ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第5回 11月02日 高橋美保

人生は廻る──社会は廻る

個人も環境も時々に変化していますが、両者の間には相互作用が想定されます。その循環の中で、個人は自分自身のライフキャリアを生きていますが、自分らしく生きることは容易なことではありません。非自発的な失業は個人のライフキャリアの中でどのような体験となりえるのでしょうか、またコミュニティとの接点でどのように位置づけられるのでしょうか。臨床心理学の研究と実践を基に考えてみたいと思います。

講師紹介

高橋美保
1991年奈良女子大学文学部社会学科卒業し、民間企業勤務を経て、慶應義塾大学大学院社会学研究科社会学専攻修士課程で臨床心理学を学ぶ。その後、臨床心理士として複数の病院、企業、大学などに勤務。2008年東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース博士課程を修了し、2009年東京大学大学院教育学研究科臨床心理学コース専任講師に着任、2017年より現職。臨床心理士、公認心理師。失業者や働く人への心理的援助、ライフキャリア支援などを中心に、研究、臨床、教育に従事。
参考文献
  • アムンドソン、ノーマン『キャリアカウンセリング:積極的関わりによる新たな展開』(高橋美保、石津和子・訳)誠信書房、2018。
  • 岡本祐子『成人期における自我同一性の発達過程とその要因に関する研究』風間書房、1994。
  • 高橋美保、下山晴彦・編『臨床心理学(シリーズ心理学と仕事8)』北大路書房、2017。
  • Super, Donald E., "A life-span, life-space approach to career development", Journal of Vocational Behavior, 1980, 16 (3): 282-298.
授業風景

 第5回は、教育学研究科臨床心理学コースの高橋美保先生をお招きし、ライフキャリアにおける循環について臨床心理学の視点からお話しいただいた。

 臨床心理学とは、おもに悩みや困りごとに直面してメンタルヘルスの調子がわるいかたへの支援をかんがえる、心理学のなかでも実践にちかい分野である。臨床心理学では、情報的価値や正しさにくわえて、実用的な価値も重視されるという。つまり、いわゆるカウンセリングのように実験室を離れた「援助の現場」でも役に立ち、機能し、有効である研究により重きがおかれている。

 その手法や対象領域には細かな区分もあるが、高橋先生はなかでも医療・保健と産業・労働の領域を専門とされてきた。先生のご経歴は、医療機関での勤務から大学の学生相談カウンセラー、そして企業内カウンセラーや再就職支援会社での臨床まで幅ひろい。このひろがりを相談者の状態に着目してくらべてみると、健康度が低い状態から高い状態まで、あるいは未就労状態から就労状態、そして離職状態までライフキャリアの一連のプロセスを包含している。

 以上のご経歴もふまえて、講義の前半では個人の人生において働くことと生きることの循環がどのように展開していくかについてお話しいただき、つづく後半では個人と社会のかかわりにおいてライフキャリアがどのように循環しているかについてもお話しいただいた。

 高橋先生は、人生の「どんな状態にも苦しみはあるし、どんな状態にもそれなりのよさがある」という。個人の人生における循環をあらわす図式のひとつに「アイデンティティのラセン式発達モデル」がある。私たちのアイデンティティには、順調に成長する局面だけでなく葛藤する局面もある。このモデルは、青年期、中年期、定年退職期という3つの時期に個人が大きなアイデンティティの葛藤を経験し、そこからの回復をへて成長していくことを表している。アイデンティティの葛藤は、人生が思いどおりにならないときだけでなく、じつは一見すると思いどおりになっているようなときにもやってくる自我の動揺であり、それは循環する人生のなかで訪れる危機でもある。

 他方で、この危機は個人の成長を促進する可能性を秘めた分かれ目、あるいは峠でもある。これを先生は、立ちどまって呼吸を整え、ふたたび歩きだすための「人生の踊り場」とよぶ。日常と非日常のあいだで立ちどまることによって、個人は主体的に──自分の意志で──選択肢を検討してふたたび歩みをすすめることができる。この契機には、そのさきの生き方を変えるほどの大きな意味がある。時間も空間も区切られたなかで第三者と話をするカウンセリングは、まさに非日常の場であり、「人生の踊り場」においてはこうした場に身をおくこと自体が大切ではないかと、先生は考えている。

