ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第2回 10月12日 斉藤賢爾

貨幣の存在と不在を巡る 4つの循環 - The circle is now complete -

この講義では、みなさんにとって身近な存在である「貨幣」の役割やそれを支える構造の中に潜んでいる循環を明らかにします。また、人類とテクノロジーの歴史を大まかに振り返りながら、貨幣を含むテクノロジーの出現や衰退を巡って現れる循環的な運動にも目を向けます。そして、私たちが今後も地球上や太陽系の中で生きる営みを続けていくために必要となるだろう、持続可能な循環経済と貨幣の関係をみなさんとともに考えます。

講師紹介

斉藤賢爾
早稲田大学大学院経営管理研究科教授。1993年、コーネル大学より工学修士号(コンピュータサイエンス)を取得。2006年、慶應義塾大学よりデジタル通貨の研究で博士号(政策・メディア)を取得。同大学院政策・メディア研究科特任講師等を経て、2019年より現職。デジタル通貨、自律分散システムを中心に、インターネットと社会の諸問題の研究に従事。一般社団法人アカデミーキャンプ代表理事。一般社団法人ビヨンドブロックチェーン代表理事。主な著書に「不思議の国のNEO」(太郎次郎社エディタス)など。
参考文献
  • 河邑厚徳、グループ現代『エンデの遺言:根源からお金を問うこと』講談社+α文庫、2011。
  • 斉藤賢爾「DXの波、貨幣の変容促す 金融の未来(経済教室)」日本経済新聞、2021年3月18日。
  • フラー、バックミンスター『宇宙船地球号操縦マニュアル』(芹沢高志・訳)ちくま学芸文庫、2000。
  • マクルーハン、マーシャル『グーテンベルクの銀河系:活字人間の形成』(森常治・訳)みすず書房、1986。
  • マクルーハン、マーシャル/マクルーハン、エリック『メディアの法則』(高山宏・監修、序 中澤豊・訳)NTT出版、2002。
授業風景

 第2回は、早稲田大学大学院経営管理研究科教授の斉藤賢爾先生にご登壇いただき、「貨幣の存在と不在を巡る4つの循環」についてお話しいただいた。斉藤先生のご専門はコンピューターサイエンスであり、デジタル通貨の研究にもながく従事されてきた。また、「キミが創る!月面社会」(2021年)などをテーマに「アカデミーキャンプ」も主催し、子どもたちや学生とともにこれからの社会について考える取りくみもおこなわれている。

 今回の講義は、身近な存在である「貨幣」に注目しながら、私たちにとって当たり前となっている貨幣の存在や貨幣経済のしくみを問いなおすと同時に、新たな技術のもたらす社会の変化についても考える機会となった。

 はじめに、斉藤先生は「預かったお金がすべてを解決する話」というタイトルで、お金の貸し借りにまつわる(事例にもとづく)お話を紹介された。それはつぎのようなものである。

 ある街で、ホテルのフロントに勤めるAdamをθが訪れ、「24時間預かってほしい」と100ドル紙幣を置いていった。じつはAdamは知人のBobに100ドルの借金があり、また別の知人Zoeには100ドル貸していた。θから預かったお金を見て、Adamはこう考える。「この100ドルを使って、じぶんの借金を返してしまおう。後からZoeに借金を返してもらって、θにはそれを返せばいい」。こうしてAdamから100ドルを受けとったBobは同様に、じぶんの借金100ドルをCarolに返す。Carolもそのお金で、じぶんの借金100ドルを貸主に返す。みんなが順々にじぶんの借金を返していった結果、最初の100ドル紙幣はAdamから借金のあるZoeに行きつく。そして、ZoeがAdamに借金を返すことで、同じ100ドル紙幣が一周してAdamに戻ってくる。

 重要なのは、ここからである。24時間後、Adamのもとにふたたび現れたθは、例の100ドル紙幣を受けとりながら驚くべき事実を告げる。「あぁ、よかった!私の預けたこの100ドル紙幣は偽札だったんだよ。あなたがこれを使わなくてほんとうによかった!」と。

 この話から得られる教訓は3点ある。第1に、にせ札は役に立つ。実際、すべての登場人物が借金を返すにあたって、100ドル紙幣の真贋は影響していない。紙に刷られただけのお金が役立つこの仕組みは「ホンモノ」の紙幣の場合でも変わらないと斉藤先生は指摘する。

