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第4回 10月26日 曽我昌史

経験の消失スパイラル──人と自然の関わり合いの衰退

現在、先進国を中心に社会の「自然離れ」が加速している。実際に、多くの研究から、人々(とりわけ子供)が日常生活で自然と触れあう頻度が減少していることが報告されている。こうした自然体験の衰退は「経験の消失(extinction of experience)」と呼ばれ、環境保全や人の健康の面から問題視されている。本講義では、経験の消失が生じる原因やその帰結(特に人の健康や環境保全に与える影響)について概説する。

講師紹介

曽我昌史
東京大学大学院農学生命科学研究科・准教授。2010年に東京農工大学農学部を卒業し、2012年に同大学大学院農学府修士課程を修了、2015に北海道大学大学院農学研究院で博士(農学)を取得。学位取得後、日本学術振興会特別研究員、東京大学大学院農学生命科学研究科助教を経て、2019年11月より現職。専門は生態学だが、その他に環境心理学や都市計画学、公衆衛生学にも精通し、人と自然の相互作用に関する学際的な研究に従事。主な著作に、『都市生態系の歴史と未来』(朝倉書店、2020年)がある。
参考文献
  • Fukano, Y., Soga, M. (2021) Why do so many modern people hate insects? The urbanization disgust hypothesis. Science of the Total Environment 777:146229.
  • Soga, M., Yamaura, Y., Koike, S. and Gaston, K.J. (2014), Land sharing vs. land sparing: does the compact city reconcile urban development and biodiversity conservation?. Journal of Applied Ecology, 51: 1378-1386.
  • Soga, M., Gaston, K.J., (2016). Extinction of experience: The loss of human–nature interactions. Frontiers in Ecology and the Environment, 14(2), 94-101.
  • Soga, M., Gaston, K. J., Yamaura, Y., Kurisu, K., & Hanaki, K. (2016). Both Direct and Vicarious Experiences of Nature Affect Children's Willingness to Conserve Biodiversity. International journal of environmental research and public health, 13(6), 529.
  • Soga, M., et al. (2020) How Can We Mitigate Against Increasing Biophobia Among Children During the Extinction of Experience?." Biological conservation, v. 242 ,. pp. 108420.
  • Soga, M., Evans, M. J., Tsuchiya, K., and Fukano, Y.. (2021). A room with a green view: the importance of nearby nature for mental health during the COVID-19 pandemic. Ecological Applications 31( 2):e02248.
  • Soga, M., Gaston K. J. (2022) Towards a unified understanding of human–nature interactions. Nature Sustainability 5:374-383.
授業風景

 第4回は、農学生命科学研究科の曽我昌史先生をお招きして、人間と自然の関係における「循環」にくわえて、ご自身の研究者としてのキャリア形成についてもお話をうかがった。

 曽我先生は、幼少期から虫とりに熱中し、中学・高校でも生物部に所属して昆虫採集のために全国をめぐっていたという。東京農工大学進学後も昆虫研究会にはいり、チョウの研究から保全生態学者としてのキャリアをスタートされた。そして博士論文執筆後は、今回のテーマでもある人間と自然の関係にかんして多くの研究成果を発表しつづけている。

 講義の前半では、この研究テーマの変遷についてお話しいただいた。曽我先生が研究において心がけてきた研究の大きな軸は、つぎの3つである。第一に「より『上流』にある課題に取りくむ」ことである。この「上流」とは、より広い対象にかかわる課題を指している。たとえば保全生態学の場合、より多くの地域にあてはまる課題は、かぎられた地域のみにあてはまる課題にくらべてより「上流」にあるといえる。

 第二に、「『事実』の発見だけではなく『価値』の発見も」おこなうことが重要であるという。つまり、あたらしい「事実」を発見することも重要ではあるものの、それにとどまらずある事実の発見が何のためになるのか、あるいはどのような意味をもつのかという「価値」を見出すことを忘れてはならないということである。