 働くことと生きることの循環において、この「人生の踊り場」のひとつとなるのが失業である。働くことの意味について問えば、金銭的動機や自己実現、生きがいや社会貢献、社会的承認など、十人十色の回答がありうる。こうした観点とはべつに、立ちどまった際にはじめて見える働くことの意味も失業の研究からあきらかになってきたという。すなわち、ひとは失業してはじめて仕事をとおして会うひとがいることや誰かと話せること、やるべきことがあって時間を持てあまさないこと、あるいは社会的信用の基盤がしっかり確保できていることといった、当たり前の状態の意味に気づく。これらは、どのように/どこで働くかにかかわらず「働くこと」自体によって与えられている。

 こうした失業による喪失への気づきから、高橋先生はライフキャリアの研究にも着手された。個人によって生きられ、演じられる役割としての「キャリア」は職業や職務には限定されない。ひとは生涯をとおして複数の役割を生きるのであり、それらの役割は包括的に「ライフキャリア」とよばれる。賃金の発生するマーケットワークだけでなく、ケアワークや自分のわくわくできるソウルワークなど複数の役割の連続のなかに、私たちの生きる足場はある。

 講義の後半では、このライフキャリアがうまく循環しない場合、あるいは人生において立ちどまりたくないけれども立ちどまらざるを得ない場合に、いかにして中長期的なスパンで自分らしく生き抜いていけるかについてお話しいただいた。ここでカギとなるのが「ライフキャリア・レジリエンス」という考え方である。

 もともとレジリエンスは物理学の用語であり、外から加えられた力や環境変化にたいして、変化しながらも元に戻ろうとする復元力を指す。心理学ではこの概念を応用して、外的世界に対して影響を与えるために必要となる人間の内的な回復力をレジリエンスとよび、これを自己の態度を選びとる自由や主体性とも関連づけている。しばしば逆境から回復したあとのじぶんが以前に比べて成長していると気づくこともあるが、心理学ではこれを「心的外傷後成長(PTG:Post Traumatic Growth)」とよぶ。

 ライフキャリア・レジリエンスとは、中長期的なスパンで人生を自分らしく生き抜いていくための内的な回復力を指す。よく知られた「ライフ・キャリア・レインボー」を提起したドナルド・E・スーパーの時代(1980年)には、いわゆる年功序列型の終身雇用でイメージされるような画一的でまっすぐなライフキャリアを展望できていた。しかし現在、私たちが生きているのは、不確実かつ複雑で予測困難な時代(VUCA [Volatility/Uncertainty/Complexity/Ambiguity] の時代)である。それゆえ、いま必要とされるライフキャリア・レジリエンスの理論も、より複雑で一見すると矛盾した要素をあわせもつことになる。その代表的な5つの要素が①現実受容、②多面的生活、③長期的展望、④楽観的思考、⑤継続的対処である。

 ただし、援助の現場では頭ごなしに「心的外傷後成長というものがあります」とか「レジリエンスを身につけてください」などと言われることはない。まずはそのひとなりの「正攻法」でこれまで頑張ってきたという事実を肯定し、そのやり方が正しいか正しくないかを判断するのではなく「あなたらしいやり方では、今回のケースにかぎってはうまく対処できなくなっていますね」とより添うことが現場では重要になるという。

 こうした前提のうえで臨床心理学においては、カウンセリング実践へのライフキャリア・レジリエンスの応用を考えたり、組織 対 個人でなく個人 対 自己で複雑なライフキャリアを描きなおす「プロティアン・キャリア(変幻自在なキャリア)」を検討したりといった研究も進められている。

 最後に強調されたのは、個人の人生と環境とのかかわりの循環である。すなわち、社会においてはライフキャリアを生き抜くレジリエンスを考えるだけでなく、同時に個人をとりまく社会環境への「介入」や、個人と環境との「適合」についても検討する必要があるという。こうした社会環境との適合に着目する心理学は「コミュニティ心理学」とよばれ、先生自身も日本コミュニティ心理学会の会長を務められている。

