ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第8回 12月01日 鳴海拓志

バーチャルリアリティとプロテウス的人間の時代 - Faceが選べる社会でどのように生きるか?

 精神科医リフトンは,持続的なアイデンティティを確立せずに一時的なアイデンティティを形成し続けることで,絶えず変化する世界や人間関係に適応していく人間像をプロテウス的人間と呼んだ.他方,バーチャルリアリティ研究では,自分と異なる特性を持つバーチャル世界の身体(アバタ)を用いることが,単に相手に自分をどう見せるかを超えて,自己に対する認識をも変容させ,発揮能力や思考,行動そして対人コミュニケーションまでをも変容させることが示されてきた.本講義では,技術によって顔や身体を自在に切り替えて流動的にアイデンティティを形成できる時代に人や社会はどのように変化するのかを議論したい.

講師紹介

鳴海拓志
2006年東京大学工学部システム創成学科卒業.2008年同大学大学院学際情報学府修了.2011年同大学大学院工学系研究科博士課程修了.同大学大学院情報理工学系研究科知能機械情報学専攻助教,講師を経て,2019年より准教授,現在に至る.バーチャルリアリティや拡張現実感の技術と認知科学・心理学の知見を融合し,限られた感覚刺激提示で多様な五感を感じさせるためのクロスモーダルインタフェース,身体とこころの相互作用を利用して人間の行動や認知,能力を変化させるゴーストエンジニアリング技術の研究に取り組む.博士(工学).
授業風景

 第8回は、情報理工学系研究科准教授の鳴海拓志先生にご登壇いただき、バーチャルリアリティと、新しい人間のアイデンティティについてお話しいただいた。

 講義はCommentScreenシステムが用いて、インタラクティブな形で行われた。学生の書き込んだコメントがリアルタイムで反映されて、画面上を「流れる」仕様になっており、対面に匹敵するライブ感のある楽しい授業となった。

 講義テーマでもあるバーチャルリアリティ(以下、VR)は、物理的に存在しないものを感覚的には本物のように存在させる技術である。ゴーグルのような器具を装着して遊ぶゲームや、アミューズメント施設の体験で目にしたことがある方も多いだろう。そうした装置の内部では、ひとの動きがセンシングされてプログラムに取り込まれ、それに基づいたシミュレーション結果が、五感へのフィードバックとして返されているという。ゆえにVR開発のためには、私たちがなにを現実と認識しているのかという、人間についての知が必要となる。

 これまでの研究から、人間の自己は環境と不可分であることが判明している。ラバーハンド現象(詳しくは第3回講義を参照)からも分かるように、人間の自己認識は、視覚や触覚などの限られた知覚の組み合わせから成り立っている。先生の研究室では、ラバーハンドの発想を応用した、バーチャルハンドでの楽器演奏実験も行なわれた。VRをつかって実際とは見た目や動きを変化させた手でピアノを演奏する実験である。この実験から、触覚や視覚などの統合によってバーチャルな身体を自認する「多感覚統合(マルチモーダル統合)」の仕組みが分かってきた。

 バーチャルな自己による身体の変化という発想は、各種アバターにも用いられている。2021年6月、東京日本橋にオープンした「分身ロボットカフェ」では、ALS(筋萎縮性側索硬化症)や神経症をもった患者の「パイロット」が操縦するロボットによる接客を受けることができる。こうしたアバターの可能性の一つに、「プロテウス効果」が挙げられる。プロテウスはギリシア神話の海神だ。この神は予言の能力を持ちながら、それを行使することを好まず、人間に追われると変身して姿を隠してしまう。そうした身体的な「変身」が人間の自己認識のみならず、知覚や行動、態度にまで大きな影響を与えるというのがプロテウス効果である。スーパーヒーロー実験(スーパーヒーローのアバターを用いると、ふだんの生活でも他者を助けるようになる)や、人種差別意識軽減実験(白人が黒人のアバターを用いると、日常的に人種差別の意識が低減される)といった興味ぶかい実験がこの理論を裏づけている。いずれの実験にも共通するのは、使用するアバターの身体イメージが自己イメージにとり込まれ、多感覚統合が影響を受けたり、行動や他者との関わり方にも変化が出てきたりする原理である。

