ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第6回 11月10日 岡ノ谷一夫

非対面コミュニケーションと「正直な信号」

 信号は「正直」でなければ進化できない。信号の産出に生物学的なコスト(時間、安全、栄養)を要するものを「正直な信号」という。鳥のさえずりは、オスからメスへの求愛の信号である。捕食者を引き付ける危険があり、健全な栄養状態であることが必要であり、その他の行動を抑制するという点で、正直な信号である。人間の発話行為は正直な信号であるが、発話内容はそうではない。非対面コミュニケーションの問題は、発話内容は伝えるが、発話行為の一部が伝わらないことで、全体として正直な信号ではなくなることだ。

講師紹介

岡ノ谷一夫
米国メリーランド大学でPh.D.(生物心理学)取得。千葉大学、理化学研究所を経て、現職。新学術領域「共創的コミュニケーションのための言語進化学」代表。
参考文献
  • 大平英樹・編『感情心理学・入門』有斐閣、2010。
  • 岡ノ谷一夫『「つながり」の進化生物学』朝日出版社、2013。
  • 岡ノ谷一夫『脳に心が読めるか? ―心の進化を知るための90冊』青土社、2017。
  • ブロノフスキー、ジェイコブ『知識と想像の起源』(野田又夫、土屋盛茂・訳)紀伊国屋書店、1989。
  • ペントランド、アレックス(サンディ)『正直シグナル 非言語コミュニケーションの科学【新装版】』(安西祐一郎・監訳)みすず書房、2020。
  • Kubo K., Okanoya K., Kawai N., "Apology Isn't Good Enough: An Apology Suppresses an Approach Motivation but Not the Physiological and Psychological Anger". PLOS ONE 7(3), 2012: e33006.
授業風景

 第6回は、総合文化研究科広域科学専攻生命環境科学系(認知行動科学講座)教授の岡ノ谷一夫先生にご登壇いただき、非対面コミュニケーションの抱える課題について「正直な信号」という概念を交えてお話しいただいた。

 岡ノ谷先生が本講義で最も伝えたい内容は「情動的共感と認知的共感を使い分ける社会的技術」の習得であるという。通常、コミュニケーションには感情がつきものであるという印象を受けるが、いったい「認知的共感」とはいかなる概念なのだろうか。なぜ現代において、この技術が重視されるのだろうか。

 他者の心の状態と同じような状態になって互恵的に振る舞う「情動的共感」は、動物にも人間にも見られる現象である。この機能は集団を結束させるものの、他方で集団間における軋轢を生じさせたり、政治的な全体化を進ませたりしてしまう恐れもあるという。これに対して、他者の心の状態を把握し、適切な助けを与える「認知的共感」は人間固有の機能であり、言語活動がそれを担っている。

 ここでの「情動」と「感情」の定義は、次のように説明された。まず「情動emotion」は環境への応答としてひき起こされる生物的で原初的な短期間の感情(人間・動物が共通に持つ)である。他方の「感情affect」は主体と環境との相互作用を認知的かつ言語的に解釈した結果として生じる、心の状態(人間のみがもつ)である。すなわち、日々、私たちが抱く無数の生物的情動のなかで、意識され、言語により分節化されたものが「感情」である。感情は「基本6感情」(喜び・悲しみ・驚き・怒り・恐れ・嫌悪)の組み合わせで捉えることができるとされる。しかし、不快情動(悲しみ・怒り・恐れ・嫌悪)の研究が進展する一方で、喜びや驚きについては十分に解明されていない。

