ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第6回 11月09日 松下淳一

企業倒産・事業再生と法

企業は、市場からヒト・モノ・カネ・情報を調達し、それらを使って付加価値を生み出し、その付加価値を市場に提供して利益を得ることを目指している。しかし、企業活動が常に利益を上げられるとは限らない。破綻に瀕した企業は、最終的には解体清算されるか、又は利害関係人の関与を経て再生するかであり、そのような過程を法的に規律する法分野が倒産法である。本講義では、倒産法の入り口を紹介し、倒産処理が経営資源の循環の役割を果たしていることを示したい。

講師紹介

松下淳一
1980年 愛知県立千種高校卒業,1986年 東京大学法学部卒業,1986年~1989年 東京大学法学部助手,1990年~2004年 学習院大学法学部 専任講師・助教授・教授,2004年~(現在) 東京大学大学院法学政治学研究科教授
授業風景

 第6回は、法学政治学研究科より松下淳一先生をお招きし、倒産法の観点から企業の倒産や事業再生にかかわるさまざまな循環についてお話しいただいた。

 松下先生のご専門は、個人倒産や企業倒産にかかわる法律(倒産法)である。法科大学院では実務と理論の往還を重視し、弁護士との共同講義も開講されている。全科類の1-2年生を対象とする今回の講義では、倒産をめぐる法的手続きについてわかりやすくご説明いただきながら、実際の倒産事件を題材に、倒産によって生じる循環にかんする多面的な見方をご紹介いただいた。

 冒頭では、この題材となる企業倒産事件の概要が提示された。便宜的にS株式会社と名づけられたこの企業は、大正時代に創業して以来、家具専門店からホームセンター、食品スーパーへと経営を拡大し、倒産手続き以前には計17店舗を経営していた。その売上高は年間百数十億円規模にもおよび、守るべき従業員も620名ほど雇用していた。しかし、競争激化による販売不振で売上が減少したことにより(本来の家業である家具専門店部門をのぞいて)、この企業は実質赤字の状態となっていた。

 再生手続き開始時点で、S社は土地や在庫、預金等の資産13億円にたいして、約53億円の負債をかかえる債務超過状態(約40億円)であった。負債のうちの約35億円は金融負債であり、18億円ほどがおもに仕入れにかんする負債と考えられる。数年のあいだに徐々に業績が悪化してきていたなかで、S社は弁済期限の仕入代金(約6億円)を支払えない事態を決定的な契機として、倒産することになった。

 ここから授業は、「この企業がかかえていた負債を、金融機関や仕入れ先はどのようにして回収することができるのか?」という問いのもとで、用語や権利の解説と具体例を往還しながら展開された。

 S社のすすめる倒産手続きを理解するためには、まず倒産にかかわる法とその手続きの基本を知る必要がある。さきの例で金融機関や仕入れ先には、どのような私法上の権利があり、いかにしてその権利を実現することができるのだろうか。この権利にかんして民法では、以下のようにさだめられている。大前提として「返す約束をして金銭を受けとる」場合、あるいは「商品について売買契約を結ぶ」場合には、これらの金銭や商品を提供したひとや企業等には、提供されたひとや企業等にたいして金銭を請求する権利が発生する。これが「金銭債権」の発生である。

 しかし、この請求権があったとしても、勝手に先方へ押し入って相手の財産をとってきてしまうような行為は、禁止されている。これを「自力執行」の禁止という。

 法律では、この自力執行の代わりに、裁判所による権利の確定と実現がさだめられている。すなわち、裁判所は民事訴訟をとおして、債権者の権利をみとめ、支払いを命じる判決をだすことができる(権利の確定)。そして、それでも支払われない場合には、「強制執行」というかたちで預金や財産を差し押さえ、それらを債権者への支払いに当てさせることができる(権利の実現)。このように、債権者がみずから裁判所に訴えて、権利を実現することを「個別的権利行使」とよぶ。つまり、債権者に「権利がある」とは、裁判所をつかってその権利を実現できることを意味する。

