ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第11回 12月22日 高橋博之、白佐立

生きることは「あいだ」にある

 他者と関わることでこそ《あいだ》は生まれる。今の社会は界面活性剤化し、《あいだ》がないツルツルの人間関係が広がっている。摩擦がないから熱も生まれない。そして、ここには“生きる”が立ち上がってこない。私たちはいかにして暮らしや社会に《あいだ》を取り戻すことができるか。ツルツルの関係を、ゴニョゴニョの関係に変えることができるか。誰にとっても身近な「食」を手がかりに考える。

講師紹介

高橋博之
新鮮な食材を農家/漁師から直接買えるポケマル創業者(写真右側)。岩手県花巻市出身。地元の岩手で県議を2期、震災後は知事選にも出馬。その後、起業家に転身。食べ物付き情報誌「東北食べる通信」を創刊し、同モデルを全国40地域、台湾5地域に横展。47都道府県を情熱説法行脚するキャラバンを2度挙行。「歩くラジオ」毎朝配信、「車座座談会」不定期開催。著者に『都市と地方をかきまぜる』、『人口減社会の未来学』など。 ポケットマルシェ https://poke-m.com/about 東北食べる通信 https://tohokutaberu.me/

白佐立
教養教育高度化機構・特任准教授
授業風景

 第11回は、スマホアプリ「ポケットマルシェ」を運営する株式会社ポケットマルシェの代表取締役CEOであり、食べもの付き情報誌『東北食べる通信』の初代編集長を務められた高橋博之先生に、「食」の生産と消費を手がかりにして、現代におけるひとの関わりについてご講演いただいた。

 先生は二元論的な世界観とは区別される、「あいだ」の思想の伝統に着目する。森林と集落のあいだにある里山や、家の内と外のあいだにある縁側など、ふたつの空間の緩衝地帯をあらわす語彙は、日本語に多く見られる。こうした見方は、自然本来の性質にも即していると、高橋先生は考える。身体の器官が互いに連動し、生理学的にもその境界を定めることが困難であるように、ひととひとのあいだにも、本来は境界を設けることが不可能なのではないかという問題提起である。

 具体的に「食」の観点から現代日本をみた場合にも、さまざまな二項対立が見えてくる。「生産者」と「消費者」、「都市」と「地方」といった対概念が自明のように用いられ、お互いの具体的な存在をほとんど意識することなしに生活できてしまっている。しかし実際には、都市が食糧供給の大半を地方に依存する現代において、都市と地方の結びつきはますます重要性をもつ。これは消費者と生産者の関係でも同様である。自身の未来の身体そのものとなる一つひとつの「食べもの」はどこで、どのように生産されたものであるのか。そうした背景を知ることなく日々をおくっている消費者に対して、先生は警鐘を鳴らしている。「食べものを知るためには、まずは生産者を知ることだ」と。

 高橋先生が創刊した『東北食べる通信』は、生産者と消費者の分断をなくし、そのあいだをつなぐ「食べもの付き」の情報誌である。背景には、消費者が自身の外側にいる集団や、具体的な名前をもった生産者の存在に目をむけ、その多様な姿に気づいてほしいという思いがあった。毎号1人の生産者(東北に拠点をおく農家、漁師、酪農家など)にスポットライトが当てられ、8000字の原稿にかれらの生き様や、生産への想いが綴られる(その文章とともに、つくられた産品が送られる)。同誌が具体的な個人に焦点をあてるのは、消費者にとっての生産者の「解像度」をあげるためであるという。たとえば「農家」という集団で捉えるのではなく、どんな土地でどんな顔をしたひとが、どんな苦労の末につくりあげたものなのか、その一人ひとりの情報を知ることで、消費者には今までにない共感が生まれる。