 VR技術を用いたアバターで身体を「再デザイン」し、自らの心的状態や認知を改善させる「ゴースト・エンジニアリング」という学問領域がある。例えば、おなじ重さのダンベルでも、マッチョな男性のアバターを用いると、サラリーマンのアバターの場合に比べて軽く感じられる。さらに、リアルタイムでの自身の表情を微妙に補正する技術によって、互いが笑顔に見えるビデオチャット上のブレインストーミングでは、脳がより活性化される。この背景には、人間の感情が「認知」によるものだという事実があるという。こうした見方においては、悲しいから泣くというよりも、泣く自分を認知して悲しい状態になるというほうがより正確ということになる。

 VRによって「ルーティーン」を構築することで、パフォーマンスを向上させる研究も進められている。ルーティーンとは、あるタスクの直前におこなうとパフォーマンスが向上すると本人が信じている行為を指す。ラグビーの五郎丸歩選手のキック前の動作が馴染みぶかいかもしれない。VRを用いた練習実験では、こうした動作を決めたあとに(実際には成功していなくても)うまく被験者にバレないように擬似的な結果、つまり機械的に補正された成功体験を経験させることで、練習後のゲームのパフォーマンスが変化するという結果も出ている。ただし、効果は現段階では短期的であったり、それまでのスポーツ歴などの影響を受けたりする場合もあるという。

 このほかにも、3名の被験者のうち少数派の意見をもつ1名にふたり分のアバターを操ってもらう実験では、バーチャルに意見バランスが2対2に補正されるため、現実に2対1の人数比で議論をおこなう場合よりも、いわゆる「同調圧力」が軽減したという結果も出ている。さらに、複数名でひとつのアバターを操作する融合身体を用いて、ことばでは説明しきれない身体的なスキルを熟達者からの非熟達者にコピーする試みなど、バーチャルな身体には個という枠組みにはとどまらない活用の可能性も開かれている。

 こうしたバーチャルな身体は、自己のアイデンティティ概念が変容する今日にもよく合致したものであるという。授業では、ポケモンの主人公サトシを下敷きに、「生まれ」によるアイデンティティ(「マサラタウンのサトシ」)から、行動によるアイデンティティ(「ポケモンマスターのサトシ」)へとむかう、近代的な人間像の変遷が紹介された。さらに、現代においては、デジタルな社会において、さまざまな人格(アカウント、アバター)を使いわける可塑的な人間、「プロテウス人間」が肯定されている。従来では、こうした多面的な人間は「分裂的な自己」として病的だとみなされることもあったが、現代の変動する社会では、その柔軟性が評価されるようになってきたようである。

 バーチャルな身体の影響は、感覚体験の集合体である「ミニマルセルフminimal self」にとどまらず、過去から未来へとつづく一貫性をもった「ナラティブセルフ narrative self」にも至ると、先生は指摘する。他方で、「なりたい」自分になれる技術を前に、「なりたい」自己像が具体的に考えられなかったり、努力抜きに自己を変化させることへためらいを見せたりする学生の声も多く、こうした議論を技術面にのみ限定することはできない。

 技術が私たちの生活だけでなく、その意識や行動にまで影響を与えるという今回の講義は、新鮮な部分があまりにも多く、たいへんな衝撃を受けた。「私は他者からどう見られているのか、どう思われているのか」という問いは、学生だけでなく、多くのひとが共有する関心であろう。その一方で、講義を通じて他者による自己認識のイメージ自体が自身を構成していることも理解できた。これからも多くのひとと関わり、技術ともうまくつき合いながら、自己の形成に向きあっていきたい。

(文責・TA松浦)