 たとえば私たちのライフキャリアは、個人の人生の循環としてのみならず、社会における配置の循環として俯瞰的にとらえることもできる。たとえば働くことをめぐる個人の配置は、企業内(就労者)、企業外(失業者など)、その移行段階での支援や再就職支援の枠組み、そして就活のように区分できる。実際にはたらく人びとは、これらの環境のあいだを移動していく。はたらく人びとの問題はすべての環境のうちに複雑に存在しており、臨床心理学にはそれぞれに適合した役割が求められている。

 また失業状態ひとつをとっても、そこには個人の能力だけでなく、新型コロナ感染症の流行に顕著なように社会の変化がおおきな影響を及ぼす。つまり失業によるメンタルヘルスの不調には、カウンセリングに代表される心理的アプローチのみならず、困窮対策などの経済的・政治的なアプローチとの協働が必要となってくる。くわえて、こうした協働には、無料のコミュニティ・カレッジのような教育面のアプローチなども複合的に検討することが重要であるという。

 ライフキャリアの安定性や一貫性が保証されない「VUCAの時代」が進展しつつある今日、当たり前にあるものの機能に着目しながら、アイデンティティの回復やライフキャリアの再循環を支える臨床心理学の重要性をふかく理解することができた。ライフキャリア・レジリエンスをはじめとする臨床心理学の考え方を知ることが、私たちの人生のたすけにもなっていくのではないかと感じた。

(文責:TA稲垣/校閲:LAP事務局)

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コメント(最新2件 / 8)

MI710    reply

「人生の踊り場」という表現がとても興味深く感じられた。講義においては、私たちの人生の中でふと訪れる踊り場において、何が行われるのか、そして何を行うべきなのかということを話していただいた。それは例えば、現実をひとまず受け入れることだったり、それを今の自分から一歩離れた視点で見て、時間的・空間的広がりの中で捉えてみるということであったりして、これは非常に有意義で実生活上の応用にも富む内容であった。一方で、これらの問題と同じくらい重要な問題として、そもそも私たちは人生の踊り場にどうやって気付けば良いのかという観点もあるのではないかと感じた。階段の場合は、規則的な登り(下り)が繰り返されるため、踊り場に気づくのは容易い。規則の途切れたところがそのまま踊り場である。しかし、人生においてはそのような規則的な何かがあるわけではないし、ともすれば踊り場に気づくことなく通り過ぎてしまうこともあるかもしれない(「過労死」という言葉がよぎる)。自分の人生という物語がどこかで途切れる、中断される瞬間(それが人生の踊り場だと思う)を物語の中にいながらにして認識するなんてことがどうやってできるのだろうか。そこで決定的な役割を果たすのが「他者」なのではないかと私は考える。それは家族や友人でもなく、職場の同僚でもなく、自分について全く知らない他者、つまり自分という物語の完全な「外」にいる存在である。踊り場は、階段の一部でありながらにして階段を超えるような何かを秘めている空間である。それはあたかも、小説における章の合間の空白が、その物語について何の情報も持たないが故に、何かを語ろうとあるいは語らせようと迫ってくるように、「他者」という自分の物語の外にいる存在と出会うことで初めて、自分ですら認識していなかった自分に気づくのである。

Taku0    reply

「人生の踊り場」という言葉が強く印象に残った。自分自身、なんとなくもやもやした感情を抱えていた時期があり、そのときはその感情に蓋をし、自然に消えるのを待つしかなかった。今回の講義の学びを活かして、これからはそのような危機に直面したら、一度立ち止まり、自分を省みるチャンスとしたい。レジリエンスという言葉は聞いたことがあったが、想像していたよりも多様かつ自由な概念で驚いた。自分がこれまでしてきた正攻法としてのレジリエンスと、それだけでは上手くいかなくなった時に新たに養うレジリエンスの両方を自覚的に活用することは、自分のためだけでなく、悩みを抱える他者に寄り添い、悩みを解消する手がかりになると思った。そしてその姿勢は、コミュニティ心理学が対象とする個人と環境の関係調整にも活かされるのではないだろうか。