 こうした消費者と生産者のつながりは、2014年に秋田県で生じた長雨被害に対する支援の場面でも観察された。雨の影響で農業機械が使えなくなってしまったある農家が、収穫作業を手伝ってくれる仲間を募ったところ、同誌の読者200人以上があつまり、機械がなくとも農作業を進めることができたのである。そこには、生産者個人を知ることで結びついた人びとの姿があった。

 スマホアプリ「ポケットマルシェ」もまた、全国の生産者と消費者をむすぶ産地直送サイトである。それぞれの商品には生産者によるプロフィールや説明がついており、利用者は購入の前後に生産者と直接チャットでやりとりができる。こうしたコミュニケーションは、現代の消費社会が失った個人的なつながりを復活させた(かつては生産者と「お得意さま」のつながりがあった)。たとえば、コロナ禍の初期に都内で食料品の「買い占め」が話題になった際には、東京在住のある利用者のもとに、過去に購入をとおしてつながった生産者から多くの心配の声が寄せられた。そのなかには、気前よく食べものを送ってくれる生産者もいたという。お互いを思いやるつながりが、アプリや食べものの送付を通じたやりとりによって生まれた例である。

 生産者と消費者のつながりを重視する場合、従来の消費社会における「不特定多数」向けの販売から、ずっと小さな「特定少数」向けの販売への移行が想定されがちである。そして、後者では生産者が十分な売り上げをあげられないという困難が挙げられることもある。しかし、メディアが発達した現代において『東北食べる通信』や「ポケットマルシェ」が実現したのは、生産者個人が「特定多数」の消費者とつながる経路であった。

 生産者と消費者のやりとりには「時間」と「手間」というふたつの「あいだ」のコストがかかると先生は指摘する。「あいだ」のコストは、能率主義の考え方では長いあいだ排除される傾向にあった。対照的に『東北食べる通信』や「ポケットマルシェ」で成果をあげる生産者たちは「あいだ」の労力を惜しまない。先生は、「時間」と「手間」のかかるやりとりが生んだ差分が、消費者に「健全な負債感」をもたらし、その後のリピートや口コミといった「返礼」につながるためであると考えている。たとえば、産品を送る際の添え状ひとつをとってみても、はじめの一行だけはテンンプレートの文章ではなく購入者一人ひとりに合わせた言葉を丁寧に入れるといった工夫がみられるという。こうしたやりとりの結果として、購入者の口コミや紹介を介した、ファンベース・マーケティングの原理がはたらくようになる。

 講義をとおして「すべての消費者は生産者である」という言葉が印象に残った。たしかに、どこからか届く食べものに依存する私自身ももしかしたら、言葉やまなざしを生み出し、誰かを支えているかもしれない。しかし同時に、生活のなかで、自分は信じられないほど多くの人びとに支えられ、生かされている。「人間」は「人の間」にあるから人間である、という耳馴染みのある説明にくらべてより一層、ひととひととの関わりの広さと深さについて考えさせられた。

(文責:TA松浦)

コメント(最新2件 / 25)

face1030    reply

ハッとするような内容の講義でした。合理的なものを追求し、どんどん世の中が便利になっていると感じていましたが、なんとなくこのままでいいだろうかという感覚もありました。この感覚を見つめられる機械になったと感じました。オンライン化についても、便利ではありますが、対面を取り入れて実際に関わっていくことも大事にしていこうと思います。田舎に飛び込む、生産者に近づく、さまざまな所属先を持つなど、今までの一辺倒な生き方に変化を与えられるような考え方も参考にしていきたいです。自分自身長い間やりたいことがわからない、ということに悩まされてきたので色々触れていこうと思います。

q1350    reply

均質化によって抜け落ちてしまったFace to Faceの重要な要素を学んだ。それはFaceそのものの個性であり、講義でもあった通り理解と共感を生む性質そのものである。この性質が生み出す力を関わり合いが持つ力と表現していたが、この力は生きる活力に大きく貢献すると思った。