 このとき、さきのS社のように債務超過によって十分な返済が不可能になると、どうなるのだろうか。六法全書には「倒産」の定義がないと紹介しつつ、先生はこのように企業や個人の経済活動の破綻が表面化する現象、つまり金銭債務の弁済が困難または不能となる現象を「倒産」と定義された。もし「倒産」した企業にたいしても、債権者に同様の個別的権利行使が認められてしまうと、早いもの勝ちの状況となり、債権者間の不平等が生じてしまう。くわえて、店舗の差し押さえのような事業継続に不可欠な財産への強制執行は、まだ生きている事業価値を破壊することになってしまい、社会的にも損失が大きい。

 以上の「債権者間の不平等」や「事業価値の破壊」をふせぐ観点から、倒産手続きの開始が決定されると債権者による個別的権利行使は禁止される。このとき、全債権者の権利は「包括執行」という集団的な行使にかわり、各債権者は割合的な平等というかたちで弁済を受けることになる。実際、倒産する企業は、負債を支払えるだけのじゅうぶんな財産を持っていないことが多い。そのため、弁済を受けられない分は「取りはぐれ」とよばれる債権者の損失となる。

 倒産処理には、以下の3種類がある。

  1. 清算型:経営をやめ、全財産を換価し、代金を各債権者に弁済する
  2. 再建型:経営をつづけ、将来収益から弁済する
  3. 事業譲渡型:上記2つのハイブリッド型で、事業を譲渡して、その代金から弁済する

 冒頭のS社は、上記の「再建型」によって、家具専門店のみをのこして事業経営をつづける道を選択した。再生手続きをはじめるためには、裁判所に申し立てをおこない、再生計画案が債権者集会ならびに裁判所でみとめられる必要がある。もし少なくとも一方でも計画が認められないようなことがおきれば、企業は破産手続きをして解体清算するほかない。

 上述の2段階プロセスのうち、裁判所での認可のためには、計画案が遂行される見込みがない(無理)とはいえず、解体清算よりは高い弁済率になるという要件を満たす必要がある。他方で、松下先生が興味ぶかい特徴として強調したのが、前者の債権者集会での多数決の方法である。債権者集会での認可のためには、「同意した債権者の債権額の合計が総債権額の2分の1以上」かつ「債権者の過半数の同意」が必要であると定められている。つまり、総債権額の2分の1をこえる多額の債権をもつ1者の同意だけでは再生計画案は認められない。かならず、債権者の数の面でも過半数の同意を獲得しなければならない複雑な多数決のかたちになっている。さきほどのS社の再生計画案は、一般債権の5%を10年かけて弁済するという厳しい内容であったものの、清算型よりは弁済額が高くなる見込みがあったことで、債権者集会でも裁判所でも認められる結果となった。

 なお、倒産の過程で債権者は個別的権利行使を禁じられ、弁済も回収不能リスクも平等に分けられるというさきの原則には、いくつかの例外がある。まず、担保権をもっている債権者にはその担保が優先的に支払われる。くわえて、未払いの給与や退職金、社会保険料等についても、ほかの債権者に優先して支払われることになっている。そのほか、少額債権の弁済については事業の継続に必要と判断されれば、個別に認められる場合もある。たとえば、航空事業を再建するケースを考えると、燃料油やケータリング・サービスの代金を優先的に支払わなければ、旅客機を運行しつづけることが不可能となってしまう。そのため、これらについては個別の弁済が認められるという。

 以上を振りかえりながら、最後に企業倒産にかかわる3つの循環が紹介された。第一に、いちど倒産した企業が、経営破綻から倒産手続きをへて再建し、ふたたび健全経営にもどっていくという経営循環が挙げられる。くわえて第二に、倒産した企業が手放した事業や売却された店舗、土地などの経営資源も、非効率な事業から抜け出して、あらたな企業のもとでより効率的に利用されるようになる。そして第三に、倒産した企業から解雇された従業員が、その知識やノウハウをもって転職することによって、労働力や知識の循環もうまれる。このように、倒産は企業の経営状態そのものの循環にとどまらず、ひろく社会のなかでひとや資源の循環を生んでいるという。

 経営破綻には、近因と遠因、内在的要因と外在的要因が混在しているため、経営者や企業に原因があると目しやすい部分と、そうでない部分を複合的に検討する必要がある。かつての「倒産」は、不幸にして発生してしまった事象の後始末ととらえられていたものの、現在では市場における資源の適切な再配分、より効率的な企業活動のために活用すべきものであって、あくまでも平常時のビジネスと連続的にとらえることができると、松下先生は考えている。

