ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第12回 01月05日 南後由和

COVID-19と「ひとり空間」――都市とメディアの交わり

 東京をはじめとする日本の都市には、カプセルホテル、半個室型ラーメン店、ひとりカラオケ店などの「ひとり空間」が多く存在する。「ひとり空間」の成り立ちは、他者といかに対面するか/しないかという問題と関係している。本講義では、「ひとり空間」を物理空間と情報空間が交差するところに立ち現れるものとして捉えたうえで、新型コロナウイルス感染症の拡大が「ひとり空間」にもたらしている変化について考えたい。

講師紹介

南後由和
1979年生まれ。明治大学情報コミュニケーション学部准教授。社会学、都市・建築論。東京大学大学院学際情報学府博士課程単位取得退学。デルフト工科大学、コロンビア大学、UCL客員研究員を歴任。主な著書に『ひとり空間の都市論』(ちくま新書、2018)、『商業空間は何の夢を見たか』(共著、平凡社、2016)、『建築の際』(編、平凡社、2015)、『文化人とは何か?』(共編、東京書籍、2010)など。
参考文献
  • アーリ,ジョン『モビリティーズ――移動の社会学』(吉原直樹、伊藤嘉高・訳)作品社、2015。
  • 磯村英一『人間にとって都市とは何か』NHKブックス、1968。
  • 都築響一『TOKYO STYLE』ちくま文庫、2003。
  • 南後由和『ひとり空間の都市論』ちくま新書、2018。
  • ホール,エドワード『かくれた次元』(日高敏隆、佐藤信行・訳)みすず書房、1970。
  • Basar, Shumon, Coupland, Douglas, Obrist, Hans Ulrich, The Extreme Self, Cologne: Walther Koenig, 2021.
授業風景

 第12回は、明治大学情報コミュニケーション学部准教授の南後由和先生にご登壇いただき、都市やメディアとの関係から「ひとり空間」の変容についてご講演いただいた。

 南後先生は「ひとり空間」を「何らかの仕切りによって『状態としてのひとり』が維持・確保された空間」と定義する。この「ひとり」はたんに「ひとり暮らし」を指すのではなく、一時的な「状態」に焦点があてられている。なお、ここでの仕切りには、壁やアクリル板による物理的遮断のほか、情報端末(ウォークマン、スマホ等)による感覚的遮断も含まれる。とりわけ、目に見えない仕切りによる遮断は、外界との接触を断つ「社会状態からの離脱」をも示唆している。集団内でどこか居心地の悪さを感じ、スマホで音楽を聴く場面には「(いまは)この集団に帰属しない」という意思が潜んでいるという。

 先生が「ひとり空間」に注目した背景のひとつには、2000年代以降の「おひとりさま」概念の普及がある。当時は、少子化や晩婚化の影響により、配偶者と死別した単身高齢者や未婚女性が増加していた。こうした単身者の増大は、ひとりでの利用を想定したサービスの広がりなどの社会的効用をもたらした一方で、孤独死の問題も浮きぼりにした。現代社会において「ひとり空間」は、どこに、どのような形で現れているだろうか。講義では都市、日本、情報社会という3つの観点から、この問いが多角的に検討された。

 第一に、都市において「ひとり」(単身者)は「正常」であると指摘された。地縁や血縁の括りが比較的よわく、人口の流出/流入が活発である(つまり、移動可能性としての「モビリティ」が高い)都市部では、多様な「ひとり」が異質性を保ちながら共存している。そして、この都市部におけるひとり暮らしの快適さは、住宅機能の「内部化/外部化」の概念によって説明される。住宅の外部にあった機能を内部に持ちこむことが「内部化」(例:銭湯→浴室、シャワー)であり、住宅の内部にあった機能を外部に委託することが「外部化」(例:冷蔵庫、電子レンジ→コンビニ)にあたる。こうした工夫により、都市部では「まち全体が自分の家」と捉えられるような住環境が構築されてきた。

 上述の「モビリティ」について、授業では社会学者ジョン・アーリの「中間空間」概念が紹介された。移動の観点から現代社会を考察したアーリは、ひとの移動の合間に存在する駅などの空間を「中間空間」と定義した。この中間空間は仕事や余暇などの日常的な活動の緩衝地帯としての機能をもつ。たとえば、駅に設置された「パーソナル・オフィス」もひとり向けの中間空間として機能している。