taisei0303    reply

印象的な言葉がたくさんありましたが、手間と時間を省いてはならないというのが最も印象的でした。人との関わりを持たないことは、楽ではあるけど楽しくはないなという実感があります。思い通りにならないものと対峙するためにも、色んな環境に身を置いてみようと思いました。ポケマル面白そうなので使ってみようかなと思います。

sk0515    reply

外の世界に触れてみる、知らない場所へ行ってみるということが重要で必要なのだと学びました。自分の中だけで、自分の頭で考えているだけではダメだ、という事実は、私自身薄々気づいてはいたけれども見て見ぬふりをしていたのではないかなと感じました。私は九州の出身で、今年上京してきました。東大に入ろうと思ったきっかけの一つに、東京とはどのような場所なのかを知りたいというものがあります。コロナ禍の影響であちこちに行くことが難しい部分はありますが、それでも少しづつ知ることができていると感じます。自分から能動的に動くことを、これからももっと心掛けていきたいと思います。

choi1125    reply

課題を解決するのは技術ではなく人間であるというのは当たり前のことであるが、技術が一気に進歩しすぎてそれが当たり前でなくなりかけていることに気づいてはっとなった。自分も学生のうちに感性を豊かに持って、大人に振り回されずいろんなことに挑戦して人間味を自分の中で大切に育てていきたいと思う。

ken0712    reply

「最新の科学技術を使えばこんなことをできる」といった話を聞くことが多い中、問題解決の手段は人であって科学技術はその手段であるという今回の話はとても新鮮であり、とても共感できました。私自身、自分で食べるものを自分で作っていないことや、学校の授業に関してもコロナによってその場で教わるということはほとんどなく、場合によってはお互い顔も知らないままただ授業の録画を見てテストを受けて成績がつく、というような状況がなんだか地に足がついていないようで違和感を感じていたのですが、今回の講義を聞いて、この違和感は自分から行動して人と繋がり地に足をつければ解消できるものであり、そういった行動をするべきなのだと気づかされました。

赤尾竜将    reply

今回のご講義、僕は特に相手を知っているか否かで相手に対する意識がまるで違ってくるということに共感いたしました。少し違う話ではありますが、僕が街中で見知らぬ人にイラッとしたときに、その人を自分の家族や親戚だと思い込んだら自然と不快感は和らいでしまいます。相手を知っていると思い込むだけでもこれだけの効果があることならば、実際に相手を知れば、より積極的に相手のために手間暇をかけて行動してしまうのも納得がいきました。どうもありがとうございました。

samiru618    reply

近所ですら誰が住んでいるかも分からないようになり、人と人の繋がりがどんどん薄くなっている現代において、人と人の繋がりを感じられるエピソードを多く伺うことができて、感動して目が潤んでしまいました。先生がおっしゃったように、機械化された世界、人間の自然に抗うように技術が発達していく世界を聞くと、やはり心の中で怖く、気色悪いという気持ちが生まれてしまうこと、人の温もりを感じるお話に感動したことから考えるに、機械では補えない人の温もりだったりは私にとって必要不可欠なんだなと強く思いました。漠然と将来は人工知能や機械など、より近代化・機械化を進め、人の温もりを軽視してしまいがちな分野に進むのかなと思っていたのですが、これからどんな分野に進むにしても人との繋がりや肌で触れることの大切さという、人を構成している基本要素の大切さを一瞬たりとも忘れてはいけないなと思いました。

