ディシプリン(学問領域)に
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第9回 12月08日 渡邉正男

日本中世における「Face to face」の変容

 新型コロナウィルス感染症の拡大によって、「Face to face」に基づく関係は大きな変容を迫られている。日本中世においても、鎌倉幕府の成立から承久の乱を経た御家人制の全国的拡大は、主従制に本来不可欠であるはずの、主人と従者との「Face to face」の関係を急激に困難なものとした。また、「対面」による口頭伝達から文書による伝達への緩やかな移行も同時に続いていた。講義では、これらの変容の具体的なあり方とその様々な影響について述べる。

講師紹介

渡邉正男
東京大学史料編纂所准教授。 専門は日本法制史。法・制度および権利の関係のあり方が歴史的にどのように変化していったかを、史料に基づいて、具体的に明らかにしたいと考えています。現在は、14世紀の社会秩序の構造変化において、在野の法知識・法技能を有する者達が果たした役割に関心があります。
参考文献
  • 石井進ほか(校注)『中世政治社会思想 上』岩波書店、1994。
  • 佐藤進一、池内義資(編)『中世法制史料集 第1巻 鎌倉幕府法』岩波書店、1955。
  • 佐藤進一、池内義資(編)『中世法制史料集 第2巻 室町幕府法』岩波書店、1957。
  • 池内義資(編)『中世法制史料集 別巻 御成敗式目注釈書集要』岩波書店、1978。
授業風景

 第9回は、史料編纂所准教授の渡邊正男先生にご登壇いただき、日本の中世(鎌倉時代)における将軍と御家人の関係の変遷について、「対面」が果たす役割という観点からお話しいただいた。

 渡邊先生が勤務される史料編纂所は、前近代(古代から明治維新期まで)の資料を収集、分析し編纂する役割を担っており、そのルーツは江戸時代にまで遡る。本講義でも、鎌倉時代の史料をもとに中世の主従関係の変遷が紐解かれた。

 今回、分析の対象となったのは、鎌倉時代の黎明期から中期にいたる期間である。源頼朝の築いた幕府の統治体制が、時代の変遷とともに現実とのあいだで齟齬をきたしていく時期である。武家社会の主従関係はもともと「御恩」と「奉公」からなり、将軍が御家人に本領安堵・新田給与(領地の支配を認める、新たな土地を与える)をおこなう代わりに、御家人が奉公(将軍に忠誠を誓い、さまざまな負担を引き受ける)することによって、安定した権力体制が維持されていた。

 源平の内乱を通じて力を蓄えた源頼朝は、元来、東国が本拠地であった。「吾妻鏡」の治承4年(1180年)の記述には、頼朝が御家人一人ひとりと言葉を交わして信頼関係を取り結んだ様子が描かれている。さらに、その5年後の元暦2年には、平家を滅ぼし朝廷から勝手に官位をもらってしまった東国の御家人たちに対して、頼朝が激怒し、一人ずつダメ出しを行なった記述も存在する。同箇所において、一人ひとりの御家人の容姿を酷評できるほど、頼朝は東国の部下とのあいだで、まさにFace to faceの近しい関係を結んでいたと、先生は指摘している。

 他方で西国の御家人については、名簿での一括管理にとどまり、Face to faceの関係は希薄であった。元暦元年には、敗走中の平家の残党鎮圧のために、讃岐国で集められた御家人の名簿が頼朝から承認されたという記述が存在する。

 幕府の成立後、平和の訪れとともに主従関係は変化していく。建久元年(1190年)に政務機関である政所を整備した頼朝は、東国の御家人関連の資料の再編を進めた。しかし、その間も西国御家人との関係は前述の名簿による管理が存続していた。この名簿の更新は10年に一度のペースであったという。天福2年(1234年)に追加された法令では、実際に統治を行っているものの、本領安堵を示す「下文」を幕府からもらえていないという、西国のいびつな状況について記されており、幕府と西国御家人との関係の希薄さを物語っている。

 鎌倉時代中期になると、幕府が課す御家人役の負担基準が具体的な個人名ではなく「所領の大小」で決められるようになる。従来の御家人との一対一の関係ではなく、土地の大きさに見合った財政収入が重視されはじめるのである。これにより、13世紀以降、名簿の作成が停止してしまっていた西国では、御家人を特定することが不可能になってしまった。

 こうして、将軍との一対一の関係に支えられていた御家人制度は、「御恩なき奉公」や「奉公なき御恩」といった奇妙な主従関係を生むようになる。たとえば、弘長2年(1262年)には、若狭国で百姓の宮河乗蓮が御恩を受けずに御家人として扱われていた事例がある(御恩なき奉公の例)。さらに弘安10年(1287年)には、御家人を務められない人間が御恩を受けるという事態も見られた(奉公なき御恩の例)。

