ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第3回 10月18日 岡田泰平

植民地主義のなかの異物?―宗主国人?、先住民?、はたまたアジア系外国人?―

植民地主義とは人種差別がその統治の中心に置かれている体制であり、「人権」が定着した現在では過去の遺物となるべきものです。他方、その残滓が現在にまで残り続けているという人もいますし、現在の人種差別そのものが植民地主義の負の遺産だという議論もあります。この回の授業では、宗主国・植民地間の関係と植民地教育を通して、 植民地主義における「異物」とは何であり、その「異物」がその後の国民国家体制の中の「異物」にどのようにつながっているのかを、考えてみたいと思います。

講師紹介

岡田泰平
東南アジア近現代史、アメリカ近現代史、特にアメリカ植民地統治下のフィリピン研究、最近はアジア太平洋戦争や「記憶の政治」の研究もしています。主な業績:岡田泰平『「恩恵の論理」と植民地――アメリカ植民地期フィリピンの教育とその遺制――』法政大学出版局、2014; Jose Eleazar R. Bersales, Taihei Okada. The Japanese Community in Cebu, 1900-1945.Manila : National Historical Commission of the Philippines, c2023.
授業風景

第3回目の講義では、東京大学大学院総合文化研究科の岡田泰平先生に、東南アジア植民地支配のなかにおける「異物」の捉え方についてお話をいただいた。医学的な異物とはまた異なり、歴史学の中で考えるときの「異物」の危うさに触れると同時に、その意義について理解が深まる講義となった。

東南アジアは元来、多くの文化を受け入れてきた空間だ。インド文明と中国文明の影響を受け、世界の宗教が流れ込んでくる中でもそれらを自由に解釈して信仰していた。

「人を文字で支配する」という感覚がないのも特徴で、内部と外部に明確な境界はなく、曼荼羅に表されるような王のカリスマによる円形の支配意識を持っていたという。

このおおらかな空間を舞台に、ヨーロッパを皮切りとする近代植民地支配が展開されていく。その中で異物とされるのは誰なのだろうか?

人文科学、とりわけ近現代史における異物とは、強烈で挑戦的なテーマだ。 たとえば、一部のマイノリティに対して「異物」というラベルを貼ることはあってはならない。そのラベリングに伴う、外部、外部でありながら自己、自己でありながら排除の対象、という意味合いは危険を伴うからだ。

しかし、異物という概念を使うと起こり得ることを考える思考実験は可能だ。実際の差別や虐殺の具体例を振り返りながら、「異物」とされたものは何だったのかを考えることには、歴史学的な意義があると言える。

そこで、今回の授業では、近代植民地の成立期から第二次世界大戦までの期間の東南アジアを、植民地主義の観点から振り返った。

近代植民地の起源は国民国家の成立にある。国民国家によって自国民/他国民の区分が明確になると同時に、1920年代ごろまで維持されていた「他国民は屈服させていい」という考え方が合わさり、科学技術の発展とともに圧倒的武力を手にしたヨーロッパ諸国が世界に繰り出して行ったのだ。

領域支配の概念が曖昧だった東南アジアだったが、ヨーロッパの支配が始まることで領域が確定していった。また、オランダの支配を受けたインドネシアは、その国名のルーツをヨーロッパ言語学に持つ。支配の仕方、名前の付け方に代表されるように、それまで現地になかった支配概念がヨーロッパから持ち込まれて混ざっていったと言えるだろう。

近代植民地主義には、支配植民地、拠点植民地、移住植民地の3種類があるが、その中でも移住植民地が最も大きな問題になる。先住民を「弱くて不運な存在」とみなして殲滅させてしまい、白人自治が始まるからである。

それまで存在した世界帝国では、支配下層の市民レベルでは自由な自治・教育が残されていることが多かった。しかし、国民国家の成立に伴う近代植民地主義では、原住民に対して虐殺や強制的な国民教育が行われたのである。東南アジアも例外ではない。