 私たちが感情を把握するうえで、言語はどのような働きをもっているのだろうか。先生は、感情認知のふたつの理論をめぐって、心理測定と脳波測定の2種の実験をおこなった。人間の感情認知の捉え方には「カテゴリー説」と「次元説」のふたつの潮流がある。カテゴリー説が人間はカテゴライズされた普遍的な感情を認知すると主張する一方で、次元説では人間は感情を「覚醒度」と「快・不快」のふたつの軸で連続的に認知すると考えられている。実験では、さまざまな感情をひき起こす刺激が段階的に用意され、被験者が段階ごとに自らの感情を伝えた。その結果を端的にまとめると、心理実験では感情が「カテゴリー的」に伝えられた(感情が非連続的に変化する様に伝えられた)一方で、脳波は実際には連続的に変化していた。ふたつの実験結果が食い違う原因は、カテゴリー説が言語活動を伴っている点に認められるという。言語は、感情を「正しく」伝えることができるのだろうか。

 私たちは言語だけでなく、微笑みや怒鳴り声といった、あらゆる手段をとおして感情を表出している。これらを感情(情動)伝達の「信号」と捉える場合、各信号の信頼性は「正直さ」で測ることができるという。先生によれば、表情や声質といった発話行為そのものが「正直」である反面、言語(発話内容)自体は必ずしも正直ではないという。上記の実験からもあきらかなように、言語は現実を分節化(カテゴリー化)してしまうためである。いかに正確を期していても、言語によって現実をすべて掴むことはできない。それどころか、言語においては、意図的に内容を操作することまでできてしまう。顔を合わせるコミュニケーションでは、こうした発話内容の不正直さを、発話行為による情動伝達が支えることにより、言語の信頼性が保障されてきたと先生は主張する。

 そのうえで、非対面のテクストコミュニケーションが積極的に利用されるコロナ禍の現状を、先生は「情動情報の低下」と捉える。というのも、言語テクストは「正直でない信号」であり、その情報内容に比して、情動面をうまく伝えることができないためである。こうした状況が危惧される理由は、「怒り」をめぐる社会心理実験からも明らかである。紹介された実験では、被験者に文章を作成させ、それらを回収したのちに、内容や質について侮辱的なコメントを添えて文章を返却した。この侮辱的なコメントを読んだ被験者は怒りの2要素(攻撃性と不快感)をともに抱くことになる。この実験には、同じ侮辱的な内容であってもコメントのあとに謝罪文を付したものを受けとる被験者群と、謝罪文を付さないものをうけとる被験者群が存在し、謝罪文が付されている群では、怒りのうち「攻撃性」の要素が低下した。興味深いのは、たとえ謝罪文を付した場合でも、怒りのもうひとつの要素である「不快感」が低下しなかった点である。追加的な実験においてこの「不快感」の要素を低下させたのは、謝罪の文章ではなく、そうした侮辱的なコメントを書いた(架空の)人物には謝金を出さないなどといった罰が与えられることが、被験者に伝えられた場合であった。この点から、言語による情動操作は不十分であり、怒りをめぐるコミュニケーションでは禍根(不快感)を残す可能性があると考えられるという。

 言語のみによるコミュニケーションが抱えている上記の課題を改善するための策のひとつとして、講義では「通信コスト」を科すという提案もなされた。メールやZOOMの使用に税金をかけたり、編集に罰則をかけたりするといった策である。この提案は一見すると過激にも思われるが、その目的は講義からもより明らかなように情動や正直な信号を伝達できるようなコミュニケーション機会を増加させることにある。私たちの言語コミュニケーションを、コロナ禍でも健全に維持するためには何ができるのか。相手の感情を把握した上で、ときに助け合い、ときに(排他的にならない程度に)寄り添いあうために、個人のレベルでも日常的に工夫できることはないか。まずは、LINEなどで相手の感情が自分の予想とは離れている可能性を自覚するところからであろうか。

(文責:TA松浦)

コメント(最新2件 / 24)