 第二に、日本の「ひとり空間」の特性に着目する場合、諸外国と比べてその質量ともに充実していることが指摘された。「住む」(例:ワンルーム賃貸)、「泊まる」(例:カプセルホテル)、「遊ぶ」(例:ネットカフェや漫画喫茶)といった生活のあらゆる側面が「ひとり」に対応している。日本の「ひとり空間」の特徴には、①狭小かつ間仕切りが多層であること、②課金空間であること、③駅前に集積していることが挙げられ、それぞれが日本社会の実情に即している。たとえば、特徴①に関しては、アメリカの人類学者エドワード・ホールによる「日本人は音に対して鈍感、視線に関して敏感」という指摘が参照された。たしかに、ふすまやつい立ては音を通すが、視線は通さない。このことから、日本ではもっぱら視線を遮るための副次的な間仕切りが、部屋の内部にも必要とされたことが分かる。特徴②は、日本においてタダで自由に使える公共空間が相対的に低位であること、すなわち、市民が公共空間の利用権を「勝ち取ってきた」欧米のような歴史の欠如に結びつけられた。そして、特徴③は、日本の都市開発において鉄道会社の果たす役割が、きわめて大きいことに起因する。

 第三に、情報化に着目すると、モバイルメディアによって仮想的な「ひとり空間」が生じている。メディアの普及は、個人を対象とするマーケティングを加速させ、カスタマイズや個包装に代表されるような「個人化された」消費社会が誕生した。他方、SNSによる新たな空間の「共有化」も進んでいる。2015年に第1号店をオープンしたホステルBOOK AND BED TOKYOのコンセプトは「泊まれる本屋」である。利用者は店内で自由に本を読み、自分のベッドで眠ることもできる。ただし、完全な個室ではなく、他の利用者たちと「ひとり空間」を共有する設計である。「みんなで自分の世界に没入する」という新たな「ひとり空間」を、南後先生は「共有型」の空間と呼んでいる。しかし、この空間は誰とでも共有されるわけではない。「共有型ひとり空間」は、趣味嗜好の近いひとびとによって形成され、インスタグラム等のSNSでの写真やタグの共有によってフィルタリングされている。

 このコロナ禍において、以上のひとり空間はどのように変化しているのだろうか。感染症の流行によって「ひとり」が軟禁状態の孤独になると同時に、モビリティ面では移動しなくて済む者が「強者」となる社会に変容していると先生は指摘する。つまり、強制された「ひとり」状態はストレスになりうる一方で、感染のリスクを考えれば不必要に移動することは避けられ、「ひとり」でいることが選ばれる。加えて、この感染のリスクという思考によって、国境などの政治的な「仕切り」もふくむ、さまざまなレベルでの間仕切りや境界の重要性が高まりつつあると、先生は指摘する。

 講義の終盤では、「ひとり空間」をめぐる新たなトレンドとして、リモートで「ひとり空間」がほかの空間と接続される「離接型」(例:自宅でのライブ鑑賞)や、住宅内での隔離を表す「近隔型」(例:仮設オフィスとしても利用できる「インスタント個室」)といった新たな分類も紹介された。

 SNSの普及が生んだ「つながり」への欲求と「しがらみ」からの逃避は、「ひとり空間」に個人化と共有化というふたつの方向性を与えた。現代社会において、この傾向はますます強まっている。感染がこわい、でも他者とは交流したい、ただひとりにもなりたいという相反する感情の狭間で、私たちはさまざまな形の「ひとり空間」を生きている。コロナ禍での他者との「接続」において、限定的な視覚・聴覚にどれほど多く負っているのか、日々のズーム会議からも考えさせられる。他者と会ってはじめて、その横顔や匂いから、そのひとの存在を噛みしめることもある。「ひとり」を過度に寂しがらずに、自身の置かれた空間をクールに分析できるようになりたい。

(文責:TA松浦)