 そして第三に「単発の論文よりも大きな『構想』を」重視する姿勢が挙げられた。しばしば研究者は、目のまえの論文を書きあげることばかりに集中してしまいがちである。しかし曽我先生によれば、つねにより長期的な研究を意識しつつ、手もとの研究と将来の方向性とを対照させながら研究をすすめることが重要であるという。

 曽我先生の研究キャリアは、保全生態学のなかでもチョウという具体的な生き物に焦点をあてたご研究から、都市を中心とした人間と自然の関係へとむかう、おおきな視点の変更をともなっている。保全生態学は自然環境や生物多様性の保全を目的としており、大きくわけて生物多様性と生態系サービスのふたつの面から研究の方向性を説明することができる。生物多様性の面では、どんな生物種がどのくらい/なぜ減ったのかが調査・研究される。その研究成果は、しばしば多様性を守るための提言にも用いられるという。他方の生態系サービスの面では、たとえば植物の光合成による酸素の供給やレクリエーションの場としての自然の機能といった自然のはたす役割にかんする研究のほか、自然からの恵みを高めるための研究もおこなわれている。

 なかでも喫緊の課題は生物多様性の衰退である。種や生態系の衰退の規模やプロセス、メカニズムを調査・分析し、適切な対応策を提示することが求められている。曽我先生もキャリアの初期には、都市化が「生物多様性への脅威」として進展してきた事実にかんして、チョウの個体数や生息分布の変化などに着目した研究をかさね、保全に最適な都市開発戦略の構想にも資する成果を公表されてきた。

 他方、この研究をすすめるなかで、都市化によって減少しているのはなにも生物ばかりでなく、人間と自然との関わりあいについても同様に減少しているのではないかと考えはじめたという。保全生態学では従来、自然との関わりあいが人間にもたらす効果や意義については十分な関心が払われていなかった。そんななかで曽我先生は「誰も考えていないことを考えてみよう」と現在のご研究をはじめられた。

 講義の後半では、曽我先生の博士論文以降の研究についてご紹介いただいた。都市化による自然との関わりあいの減少にかんする曽我先生の見たてが「経験の喪失スパイラル」仮説と呼ばれる循環型のモデルである。すなわち、人間と自然の関わりあいが衰退することは、人間の健康や自然にたいする態度の悪化をひき起こし、自然とかかわる「意欲」や「機会」が減少したり、自然を忌避したりするようになると、よりいっそう自然との関わりあいの衰退がすすむという負のスパイラルである。

 欧米や日本でおこなわれた調査では、自然の多い場所に訪れる機会や自然観察の経験が、年を追うごとに/世代が下がるにつれて、減少してきた事実が示されている。このような経験の喪失は、自然が人間にもたらすさまざまな健康便益、具体的には身体的健康、精神的健康、社会的健康、認知機能への便益を損うと考えられている。

 身体的健康については、たとえば自然との接触とアトピーの関係についての研究が挙げられる。植物や土壌中の菌の多様性の十分なところで幼少期を過ごしたひとの場合、皮膚にいる常在菌が豊富となり、アトピー性皮膚炎を発症する確率も低いということが示されている。また精神的健康については、実際に外出できなくとも、窓から緑が見えるだけで精神面によい影響をあたえるという実験もある。反対に、自然の少ない冬に冬季うつが生じることもよく知られている。これについては、乾季になると活動量を抑制してきた人間の遺伝的な性質の影響ではないかというサバンナ仮説が紹介された。

 幼少期の自然体験とその後の自然への態度との関係については、自然体験レベルが減少すると、生物や自然にたいする感情や生態系にたいする価値認識が衰退することが示されている。たとえば「虫嫌い」は、都市化の進展によって人間と虫との接触の場が(私たちが虫にたいしてより強い脅威を感じやすい)居住空間に近くなったり、接触機会の減少によって虫を識別する知識がなくなって虫を区別なく忌避するようになったりすることによって生じるという進化心理学的な説明も紹介された。