u1tokyo    reply


人生の中での「踊り場」と普通の社会生活との循環について、深く考えることができた講義だった。ここで言う人生の「踊り場」というのは、せわしない日々の中で何かを失うのがきっかけであったり、あるいはやる事から目を離して故意に立ち止まってみた時であったり、そう言うときに普段の生活について考える時間のことだが、自分にとっての「踊り場」として1番身近に思い返すことができるのは新型コロナウイルスによって授業が全面的にオンラインになった2020年のことである。今回の講義で先生は「仕事」の持つ良い面にはそれを失うまで気づかないと言う話をされていたが、僕は学校に関しても同じことが言えたなと思った。僕があのオンライン生活の中で気づいた学校の持つ良い点というのは、学校に通うことによって生活リズムが崩れ過ぎないようになるとか、友達と教室で毎日話せるとか、そう言う今わざわざ書いても当たり前のように思えてしまう事である。しかし、そう言う当たり前の日常こそ、失って初めてその貴重さを身にしみて(辛いほど)実感できた。講義でPostTraumatic Growthという言葉が出てきたが、僕もまさにそのように、その期間に音楽を聴いて数少ない大切な友達と過ごした時間で大きく成長したと感じていて、今回の講義で自分の境遇を上手く位置付けることができた。本当にためになる講義でした。ありがとうございました。

kent0316    reply

今回の講義はとても自分に刺さる内容でした。中でも一番刺さったのは「人生の踊り場」に関する話でした。
時々一人で、一番幸せなことって何だろうとぼんやり考えます。もちろんいろんなベクトルの幸せがあると思いますが、今自分の中で出ている結論は、「自分の好きなことを職業にする」ことです。
思えば、高校生の時の私はまだ自分が興味を持つ分野・職業が絞れず考えるのが面倒くさいからと、とりあえず大学進学を選び、大学進学後も様々な分野に進む選択肢があるからという理由のみで東大への進学を決意しました。
今現在、進振り先が決まり専門的な授業を受け始めましたが、ようやく今頃になって自分のしたいことはこれだったのかと悩み始めています。
話は少し変わりますが、私は歌うのが好きで弾き語りを趣味にしています。先述した通り、「好きなことを職業に」という観点から自分のやりたい仕事を考えた時に、自然と自分の中でミュージシャン・アーティストという道も選択肢に入ってきました。
しかし、明らかにその道はいばらの道であり、今現在、安定した行先が保証された学歴エスカレーターに乗っていることも相まって、音楽の道で食っていこうという覚悟が持てず二の足を踏んでいる状態です。
そんな僕にとって、今回の講義はとても刺さる内容でした。
将来への漠然とした不安感から将来についてじっくりと考えなければならないと思うものの、日々の授業・課題・バイトに追われてただ時間だけが過ぎるという状況でした。この講義で、確かに一度立ち止まってじっくり「踊り場」でこれからの行先について考えるのが今の自分には必要だなと思わされました。
なので、少し1年ほど休学するというのを今視野に入れています。無理やり安定したエスカレーターを途中で降りて立ち止まり他の道を一度も模索してみようと思います。
とてもためになる授業でした。ありがとうございました。

mayateru63    reply

「人生の踊り場」についての話は個人的に刺さるものだった。私にはあまり他人には言いたくない夢がある。しかしながら今はそれに憧れつつも夢に挑んでも本当に叶えられるか、それが本当にありたい自分なのか、このままでもそれなりの人生を送れるのではないか、など色々な迷いや葛藤があって、それから目を背けるように最初の一歩を踏み出せず漠然と毎日を過ごしてしまっている。この講義を受けて一回立ち止まって自分を振り返り、そしてこれからをゆっくり考える時間というのは大切だと改めて感じた。今一度自分の夢についてよく検討してみようと思う。