コメント(最新2件 / 22)

face1030    reply

コロナによる自粛によって見直す機会のできた孤立のあり方を、様々な型で分類することでその認識が深まりました。各国間の比較が特に興味深く感じたので、外国の状況ももっと知りたいと思いました。今回も含め、コロナ禍に関連してアイドルやyoutubeの話がよく出てくるので、今後もその動向に注目していきたいです。

q1350    reply

日本人のひとり空間の特徴の一つで、エドワードホールが述べた外国と比べた比較文化の特徴は、とても納得できた。視線と音の観点は、それぞれが作るひとり空間の作り方にも影響し、それがひとり空間の課金性を生み出しているのではないかとも思った。つまり、視覚を遮るためには物理的な空間のアレンジが必要であるからである。

taisei0303    reply

「みんなでひとりでいる」空間では、沈黙のコミュニケーションが交わされているというのが、専有型のひとり空間とは違う特徴で、興味深かったです。また、コロナ禍において裏舞台が表舞台化しているというのは、非常に共感できることだなと思いました。離接型のコミュニケーションのいい所もあると思いますが、対面でしか得られない偶然性が失われているのは悲しいことだとも感じます。

sk0515    reply

ひとり空間の分析・類型化は非常にわかりやすかったです。外出機会が減っているコロナ禍において、ひとり空間が持つ役割はこれから大きくなっていくと思います。私は昨年の春に地方から上京してきて一人暮らしをしているのですが、一日中家にこもっている日も少なくありません。ひとりでいるのは居心地がいい側面がある一方で、ひとりで色々思い悩んで時々気分が沈んでしまうことがあります。これは、ひきこもりの要因なのかもしれないと私は感じています。私はひきこもったことはないですが、これが続けばひきこもりになりそうだなという感覚を覚えました。ひとり空間が精神面に与える影響について研究してみるのも面白いと感じました。

taisei0303    reply

「みんなでひとりでいる」空間では、沈黙のコミュニケーションが交わされているというのが、専有型のひとり空間とは違う特徴で、興味深かったです。また、コロナ禍において裏舞台が表舞台化しているというのは、非常に共感できることだなと思いました。離接型のコミュニケーションのいい所もあると思いますが、対面でしか得られない偶然性が失われているのは悲しいことだとも感じます。

283ama    reply

コロナ禍によって対面での交流の機会が著しく損なわれ、孤立感が強まったというのが一般的な認識だと思いますが、そこに地理的、歴史的な分析を加えると非常に興味深い知見が得られることに気がつきました。確かにコロナ禍である種の「ひとり空間」が広まりを見せたわけですが、その多くは近隔型だと考えられます。しかし「ひとり空間」にはほかにも、カプセルホテルやネットカフェなどの半占有型のものや、趣味や好みの合うもの同士が集まる共有型空間などがあり、地域ごとの文化的な差異も含めると極めて多様なのだということを知りました。特に、日本ではもともと独自の「ひとり空間」が発達していたというのは、コロナ禍において盲点となっていたことなのではないかと思います。こうした「ひとり」のあり方の多様性を認識することで、今後のオンラインでの交流で重視すべき要素や、逆に保存すべき従来の「ひとり空間」が見えてくるのではないかと思いました。

DonnyHathaway21    reply

「ひとり空間」の中にも日本の地域性が現れていて面白かった。狭小空間に多機能を詰め込んだウォークマンが日本で生まれたのも納得できた。また、他会社の機種と比べると比較的サイズの小さい、狭小なiPhoneが日本において支配的なのも偶然ではないだろう。
また、日本人は視線に敏感であるというのは、zoomでの対面感の喪失に繋がっていると思う。カメラをオンにしていても目線が合うような気がせず、同じ空間状態を共有している感覚が薄い。もしかすると、欧米圏では「音」中心のコミュニケーションであるzoomはもっと馴染みやすいのかもしれない。翻ってみれば、私たち日本人が再び対面に戻った時の「対面らしさ」というのも、そこに求めることが出来ると思う。

samiru618    reply

日本は有料なひとり空間が多いというお話の際に、川のすぐ横に座って仕事をしていたり、芝生の上で仕事をしている海外の写真を見て、日本で生きているとそもそもそのような場所で仕事をしようという発想に至らないなと気付きました。また、日本人は視線に関して敏感であり、カフェでも壁に向かって座ることが多いのに対し、海外では視線をより多く感じる、壁と反対側に向かって座っている写真など、文化の違いを目の当たりにし、興味深かったです。

赤尾竜将    reply

僕は、人の視線を気にせずにいたいというニーズと、他者と交流したいというニーズが両方存在するので、ひとり空間と仕切りのない開けた空間が併存する状態が最も良いと思います。そのため、飲食店などの物理的な空間で一人空間が増えてきていることはよいことだと思いました。情報空間内ではオンライン通信などで開けた空間が増えてきていますが、それでもまだひとり空間が大半を占めてしまっているのでもっと開けた区間が増えてほしいと思いました。