 ひとつ目の「御恩なき奉公」の事例にはまだつづきがある。百姓であるにもかかわらず御家人とされていた宮河乗蓮が、若狭国の御家人たちの連帯によって排斥されたのである。文永7年(1271年)の「中原時国息女重鎮状」や健治2年(1276年)の「若狭国御家人等重申状」には、この御家人たちの訴えが記されている。以上の例からは、御家人集団がその内部で互いを認識し、関係性のなかで御家人の身分を構成していたという、もうひとつの「対面」を通じた権力関係もうかがえる。

 御家人のあいだに、こうした「対面」による自己規定が見られた一方で、源頼朝以来の将軍と御家人の一対一の主従関係は弱まっていたと先述した。しかし、そのような鎌倉中期にあっても、将軍に会い、一対一の関係を結ぶことのできる政治的回路が一部には残存していたと先生は指摘する。その究極の手段が「庭中」である。

 文永11年(1274年)の一度目の蒙古襲来に際して、没落した御家人であった竹崎季長は元軍への一番槍を果たした。しかし、手違いからその功績は幕府への報告文書には記されず、恩賞が与えられなかった。それを不満とした季長は、翌年(健治元年)6月に周囲の反対を押しきり鎌倉へとのぼる。奉行に訴えたものの、当初は誰にも相手にされなかった。同年8月、季長は将軍の側近であり実力者であった御恩奉行の安達泰盛との謁見を許され、議論の末に恩賞獲得に成功した。鎌倉に赴いて直談判をおこなった季長は、元寇の恩賞を得た御家人等のうち、ただ一人だけ将軍から手渡しで下文を受けとるという栄誉にあずかることとなった。

 「沙汰未練書」には、御所の庭で将軍を待ち、将軍に直接文書を渡して訴えを申しあげる「庭中」という方法が記されている。季長は、実力者である御恩奉行に直接面会することで、官僚的な先例主義という難しい状況を打開しただけでなく、将軍から直接に恩賞をもらうまでとなった。このように鎌倉時代中期においても、特別な判断のできる実力者との関係には「対面」の回路が、一般の文書のやりとり以上の効果をもつ場面が残っていた。

 時代とともに一元的な管理が進んでも、かならず立ち現れる「対面」の関係から、権力関係には「信頼関係」が内在しているのかもしれない、と考えた。一元的なシステムによる管理は、鎌倉時代よりも現代にこそ当てはまる、きわめて今日的な課題である。しかし、その裏ではつねに、ひととひとが互いに対面して話すことのできる「信頼関係」があってほしいと願ってやまない。

(文責:TA松浦)

コメント(最新2件 / 20)

face1030    reply

日本中世について明るくないので、非常に新鮮な内容でした。この時代であればface to faceの直接的な関係が基本的なものだと考えていましたが、主従関係の拡大などによってその直接的な関係が特別なものになったというのは印象的でした。

古瀧颯    reply

Face to Faceの一例として、鎌倉時代における将軍と御家人の御恩・奉公の関係の変化を知って、現代とはまた異なる対面のあり方を学べたように思う。主従関係に基づく対面コミュニケーションは現代では上司と部下の関係に似ているように思うが、御恩・奉公の関係には人自体でなく領土などの他の要素が当人の存在と並んで重要視されるようになり、人と人との関係という広義のコミュニケーションという面では、必ずしも当人の存在のみで成り立っているわけではないと思った。

taisei0303    reply

コロナ禍におけるFace to faceの変容を、日本中世の御家人制におけるFace to faceの変容と絡めて考察するいい機会になりました。急激な変化を目の当たりにすると、人間はどうしたら良いかわからなくなってしまいますが、歴史を振り返ると同じような変化が過去にあって、先人から学べることが必ずあるのだということを改めて感じました。

sk0515    reply

鎌倉時代の「御恩と奉公」の関係における対面(Face to Face)が持つ意味は大きかったということがわかりました。将軍と御家人の一対一の関係に基づいていた幕府は当初は強固だったものの次第にその関係が崩れていく過程が興味深いと感じました。対面での関係というのは強いけれどもその分負担が大きいのだと思いました。これは、現代社会にも当てはまると私は考えます。コロナ禍の現在は対面が難しくなっていますが、コロナ以前にもすでにSNSなど非対面のコミュニケーションが広がっていました。これには、対面コミュニケーションは負担がかかる(身なりを整える、移動するなど)という側面もあるのではないかと思います。ただし、この考えは一概に対面・非対面が良い・悪いというのではなく、それぞれの特徴を理解して使い分けるべきだ、ということを意味しています。この対面→非対面への移行は、鎌倉幕府のそれと似ていると思います。これによって幕府は崩壊しましたが、現代社会はどのように変化していくのか、興味深いです。