コメント(最新2件 / 25)

q1350    reply

今日の講義を聞いて、VRの可能性の多様さを感じた。特に身体延長による心の変化は差別問題などに有効であると思った。また、vrによる自己イメージの更新から、各個人が持つ個性と、身体が深く関係していると思った。一見個性や性格は一貫したものでアイデンティティは人生を通して同じであると考えたくなるが、VRによって身体延長が可能になることによって、身体による人の性格面への作用を如実に感じられていると思った。

taisei0303    reply

自分は何者かと思うことでパフォーマンスが変わるというのは面白かったです。スポーツなどにおいて子供の頃の成功体験は大切で、VRによって擬似成功体験を与えるという発想は斬新でした。VRの世界ではなりたい自分になれるので、自信をつけるのにはもってこいだと思います。また、自分の顔の表情を見て自分の中に感情が芽生えるというのはすごく実感できて、表情の擬似的な変化はコミュニケーションを円滑にするのに役立つのだろうなと感じました。

sk0515    reply

VRやアバターの技術がここまで発展していることを知り驚きました。私は、インターネット・情報通信技術の発展が複数の自己を作り出していると考えました。SNSで受け取ったメッセージを返信する時間を割と気にしているところが私にはあります。ちょっと寝るのが遅くなってしまった時には、夜ふかしをするような人だと思われたくないため、メッセージを返さないようにしたりしています。これは「なりたい自己」を作っていると言えるのではないかと思いました。こういった操作が可能になったことも、インターネットのメリットでありデメリットでもあるのではないかと思います。

face1030    reply

vrゲーム、vtuberなど身近で親しみの持てる話の絡んだ内容の講義で、興味を持って聞くことができました。前半の、身体は不明瞭なものであるという話で、脳は簡単に自分の体ではないものを自身の体だと錯覚してしまうことに、面白いと思いながらも少し恐怖を感じました。性別や外見を大きく変えてアバターを作ることができる時代になり、色々な未来が開けそうだとおもいました。ただ同時に個人的には、本当の自分をみたくなくなってしまうのではないか、とも思いました。

赤尾竜将    reply

用いるアバターによって現実世界では現れない自身の性格や能力が得られるということでしたが、そうなってくると未自覚の自身を見ることができる期待がある一方で、果たしてどちらが本来の自分なのかが分からなくなってしまいそうで恐ろしいなとも感じました。今回の講義は、新たな自己・社会を発見・構築する糸口としての可能性を知ることができ、とても面白かったです。

choi1125    reply

VRは良い好みでも悪い意味でも様々な可能性を秘めているなと感じ、とても興味が湧いた。また自己のアイデンティティーが不断に変化するプロテウス的人間という概念を初めて知った。身分が与えられてそれがアイデンティティーとなった昔と違い、今では行動が自己のアイデンティティーを作っていくため、SNSなどにより複数の自己が産まれていくというのに納得した。また、サトシのピカチュー問題・マサラタウンのサトシ問題は例えが面白く分かりやすかった。

豊田裕大    reply

授業ありがとうございました。今日の授業を聞いて、人はこんなにも簡単に騙されてしまうものなのかと驚きました。いい面、便利な面もありますが、やはり没個性的になってしまうことが個人的にはすごく心配でした。例えば、アニメのキャラクターのヒロインの顔など、どれも同じに見えてしまい、正直違いがよくわかりません。それでもやはり、僕自身としては、もっと自信を持つため、より積極的な人になるためにアバタを使えたらいいなとは思いました。

samiru618    reply

講義全体を通して、自分が思っているより人間は単純で、思い込みが与える影響は大きいのだなと感じました。自分が何者かによって、出せるパフォーマンスが変わってくるというお話が興味深かったです。このお話を聞いて、「超能力を使えるなら何の超能力がいいか」という質問の答えが、変身術になりました。私もプロテウスのように変身術を身につけて、テストの時にアインシュタインになりきりたいです。これからはテストの時、気持ちだけでも違う人になりきってテストを乗り越えようと思いました。最後に、「なりたい自分はどんな自分か」という問題に対する答えを考えてみましたが、自分も自我があまりないのか、あまり「なりたい自分」がないなと思いました。考えてみれば、外見や性格を変えたいというよりも、今の自分の外見や性格はそのままでどうしたらもっと楽しく生きていけるかを考えることが多いからかなと思いました。