東南アジアはそもそも多様な文化が入り混じる地だった。おおらかな支配体制を背景に中国人が移り住み、その後は鉄砲をもたらしたポルトガル人や、日本人街を構成し戦力にもなった日本人が続いた。 港市中心の交易国家として発展し、商売に適していればルーツに関わらず長官を採用してきた。

このような東南アジア社会が、近代植民地主義のなかで直面した「異物」とは何だったのだろうか? ここで改めて先生から問いが投げかけられた。一つの答えとして、領域支配を初めて持ち込んだオランダ人をはじめとするヨーロッパからの人々があげられた。領域支配は不可逆であり、一度始まってしまうと、もとの多文化共存状態には戻れないという。

授業の終盤では、フィリピンの事例を2つ紹介いただいた。スペインの支配後、スペインに勝利したアメリカに支配を受けたフィリピンの経験は、「外来の人は異物なのか?」という問いを深掘りするのに役立つという。

19世紀末に始まったアメリカによる支配では、初めは軍事支配を受けたものの、比較的早くに民政地域が広がっていった。その中で、在フィリピンのアメリカ人たちは主に教員の職についたという。

彼らは、フィリピンの独立準備が進んで帰国が迫る中で、中途半端な立場におかれる。たとえば、異国の地で苦労しつつも長年教育に携わった働いた一方で、財政難のフィリピン政府には年金を打ち切られてしまう。また、宗主国として上位存在だったものの、アメリカに帰ればただの労働者とされる。植民地という特殊な空間で生まれた彼らアメリカ人教員は、フィリピン社会の異物なのか、アメリカ社会の異物なのだろうか?

2つ目の事例は、第二次世界大戦中のフィリピンにおける日本人だ。

フィリピンを占領した日本人は、セブにも多く集住していたが、レイテ戦での大敗のあと一般市民も徴兵され、ゲリラの攻撃も多発する中で民間人は1割ほどしか生き残らなかったという。

壊滅状態の中、貨物部隊とともに逃げるために、足手纏いになる子どもは殺された。終戦後は日本人や配偶者は強制的に日本に送られたが、混血であることを隠してフィリピンに残る人も存在し、無国籍問題は現在でも続いている。

この事例を振り返っても、何が異物なのかを一言でいうことが不可能だとわかる。異物なのは日本人か、日本軍か、フィリピンのゲリラか、同胞の子供を殺した日本人か、残された混血の人々だろうか?DSC09490 (1).JPGDSC09489.JPG

それでも浮かび上がってくるのは、異物という概念を持ち込むことによって見える多様な排除のあり方だ。具体的な植民地支配の悍ましい事例に向き合うことは、痛みや悲しみと向き合うことであるが、それこそが歴史を学ぶ意義であるという。

現在の日本でも、入管問題を代表とする排除の課題は絶えない。今の惨状と昔の惨状を比べて、歴史がどう続いているのかを考えることが大切だというメッセージによって授業が締めくくられた。

歴史学の観点からすると、「異物」という言葉は大きな重みを持って現れる。この言葉を誰かに対して使うことの危険性を再認識すると同時に、繰り返される排除の歴史を見つめるために必要不可欠な概念でもあることが理解できる内容だった。

答えのない問いであっても向き合うことをやめず、現在起きている排除の問題を見つめる勇気をもらえる講義となった。

(文責:TA本幡 校閲:LAP事務局)

コメント(最新2件 / 12)