 こうした変化は、わたしたちの自然とかかわる「意欲」や「機会」を減少させる。自然にたいする関心の低下は、さらにその子どもの世代の関心の低下へとつながり、人間が自然とふれあうことのできる場や機会はいっそう衰退・減少していくことになる。以上のように、人間と自然との関わりあいの喪失の影響が個人の身体や精神への影響にとどまらず、次世代にまで及ぶことによってますます強化されていくという負のフィードバックを描くことができるという。

 しかし、この負のスパイラルについては、まだ多くの解明すべき疑問も残されている。たとえば、視覚以外の五感をとおした経験の価値や影響についても実証していくことが必要だという。また、自然体験の質にはさまざまなものがあり、どのような要素が私たちの健康によく作用するのかについて具体的に明らかにしていくという課題も残されている。

 以上の研究をとおして曽我先生が長期的に構想されているのが「自然の処方」である。すなわち、必要な自然経験を処方し、人間の自然との関わりあいを促進させることによって、心身の健康だけでなく、自然にたいする人間のポジティブな態度をも増進させる狙いである。これがうまくいけば、自然とかかわる意欲や自発的に自然を経験する機会も増加し、「経験の再生スパイラル」へと転換させることが可能になるという。いかなる自然経験を、どれほどの頻度でおこなえばよいのか、薬のように詳細な情報をもとに自然経験を「処方」することによって、自然への知識不足による災害の抑制や、健康促進にも役立てることができるようになるかもしれない。

 人間が自然とかかわる経験の減少は、都市に住まう多くのひとが実感していることだろう。それだけに、都市化における人間と自然の関わりあいの減少や負のスパイラルにかんする説明は、とても納得のいくものであった。くわえて、詳細な研究からメカニズムを把握することによって、身近な現象を関連づけて説明できることや、それをあらたな「上流」の問いにつなげる可能性が広がることを今回の講義から学ぶことができた。まさに現在、あらたな領域を切りひらいている曽我先生のご研究の姿勢や変遷を知ることのできる貴重な機会となった。
(文責:TA稲垣/校閲:LAP事務局)

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コメント(最新2件 / 7)

kent0316    reply

今回の講義で個人的に最も興味深かったのは、アトピー性皮膚炎の話でした。
実は自分も軽度のアトピー性皮膚炎を持っており、
小さい頃からなぜ自分はアトピーなんだろうとずっと疑問に思っていました。
というのも、自分の勝手なイメージでははるかに衛生環境の悪そうなアフリカに住む小さな子供たちは
アトピーを持たず、なぜ比較的きれいな環境にいるはずの私はアトピーなんだろうという疑問です。
そんな私にとって、もちろん一要因に過ぎないと思いますが、今回の授業でおっしゃっていた
幼少期に自然豊かな環境にいるとアトピーを発症しにくいという説は個人的にとても納得のいくものでした。

Taku0    reply

葺替えの実践の講義の後、都市において人が自然の循環の一部に埋め込まれていることを実感するにはどうすればよいのか、を考えていた私にとって大きなヒントとなる講義だった。自然体験の喪失や自然の精神的、身体的効果は今までなんとなく感じていたが、しっかり言語化され、科学的に検証されていることに驚いた。経験の喪失スパイラルという負の循環に危機感を覚えたが、一方でどこかのポイントで正に転換することができれば全体が好循環に変わっていくという希望も抱いた。今回学んだことをより多くの人が認知することは、そのような転換の第一歩だと思うので、自分自身、自然経験を意識して確保したり、学習したことを周囲に共有したりしていきたい。

