態になるべきなんですというようなことを押し付けてくる。精神科のみならず一般の内科・外科でもこのような医師は少なからずいる。だから、当事者研究が大事になってくる、当事者自身の感覚が大事になってくるということがよくわかった。また、当事者活動と一口に言っても障害者と依存症では方向性が真逆な部分も多いのはなぜだろうと考えていたが、説明を聞くうちに系譜の違いの原因もある程度わかった。

非常に驚いたのが、統合失調症の患者でも他人の妄想については妄想だと判断できるというところで、自分の妄想だけは別というのが不思議だ。また、他者の反応が気になってしまう人のために反応をなくすというところも意外だった。なぜなら、うんうんというような受け入れてもらえていると思えるような反応をするんだろうなと思ったからである。

gyoza0141    reply

この講義を通して感じたことが2つあります。1つは、人とのかかわり方についてです。当事者研究の場においては、類似した他者との対話の中で自分の姿を見つけていく過程があることについて言及されていましたが、僕は自分とは考え方がまったく異なる他者との対話の必要性についても実感したことがあります。考え方がここまで違うと、自分の考えてきたことが全然正しいようには思えてこなくなる、そんな経験でした。これは自己を変革していく上でのいい体験になると思っています。以上のことから、類似した他者との対話で自己を規定し、全く異なる他者との対話で自己を変えていく、そういった様々な人とのコミュニケーションが大切だと感じました。また、そのコミュニケーションの方法についてですが、オンライン授業が始まってから僕は対面でのコミュニケーションのほうが自分にとってはやりやすいと感じていました。しかし、今回の講義でASDについて"side by side"なコミュニケーションが向いているという話を聞いて、そういった見方もあるのかと発見になりました。そういった意味で誰もが“生きやすい”社会を作ることはやはり容易ではないが目指していかなければならないということが、僕の感じたことの2つ目です。そのような社会を作っていくために研究や議論を活発にしていくことも重要だと感じましたが、それと同時に、"生きづらい"という感覚もまた人間らしく、それと向き合っていくことで“生きている”と実感させてくれる重要な要素だとも感じました。

0326ema    reply

初めて聞くことばかりで、非常に学ぶところの多い講義でした。中でも、コミュニケーション障害についての考え方を非常に興味深く思いました。場に合わせた個人の無理な適応を強要し、うまく適応できない人をコミュ障と呼んで対話を諦めるのではなく、対話の場自体を柔軟に変えて各人にとって心地よいコミュニケーションを目指す努力は、多様な他者と関わる上で忘れてはならない視点だと感じました。

samiru618    reply

当事者研究において、自分の変えられるところと変えられないところを見極めることの重要性を教えていただきました。障害者の場合では周りの環境が変わること、依存症の場合では身近な人に依存できないことや過去の遮断を緩和することのように、変えられるものを変えていくという考えはとても合理的だと思う一方で、当事者でない人にとってはやはり変えられるものと変えられないものの区別は難しいのかなと思い、当事者研究の意義を感じました。

283ama    reply

さまざまな形の困難に対する当事者研究のあり方を見ていく中で、例えば障害者などというようなカテゴリーの中に当てはまらない、自分だけが抱えている問題や気づきも、普遍的なものと同様に重要なのではないかという考えが浮かんできました。
私自身とある障害を抱えているのですが、自分の悩みや苦しみが普遍的なものでなく、自分だけが感じているようなことであった場合、それを発信する意味が果たしてどれほどあるのか、という問題に納得のいく答えを出せず、今まで自身の障害について語ることをあまりしてきませんでした。私が困っているからといって、同じ障害を持つ人が同じように困っているとは限りません。私が見落としている、些細なバリアもたくさんあることでしょう。結局自分は自分という特殊なケースの症例しか体験していないのに、時には自分の発言が同じ障害を持つ人々、ましてや障害者全体の総意を体現したものかのように思われてしまうこともあります。それが怖いと思ったのです。
ですが、さまざまな当事者研究に触れてみて、一人一人が抱えている問題を科学的に分析し、研究の形に落とし込むことで、想像以上の豊かな知見が得られるのだということに気がつきました。何が多くの人に当てはまるもので、何がそうでないのかを知るために、個々の事例を丁寧に研究していくことが必要だとも考えられます。当事者研究を参考にしながら、自分の障害との向き合い方、発信の仕方についてもう一度考えてみようと思います。

shachi123    reply

当事者研究ということについてこの講義で初めて知りました。特に興味深かったのは、当事者と専門家で求めることが異なるというお話です。専門家と患者という構造になるとどうしても専門家の権力が強くなってしまうというのは想像できますが、その上で当事者の声を尊重する姿勢が浸透していないということ、または当事者の声を聴く必要性が浸透していないことが問題なのかもしれないと感じました。また、(私が無知であっただけかもしれませんが、今まで当事者研究を耳にしたことがなかったので)当事者研究を行う機会がもっと身近になると良いなと思いました。

L1F2    reply

外在化や分かち合いにより問題に向き合うという当事者研究のメソッドは、障害を持っていないとされるが日々生きづらさを感じている人々(社会環境とのミスマッチを障害とする考え方からすれば、こうした人々も障害に苦しんでいるということになるのでしょうか)にも応用できるのではと思いました。当事者研究の考え方が普及し、現在はっきりとした症名がないこうした人々のための分かち合いの場もできれば、一人でも多くの人が生きやすい社会になるのではと感じました。