nezumi02    reply

講義がまず「異物」という概念についてから始まったのが印象的でした。第1回・第2回講義は医学に関する講義であったため、そこにおける「異物」の意味は「体外からもたらされ、または体内に発生した、体組織となじまない物質。」(『広辞苑』第7版【異物】②)として明瞭に理解でき、疑問を持つことはありませんでした。しかし人文学の領域では「異物」という言葉は分析用語としてまず使われないという指摘を受け、「異物」という言葉の強烈さについて改めて考える機会を持つことができました。
 講義を受け、植民地主義における「異物」とは何かを再度考えると、すぐに答えを出せる問いではない、というしかありません。先住民と植民地統治を行った宗主国人、また外からやってきたアジア系外国人は、それぞれ相容れない存在で互いに「異物」であるように見えます。しかし社会や民族ははっきりとした境界によって分断されているものではなく、様々な面で融合したり作用しあったりしています。確かに先住民のもとへ存在も知らなかった宗主国の軍隊が攻め入ってきたとき、それは「異物」と言えるように思いますが、人同士・社会同士の様々な関わり合いを考えると、単純に「異物」だと断言できるものはないのだと思います。
 このように考えると、人文学の領域で「異物」というとき、それは客観的・絶対的に異物として存在するのではなく、ある立場から見て「異物」だと見なしているに過ぎないのだと思います。他者や他国を「異物」とみなすことから、差別や紛争は始まっているのかもしれません。人同士に何らかの違いがあるのは当たり前であり、その点では誰もを「異物」と見なすことはできるが、コミュニケーションという手段を持つ限り、相互理解を怠り「異物」と見なして排除してはならない、このことを常に意識することが、人同士や国同士の衝突を防ぐ上で重要なのではないでしょうか。

Ita4048    reply

異物という一つの単語でもいろいろな使われていることが分かり面白かった。異物という言葉を使って人文学を考えるのは有意義だと思った。また、私は理系で歴史や地理について詳しくなかったので、今回の授業で欧米が東南アジアを植民地化していたことや東南アジアが多くの中国人を受け入れていたことを知れてよかった。

achi003    reply

人文科学の分野において「異物」という用語を使うことは適切であるか、という問いはなかなかに難しいものだと感じました。これまでの講義では自らの体に害をなす物質が異物として取り上げられていましたが、人文科学の領域、特に今回の講義の主題である植民地においてこの用語を用いるとなると、「異物」という言葉は普段意識しているよりずっと排他的に響くと感じました。
植民地ということで考えると、やはり後からやってきて先住民たちを虐げた宗主国の人々が「異物」であるように思えますが、国によっては先住民が殲滅され、後入りの人々がその国に定住しているところもあり、そういった人々を異物というのは違和感があるように思います。また授業で取り上げられていた東南アジアの例では、そもそもが色々な国の人々が入り乱れて暮らしていた土地であり、そうした中で「異物」とは一体誰なのか、とは私には答えが出せないと感じました。全体を通して非常に考えさせられる講義でした。

dadasaba2023    reply

誰が異物になりうるのかということや、誰からしたら”異物”であるかということなどを考えさせられました。異物とはそもそも何かということも授業の最初にお話しされていましたが、そこから考えていくことも大切だと思いました。受験で世界史と地理を選択しましたが、もう9割以上忘れてしまったなという感じでしたが、東南アジアや日本のことについて新たに知ることも多くとてもためになったと思います。自分は表現内容にしろ表現方法にしろ高校教科書的なものしか知らないのでアオキクニチカという人の話などには若干の驚きなどもありました。割とネットなどでよく見る差別があったり(色々と勘違いをして現実に持ち出す人もいますが)、そうではなくてもとにかくその場で差別の基準を作り出す人がいたりしますが、色々と悲しいなと思いました。最近は差別は無くならないんだろうと思っています。植民地時代のことなどを何か本で調べたりしたら悲しいことも書かれているのだろうなと思いました。

so6man    reply

異物という言葉は、特に人文学の分野で使うには暴力的だというお話で、異物という言葉自体がどこか正誤判定のような意味合いを含んでいるのだろうなと感じました。
異物を認識する前には必ず変化があって、本来、変化それ自体に善悪はなく、ただ変わっただけであるのに、後々の結果から原因を探す中で突き当たった変化を「異物」と言ってしまうのは、大きな物理的変化を除けば基本的に緩やかに変化していく人間の営み・人間社会を考えるにあたっては不適切ですし、人文学自体の否定になってしまうのではないかなと、個人的に思いました。
ただ、変化点自体を考えることは悪いことでは無く、そこから人々がどのように変わり、どのように適応し、どのように新たな社会を構成していったのか…と、変化点を異物としてではなく内包される一要素として捉えるのが、私個人としては良いのではないかと考えました。