L1F2    reply

メディアの変化や社会の変化に伴ってひとりの空間のあり方も変容してきたということが興味深かった。これからの社会を考えてみたとき、(最近メタバースという言葉だけ独り歩きしているが)仮想空間上で活動をすることが当たり前になったら、「ひとり空間」はどうなるのだろうかと思った。おそらく仮想空間上では、専有型や共有型など既存の様々な形の「ひとり空間」が任意に容易に再現可能であるだろうが、そうなったとき人々はどんな「ひとり空間」を選択する、あるいは作り出すのだろうか。

mhy2135    reply

空間について、社会変化と地域、という二方向から考えるきっかけになった。カプセルホテルの例で紹介されたように社会構造の変化による影響を受けてきた空間利用の仕方・ひとり空間に、現在パンデミックという最大級の社会変化がさらなる変化をもたらしている、という構図をはっきり実感した。また地域性という話だと、日本は海外よりもひとり空間の充実が見られる、という事実が、ワンルーム・1Kの住宅の割合という客観的データからも示される、というのは私にとっては新事実で驚きだった。一方でひとり空間の創出にも国によって違いが見られるのは興味深かった。特に、日本人が音に鈍感・視線に敏感、というのは実体験から強く感じる。
かつてから、どうして日本には、広場のような空間で人々と音楽を楽しむ海外みたいな習慣があまり根付いていないのだろう、という疑問を抱いていたため、このことについて考える糸口を本講義で見たように感じられ嬉しい。

tsugu851    reply

授業ありがとうございました。海外の公園などでみられた、仕切りのない一人空間は、日本との文化の差を感じました。コロナ禍で、対面するという機会が制限されており、僕自身も一人暮らしをしていると人と会う機会というのはかなり限られてしまっています。視線を合わせる機会、他者の顔をみる機会は必然的に減っていますが、やはり日本人は、逆に言うとこうした機会に対面らしさを感じるのだろうな、と思いました。Zoomのような、大人数のものだと、対面の幹事は感じられませんが、1対1のテレビ電話だと、ある程度対面感を感じられるように思います。

lmn7    reply

コロナの影響からか〈ひとり空間〉と聞いたときに、なんとなく近隔型の〈ひとり空間〉を思い浮かべていましたが、講義を通して〈ひとり空間〉の多くの側面について考えることができて面白かったです。モバイル端末によって物理的な間仕切りがなくても〈ひとり空間〉を立ち現せさせることができることができるようになった一方で、常時誰かに接続しているという意識どによって〈ひとり空間〉が脅かされてしまうということから、現代の〈ひとり空間〉の複雑さのようなものが感じられた気がしました。また、「ひとり」という状態がそもそも如何なるものかということにも興味が湧きました。

nv0824    reply

コロナ以前から「ひとり〇〇」や「ソロ〇〇」という言葉はよく耳にしていたと思いますが、コロナ渦になってからよりこのような一人行動にスポットが当てられるようになったと思います。コロナ渦にいたっては、人々がそれぞれ一人行動をすれば複数人で同じことをするよりも感染拡大のリスクは低くなると思うので、コロナ渦で様々なサービス業が苦境に立たされるなかで、このように「ひとり〇〇」ということを商売に上手く生かすことができればコロナによるダメージを小さくすることができるのではないかと思いました。コロナ以前の「ひとり〇〇」はあえて一人で何かをすることを選択するというものでしたが、コロナ渦では逆に複数人や大人数で何かをするこよは許容されず、それよりも一人で何かをすることが好ましいとされているので、この「ひとり〇〇」のあり方や捉え方も変わってきていると思います。元々一人行動が好きな人にとっては今の世の中はより過ごしやすいものになっているのではないでしょうか。

noguchi5rohgoya    reply

僕は中高時代を親の仕事の都合で田舎で過ごしたのですが、そこでの血縁や地縁の強さに驚かされ、また都会に出たいという人の多くがそれらからの解放を目指していたことを興味深く思いました。そこで都会の「ひとり」について気付いたのですが、今回の授業でひとり空間という出発点からそれが出てきたときは頭の中でまったく独立していた二つの物事がつながったように感じました。パンデミックでますますひとり空間化が進む中、都会の「ひとり」がどういった形をとっていくのか気になります。