 第2に、交換を促進するという理由でお金は役に立ち、かつお金は自由に設計してよい。もっとも現在、お金の意義が「交換を促進する」ことにあるとは斉藤先生は考えていないため、この点については留保つきである。他方、お金のしくみを自由に設計してよい点は事実であり、現実にデジタル通貨の取りくみなどのかたちですでにあらわれはじめている。

 第3に、「借りたものは返さなければならない」というしくみは当たり前ではない。斉藤先生は、かりににせの100ドル紙幣がなかったとしても、登場人物たちの「円環は閉じている」ため、ほんとうは誰も借りたお金を返す必要はなかったと指摘する。というのも、この登場人物たちはじぶんのあたえた「恩」によってすでに円環をなしているからである。一見すると奇異なこの考え方は、狩猟採集社会における贈与経済のしくみとおなじである。

 以上のように、お金にまつわるしくみは、かならずしも絶対的ではない。そのような状況で、一般に貨幣が当たり前のものとして機能するのは、貨幣と国家の関係が切りはなすことのできないものであるためであるという。では、この貨幣と国家との関係は、どのようにして確かめることができるのだろうか。人類史をさかのぼって貨幣による交換を考える際に、私たちは貨幣以前の形態としてしばしば物々交換の社会を想定しがちである。すなわち、複数のグループが専門的に生産を分業し、その生産物を交換して生きるような社会である。しかし、斉藤先生はその想定はほんとうに成りたつのだろうかと問いかけた。かりに生活に不可欠な2つの産物が物々交換されると想定する場合、専門分化と交換は相手グループへの依存をひき起こし、たがいが対立した場合には両グループの生存が脅かされる大きなリスクとなる。つまり、両グループにとって最善の選択は最初から両方の産物をじぶんたちのもとで生産することであり、そのような状況では物々交換が自然に発生するとは考えられない。

 国家は、貨幣を発行し、市場(=分業社会)から税収を得ることで成りたっている。もともと他の狩猟採集社会を征服してできる国家は、徴収した現物をやりとりするための貨幣を生みだし、市場を形成する。そこで生きる被征服者たちには貨幣を得るための労働が必要となり、専門分化をすすめることで生産性も向上していく。そして生産性向上は、納税や貯蓄のかたちで国家による安全保障を強化する。この国家による安全保障は、専門性を持つと単独では生きられなくなるというリスクを補い、被支配者らが専門分化していく余地を生み出す。このように納税の強制とリスクへの保障をつうじて、国家-貨幣-専門分化の三つ巴が強化されてきた歴史がある。

 斉藤先生によれば、デジタル・トランスフォーメーション(DX)には、この三つ巴の関係をきり崩す可能性があるという。つまり、DXが国家、金融・貨幣、専門分化のそれぞれを自動化・効率化・民主化したさきには、いまよりも国家の強制力から自由になった「専門未分化」な社会を想定することができる。

 こうした動きをとらえるひとつの枠組みとして、授業ではマクルーハンらの著書『メディアの法則』における「テトラッド」が紹介された。テトラッドは、つぎの4つの質問をとおして、人びとのあいだを媒介するあらゆる人工物(メディア)の登場による変化を考察することを可能にする。その4つの質問とは、ある新しいメディアの登場は①「なにを強化しているのか」、②「なにを衰退させ、なににとって代わったのか」、③「かつて廃れたなにを回復しているのか」、④「おし進められるとなにを生じさせ、その結果としてなにに反転する(転じる)のか」である。

 たとえば、かつての自動車の登場は、①より早く、より遠くへ移動することや生活の地理的な分散を強化し、②馬をもちいた移動やその関連産業、コンパクトに居住する街を衰退させた。そして馬や御者から自由になったことで、自動車は③プライベートな車内空間で自分の意志で移動することを回復している。しかし、④自動車の普及は渋滞や交通事故を生じさせ、その結果として電気自動車や自動運転車といった新しい移動手段に転じはじめている。この「反転」の結果として生まれた新しい移動手段は、上記の②でかつて自動車が廃れさせた馬車的な要素を「回復」する。すなわち、身体にフィットするパーソナルモビリティ(鞍の回復)や、人間以外の知性を活用する自動運転(自分以外の意志が介在する移動の回復)などである。

 おなじ図式は、かつての国家-貨幣-専門分化の三つ巴(金融貨幣経済システム)の登場についても考えることができる。すなわち、この三つ巴は①交換や貯蓄、消費、専門分化を強化し、②贈与経済や専門未分化な社会、狩猟採集社会を衰退させた。そして、贈与がなりたつ以前の支配-服従のヒエラルキーや利益の最大化を回復させている。しかし、④金融貨幣経済システムの発展は、格差や未来からの搾取、破産、「ブルシット・ジョブ」などの問題を生じさせ、その解消のためにデジタルテクノロジーを活用したあらたな経済が現れてくると斉藤先生は考えている。