 くわえて、弁護士のやりがいに着目する場合にも倒産や事業再生は特別であるという。というのも事業再生は、たんに事業そのものを守るだけでなく、従業員たちやその家族の生活、さらには地域経済をも守ることにつながるからである。そのため倒産関連の弁護士業務は、他の訴訟のような原告/被告の二者間の利害にかかわる(点や線の)仕事よりももっと幅ひろく、その周囲にも肯定的な影響を与える(面での)仕事となるという。

 また、学問分野としての倒産法は、多数の隣接分野との密接な関係のなかでつくられる「総合性」をもっているという。法学における理論とは、法制度の見通しをよくするものである。すなわち、現行の法制度に統一的かつ整合的な説明をあたえ、誰も考えたことも見たこともない新しい問題が生じた際に有用な理論を整えておくことが、研究者の仕事であるという。松下先生が裁判官や弁護士ではなく研究者の道に進んだ理由も、さまざまな理論的課題について「〆切に追われずに、いつまでも考えていたいから」だという。理論家は、ときにはある実務的な判断を理論的に正しいものとして追認し、ときには便益があったとしても理論的には認めがたいものとして批判するという法曹実務との緊張関係のうちで仕事をしている。つねに実務と理論の関係を意識しながら、倒産法を考えていく必要があるという松下先生の姿勢がとても印象的であった。

 多くの雇用をかかえながら、同時にさまざまな要素から影響をうける事業経営は不確実で、けっして簡単ではない。そのなかで不確実性に対応し、乗りこえるためのひとつの方法として、倒産や事業再生を循環的にとらえる考え方は、市場経済や社会の考察に重要な示唆をあたえるものであると感じた。

(文責:TA稲垣/校閲:LAP事務局)

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コメント(最新2件 / 7)

Roto    reply

いつまでも考え続けているのが好きである、という先生のお言葉が非常に印象的だった。研究者の方の職業的モチベーションとはなんなのか。よく言われるのは知的好奇心であり、それが自然科学など、人間が決めたこと以外のものを対象とする学問について当てはまるのはわかる。しかし、法律学は人間が決めた枠組みをメンテナンスすることがその大半の部分を占めていて、例えば新しいことを発見する、といった学問のエキサイティングな側面とは縁遠いように感じられる。もちろんその分、実社会と密に接することになるが、実社会に接するというモチベーションならば、学問を介さずにビジネスを志した方が近道になる。そうなると、浅薄な自分には、「法律学を学ぶ=弁護士、裁判官を目指す」という定式しか思い浮かばなかった。ところが、先生はこの定式に、冒頭の言葉によって異議を唱えた。確かに、研究者の人生の中に、思考を放棄するという瞬間はない。大半の人間が思考をするのは無思考の状態にたどり着きたいからであり、思考を好む人は少ない。思考を好む人でさえ、その多くは、思考自体を好むのではなく、思考が生み出す「進展」のために思考をしている。その意味で、本当に思考自体を好むという人はごく僅かであり、傑出した哲学者、トップ棋士などに代表される、特異な才能を持った方々である。そのような境地に足を踏み入れている先生をはじめとした研究者の方々にとって、もはやモチベーションのような、「進展」を前提とした概念は、過去のものとなっているのかもしれない。

MI710    reply

企業の倒産という現象の法的側面を、具体的な事例を確認しながら分かりやすく解説していただいた。弁護士は基本的に対立する二者のうちの片方の利益のみを代表するが、倒産に関わる弁護士は倒産に陥った事業に対して適切な処置をすることで、関係者全体、そして社会の利益も守ることになるという話が印象的であった。弁護士が社会を円滑に回すためのキーアクターとして働いているということの一例だと思う。一方で、理論と実践の緊張関係についても、法学者という立場から貴重なお話を聞くことができた。特に、弁護士や裁判官は一つひとつの判断に必ず期日が存在するのに対して、研究者という立場であれば一つの問題をずっと考えていられるというのは非常に魅力的に感じた。

