ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第13回 01月11日 市野川容孝

旧優生保護法とリプロダクティヴ・ライツ

円周上のどの点も中心から等距離にある円は、平等の象徴ともされてきた。しかし、19世紀後半に進化論とも連動しながら登場する優生学は、人間(の生命)に優劣をつけながら、生まれるべき生命とそうでない生命という選別を正当化していった。本講義では、優生学の歴史を振り返りつつ、日本の旧優生保護法の問題について考える。

講師紹介

市野川容孝
総合文化研究科教授。1964年生まれ。社会学(医療の歴史社会学)。著書に『優生学と人間社会』(共著)、『生命科学の近現代史』(共編著)、『障害学への招待』(共著)など。
参考文献
  • 市野川容孝『身体/生命(思考のフロンティア)』岩波書店、2000。
  • 市野川容孝『生命倫理とは何か』平凡社、2002。
  • カンギレム、ジョルジュ『正常と病理』(滝沢武久・訳)法政大学出版局、1987。
  • 障害学研究編集委員会・編『障害学研究(15)』明石書店、2019。
  • 米本昌平、松原洋子、橳島次郎、市野川容孝『優生学と人間社会:生命科学の世紀はどこへ向かうのか』講談社現代新書、2000。
授業風景

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第13回は総合文化研究科の市野川容孝先生をお招きし、時代や場所を変えながら繰り返し社会に現れてきた優生学について、お話しいただいた。市野川先生のご専門は社会学で、とりわけ医療社会学を基盤とし、障害学という新たな研究領域を切り開きながら、旧優生保護法による強制不妊手術への補償を求める裁判にも携わってこられた。

市野川先生はまず、本講義のテーマであるCircle(円)に着目して、ものごとを円で捉えるときに現れる、円の図形的意味についての考察から、今回の講義をはじめられた。つづいて、優生学とは何か、優生学とナチを完全にイコール関係では捉えられないということ、また日本の優生政策、そして今とこれからの時代においても消えることはなく現れ続けるであろう優生学についてという順番で、お話しいただいた。

はじめに、わたしたちがものごとを描くために円を用いるとき、二つの図形的意味があるという。第一に円周上のどの点をとっても中心からは等距離であるから、円は平等な枠組みである。たとえば農民一揆の訴状に用いられた、傘連判状を思い浮かべることができる。

第二に円は閉じているから、統合、包摂を示すということである。市野川先生はその例として、ドイツの性科学者で、同性愛を禁じる刑法175条に抗議する研究を行い、後にナチスドイツから亡命したマグニュス・ヒルシュフェルトの「中間段階説」を挙げられた。この説では、性に関して、設けた項目のそれぞれに対して男性的か女性的か中間的かを調べてゆくと、すべての項目が女性的である「完全な女性」から始まり、10%の項目が男性的な女性、25%の項目が男性的な女性、などと続き、はじめと対極の位置に、すべての項目が男性的な「完全な男性」が現れるという。「中間段階説」に基づくと、男性的か、女性的かということは、現れうる類型すべてから成る、ひとつの円環状に示されるのであるとする。円環状に並んだ類型はすべて中心から等距離にあるのだから、「完全な女性」と「完全な男性」は対極にあってもどこか似ている感じがするのも、また当然なのである。

しかし優生学は、平等、統合ではなく排斥の性質を持つ思想であり、円のモデルではなく、らせんのモデルで捉えられるべきものであるという。らせんの図形的意味は二つあり、繰り返し円を描くという反復と、横から見れば同じ点を二度と通らないという一回性、唯一性である。性と生殖に関わる例として、リプロダクション(再生産)を考えると、生命の運動は、生まれ、生み、死ぬというライフサイクルの反復と、その繰り返しで形成されるライフコースの一回性という性質を持っている。

もし、らせんを傾かせれば、横から見たときの一回性の運動は、下から上へ進み、優劣と進化という図形的意味が生まれる。優生学はこのような認識に基づいており、進化というダーウィンの発見と、切り離せない関係を持っている。