0326ema    reply

今までバーチャルリアリティについて、最近のゲームで利用されるようになった高度な技術という程度の知識しかありませんでしたが、今回のお話を聞いて、この技術の活用でできること、もしくはこれからできるようになるかもしれないことが非常に多いと知り驚きました。特に、アバターの姿を変えることによってここまで自分の思考や好みが変化してしまうものかと驚きました。高齢者が若者のアバターを使うことで心を若々しく保つ、というような活用はこれからの高齢化社会で大いに役立つのではないかと思いました。一方で、美少女のアバターを使い続けた人が現実世界においても自分を美少女だと思ってしまうという例は、一種の洗脳のようでかなり怖いと感じました。技術の開発と並行して技術の適切な利用法を考えていく必要があると感じました。

mhy2135    reply

太鼓の実験が例として挙げられた、自分自身に対する認識によってその人のパフォーマンスも変化する、という話は、私自身も楽器を演奏する身として特に興味を引かれました。こういう問題は心理的な要素が強いと思っていましたが、アバターの使用によって、実験において客観的に条件を設定、区別することが可能になっている、というのが面白いと感じました。
また、「マサラタウンのサトシ」問題が紹介されたことにより、人のイメージや感覚に変化をもたらすことでその人の行動や思考にも変化を生み出すアバターの、今の社会にもたらす影響の大きさを理解しました。身分なら(その場しのぎにはなるでしょうが)口先でいくらでも簡単に偽れそうですが、行動はそうはいかない、というのは感覚でわかります。

gyoza0141    reply

どんな自分になりたいですかと聞かれたら自分は満足できる回答をできないなと感じました。そもそも「私」とはみたいなアイデンティティにかかわる問題にもなりうるし、自分の欲求、内的な欲求は本当にあるのかと考えさせられました。というのも、現代ではあらゆる情報がインターネットを通じて飛び交っていて、そういった情報や広告に自分の欲求が左右されているというか支配されているような感覚を抱くことが多々あります。例えば、昨日マクドナルドでグラコロが販売開始されたという広告を見て突然猛烈にグラコロが食べたくなりました。そんな風に自分の欲求の問題にもつながってくるような気がしました。今日の話を聞いて、一貫した自己を持たなければならないという観念から逃れて、いろんな自分があっていい、なんにでもなれるという希望のある世界にワクワクしました。

tugariz    reply

最新のVR技術の紹介はどれも興味深いものでした。どのような外見のアバターを使うかによって能力や態度が変わるということに驚きました。他者との身体の融合という概念も自分にとっては新しく、魅力的に感じました。今まではそのようなVR体験は一時の遊びとして行うものだと思っていたので、今回の講義は、これから先のVR技術がもっと日常生活に浸透した社会を考えるきっかけになりました。自分が常にアバターを使って生活したいかというと、本物の身体を忘れてしまうといったことが怖くてそうは思えませんが、ここぞという時に自由に切り替えられたらもっと自分に自信が持てるようになりそうです。

noguchi5rohgoya    reply

我々は、私という確固たる主体が存在して、それが確固たる意志を持って行動しているのだと想定して社会の中で生きていますが、今回の講義のあと考えてみると我々はさほど確固たる存在ではないのではないかという気がしてきました。個性、あるいは私とはなんなのでしょうか。バーチャルリアリティが確固たるものと思われたもののうち外観などを変えてしまうことで我々の存在についての根本的な疑問に光をあててしまったというのは興味深いことです。