赤尾竜将    reply

情動のカテゴリ説と次元説について、日本語でも複雑な感情や名状しがたい感情というような表現があり、言語でも次元説を暗に示すような例があるのかなと思いました。また、正直な信号について、信号の正直さを示すためにはその発信者に直接尋ねるよりほかになく(心拍数が上昇したりしてもその時の感情が怒りなのかどうかはわからない)、発信者の紡ぐ言語に基づかざるを得ず、しかし発話内容は正直でないものなので根拠として不十分なので、一体何に基づいて正直な信号の正直さを証明しているのか、疑問に思いました。

sk0515    reply

「正直な信号」という概念を初めて知り、非常に興味深く思いました。情報通信技術の登場で生まれた遠隔コミュニケーションは非常に便利で、コロナ禍の現在においてはさらに非対面コミュニケーションへの依存度が高まっていますが、その結果、誰もが知らず知らずのうちに(あるいは意図的に)自分のうわべだけを取り繕っているのではないかと感じました。それを多くの人がよく理解することができるならば、ネット上の誹謗中傷やネット依存といった、現代的諸問題は解消されるのではないかと思いました。

q1350    reply

人の情動と言語との関連性は、非常に興味深かった。脳研究では情動は連続的であると説明されるときいて、理性に基づく言語の存在が、人間の本能的な部分、つまり情動を制限しているのだと思った。その点で、自らの理性が情動をもコントロールしうることは、普段の認識とは異なり、新しい視点だとおもった。また現代において電子機器が取り去った情動情報は、対面の程度にどれくらい関係するのか気になった。現在はズームでの授業が主流となっているが、カメラと音声という二つの出力がある状態で、情動の伝達にどれほど影響を及ぼすのか興味深い。

face1030    reply

非常に興味深い内容でした。長らく行ってきたテキスト上のコミュニケーションに少し違和感を感じるのは、情動情報が欠けているためだと分りました。個人的にオンライン授業には好感を持っていましたが、情報の信号について考えると限界があると分かり、対面授業の必要性を再認識しました。言語情報や感情を正直か、偽りかという面で捉えたことはあまりなかったので、今後のコミュニケーションにおいて少し意識してみようと思います。

taisei0303    reply

言葉によって他人を怒らせた場合、攻撃性は言葉によってなだめられるが、不快感は言葉によって取り除くことができないというのが興味深かったです。突発的な「攻撃性」はその場しのぎな言葉で抑えられるかもしれませんが、この「不快感」を解消するには信頼関係を築くのが大切だと思います。いざ話してみたら意外といい奴だった、勝手に抱いていた負の感情は何だったんだろうということがよくあります。「正直な信号」をお互いに何度も送り合うことで、一度生まれた不快感をなくすことは可能だと思います。その意味でも、対面のコミュニケーションが大事なのかなと感じます。

DonnyHathaway21    reply

言語の『正直な信号』性を保証する情動が、テキストとマスクによって奪われてしまった現代がこれからどうなっていくのかとても興味を持ちました。言語的属性を持ち情動表現に近いものとして、zoomやLINEの『スタンプ』機能を考えてみたのですが、これはカテゴリ的な表現であり、スペクトラム的に変化していく人間の情動をカバーすることは難しいと感じました。そもそもアナログ的変化を示す情動をディジタルで伝えるのは原理的に不可能なような気さえしてきます。コミュニケーションをする人同士が全身に電極でもつけて信号を限りなく永続的に測定し、そのまま信号を送信し合うというような伝達でなら実現できそうですが、これも非現実的そうです。
テキストや声といった話を聞いていると、デリダなどのポストモダニズム哲学が連想されます。様々な分野でのテーマであったコミュニケーションがコロナ禍で問い質されている今こそ、学際的な解決が待たれている気がします。

ken0712    reply

私自身、大学でオンライン講義を受けてみてなんだかんだ形式的には上手くいってると思う反面、上手く新しい人間関係を構築できず寂しさを感じていたのですが、これは電子コミュニケーションには情動情報が欠落しているからなのだというふうに理由が言語化されて少しスッキリしました。単に相手の全身が見えなかったり相手の体に触れたりといったことができないからコミュニケーションに難しさを感じるのかなと思っていて、相手の喋っている内容だとかその言葉自体を自分がどう受け取るかということには変化がないと思っていましたが、そもそも言語の信頼性自体を情動情報が保証していて、それがオンラインでのコミュニケーションでは保証されなくなっているということは考えたことがなく、新鮮で面白かったです。