それでは進化論から生まれた優生学とは、どのようなものなのだろうか。優生学について、ダーウィンのいとこでもあるフランシス・ガルトンは19世紀後半に、「品種」ないしは「血統」について、ダーウィンが自然選択と言い社会学者のスペンサーが適者生存と言ったところの、淘汰を探求する科学であるとしている。優生学者のアルフレッド・プレッツは、人間の進化によって社会福祉の観念が生まれ、淘汰を望む人種衛生学と対立したため、出生前に、細胞段階で淘汰を完了させることで解決させるのが、優生学の本流たる生殖衛生学である、と考えていた。しかしプレッツら優生学者の理念が技術的に可能になったのは、20世紀後半に出生前診断が登場してからであった。

優生学としばしば同一視されるのが戦間期ドイツに登場するナチズムであるが、優生学とナチズムは重なる点がありつつ、相違点もある。すなわち、優生学はナチ時代のドイツという範疇には閉じ込められず、日本やスウェーデンにも優生策の歴史があるように、他の時代、地域の問題にも関わる。

加えて、ナチズムには優生学が許容しない部分もある。ナチズムは戦争と切り離すことができないが、優生学者は、戦争は「逆淘汰」であると考えたため、反戦平和に立った。優生学においては、人種と優生かどうかの関係は否定され、むしろ混血が好ましいと考えられていた。そして、ナチズムの反ユダヤ主義に対して、優生学者には多くのユダヤ人がいた。ユダヤ人優生学者のカルマンは、不妊手術の対象を発症者のみとしたナチの断種法を批判し、遺伝的疾患が現れる可能性があれば不妊手術をすべきだと、より強硬に主張した。

安楽死をめぐっても、安楽死計画を遂行したナチズムと安楽死を批判した優生学は相容れない。優生学者のレンツは、重い障害を持つ子供の安楽死に対し、その子が将来子供をつくる可能性を奪うために不妊手術を用いるべきであると述べるが、安楽死を行う意味はなく、個々人の生命に対する畏敬の念という社会秩序の基盤を傷つけるとして反対した。出生前の淘汰を目的とする優生学という学問の存在理由を守るためには、出生後の淘汰を認めることはできなかったと考えることもできる。

しかし、優生学の立場とは反対に、ナチの安楽死計画は実施された。1939年9月1日は、ドイツ軍のポーランド侵攻により第二次世界大戦の総力戦が開始された日付であるとともに、ヒトラーが安楽死計画実施命令書にサインし、同時に、優生学の立場から行われていた断種法による不妊手術の中止命令が出された日付であり、優生学が否定され、出生後の淘汰が行われるようになったことを象徴する。

安楽死計画は、第一次世界大戦中に物資不足とそれによる健康状態の悪化のために精神病院で7万人の餓死者が出たという経験の影響を受けている。この痛ましい経験は、戦争という状況下において、平時にはありえない命の選別が、あたかも自然の摂理のような形で行われたと捉えられた。ナチの安楽死計画はこの出来事の人為的反復であり、そこで殺害された人の数は7万人に近かったといい、計画に従い現場の医療従事者が安楽死を実行した背景にも、第一次世界大戦中のこの経験が影響を与えたと考えなければならない。

1941年8月24日、カトリックからの反対を受けて安楽死計画中止命令が出されるが、一方で秘密裏にはなお実行され、8月29日に公開された安楽死推進のための宣伝映画『私は訴える』が、多くの観客を集めた。この映画は、難病の多発性硬化症に苦しむ妻のハナを安楽死させた医者のトマス、その友人でハナの主治医のラングを描き、映画のラストシーンでトマスは、ハナの意思によって自らが安楽死させたことを認めながら、自己決定による安楽死を正当化する言葉を述べ、判決を受ける。映画で描かれる安楽死と、ナチが実行した本人にも家族にも了解を得ない安楽死とは正反対のものであり、最良のプロパガンダは間接的なものであると述べたナチの宣伝相ゲッペルスが意図したように、映画を通して、正反対の性質の安楽死を民衆に認めさせようとしたのであった。