赤尾竜将    reply

本日の講義は大変面白かったです。僕は理系の学部生なのですが、現存する史料から大昔の御家人の統率状況、対面から非対面への変遷を追っていく過程にとても強く惹き付けられました。「吾妻鏡」など、資料に掲載されていた史料を個人的に読んでみようかと思います。ありがとうございました。

0326ema    reply

対面/非対面の違いを考えるとき、当たり前のようにコロナ禍にある現代社会やこれからの社会のことを考えていたので、日本の中世社会に戻って対面/非対面を考えるという切り口を非常に興味深く感じました。私が日本史の知識をほとんど持ち合わせていなかったために、内容が少し難しかったのですが、御家人か非御家人かが対面での関係を持つかどうかに影響されると知って驚きました。また、竹崎季長の業績を対面との関係から考える切り口にも驚きました。竹崎季長については、蒙古襲来絵詞に載っている人という認識しかなかったので、先駆けについて情報が伝わらず苦労する姿に親近感が湧きました。

tsugu851    reply

授業ありがとうございました。最初は中世の話がface to faceとどう関係があるのか、こじつけではないのかと疑いながら聞いていましたが、鎌倉時代の歴史についても対面での関わりの重要性は同じだったんだなと、新たな視点を得ることができました。古文の資料こそ出てきたものの、生徒と教師の関係や、企業と顧客の関係など、現代にも通じるところが多くあり、すごく考えさせられました。

lmn7    reply

face to faceの密接な関係を築くことのできる人の数は人間の能力上限られてきてしまうが故に、主従関係の形態が変わってきてしまったのかなと思いました。幕府の規模が大きくなるに従って、将軍が側近とface to faceの関係を結び、その側近がまたその部下とface to faceの関係を結び...といったような感じで、複数のface to faceの関係が将軍から末端の御家人まで糸のように繋がっているようなイメージなのかなと思いました。また、御家人役を務めることができなくなった御家人や、御家人役を自ら進んで務めようとする非御家人は本来あったfaceの形態を歪め、その糸を断ち切ってしまったのかななどと感じました。鎌倉時代の将軍と御家人の主従関係の変化や竹崎季長の話はなんとなく聞いたことがありましたが、その詳しい内容についてはあまり知らなかったのでとても面白かったです。

L1F2    reply

当初の一対一での親密な主従関係は個々の事情や代替わりなどで不安定であるため、政所などのシステムを整備し安定化を図ったことが、かえって将軍と御家人の関係の希薄化を招き歪みが発生した、というのが興味深かった。こうした事例は現代にも通ずるところを感じ、いかに組織を安定化させながら上下の関係を保つかのヒントが日本中世の主従関係の変遷に隠れているかもしれないと思った。時間がある時に講義資料をじっくり読んでみたい。

mhy2135    reply

耳馴染みのある「御恩と奉公」の関係にて当初築かれていた対面的な関係と、安定化を目指した結果その関係が希薄になった状態についてお話を聞けたことで、社会体制や存在する技術は違えど、今に通ずるような議論は昔から存在していたことに気づけた。そもそも「対面」という表現やそれを巡る議論はコロナ禍になってからよく使い、意識するようになったから、今になって気づくのも当然と言えば当然なのかもしれない。
東国御家人一人一人の経歴まで把握しているような関係性を築いていた一方、実際に対面するには金銭・労力ともにコストが大きかった中世日本と、技術発達により対面に近い状態を再現することが低コストで可能になった一方、ライブ配信などに見られるようにその技術を使って何万人もの人々が同じ状態を共有はしているが一人一人深く付き合うことはしない、という場合もある今を比べると何が対面的な関係構築で何がそうでないのかわからなくなってくるように感じた。

nv0824    reply

"face-to-face"や”対面”という概念は、コロナウイルスの流行によってそのようなコミュニケーションの形態が実現困難となったことによって意識されるようになったものだと思います。その一方で、この概念を日本の中世の主従制に導入することができるというのは非常に興味深く、私にとって新鮮な視点でした。