283ama    reply

コロナ禍における外出規制により身体性の伴う経験が失われてしまったことが、想像以上に大きな影響をもたらしているかもしれないということを考えさせられました。人間の理性に重きを置く現代では、理性により紡がれた言葉によるコミュニケーションで全てがわかるような気になってしまいます。しかしながら、歴史的に人間は身体的な繋がりを通じて信頼関係を形成してきたのであり、こうした身体性を軽視した表面的な繋がりに依存していると、見えなくなってしまうものもあるのだと思います。実際、農業の衰退が進んでいると聞いても実際に行動を起こせる人が極めて少なく、また農家の現状を目の当たりにしたことのない政府により需要に合わない政策が行われている現状は、実際に何かを体験してみるということが軽視された結果であるように思われます。数値やデータを分析することももちろん重要ですが、実際に人と出会ったり、新しい地に赴いたりしたときに感じる情動も大切にする必要があるのだと感じます。

mhy2135    reply

「農家」「漁師」など、ひとくくりにしてしまっていると彼らの現状が他人事のように感じられてしまう、という話が登場した際、ここ最近頻繁に使われる「医療従事者」という典型的なひとくくりの例が思い出されてゾッとした。
人間1人では生きられない、という感覚の復活についてお話しされていたが、現代、主にコロナ禍においては特に、1人で生きられるものだと錯覚しやすいのかもしれない、などと考えた。私自身はずっと家族と暮らしているため実体験はないが、特にひとり暮らししていると、人とのつながりが希薄になったコロナ禍は1人の世界に閉じ籠っているような感覚になり得るのかもしれない、などと思った。そして、クリック1つで完了する買い物や何でもその場でサクッと調べることを可能にしたインターネット等様々なことを実現させただけのテクノロジーの発達は、これを助長しているとも考えた。

0326ema    reply

地方と都市や自然と人間のように、生産者と消費者は互いを活かしあっているので、言葉上では切れているが、本当は切れていないと言う話がとても心に残りました。たくさんの生産者と消費者が垣根を越えて人間関係を育みつながるお話を聞き、自分と違う外側の集団の解像度を上げることの重要性を実感できました。また、手間と時間をコストと捉えず、一人一人と関わろうとすることでお客さん自身を自分の商品のマーケターに変えるビジネスモデルに驚きました。人々の健全な負債感に依拠したこのサービスが末長く広く続く社会であると良いなと思いました。

DonnyHathaway21    reply

生きることは間にある、つまり関係性の中に生が立ち現れるということが、農家や漁師の方々の具体的事例をもって納得できました。主体が関係性の束で構築されるなら、翻ってみれば、主体性それ自身が関係の中に還元されて見えなくなってしまうかもしれません。そうならないための最後の砦が、具体的実感としての身体なのでしょう。このまま身体を軽視し続ければ、私たちはそれこそ私たち自身を見失ってしまうような気がしています。
高橋先生のお話を聞いて、中学時代の奇妙な感覚を思い出しました。その感覚は、担任の先生が給食を食べているのを見た時に湧き上がってきたものです。先生が「食べる」という行為をしているのを見て、なんとも言い表せない感覚を抱いたのを今でも覚えています。高橋先生のお話をうけて、この感覚に説明を与えられそうな気がしました。私がそれまでは「生徒」に対しての「先生」という機械的、二元的な役割、他者として先生を捉えていたのが、同じように「食事」する人間、身体であり、私たちの延長線上、関係上にいる存在なのだと捉え直していたのだと思います。
身体、自然は、私たちを自分と異なる存在と繋ぎ、また自己を保たせてくれる大切なものだと思います。自分自身の自然性を受け入れ、関係を大事にしていきたいです。

dta28    reply

講義ありがとうございます。
ビジネスをするにしても、公共政策を立案するにしても、現場なき策はただの自己満足に終わります。現場の声なくして問題を解決することは出来ないし、問題を問題であると認識することすら出来ないでしょう。五感を使って他者を理解する重要性に非常に共感しました。

lmn7    reply

ポケットマルシェというオンラインの場で、生産者・消費者との間にこんなにも温かい関係が結ばれているのかと驚きました。オンラインでのコミュニケーションは対面でのコミュニケーションには及ばないと、少しマイナスなイメージを持っていましたが、人次第では文字や写真を通してでも気遣いや思いやりを伝え得るのだということを知り、自分の中でオンラインにおけるコミュニケーションの可能性が広がった気がしました。また、どんな人が生産したか、その人はどんな思いでその食べ物を作ったのかわかった上での「いただきます」は形式的ではなく、より本来的な意味のものになるのではないかとぼんやり感じました。