 さきの例と同様に、この新たな経済は金融貨幣経済システムが衰退させた贈与経済や狩猟採集を「回復」させる。ここでの狩猟採集は意味をかえ、わたしたちは自然環境で行うのと同じようにデジタルテクノロジーから何かを収穫するようになると先生は考える。土に種をまき、作物を収穫する農業のように、デジタルテクノロジーと向き合う「メタ・ネイチャー」が新しいメディアとなる。

 この「メタ・ネイチャー」の発想は、月面社会を考えると、ごく現実的なものであることがわかる。月面社会においては、自動で循環する地球環境とはちがって、人工的に自動化された資源循環システムを作動させる必要がある。すなわち、人工物の生産・分配・リサイクルが自動的な循環を形成し、だれもがその資源を利用できなくてはならない。このように自動で循環し、私たちがその資源を利用するシステムが、デジタルテクノロジーによって実現し、自然環境のように機能することが想定できる。

 月面社会の思考実験から、私たちは現行の金融貨幣経済システムの衰退が、月面社会では当たり前のものであると理解できる。というのも、第一に資源循環の自動システムに課金、すなわちお金との交換が必要となる場合、呼吸などの生存に不可欠な営みが困難になるからである。第二に専門分化についても、たとえば生存に必要な食物を一箇所で専業的につくっていたのでは、予期せぬ環境の急変にだれも対応できなくなってしまい、生存上の大きなリスクとなる。つまり、貨幣のない専門未分化な贈与社会が最適と考えられるのである。

 宇宙船地球号を提唱したバックミンスター・フラーは「宇宙では、もっとも理想的なことが、もっとも現実に即した実際的なこと」という。斉藤先生は、これは地球において同様であるという。つまり、月面社会について考えられるような新しいメディアを活用した社会を、地球における未来の社会にかんしても考え、実現していく必要あるのではないかと先生は提起する。

 私たちが当たり前と考えている現行の社会システムが、つねに変わらないわけではなく、あらゆる場所で成立しているわけでもないということは、しばしば忘れられている。「月面社会にお金は存在しない」というのは、長年研究をされてきた斉藤先生にとっては当たり前のことだというが、お金の存在が当たり前と思って生きてきた身からすれば、思いもよらない発見であった。

 私たちをいま生かしている技術やシステムが、社会をどのように変えてきたのかを学ぶことをつうじて、この先どのような技術やシステムを活用しながら社会を変化させていくことができるのかを考えるという先生の大きな視座が、とても新鮮に感じられた。さまざまな仮定にもとづく思考実験がたんなる空想をこえて、実践的なアプローチや思いもよらない新しい社会のあり方への可能性をひらくのかもしれない。

(文責:TA稲垣/校閲:LAP事務局)

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コメント(最新2件 / 6)

MI710    reply

貨幣経済、定住社会は持つものと持たざるものとの格差を生み出した。貧しいものは下層民として労働に従事し、富めるものは上流階級として余暇を享受する。そして一般に言われるところでは、その余暇=スコレーが始原の哲学者たちに理性による探求の余裕を与え、神話的説明を排した学問を生み出したとされる。そのようにして成立し数千年の時を経て発展したこの営みは、現代になって今度は自らを定立せしめた貨幣経済という神話に対する懐疑にまで至ることになったのである。高度に発達した情報技術が金融貨幣経済システムを解体する。あるいは供給者と消費者の間の一対一の限定交換によって成り立つ社会が終わりを迎え、贈与の閉じた円環である一般交換に基づいた社会が到来するのかもしれない。徹底的に現代社会を相対化しようと努める学問的探求は新たな社会のあり方を提示することができるのか。それは私たちにこそ託された課題なのだと感じられた。