nv0824    reply

バーチャルリアリティから始まり、最後は自分とは一体何なのかという人間の根源的な問いについてのお話があり、非常に興味深かったです。アバタの活用について興味を持ちました。例えばZoomで特に発言をせず傍聴の立場のときはカメラをオフかつミュートにすると思いますが、傍聴者の欄が黒い画面で表示されるのではなく、その代わりにそれぞれのアバタが表示されれば、発言者側も、自分の発言に耳を傾けている人がいるのだということをより実感でき、快適に発言ができるようになるのではないかと思いました。

ken0712    reply

私はアバタを使って活動している人たちに対して完全に見る側の視点からしか考えておらず、彼女ら彼らの見た目は見る人を喜ばせるためのものであるというふうにしか捉えられていなかったのですが、それは同時に演者(いわゆる中の人)のなりたい自分という意味合いを含んでいるというのは今まで気付いていなかったことだったので面白かったです。また、一見夢物語のように思える「今の自分に束縛されず、なりたい自分になる」ということが実はすでに部分的に実現されつつあるということにも気づかされ、とてもワクワクしました。

L1F2    reply

どんな自分になりたいか、ということを真剣に考えてみた。私自身VroidStudioを使って理想の外見(美少女)のアバターを作って楽しんでおり、外見は現実の自分とかけ離れたものでも理想の自分になりたい。声も同様である。一方で、性格が変わればそれは自分でなくなる気がする。能力に関しては、その能力に見合っていると主観的に思える苦労をしたうえでならば手に入れたい(現実ではどんなに苦労しても天井がある。苦労なしで能力を手に入れるのは後ろめたいが、その天井を取っ払うことに対しては罪悪感はそこまで起こらないと思う)。自分にとって、それを獲得するまでの物語がある部分は変えると違和感があるが、外見など物語なしに勝手に与えられた(と主観的に思う)部分は変えたいように変えると思う。

lmn7    reply

日常的にああなりたい、こうしたいというと思うことはあるのに、なりたい自分と言われると、そういった「こうなりたい」という要素を詰め込んで一つのアバタに実現しようとしても、それらが整合性を持ちかつ自分に合った形で現れないのではないかと悩んでしまいました。また、それが実現したとして本当に自分がより良い状態になるのかと疑問に感じました。自分はVRに触れる機会が今までにあまりなかったので、これからより普及していくであろうVR技術に実際に触れながら、より考えを深めていけたらなと思いました。先生の講義とても面白かったです。

touko8230    reply

ゲームやVtuberといった、VR技術の応用はここ数年で急激に私たちの身の回りに侵入して来ましたが、私個人としてはあまり馴染みがなく、今回の講義はそれらについて考えを深めるよいきっかけになりました。
私は楽器を最近熱心に練習しているので、自分が何者だと思うかでパフォーマンスが変わる実験や、擬似成功体験を与えて成績をアップさせる実験例を見て、楽器の演奏などにもこの技術を適用して効率的に上手くなれないかな、などと考えました笑。このようにVR技術の可能性を感じ、わくわくすると同時に
、ナラティブセルフへの理解を深める必要性を強く感じました。「確固たる自己」というものの重要性がいかに世の中で極端に持ち上げられているかを考えると、ミニマルセルフが容易に変容可能なことで混乱し、人々が私的な領域の内側に引きこもってしまう未来が私には見えました。VR技術が、より多様な人がパブリックな空間で行いをする際に活かされていけばよいな、と思いました。

yk0819    reply

偽の手を本物と思い込んで痛みや冷たさを感じるなど人間は相当騙されやすいのだなと感じた。この騙されやすさを有効的に利用してパフォーマンスを上げるなどの手法が多々登場してきているというのは面白いし自分も活用したい。しかし、騙されたことでパフォーマンスが上がるというのは確かにうれしいが同時に自分がいかに単純かということも実感させられてしまうため複雑な気持ちである。また、魅力的なアバターを使うとプロテウス効果によって積極的になれるとしても、人物の魅力度の高低に対する社会的な差別意識や偏見が根本的になくなった訳ではなく、対症療法的であるという認識は持っておくべきだと考えた。他にも、自分をスーパーヒーローだと思い込んでしまうことで現実において危険な動きをしてしまい事故に遭うなどの好ましくない作用もありそうで用法には注意が必要だと思った。