0326ema    reply

正直な信号のお話を聞き、偽ることのできない目元の情報しか与えられなくするマスクが、子供たちだけでなく社会全体のコミュニケーションのあり方に多大な影響を与えると改めて感じました。また、自分を不快にさせた人間が報いを受けると不快感が減少するということが科学的な事実であると知り驚くとともに、これが裁判制度の原点なのかもしれないとも感じました。表情の話から始まって人類の行く末にまで話が繋がっていくとは予想していなかったので、非常に興味深く聞くことができました。ありがとうございました。

tsugu851    reply

授業ありがとうございました。正直、普段の何気ない会話の中でも、あ、盛っちゃったな、と思うことが多々あるので、一日20回くらい嘘をつく、という話には驚く半面、納得もできました。LINEなどのツールであればなおさらで、考えてから送信するので誇張や嘘はし放題といっても過言ではないのかもしれません。すでに知っている友達ならまだしも、つながりの浅い相手だと、うわべだけのやり取りはよくあることだと思うし、自分自身でも、やってないかと言われたら、はい、とは言えません。また、文面だけだと、本来の意図と違う受け取られ方をされることも少なくありません。このようなコメントも、今回はすごく興味深い授業だったので正直に書いているつもりではいますが、興味がない授業や講演だと、自分でも逆によくここまで盛ったなと思ってしまうほどの嘘の塊のような文章になってしまいます。正直それで楽な面もありますが、やはり対面での、表情やしぐさなどを伴うコミュニケーションは絶やしてはいけない場面は絶対あるなと思いました。とりあえずコロナが早く収束してほしいです。

samiru618    reply

先週の授業で少し話題にあがった表情について今週詳しくお話を聞けて、先週の授業とのつながりを考えることができました。人間の感情について、先週はカテゴリ説に基づいたお話しが紹介されていましたが、今週はそれに加えて次元説を取り上げて下さっており、さらに二つの説に基づいた心理測定と脳測定の結果が乖離しているという事実が大変興味深かったです。また、先生の質問に対する私たち生徒の反応がほとんど一致したことを見て、一人一人の生い立ちは全く違うのに表情から読み取れる感情はほとんど一致するのかと思い、どこか不思議な感じがして面白かったです。

yk0819    reply

言語活動を弱めることで反応がはっきりと遅くなるように、人間が言語を操れることで受けている影響は大きいのだと思った。人間は文字を発明することで言葉を伝えるときに正直な信号を排除することができるようになった。文字だけでコミュニケーションできるという特性を人間だけに備わった優れたものだと考えた人もいたことは面白いと思った。しかしながら、私も実感しているがテキストだけでは相手の本気度や冗談なのかなどはよくわからない。情動情報を載せるには感情計測機器でも利用すればいいのかもしれないが、常に脳に電極が埋め込まれているというのは現実的ではなさそうだ。
謝られると相手を攻撃しようとは思わなくなるが不快感は残るというのは実感に合致するが、相手の不利益によって不快感が解消されたという話を聞き人間は相手の不幸によって溜飲を下げるという恐ろしい側面を持っている生き物なのだと思った。