さて、日本における優生政策はどのようなものであったのだろうか。1940年に制定された国民優生法は、家制度によって成り立つ国家観によって保守からの強い反対を受け、失敗に終わった。より大きな影響を及ぼしたのは、戦後の人口問題研究会による建議にもとづき、社会党、民主党、国民協同党の連立政権下で成立した、優生保護法であった。優生保護法は「優生上の見地から不良な子孫の出生を防止する」などの目的で、第4条で遺伝性疾患や障害を持つ人に対しては医師の公益上必要であるという判断によって、第12条で精神病などの人に対しては医師の判断と保護者の同意によって、不妊手術を行うことができると定めており、さらに厚生省のガイドラインでは、本人の意志に反して、強制的な方法で行うことができると定めていた。

憲法13条が定める「公共の福祉」に対し、優生保護法が合致すると判断したのが当時の法務委員会であり、現在は13条違反という判決となることから、優生保護法の問題は13条の解釈の問題でもある。そして実施件数が男性と女性が1対2であったことも、1対1であったナチの場合と比較して、日本の優生政策の特徴である。

今とこれからに目を向けてみると、第一に、1960年代に登場した出生前診断は、20世紀前半には不可能だった優生学の夢であった。昨今の判例ではもはや古い技術となった不妊手術を違憲とするようになったが、優生学を批判しているのではなく、優生学は新しい技術によって実現されている。

第二に、カンギレムが提唱した病気の規範を、個人だけでなく社会にも考えるべきであると市野川先生は言う。たとえば入院すれば一つの生活パターンしか許容せず、生活リズムの逸脱を許さない病院のルールに従わなければならないように、病人はずれを許さない一つの規範しか受け入れることができない。ナチの時代にヒトラー・ユーゲントが「健康であれ」と求めたことは、健康でないと受け入れられない社会の方が、どんなずれにも耐えられない病んだ状態にあったことを示している。

市野川先生は、講義の最後に、このように投げかけられた。日本も2014年に批准している障害者権利条約は、第23条で、家庭及び家族の尊重を定めている。その条文に書かれるように、障害者の妊娠、出産も認められることが、社会の健康なのではないか。講義の冒頭の円の例に戻るならば、円の図形的意味の一つは閉じていることであった。閉じているから、必ず排除がある。その円を広げ、許容度を高めることが進化ではないか。

今回の講義では、優生学を図形やその歴史からとらえながら、わたしたち自身も優生学と切り離せない存在であると考えさせられた。日々耳にする報道の中でも、日本では障害をめぐって多くの課題がある。講義後の質問に市野川先生が、優生学の研究がゴールではなく、「学校での出来だけで人をはかる」ことを解きほぐすのが障害学で目指すところだと答えられたように、講義で得た貴重な視点を持ちながら、障害や病気をどのように受け入れる社会であるべきか、考えていきたい。

(文責:TA稲垣)

コメント(最新2件 / 6)

Roto    reply

市野川先生が最後の方に仰っていた「最近になって国が旧優生保護法に対する謝罪をするようになったのは、もはや不妊手術のような方法を使わなくても人間の淘汰を進行させられるようになったから」とはどういうことなのだろうか。それは、出生前診断の技術の向上を含意しているだけでなく、社会的淘汰にも言及しているのかもしれない。現代社会では、淘汰されているのは必ずしも障害者や特定の人種ではなく、社会が作り出す変化に対応できない人間であり、国は今までのように明確な排除を行わずとも、社会の流れを上手く変化させることで、余分な人間を振り落としている。そのような余分な人間は、誰かに排除されるのではなく、社会全体から押し出され、職業を失うなどして、自動的に社会からいなくなっていく。それが完全に上手くいっているとは考えにくいが、人間の淘汰に、優生保護法などのわかりやすい手段ではなく、もっと目立たない方法が使われ始めていることに、市野川先生は言及したのではないか。