mehikari18    reply

一括りに「ひとり」と言っても、自室で孤独にいるという意味での「ひとり」と「みんなでひとりでいる」という意味での「ひとり」では、沈黙のコミュニティーの有無という点で異なることは印象的だった。今回の授業で、意外ときちんと理解できていなかったひとり空間について色々知ることができた。

dta28    reply

講義ありがとうございました。コロナ禍を契機に「ひとり」であることに注目が集まるようになりましたが、個人的にはコロナ禍以前からその風潮は強かったのだと思います。私個人的には、部屋の中でひとりでいるよりも、都会の喧騒の中でひとりでいるときのほうが安心感を覚えます。社会の中の匿名の個人であるという状態が、常時接続社会ではそのような安心感を生むことを体系的に理解できました。一方で、個人主義が進む現在ではありますが、個人ができることには限界があることを考慮すると、今後は利他の精神が重要になるとも思えました。

yk0819    reply

「ひとり空間」のタイプを見ると、日本は非常に有料の空間が充実していると感じた。日本人が視線に敏感だというのは、例に挙げられていたラーメン店など、必ずしも隣と仕切られている必要はないのに仕切られている空間が多いことから常日頃実感している。皆が中心を向いて座っているが、互いのことは気にせずに過ごすという空間は面白いと思ったが日本では難しいのかもしれない。また、物理空間でひとりになれたとしても、情報空間では、常にひとりでいられず返信などを求められる現代の状況はストレスになっていると思う。

sakasaka05    reply

コロナの影響で「一人でいること」あるいは「人と空間を共有しないこと」に注目が集まっている状況での今回の先生の授業は非常に興味深かったです。日本における「ひとり空間」を類型化する発想は私にとって新鮮であり、同じ一人でいる状況でも様々な型があることがわかりました。今までは多くの人が、他者が集団内で過ごしている中、自分だけ一人であることには抵抗意識がありましたが、コロナ禍では「みんながひとり」であるため一人でいることへの抵抗が少なくなったと思います。しかし、現在の状況に慣れてしまった現代人の中にはコロナ収束後に再び集団に属することに支障をきたす人も現れるのではないかという懸念も同時に生まれました。

jacky07    reply

コロナ禍以前から存在したという群衆の中の孤独をあまり感じたことがなかったのだが、コロナ禍で在宅の時間が増え、家族と一緒に過ごす時間は増えたにもかかわらず、一緒に話したり出かける機会はむしろ減ったように思える。外出は当然コロナの影響であるが、あまりに家族と近づきすぎて先生がおっしゃったように近隔型の一人空間が形成されているようだった。こうした一人空間は主にスマホやイヤホンによって形成されており、冒頭の見えない仕切りの話も実感があるだけに理解しやすかった。

Ruru    reply

講義を聞いて、これまでの社会では、現実の空間における他者との関係性がその空間における空間利用を決めることがほとんどであったが、電子機器の普及や、コロナ禍でのオンラインの繋がり強化によって、スマホやパソコンで人が自ら空間利用を操作できることが圧倒的に増えた、ということに気づいた。個人的には、頻繁に空間利用を自分で切り替える生活は少し疲れる。電車に乗るや否や、真っ先にスマホを取り出す人々の姿を見ていると、空間を他者と共有することを過剰に怖がっているのではないか、とも感じる。

gyoza0141    reply

日本でひとり空間が多いのは、日本人が他人の目線を過剰に気にしているということもあると思いますが、人口密度が高いとか広場や通りを建設するだけの空間がないなど地理的な側面も大きいような気がしました。ただやはり日本人が視線に敏感ということは感じていて、自分も多少敏感になっている部分があると思います。特に図書館の自習室や電車の中で席を探しているときとかは周りからの視線が気になります。すでにそこに座っている人たちはその空間の居住者で、僕は外から来た変な奴みたいなそういう関係になっている気分になります。だから僕は特に「駆け込み乗車」が苦手で、電車に乗り込んだ瞬間に別世界に来たみたいなそんな感覚に陥ります。あとは僕は家に一人でいる時よりも、ネットカフェとかで一人でいる時のほうが一人でいる感が強くて、なぜだろうと考えてみると、その違いは声が出せるか出せないかにあるような気がします。家では声が出せる、つまり独り言が言えるので自分が二人いるというわけじゃないけど、考えている自分と話している自分がいるみたいな感覚になり、ネットカフェとかでは声が出せないので本当に一人でいる感覚になるという風に。だから、「声」というのも何か自己や他者を考えるうえで重要なのかなと思いました。

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