sakasaka05    reply

VR確かに画期的な技術であり、アバタを通じてなりたい自分になるというのは誰しもが求めるような状態だとは思いました。しかし一方でVR技術によって現実の自分を直視出来なくなったり、仮想の自分に心酔してしまうのではないかという危険性も同時に感じました。いずれにしてもVR技術の進展により人類の姿が変化していくというのは人間の進化の第一歩に繋がると思いました。

283ama    reply

VR技術を用いて身体拡張を行うと、我々の心や認知機能に想像以上に大きな影響がもたらされるということを知り、大変興味深く感じました。場面やなりたい自己像にあわせてヴァーチャル身体を使い分ける社会になれば、人間関係の構築などにおいて新たな可能性が生まれると思います。分人という考え方にあるように、一貫した自己があるという常識的な考え方は幻想であるようにも思われます。しかしながら、いわば人工的に不安定な自己をつくるというVR技術の試みを耳にすると、そこはかとない不安感を覚えたというのも正直な事実です。また、「VR技術でなりたい自分になる」というキャッチフレーズを聞いて、そもそもなりたい自分というものがよくわからない、あるいはそもそも存在しないのではないか、というふうに思ってしまいました。技術的な問題だけでなく、自己とはそもそもどういうものなのかについて、複合的な観点から考察し理解を深めていくことが必要だと思いました。

dta28    reply

講義ありがとうございました。自分が何者かと思うかによってパフォーマンスが変わるというお話がとても印象的で、人間の可能性を感じさせてもらえました。精神疾患を患っている方の、症状の原因として、自己への批判や自信のなさが挙げられると思います。それらの解決策として、思い込みによる目に見えるパフォーマンスの向上に可能性を感じました。

mehikari18    reply

これまでの講義や、世間一般では、コロナ禍の非対面が主流となったコミュニケーションを比較的ネガティブに捉えることが多かったが、今回の講義では、この非対面型コミュニケーションがVRなどの技術を用いることで「自分」というものの可能性を広げてくれるということを知ることができた。特に、人が、アバターによってその行動様式に変化が生じるというのは驚きだった。

Ruru    reply

他者や架空のアイデンティティをアバターを通じて取り入れることは、スポーツの練習など一時的な取り組みにおいては、利用者自身の能力向上につながる有益なことである。一方で、アバターを通じて強化された自己は、常に本来の自己よりも優れているため、アバターを慢性的に利用する人々も出てくるのではないか。そうなると、人々はアバターをとった自己を受け入れられなくなったり、皆一様な価値観の下、同じような人間ばかりになり、虚しさが残るのでないかと思ってしまう。また、アバターによって恣意的に自己を操作してばかりだと、苦痛も含めた自然な感覚や、どうしようもなく立ち現れてくる個性が失われてしまう気もする。

DonnyHathaway21    reply

どこまでが自分なのかはっきりとは分からないことを示したエルンスト・マッハの自画像は新鮮であると同時に、『自分』という凝り固まった概念を疑わせてくれるものだった。
表象で中身まで変わりうるというプロテウス効果から、表象ははただの上っ面では無く、本質、中身の表出であると思った。その中で、最も本質的な表象としての顔、faceの重要性にも改めて気付かされた。
また、ルーティンワークのジャンプゲームの例から、VRが仮想現実ではなく、実質現実であることが理解出来た。現実とは、『自分』が認識する、周囲(surroundings)であると考える。その『自分』がマッハの自画像のように不定で伸び縮みするものである以上、VRの可能性は文字通り無限大であると感じられた。

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