ustubi23    reply

 異物という概念を新しく置き、それを用いて歴史を観察してみることで、複数の集団の移動や接触を新たな形で整理できることは、興味深く感じました。
 その一方で、異物という新たな概念を歴史に対して用いることの難しさも感じました。講義の中で、誰が異物であったのかという問いに説得力のある答えを用意できないケースがあったのも、このことを表していると思います。
 このとき、ある集団が異物であるか否かを判定する基準があればよいですが、そもそも「異物」という概念が免疫学の用語を(この講義のために)比喩的に歴史の分野に移植してきたものであるため、そのようなものが定まっているはずがありません。そこで、それらしく使えそうなものを今ここで考案しようとしても、そこには困難が生じると思います。
 最も単純に考えるなら、医学において自己に対する他者のことを異物と呼ぶように(このことは第1回講義で覆されましたが)、元々その場所にいた民族以外の民族、あるいは集団を、歴史における異物と呼ぶということになるかと思います。しかし、これではオランダ人以前に東南アジアにやってきた民族も全て異物ということになり、講義でも触れられた直感に反します。しかも、このように決めれば、異なる集団の様々な移動、接触の在り方を区別することができず、分析概念として意味を成しません。
 では、その地域に元々暮らしていた集団以外の集団というものを、意味ある形でさらに分類しようとするとき、どのような基準を設定すればよいのでしょうか。1つ考えられるのは、医学において、たとえ非自己であっても、身体にとってよい働きをするものは異物と捉えず、身体に悪い働きをするもののみを異物とする立場があるように、ある地域の外部からやってきた集団のうち、元々その地に暮らしていた集団に悪い影響を与えたもののみを異物とする、というものです。これは、講義の中で非明示的ながら用いられていた基準に近いものだと思います。つまり講義で、東南アジアにやってきた集団のうち、オランダ人以後は土地支配をしたため異物である、それより前は異物とは言えない、などとしたときの基準に近そうだということです。しかし、ここでも、悪い影響とは何かという問題が生じ、これを明確な基準と言うのは難しいと言えます。
 少し考えてみましたが、結論を出すのは中々困難だと感じました。結局は個人の価値判断に委ねられるのだ、と言ってしまえばそれまでですが、異物という概念を用いる面白さも講義で確かに感じたので、さらに色々と考えてみるべきことだと思いました。

k1t0k1t0    reply

前回までと打って変わって文系っぽい内容だった。実際に異物ということばの用法について、具体例を見れば見るほどさまざまでありより興味深く感じた。医学生物学の分野で異物を定義して始めるのではなく、異物という概念を考えるのは新鮮だった。
アジア史についてのお話、非常にわかりやすき説明していただけてありがたく思った。東南アジア、中国、日本などの文化や歴史背景の特徴が明確でおもしろく感じた。
また、植民地支配やそこでの戦争におけるある意味で暗い歴史や問題、排除されたひとびとについても歴史研究を通して捉えられているということ、その暗い部分も含めて歴史を今と比べてみると意味があるというのは非常に共感できるものであったし、歴史研究に対する見方が少し変えることができた。

yamori59    reply

この講義では異物という言葉の辞書的な意味と照らし合わせながら、植民地主義における異物とは何かを常に問われ続けた。先住民からすれば確かに植民地化しようと侵略してきた国は外から来た受け入れがたい異物に映るかもしれない。ただし講義後半のフィリピンにおいてアメリカ人がフィリピン人に教育を与えたという例もあり、押し付けられた形とはいえ恩恵もあったわけで、一概に受け入れがたい異物としてまとめられないと考えられる。医学分野での異物という言葉の使われ方の違いとしては異なる立場の人間がそれぞれ感情を持っているというところだと推察される。ここから異物という白黒はっきりつきすぎてしまう言葉はやはり人間の感情の絡む問題では扱うべきではないのではないかと考えた。