tsugu851    reply

授業ありがとうございました。普段何気なく買っている食材、当然その背後には生産してくれている人がいるのに、スーパーでその食材と値段だけを見ていると、どうしてもそこまで意識することは難しいなと思います。様々な地域の本当に様々な食材が簡単に手に入る今、便利さだけが追求されるのはそういう時代と言ってしまえばそこまでですが、インターネットを介して生産者から直接商品を買う方法は、食の安全という点からも消費者にとってメリットだし、生産者にとっても作ったものをおいしく食べてもらっている様子を知れると喜びが大きいと思いました。これをインターネットを用いることで、便利さもあまり損なわれないと思うので、その中で対面でのかかわりが生まれるというのは、ネットのいい点を生かしまくっていると感じます。うまく言葉になっているかわかりませんが、ネットを使うことで、地方のコミュニティの中での助け合いが、全国規模に広まってると思いました。ネットだと関係が希薄になりがちとおもっっていましたが、そんなことはなく、理想的な形だと感じます。

tugariz    reply

生きる喜びや実感は人との関わりの中で生まれるという言葉が強く印象に残りました。コロナ禍のこともあり、大学に入ってから対面授業の日以外はほとんど家で過ごしていましたが、一人でいてもあまり楽しいことがなく、むしろむなしいような気持ちがずっとあって、これはあまり生きる実感があるとは言えない状態だなと今回の講義を聞いて思いました。自分の中の様々な可能性に気付けるように、複数のコミュニティに所属してみる、地方とのつながりの実感がないなら地方に一度身を置いてみる、などの提案がとても参考になりました。ありがとうございました。

nv0824    reply

今回の授業は心の中が綺麗に洗い流されるような大切なお話を聞くことができたと思います。コロナの流行によってそれ以前のように他人と会うことが難しくなり、他人との繋がりが希薄化してしまったからこそ最近つくづく実感するのは、やはり人間は他者との繋がりなしでは生きられないということです。そしてその繋がりを生み出すのはコミュニケーションです。私自身も例えば洋服を買ったり外食をしたりするときに店員の方の対応が丁寧であったり笑顔で”またお越しください”と言われたりするとやはりまたここに来ようと思いますし、逆にそうでなければ、もうそのお店には行きたくないなと思ってしまいます。現代の科学技術の発展はこのような人との繋がりを生み出すものを希薄化させ人間に機械的な生き方を強いるようにも思えますが、やはりそれは不可能で、このような世の中であるからこそ余計に人間は他者との繋がりを欲しているのではないかと感じます。

touko8230    reply

印象的なお話やことばがたくさんあり、学びの多い講義でした。可能であれば顔と顔を突き合わせて聞きたかったな、と最も強く感じた講義でした。高橋先生の語ることばの裏には今までの豊富なご経験を伺うことができ、それこそ身体性が色濃く感じられる語りとはこのようなものか、と実感されました。個人的には、第四回の高木先生の講義との関連を感じました。一方ではデジタル化の急速な進行により個人のニーズに合わせたサービスがシステムの学習によって提供され、他方では手間や時間を厭わずに農家さんや漁師さん、そして消費者が実際に顔を合わせて交流している現代の特殊性を改めて感じました。私たちが今後どのように身体性を伴った経験を増やしていけば良いのかということもご教示いただき、非常に貴重な機会になりました。

sakasaka05    reply

自分が今まで生きてきたこと、これから生きていくことを人との関わりという観点から改めて見つめ直すことができた機会でした。近年はテクノロジーの進化によって、遠くにいる人とすぐにチャットやビデオ通話などを用いて繋がることが出来るが、それは厳密には外と触れてるとは言い切れないと思いました。やはり田舎に実際自分が足を運ぶなどして人と交わることが大切なんだと思いました。