DonnyHathaway21    reply

障害とは個人内部で完結するものではなく、社会機構とのズレから生じるものだ、という観点は新鮮だった一方、それは私たちがなんとなく目を背けてきた現実でもあったように感じました。"Covid19で障害が普遍化した"という一節にもあったように、障害は私たちに身近なものになり得ます。更に言うならば、社会機構と全く一致するような生き方の個人などいるはずがありません。私たちは、ある意味では全員がディスアビリティを抱えて生きているはずです。"当事者研究"は、個人と社会との間のそのような差異が見えにくくなっている現代への、重要な視座であると思いました。

sakasaka05    reply

専門家と当事者のアプローチのずれについて関心を持ちました。専門家は基本的に障害や病状そのものの改善を目標としているのに対し、当事者は現状を受け入れた上での過ごしやすい環境を求めているという違いがあったと思います。それに関連して、アメリカでは自助グループが積極的に立ち上がったという話も興味深かったです。

dta28    reply

当事者研究が自分の「変えられる/変えられない」を把握する態度であると聞いて、「ニーバーの祈り」を想起しました。神学者によるこの言葉には、次のような一節があります。

変えられるものを変える勇気を、変えられないものを受け入れる冷静さを、そして両者を識別する知恵を与えたまえ

多くの人は、心的にも身体的にも様々な悩みや苦しみを抱いているものです。その現状に目を背けることなく問題解決につなげるためには、まずはその苦しみの要因が「変えられるのか、変えられないのか」を判断することが大切なのだと思います。当事者研究は民間の活動から生まれた比較的新しい解決手法であるとおっしゃっていましたが、その判断を客観的にできるという点で非常に理にかなったもののように感じました。

mhy2135    reply

障害は社会環境、あるいは社会環境と人の相互関係に宿っているという考え方は私にとって新しいものでしたがものすごく腑に落ちました。また当事者たちは自分で自分にアクセスできない状況にさせられ症状の内容やアプローチ方法など様々なことが専門家らによって決定されている、ということをこれまではあまり認識できていませんでしたが、自分のことにも関わらず他者に決めつけられてしまっている状況には違和感を覚えました。講義内にて「回復定義の民主化」という表現が登場しましたが、当事者研究はこうした様々なことに関する民主化への第一歩であるように感じました。

lmn7    reply

COVID-19により障害が普遍化したという話が特に印象的でした。身体だけでなく社会環境の急速な変化によっても新たに障害を持ち得ると考えたとき、障害を広い視野で捉えることの重要をひしひしと感じました。また、精神障害を持った方の研究からスタートした当事者研究が今後、今まで認知されてこなかったような困難を抱えている方々においても行われていくのかなと期待を寄せました。

q1350    reply

当事者研究を通した自分自身の固有のFaceの発見は、分野の専門家が進み自分自身の状態すらも他人に依拠してしまっている現代において、新手目て見つめ直さなくてはならない手法であると思いました。また、その研究対象として、大きく身体的自己と歴史的自己に分け、似通った経験を持った他者とのコミュニケーションを行うことで、社会のデザインを変えるためのアイデアにつなげたり、自らの生きやすさを獲得していくという流れは、まさにこの方法が最適なように思いました.

mehikari18    reply

授業の中で例として挙げられていた、「依存症は何かに依存しているというより依存できるものがない状態」ということは思いついたことがなかったし、まさに当事者研究のおかげで明らかになることだと感じた。そういった点からも、当事者研究の意義・重要性を知ることができた。また、今までの障害者に対する取り組みが、「世間で「普通」とみなされる人」が「世間で障害者とみなされる人」を勝手に解釈して、「普通」を押し付けるという側面が大きかったということにも気づくことができた。

face1030    reply

内容についてほとんど知見がなく、非常に興味深い講義でした。そもそも当事者研究というものを初めて知りましたが、専門機関発祥でないことに驚き、さらに広く普及していくだろうと思いました。自身の変える、変えられない線を探るということは、生きていく際、全ての人が他者と関わる上で考えておくべきことだと思ったので、自身も意識していきます。

tugariz    reply

当事者研究の具体例として、爆発という現象を抱えた方が、その現象に対する価値判断を保留してそのメカニズムを客観的に分析したという話が印象的でした。周囲の人が問題を抱えた本人に反省や改善を押し付けるのではなく、問題と本人を切り離して考えるという発想の転換になるほどと思いました。このような形で問題を捉えられれば、当事者は気持ちの面で過度な負担を感じることなく、周りの人は同じ目線に立って考えることができるだろうと思います。

nv0824    reply

今回の授業で当事者団体というものを初めて知りましたが、このようなものは障害を抱える人々にとってとても大きな支えになると思います。状況は異なりますが、私自身も自分の悩みを他人に相談したり打ち明けたりするときには、自分とは性格が正反対であまりその悩みに共感してくれなさそうな人よりは、自分と性格が比較的似ていてその悩みに共感してくれそうな人に相談することが多いので、当事者団体の実践についてとても腑に落ちるなと感じました。

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