L1F2    reply

Meta(旧Facebook)がメタバースの実現を提唱し、例えば仮想空間でビジネスをする、といった構想をしている。しかし、発話行為という正直な信号が欠如することについては考慮されていないように思える。解決策としての、「情動に相関する生体信号を計測して送信すること」は、その必要性のなさから遵守されない、という話だったが、遠隔コミュニケーションを可能にする機器(インターネットならPCやスマホ、メタバースならヘッドマウントディスプレイなど)にその送信機能を埋め込んでしまって、送信側がその送信をとめることができないような仕組みを作ることを公的機関が機器作成企業に強制すれば可能なのではないかと思った。

mhy2135    reply

自然な微笑みと作り笑いの違いが筋肉の動きに表れるという話は聞いたことがありましたが、そこから繋がる「正直な信号」という概念は私にとって新しく、興味深いものでした。普段利用しているメールやLINEなどでは正直な信号による保証が切り離された、正直でない内容がやり取りされている、という話に心当たりがありすぎてドキッとしたのと同時に、じゃあ規制や課税でこの動きを何とかしよう、という話になった時には正直そんなの嫌だな、と思ってしまった自分を見て、正直な信号を相手に見せずに済むツールに普段精神的にいかに頼りきっているか実感しました。そして、こうしたツールがトラブルになりやすい理由を怒りの実験例から理解できた今、使う側が細心の注意をはらうことの大切さを深く感じました。

noguchi5rohgoya    reply

今回の講義はこれまでの6回の中で最も「顔」というものそのものに焦点を合わせたものだったように感じました。言葉は正直な信号たりえない、それは正直な信号たる言葉を知らずとも私がたまに考えていたこととも同じでした。電子コミュニケーションの抱える本質的な問題について、空気感の欠如などといったぼんやりした言葉がよく使われますが、このような方面でアプローチしコミュニケーションの2大要素のうち一つがそもそも抜け落ちてしまうのだという指摘をはっきりなさったのを聞いたとき、自分のなかにあった違和感が言語化されとても納得しました。

nv0824    reply

嘘の微笑みは“目が笑っていない“というのはよく聞いたことがありますが、これに少し矛盾しているのではないかと思うのは、コロナ禍以降、マスクで口元が見えず、相手がどんな表情をしているのかよく分からず、また逆に自分の心情を相手に悟られたくないときにはマスクをしているがために口元の動きを見られずに済んで良かったと思うことがあります。表情の真偽を判別するときには目の動きが注目されると思いますが、表情から心情を推測するときには口元の動きが最も重要なのではないかとこの頃感じています。

lmn7    reply

コストのかかる「正直な信号」によって言語の信頼性が保証されているという話はとても面白かったです。LINEなどのテキストベースのコミュニケーションにおいて使われる様々な絵文字やスタンプなどは、電子コミュニケーションで欠如している情動情報を補おうとしたものなのだなと納得できました。多岐にわたる表情を持った絵文字やスタンプでより詳細な情動伝達が試みられてはいますが、対面のコミュニケーションによって担保される信頼性とは程遠いものなのだということが強く感じられました。

tugariz    reply

人間の6感情を覚醒軸と情動価軸の二次元の中に位置づける二次元説を初めて知り興味を持ちました。言語化する以前の感情は連続的なものであって、怒り、悲しみ、恐れ、嫌悪はすべて覚醒度が異なる「不快」の感情だと聞いて、たしかに自分の主観として嫌悪と怒りは連続的な感情で、言語化する機会がなければ区別が難しいように思いました。また、快の感情を表すカテゴリーが喜びしかないことがなぜなのか気になりました。

choi1125    reply

「正直な信号」という概念によって、今まで漠然と感じていた非対面コミュニケーションのデメリットについて言語化して理解できた。実際に自分も週に何度もオンライン授業などで一緒になる友達よりも、週に一度でも実際に対面して一緒にスポーツをするサークルの友達との方が仲良くなったという実感がある。やはり言語情報のみではなく、情動表出がなければコミュニケーションにおける言語の信頼が担保されず、相手と本当の意味でコミュニケーションしたことにはならないのだなと感じている。オンライン授業でも、ビデオをオンにして参加するなど、対面コミュニケーションに近づける工夫をしていかなければならないなと思った。