mitsudashinya2    reply

医学・生理学の観点からお話しいただいた前回と前々回の先生方とは打って変わって人文系のお話で興味深く感じるとともに、パレスチナ紛争など身近に感じる問題にも接続された議題に身が引き締まりました。
授業中に先生にいただいたうちのある問いに関連することついて書きたいと思います。異物という語を歴史や社会的な文脈、特に人間に対して使用することの是非についてです。
私の直観にははじめ、身体的なレトリックをそうした文脈に転用することは、構図の単純化という問題こそあれ、そこまで深い問題をはらむとは思いませんでした。その後先生の講義を通じて異物という言葉はかなり問題含みで、転用は適切とは言い難いことは納得しましたが、「国家の頭脳(高度人材など?)」といった表現とはどう性質が異なり、より問題があるのかをもう少し詳しく考えたいと感じました。
前提として、国家と身体のアナロジーはそこまで奇妙なものではないのではないかと考えます。トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』の口絵のように、国家権力のあり方を人体に投影する発想はある程度例示可能です。
その上で、異物という概念が特に問題であるのは、異物という概念の導入が逆転的に同一性の問題を補強し、社会の排他性を強化するからだと考えました。つまり、身体という少なくとも一見その同一性が自明に思える存在を前提に導き出される異物という概念が、国家や社会という実際には均一でも自明でもない概念に投影されるとき、身体と国家/社会のアナロジーを誘発して、結果として後者が同一で自明なもののように感じさせるということです。この授業、学術フロンティア講義のシラバスの授業概要に立ちかえると、「(異物)を社会集団という水準で考えるとすれば、そこではむしろ異物が結果として析出されるような、同質性の形成こそがむしろ問題になる」ことが確かに指摘されていて、この一節はこのコメントにおける議論の、異物から逆流して社会の同一性に至るというプロセスと近い概念を論じたものだと感じます。
もう一つ非常に重要だと感じた、異物の排除の正当化に関する問い、在フィリピンの日系人のアイデンティティの複雑さなど、他にもたくさんのことを考えさせられました。以降の講義や他の授業の内容も踏まえて考え続けたいと思います。ありがとうございました。

otomitl3    reply

ある言葉について考える際に青空文庫での使用例を参照してみるという方法は初めて知るもので、参考になりました。普段は「異物」のような強い価値判断を含んだ言葉は人文学では適切ではなく、使用しないことが望ましいからこそ、あえて何が「異物」だったのかについて考えることで負荷のある問題について考えられるということなのだろうと理解しました。客観的な視点で歴史的事実について考えるだけではあまり考えずに済むような、答えのないあまり考えたくないような、しかしながら当時の人々が実際に経験した問題について「異物」は何だったのか思考実験として考えることで捉えることができ、そしてそれは現在も起こっている諸問題を考える事にもつながる重要なものと理解しました。

tomas69    reply

異物というテーマに対して、その言葉を人文学の分析ワードとして使うことはまずいと思いながらもその言葉のキョーレツさに着目してシュミレーションとして使うのはいいのではという発想が斬新に感じました。異物という概念を植民地主義に結びつけた話を聞いて、自分が社会の異物になってしまうことを想像して少し怖くなりました。

marika0401    reply

医療の分野において異物を定義する際には、最終的に排除して体内を健康な状態にするという共通性があるのに対し、人文学の分野で異物を考えると、そこには多様な排除のあり方との結びつきがあり、必ずしも排除されるものではなかったり、異物の定義やその言葉を使用する意義まで掘り下げる必要がるというのが印象的でした。事実として目の前にある歴史の中で起こった様々な排除のあり方を知り、異物という言葉は人に向けて使っていい言葉ではない一方で、向き合うべき単語だと感じました。現在も特定の属性を持つ人が差別を受けて迫害される事件がたくさんありますが、それぞれの排除が誰によってどのような理由や背景をもって行われているのかを冷静にみつめ、これまで歴史上で起こった排除のあり方と今とで何が変わり、変わっていないのか検討する必要があると思いました。数年後にまた見直させていただきたい貴重な講義をありがとうございました。

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