Taku0    reply

優生思想という言葉はナチズムと関連づけて人種差別的な文脈で聞いたことがあったが、実際に優生学がどのような学問であるかは全く知らなかった。優生学の対極にあるとおっしゃっていた障害学に関しても、初めて話を聞き、先天あるいは後天的な障害を抱える当事者の研究や当事者を取り巻く社会全体への働きかけなどに興味を持った。障害を個人の問題と捉えるのではなく、社会との関わりによって生じる問題と捉えることは、多様性を許容する第一歩であると思う。さまざまな差別や社会問題に通じる考え方だと思った。

kent0316    reply

優生学というたいそれた言葉がなくとも
私たちのくらす日常にも同じような現象は少なからずおこっているように私は感じました。
例えば、容姿が整い洗練された芸能人は、同じように容姿の整った芸能人と結婚し子供を産む可能性がとても高いです。
「類は友を呼ぶ」ということわざもあるように、同じ特徴を持つものは、それが好ましい特徴であれ好ましくないものであれ、集められ、コミュニティを形成することが自然でしょう。
そのコミュニティ内で出会い子孫を残すという行為を繰り返すとすれば、
優生学という形で言語化され、人為的にこの行為を促進せずとも
我々の暮らしの中にも優生的過程は存在するのかなと思いました。

futian0621    reply

日本では、優生保護法や優生思想は戦後間もなくのイメージが強かったので、古来の優生学者の考えは、60年代以降の出生前診断によって初めて可能になったというのは意外であった。個人的には、ハンセン病患者への差別のイメージが強かったが、優生結婚当言葉まで存在したのは驚きだった。優生保護法が改正された今でも、出生前診断による人工妊娠中絶を権利として認めるべきかというのは倫理的な問題として残されており、議論の余地がある問題であると考えた。

u1tokyo    reply


今回の講義では、優生学の定義が「出生前に人為的な淘汰を完了しようとする考え」であるという先生の考えを起点に、ナチズムが優生学の範疇を越えた過激思想と捉えられること、日本社会と優生思想の関係について学んだ。自分が今回の講義で特に印象に残っている話は、社会における優生思想の論理の複雑化に呑まれることなく、多様な人を肯定する社会を、円環を広げるようにつくっていこうというお話である。先生のお話では、国の旧優生保護法に基づく不妊治療などの誤った政策に対する賠償などが進む一方で、社会においての優生学の存在は出生前診断などとして複雑化していると考えることができると学んだ。僕はこのお話を聞いて、出生前淘汰を否定する社会が作られると同時に、さらに多様な人の生を肯定する社会が作られていくといいなと感じた。授業後の質疑でも先生とお話を交わすことができたが、例えば受験や成績などの一元的な物差しに人を乗せる今の能力主義社会から逃れた生き方を包含することのできる社会がつくられていくことが、優生学の根本にある画一的な種としての人間という幻想に歯向かう手段の一つであると考えた。健全な社会は多様な生を肯定するというお話を胸に留めたい。

YCPK4    reply

講義を受けて第一に印象に残ったことは、優生学は決して既に過ぎ去った過去の思想ではないということです。優生思想は、今日ではむしろ、人々の思考に (おそらく無意識的にですが) 織り込まれており、それが証拠に、優生学の根本にある「人間の淘汰を出生前に完了する」ことを可能にする技術である出生前診断などが、着実に現実のものとなっている。また、自分なりに考えたこととして、優生学が、人種に関して偏見を持たないという、言ってみれば現代的な立場を取るのも、「優秀でありさえすれば出自を問わない」という点で現代のメリトクラシーと通ずるものがあるなあ、などとも思いました。そういうことも踏まえると、講義の中でもNHKの安楽死についての番組が取り上げられましたが、例えば「社会保障の負担になるから出生前診断で障がいのあるとわかった子どもは中絶した方がいい」というような無言の圧力が広まってしまう土壌が、今の社会には出来上がってしまっているんだと思います (相模原の障がい者施設の事件を思い出しました)。
そして、話は変わりますが、最後のカンギレムの「病気とは何か」という論がすごく面白かったです。春休みにでも、紹介された本を読んでみようかなと思います。

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