Roto    reply

第5回
高橋先生は「循環」というテーマに沿う形で、ライフキャリアの臨床心理学を紹介されていたが、学問全体として見たときに、応用心理学という大きな体系の中で、循環モデルによる議論はどの程度受け入れられているのだろうか。循環モデルによって解決される問題、解決されない問題について、どのくらい知見が集まっているのか。このことは、授業内では言及されなかったものの、応用心理学の特性上非常に重要である。
応用心理学では、ある仮説が提案された時に、それが学説として受け入れられるか否かは、その仮説が正しいと証明されるかどうかではなく、その仮説がどれだけ「個人」に受け入れられたかによって決まる。応用心理学の知見は、必ず臨床の現場に持ち込まれ、有効性を確認するという手続きを踏むが、その有効性は「個人」に対する有効性である。この対象は、医学では人間という「生物」、物理学では「宇宙」、社会科学全般では個人の集合である「社会」である。これらカテゴリーにおいて、「個人」は最も単位が小さい、したがって不安定で予測不可能性も最も高い。
この個人を相手とする学問である心理学も、しかし、学問として成り立たせる以上は、複数の「個人」に対して仮説を当てはめ、その結果を知見として積み上げていく。ということは、こういう個人については当てはまったけどこの個人に対してはうまくいかなかった、という事例が出てくる。ここで重要なのは、先ほど挙げた自然科学、社会科学とちがい、心理学は、仮説が当てはまらない個人がいたからといって、その仮説が間違っている、とはならないことである。ある程度当てはまる人々がいて、その人々の問題の解決につながれば、仮説は十分に有効性を認められる。かといって、文学のように、なんでもありではなく、やはりある一定の規模の人々に受け入れられなければいけない。この意味で、心理学、特に応用心理学には、ビジネスとよく似た側面がある。ビジネスも社会全体に受け入れられる必要はないが、複数の個人からの支持を取り付けなければいけない。その複数の個人は、必ずしも共通点を持った人々ではなく、街中を歩いていてたまたま前を通りかかったような人々でよい。すなわち、ビジネスモデルを立てることと、臨床心理学の仮説を立てることには類似性がある。
臨床心理学のビジネス的側面を考えれば、やはり「循環モデル」がどの程度の規模のクライアントに受け入れられているのか、ますます興味がつのるところだ。

futian0621    reply

自分はSセメスターで心理Ⅰの授業を受講したが、そこでの心理は人間の視覚をはじめとする五感や認知、脳科学に関する題材を扱ったが、今回扱った臨床心理学は、ライフキャリアや人生についてのマインドについてなど、啓発的な内容で、心理学という学問の裾野の広さを感じた。人は誰しもが思い通りに行かないと思う時があると思うが、日常に忙殺されているとなかなか立ち止まって振り返ることができないので、人生の踊り場の話は大切だと感じた。臨床心理学についての書籍を読めば参考になると思ったので、一冊読んでみようと思う。

YCPK4    reply

「人生の踊り場」という言葉が強く印象に残っています。私自身の体験として、浪人をしているのですが、その時はよく自分の過去や未来について考えたものです。あのような何ともいえない時期と心情のあり方を、「踊り場」という言葉は綺麗に表現してくれていると思いました。(何より、響きが少し詩的なのが好きです。機会があれば広めていきたい…)
加えて印象に残っているのが、「人生の踊り場」において必ずしも生き方を変える必要はなく、改めて、今までの生活を選択してもいいのだ、という話です。つまりは、選択肢そのものよりも、自分がその選択に納得することが重要なのだ、という風に理解しましたが、これは何となく普段の生活からも実感できます。普段は無意識や惰性で選択してしまっているポイントで立ち止まって思考できるのが「踊り場」ということなのでしょうか。
前期教養で「教育臨床心理学」という講義をとっていたのですが、そこで学んだことと被ってしまうのかな、と思いきや、全くそんなことはなく、今回のお話しの方がより実践的といいますか、より自分の生活にも取り入れやすいトピックでした。自分にもともとあった心理学の (わずかなものですが) 知識を広げることができたのもよかったです。

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