Taku0    reply

技術や社会の変容に関して、「成長の歴史」として一本の直線のようなイメージを持っていたが、「テトラッド」の考え方でそれぞれの技術や社会をひとつのサイクルと見ることで新たな側面が見えてくるのがおもしろかった。DXと専門未分化の話やテトラッドなどを学問というトピックで考えてみると、かつてギリシアで奴隷による市民の自由(余暇)のもとで哲学などの学問や芸術が発展したこと(また当時は哲学者兼数学者が多かった=専門未分化?)と、今後AIやその他のテクノロジーにより自動化、効率化が進み専門未分化とはいかないまでも個人がより広い学問領域にアクセスできるようになるかもしれないことや近年よく聞く「学際的」な研究が、似た事象である気がした。そして、今後のそのような動きは今までの学問の発展に伴い進んだ専門化の反転に当たるのではないか、と考察の正誤はさておき様々なことに思いを巡らすことができた。月面社会に関する話では、貨幣をはじめ、自分が住む地球の現代社会の仕組みを唯一のものとして絶対視する価値観を見直すことの重要性を学んだ。気付きと学びの多い楽しい時間だった。

u1tokyo    reply

この講義を受けるまで、貨幣の価値は絶対でありあらゆる商品の価値の基準であると考えていた。しかし、『偽札が全てを解決する循環』のテーマで、恩の関係が円環として閉じていたという結論を聞き今まで考えたこともなかった新たな視点を得ることができた。さらに貨幣、専門分化と国家の三つ巴についての話、メディアとしての金融貨幣経済のテトラッドの話を聞き最後に月面社会におけるコミュニティ内での資源分配のあり方について考えることで貨幣システムが絶対的なものからは程遠いと感じた。
国家によって担保された貨幣を介さないような新たな経済活動のあり方がデジタルトランスフォーメーションによって可能になるかもしれないというのは、とてもワクワクさせてくれる話だった。自分でも今後の新たなデジタル技術や経済活動のあり方についてアンテナを張りながら、考えてみたいと思う。

kent0316    reply

身近なお金の貸し借りの話では、偽札が有用であるシーンが
実際に歴史の中であったとききとても驚きました。
またあまりこの授業の本質的なことからは外れると思いますが、
お金が循環する中で、借りたお金は必ず返さなければならないというのは
一種の洗脳かもしれない、貸した時点でその取引はある種終了していると捉えることもできる
という意見は自分にとって新鮮でかつ一理あるものに思えて
感動しました。

mayateru66    reply

偽札の存在がすべてを解決した話は私にとっては新鮮でとても興味深かった。講義での例え話は恐らくかなり極端なものではあろうが、それでも実際自分が誰かのためにしたことというのは巡り巡ってどこかで自分に還って来ている可能性は大いにあるなと思わされた。そう考えると確かにお金というもの、ひいては借りたものは返して当然という考え方自体も必要ないのかもしれないなとも思った。テトラッドの話も面白かった。金融貨幣経済システムは一度確立されて以降ずっとあり続けるものだと勝手に思い込んでいたが、それが問題を生み出し、その問題に対するアンサーが台頭すると金融貨幣経済システムが衰退させていたものが回復し新しい経済の在り方が生まれるかもしれないというのは興味深かった。講義全体を通して、産まれたときには既に存在していてこれからも当然在り続けるだろうとどこか信じ込んでいたお金というものの絶対性が根本から揺らぐ不思議な感覚を覚えてとても刺激的だった。

YCPK4    reply

・輪のようになった借金の関係が、"ニセ札"を投入することで解消されてしまう話が非常に印象深かったです。正直なところ、今でも騙されたような感じが拭えません。そして、現実の社会でも、この話のような実態のない貸し借りによって経済活動が抑制されているのかもしれないと思うと、確かに、貨幣が交換を促進しているのだ、という常識を疑いたくなりました。
・テトラッドの「回復」の概念が面白いと思いました。特にテクノロジーの世界では、一度廃れてしまったものは懐古趣味のような形以外では復活することはほとんどないと思っていたからです。この「回復」の概念を用いることで、自動車が廃れさせた馬車の特性(「人と人以外の知性が協調して目的地に向かうこと」など)が、自動運転者の登場によって形を変えて復活する、という状況が非常に綺麗に説明できていて感心しました。
・社会の成立過程を考えると生活必需品の物々交換は難しそうである、という話も、新鮮な切り口で面白かったです。このお話で、沈黙交易ということを知ったのですが、非常に興味深く、(貨幣や経済についての講義だったとは分かっているのですが) 人類学についてちょっと勉強してみようかなという気になりました。そして、この社会のそもそもの始まりを考えるという切り口でいくと、月面社会について、わざわざ生存可能性の著しい低い月面に人類が移住する動機とはなんだろう、ということが気になりました。地球が生存不可能な星になった時でも人類を存続させていくため、科学の発展、浪漫、といったものは考えられるのですが、いまいち必然性に欠けるようにも思えます…。

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