gyoza0141    reply

前々回の講義では、考古学的な見方から「顔」について考えるという題目でしたが、今回もそれと同様に過去の史料から現代の問題を考えるということで通じる部分があるなと感じました。「顔」の問題はコロナ禍になってから急激に論じられるようになりましたが、それは今までなかったこの問題が突然現れたからではなく、昔からあったこの問題がコロナ禍によって増幅された、顕著になってきたからだと思います。今も昔も人には顔があって、身体があってというように、問題としては取り上げられなかっただけでコミュニケーションにおいて顔とか身体性という要素は非常に重要だったのだろうと思います。鎌倉をいかに治めるかという点においてコミュニケーションが重要視されたように、現代の政治でも政策はもちろんですがコミュニケーションとか人々に自分をどう見せるかということが大事な気がします。

tugariz    reply

現代におけるface to faceを考える際には、コミュニケーションの円滑さや信頼関係の構築といったことが問題になりますが、中世でもそれは同じで、対面での関係を築くかどうかが身分・地位に直接的に影響を与えるほど重大だったことが分かりました。文書によるやり取りでは認められなかったことが直接、対面で交渉することで認められたという話になるほどと思いました。

noguchi5rohgoya    reply

私は中学生だった頃以来中世について学んだことがなく、御家人についても「幕府と御恩と奉公で結び付けられたが、新しい土地の獲得が目的でない戦いが増えて幕府が御恩を施すことが困難になっていきその関係は破綻した」といった程度の認識しか持っていませんでした。その関係にface to faceという視点を持ち込んだとき、対面での交流の持った重要さについては我々の現在の状況からして驚きと多少の親近感すら覚えました。過去においては対面コミュニケーションを妨げたのは地理的な距離などでしょうが、それを感染症に置き換えたとき、実は類似性がこれらの間にあったのだと見えてきそうな気がします。

choi1125    reply

今では技術が進歩して離れていても擬似的な対面コミュニケーションができるが、それらがなかった時代に日本を統治するために試行錯誤を重ねていたことを知った。時代が下るにつれ実際に主従関係がないのに非御家人が御家人の役割を担っている実態などは教科書を読むだけでは分からなかったため、初めて知れて面白かった。

touko8230    reply

久しぶりに「御家人制度」「御恩と奉公」などといった言葉を聞き懐かしい気持ちがするとともに、高校時代に覚えた鎌倉幕府の隆盛を、このような視点を持って考察することができるのが興味深かったです。授業内では中世の文字史料を扱いましたが、『吾妻鏡』の勝手に官位をもらった人リストの記述など、今読んでもくすっと笑ってしまうようなものもあり、このように当時の人と人のかかわりを鮮明に描き出しているのが印象的でした。顔を合わせて築き上げる関係性と組織変更、それぞれが組織にもたらす安定性は性質の違うものですが、前者の重要性を再考するきっかけになる授業だったと思います。

坂上友紀    reply

face to face の授業に中世日本がどのように関連してくるのか講義を受けるまで想像もつきませんでしたが、中世における「御恩と奉公」が「対面」と絡められた内容で非常に興味深かったです。私は日本史は中学受験の知識で留まっていますが、それでも日本史(中世日本)を別角度からと得られることができ、楽しく講義を聴かせて頂きました。ありがとうございました。

dta28    reply

講義ありがとうございました。
私は日本史を受験で学びましたが、今回のように御恩/奉公の関係をコミュニケーションの面から捉えたことがなかったので新鮮な学びでした。身分にまで影響するほど中世の頃から意識されていた「対面性」が失われている現在は、極めて異質なのでしょう。ですが、コロナ禍の現在における人と人の関係性にも過去の時代に通じるところはあり、そういった側面を重要視すべきだというのは、今も昔も変わらないことだと学びました。

283ama    reply

鎌倉時代の御家人制度が、対面でのコミュニケーションを通じた主従関係の形成を困難にし、代わりに書面でのコミュニケーションを発達させたというのは非常に興味深いと思いました。鎌倉時代のこととなるとどうしても現代とはかけ離れたものとしてみなしてしまいがちですが、上記の流れは、コロナ禍によりオンライン上の新たなコミュニケーション様式が発展している現代と通じる部分が多くあることに気づきました。温故知新という言葉通り、歴史を様々な観点から見直してみることで、新たな発見を得られるのだということに改めて気付かされました。

mehikari18    reply

日本の中世の主従関係は、義務教育範囲内の知識しか持っていなかったため、今回の講義は初耳のことばかりだった。特に、主従関係が間接的なものから直接的なものへと変化したということは驚きだった。現在のコロナ禍では対面から非対面への変化が起こっているということを考えると、中世にそれと真逆のことが起こったというのは少し不思議な感覚である。

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