Taku0    reply

法律についてほとんど専門知識がなかったので、新鮮な学びがあった。第一に、法律の幅広さについて。倒産法というジャンルがあることは知らなかったし、倒産など企業活動に関する事柄は専ら経営学の担当だと思っていたので、この場面で法律が重要な働きをしているのかと驚いた。自分が思っている以上に法律は身近なところにあるのかもしれない。さまざまな学問分野を学ぶ際に法という観点をもっておくと新たな気付きがうまれやすいと感じた。また、倒産法に関する循環として、店や土地、人の循環があげられていたが、いずれにおいても、今あるものの良い面を最大限活かし、変化させていくという意味で、変化を加えながら「なめらかな」循環を作っていくことが大切だと思った。法学や研究一般に関する話は、今後の学習や自分の進路を考える際にも意識したい重要な話だったと思う。

futian0621    reply

現在、自分は文科一類に在籍し、現時点で法学部への進学を検討しているが、正直法学部で何をするのか、それを将来どう役立てるのかについてはあまり具体的なイメージが持てていない。その中で、本日企業倒産・事業再生と法の講義を聞いて、倒産法という学問分野があることを知って非常に興味深かった。弁護士の仕事といえば、ざっくりと刑事裁判や民事裁判で原告や被告に代わって法的な知識から有利な条件を引き出そうとするもの、というイメージであったが、多様な法律を組み合わせてまるでオーケストラのような総合アートのように手続きを行うというのは、まさに条文の羅列に過ぎない法律の条文を実践に活用するという過程であり、法律の専門家としての見せ場のように感じた。同時に、弁護士という職業の門戸の広さを感じ、興味を持った。また、最後に先生がお話しされた、「弁護士や裁判官は期限までに答えを出さなければならない。しかし、私は悩み続けていたいので研究者でいたい」という言葉がとても印象に残った。そういった研究者の姿勢があってこそ法曹が答えを出すことができるのだと思った。

kent0316    reply

今回の授業は、起業を視野に入れている自分にとってとても有意義な内容でした。
中でも一番印象的だったのは、閉店セールにおける成功の話でした。
閉店セール時に早く値引きしてしまうのも、また値引きするのが遅すぎるのも失敗であるその塩梅は非常に難しそうだと感じました。

u1tokyo    reply

僕が大学で法学の授業をきちんと受けるのは、この講義が初めてでした。そもそも本講義のテーマだった倒産というものについても「倒産=潰れること」くらいの認識しかなかったですが、本講義を通じて法的な側面からの理解が深まりました。本授業で扱ったように、倒産は債務者に対する返済義務が事業を継続しながら達成できなくなったときに申請するものでした。ここで事業を止めるか、事業を続けながら負債の一部を返済するかは倒産のやり方によるのでした。この授業では現実の事例をもとにしたモデルケースを通じて法律について勉強しましたが、その勉強の仕方は自然科学を学ぶ上での姿勢にも通じていました。例えば物理では、ボールが転がる現象を単純化し力学について勉強します。先生もおっしゃっていましたが、理論的な学問としての法学も「わからないこと」をモデル検証などを通じて突き詰め、新たな発見をすることのできる、面白い学問なのだなと実感しました。親が大学の頃に法学の勉強をしていたらしいので、今度詳しく聴いてみようかな、という気にさせられました。ありがとうございました。

YCPK4    reply

法学についての講義というものを受けるのが人生で初めてのことだったので、ものすごく新鮮な体験でした。
「自力執行の禁止」というのを知って、流石にそういうところまでちゃんと考えられているなあということを実感しました。
そして、倒産手続というものが法律で定義されたものだということを知って少し驚きました。(今まで、当事者間同士の契約のみにもとづいて行われているのだと思っていました)。貸したお金の回収も早い者勝ちなのだろうと決めつけていましたが、ちゃんと債権者の平等も考えられているのですね。
個人的に面白いなと思ったのが、再生計画成立のプロセスにおける債権者集会の多数決のやり方で、債権額要件だけでなく頭数要件というものがあったことです。直感的には、確かに、頭数要件もあった方が公正な感じもしないこともないですが、講義の最後のお話にもあったように、法の理論からはどのように説明されるのかなあと思いました。
そして、倒産というものは、一般的には悲惨なカタストロフィというイメージがあるが、最近は資源の再分配や市場の効率化のための手段という認識に変わりつつある、ということが印象に残りました。「循環」という観点でいえば、市場という生態系において、倒産は生物個体の死に相当し、倒産処理はその死骸の分解のようなものとみれば、確かに、適切な倒産処理が為されることは市場が循環していくために必要不可欠だなあ、などと考えさせられました。

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