L1F2    reply

消費者と生産者がお互いのことを「知っている」おかげで、そのどちらかに問題が起こった時に助け合う行動が生じた、という事例が印象に残った。仕組みさえ整えばこのようなファンベースマーケティングが農業という場でも自然と形成されうるということに驚いた。
また、人間が自然から離れる方向に進んでいるという話について、私はどちらかといえばムーンショット目標ひいては死からの解放に期待しているし、今もその気持ちは変わらないが、しかし、そのような合理性から零れ落ちた社会も存在することを知り、少し視野が広がった気がする。

jacky07    reply

外集団均質化バイアスというお話が印象的でした。それに関連した話で言葉にすると関係が切れてしまう、といったようなこともおっしゃられていたと思います。では言語の登場によって我々のつながりが希薄になったのかと考えると恐らくそうではないと思います。単に我々が関係する社会や目にする範囲がインターネットなどによって広がり、その拡大に伴いこういった意識の希薄化が進んだように思います。そう考えると本来的には県をまたぐレベルでの協力や助け合いは難しいようにも思えますが、東京から地方へのボランティアの実例についてもお話いただきました。難しくなったとはいえ現代でこそ可能だといえますし、実際に実現している話なので余裕のある学生のうちに考えるべき問題である気がしました。

noguchi5rohgoya    reply

頭で考えてばかりではなく、現場を知り重視せよという話は最近とてもよく聞くものです。しかしながら、僕はその重要さにはある程度は同意しつつもあくまでもそれは考える側と実行する側の二項対立の中で考える側が実行する側に譲歩することで、考える側に立つならば真に受けすぎてはいけないものだと考えていました。しかし、今回のお話を通してその二者の関係は必ずしも二項対立ではないし、現場から切り取られた考える側という存在を想定すること自体に問題があるのではないかというように考えるようになりました。考え方を転換する貴重なきっかけをくださりありがとうございました。

Ruru    reply

東京圏で生まれ育ち未だ止まっている私は、ちょうど地方に行ってみたいなと思っていたので、今回の講義は共感することばかりであった。大学に入り、レポートや研究、プロジェクトなどをするなかで、自分には原動力となるリアルな体験があまりに足りないなと思うことが度々ある。東京の問題を解決しようと思っても、それには地方の問題を解決する必要がある時は、まさに”繋がり”を感じる。
また、合理性や科学技術を追求する現代社会に、設計された狭い世界にとどまるような空気を感じると言う点はまさにそうだと思った。貧しい人が豊かな暮らしを手に入れたいのは当たり前だし、少しでもより良い方向へ向かうのは自然だと思う。しかし食や性などの生物としての本能的な営みを、煩わしさから操作可能なものへとしていく流れは、違和感を感じる。煩わしさや合理性といったことを考える前にとりあえず行動してみて、考えもしなかった世界に出会うことこそ生きがいだと思うからだ。

mehikari18    reply

現代社会では、大量生産大量消費が隅々まで浸透し、生産者と消費者の関係はかなり希薄なものとなってしまっている。しかし、コロナ禍となって対面でのコミュニケーションの価値を実感する中、現在の生産者と消費者の関係を見つめ直す絶好の機会ではないかと感じた。

gyoza0141    reply

コメントの投稿が遅くなってしまったのですが印象に残っているところを思い出しながら書きます。特に印象に残っているのが、田舎への参勤交代を推進しようという話です。この発想はすごい画期的で面白いと感じました。都会の空気にさらされて、人とのつながりが希薄になった人々が田舎に参勤交代することで、田舎のおいしい空気を吸って人の温かさを感じる。そして、田舎のほうは都会から来た人々で活気を取り戻すというようなwin-winの関係だと思いました。このコロナ禍においてもう一度改めて人とのつながりについて考えてみようと思います。

もっと見る

コメントする

 
他の授業をみる

Loading...