MI710    reply

環境問題が喫緊の課題であることが広く一般に認知される一方で、都市化の進展に伴い自然体験が減少して自然を実感しづらくなっている現代という時代において、「環境」や「自然」というものは一種の記号化、ラベル化され、体験的な膨らみを持つ言葉ではなくなりつつあるのかもしれない。私自身は地方出身であるため、子供の頃は自然の中で遊ぶ機会も多かったが、都会出身者はそのような体験があまりないというのを、受講者自身の経験談として聞き、ますます事態の深刻さを認識することになった。仮に都会に何らかの自然体験を創出することができたとしても、それが一種のアミューズメントとして、ラベルを貼るだけの商品化の運動に回収されてしまうのであれば、本当に環境問題を解決するような力を生み出すに至ることができるかは疑問だ。その意味でも、人間の心理過程に関する知見を取り入れつつ、いかに経験の再生スパイラルに沿う形でより人間の体感に根ざした自然体験を生み出していけるのかを考えるという試みの重要性を感じることができた。

u1tokyo    reply

最初は生物の多様性について研究していた先生が人と自然との関わり合いの機会の減少に興味を持ち、都市化などを契機とした人と自然の関わり合いの負のスパイラルについて研究された結果について聞くことができた。実際に自分が高校の時に山岳部に所属していて自然との交流が多い高校生活を過ごしていたのもあって、関わり合いの消失によってさらなる機会の喪失が起きる負のスパイラルについて実感することができた。
自分が今回の講義を聞いて考えたのは、都市と自然との共存についてである。先生が質問タイムにおっしゃられていたように、自然を都市の中にどう配置するかによって人と自然との関わり合いの増減は変わる。自分は、都市の中に小さい自然を置くことで人と自然との関わり合いを増やし正のスパイラルを契機するとともに、明治神宮のような集中した巨大な自然環境も都市に配置することで生物多様性も維持するようなあり方が良いのかな、と思った。これから都市のあり方について考えるときには、自然と人間との関係についても考えてみたい。

mayateru63    reply

内容は明快でわかりやすくまたとても興味深いものだった。ふと自分の部屋や講義を受けている教室や自分の最寄り駅などを見回してみると緑の少ない殺風景なものだなと気づいた。自然との関わりが健康や認知機能の向上に繋がるのならば、普段の生活の中により積極的に自然の要素を取り込むことで健康に過ごせたり仕事や勉強が捗って生産性をあげたりとより豊かな生活を送れるのではないかなと思った。また私は機械系の学科に内定しているが、灰色なものづくりの分野にもどこかで緑を取り込めたらより新しくて面白いものができるかもしれないとも思わされた。

futian0621    reply

これまでの講義における循環は、自然と物質の循環や資源の循環など、理想の形として用いられることが多かったが、今回は、自然との関わりが失われる負のスパイラルとして語られているのが印象的だった。自然との関わりを増やすことができれば、この循環を正の循環にしていけると思った。今回の講義で扱った人間と自然の関わりのテーマについて関心を持ったので、曽我先生の英語での共同論文も拝見した。AセメスターのALESAの授業で探求しようと思った。

YCPK4    reply

「幼少期に自然に触れていた人ほど自然に価値を感じる」という、素朴な直観に対するエビデンスが与えられていることが新鮮でした。そういう複雑な事象を追跡できるとは思っていなかったからです。講義中で「パス解析」というものを用いるのだと仰っていましたが、調べてみると統計学の難しい理論が出てきて理解できず、統計学をちゃんと勉強するとこういうところで差が付けられるんだと思いました。
緑仮説や「人が快適に感じる風景はサバンナに近い」という進化心理学に関連する話題がとても面白かったです。(私は生物学に関心があるのでこういう話は大好きです...)
加えて印象に残ったのは、幼少期の自然体験とアトピーとの関連など、いわゆる衛生仮説を支持するエビデンスがちゃんとあるということです。(テレビなどで聞いたことはあったが、眉唾だと思っていました) 名前に「環境」とつく学部・学科では何を勉強しているのだろうと思っていましたが、こういう刺激的なトピックが学べるのだと分かりました。

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