mehikari18    reply

前回の授業でも、顔の表情から感情を読み取る研究とその写真が取り上げられており、前回は表情の判断に少し懐疑的であったと記憶している。一方今回の授業では、顔の表情を含めた「正直な信号」から情動を読み取り、信頼性のある言葉・交流が生まれてきたと考えており、この違いは面白いと思った。そして、情動がわからないことによる信頼性の欠如が非対面の問題点である、という考えはかなり印象的だし、納得できた。

dta28    reply

講義ありがとうございました。
「嘘の微笑み」の話は聞いたことがありましたが、ことコロナ禍においてマスク着用者が一般化する中で表情が読み取りにくくなった現在、円滑なコミュニケーションにかかる障壁の重さに改めて気づきました。また、情動情報の欠落という言葉により、昨今抱えていたコミュニケーションへの違和感が言語化されたように感じました。

jacky07    reply

対面と非対面で、情報伝達がどう変わるかという実験が興味深かった。オンライン授業のメリットとして質問がしやすいことがしばしば挙げられるが、テキストチャットでは情報伝達が有意にうまく行かないというデータがあった。実際学生の質問は僕も含めて大多数がテキストチャットであり、その結果学生と教授の間にすれ違いが生じる場面もたびたび見かける。一方でボイスチャットやビデオチャットなど声の要素が加わるとディスコミュニケーションは減り、対面と比べても情報伝達に有意差がなくなっている。
なので学生は音声で質問すべきと言えるが、一方で情報はボイスチャットでも伝達可能ということも示されている。一回の実験で判断を下すのは早計であろうが、そう考えるとゼミのような授業はさておき、一方向的な講義形式の授業はオンラインで代替可能にも思える。講義における教授の発話内容の信用性(「正直」さといってもいいと思うが)については、声の情報に加えて大学の教授職についているという時点である程度担保されているし、実際我々学生もそれによって教授の発言内容に一定以上の信用を与えている気がする。

283ama    reply

オンライン化によりコミュニケーションにおける情動情報が想像以上にうまく伝達されなくなるのだという視点は非常に興味深かった。これまでの授業では、音声だけ、文字だけのコミュニケーションで顔そのものが見えなくなってしまうことに対する問題意識から論を組み立てているものも多かったが、たとえ画面越しに顔が見えていても、それは編集、改ざん可能であり、身体接触を伴う交流も制限された極めて限定的な情報なのだということは盲点となっていたかもしれない。
ところで、本来のコミュニケーションの形が失われていくなかで、オンラインでのやりとり、つまり言語情報のみのやりとりのほうが楽だという感覚も生まれているのではないかと思う。ただ言葉の字義を追っているだけでも表面上はコミュニケーションが成り立っていると感じられてしまうがために、人と顔を合わせるために移動する手間が省け、時空間的な障壁を超えて人同士が繋がることができるという耳触りのよい言葉を信じて、これからオンライン化に拍車がかかっていくという未来もありえるのではないだろうか。もちろん授業でも触れられたように、言語による情動操作で言語のみでは解決できない結果を引き起こすことがあるなど、オンラインでのコミュニケーションは重大な欠陥を孕んでいる。コミュニケーションの在り方について、一時的なメリットに目をくらまされることなく再考していく必要があると、この講義を通じて改めて感じた。

touko8230    reply

この状況下で人々が抱える違和感やストレスを直接的に説明できるこのような研究がコロナ禍になる前から行われていたことに驚きました。おそらく多くの人が対面で人とコミュニケーションをする場を強制的に奪われた今、初めて認識できた問題、つまり電子コミュニケーションにおいて、情動情報という言語の信頼性はもとより、信号自体の信頼性にも関わる重要な要素が欠落しているということを以前から研究していたというのは不思議な感じがしました。
この機会に対面で失われた情動情報の代替を探すことはもちろん、残されたもの、特に言語の性質についての考察が、正直な信号の信頼性の担保に必要になるのではないかと感じました。

佐竹謙伸    reply

演劇をやっていることもあり、正直な信号の話がとても興味深かったです

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