ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第7回 11月15日 宇賀那健一

映画界の「異物」であり続けるために

ロマンス、コメディ、ホラー、SF、サスペンス、エロティック、ドラマ、ドキュメンタリーといったジャンルの垣根を越境した作品を作り続け、ブリュッセル国際ファンタスティック映画祭、ポルト国際映画祭、ファンタスティック・フェスト、モントリオール・ヌーヴォー・シネマ映画祭、トリノ映画祭など数々の映画祭において、「現在世界で最も尖った映画を紹介する部門」で紹介される監督となりました。日本の中では勿論、世界でも「異物」な監督であり続ける意味とその軌跡、そして今後についてお話していきます。

講師紹介

宇賀那健一
1984年東京都出身。ブレス・チャベス所属。株式会社Vandalism代表取締役。『黒い暴動♥』、『サラバ静寂』、『魔法少年☆ワイルドバージン』、『転がるビー玉』、『異物-完全版-』、『渇いた鉢』、『Love Will Tear Us Apart』(現在劇場公開中)、『愚鈍の微笑み』(10月20日より順次全国劇場公開)、『悪魔がはらわたでいけにえで私』(2024年全国劇場公開)など、コンスタントに作品を発表し続け、世界の映画祭から高い評価を受け続けている。
授業風景

第7回の授業は、映画監督の宇賀那健一さんをお迎えし、白先生との対話形式でお話を伺った。

映画『異物 -完全版- (2021)』の上映会後に学生から寄せられた質問への回答に加えて、監督の生い立ちや映画制作についてもお話しいただき、映画界の視点を通じて「異物」について再検討する時間となった。

—— 監督の生い立ちと、映画との関わりについて教えてください。

映画は幼い頃から身近にありました。幼稚園の登園拒否をしていた時期、日中に母親の買い物を手伝った帰りに、ご褒美としてVHSをレンタルしてもらっていました。

自分はアンパンマンをよく借りていましたが、母親の趣味のスプラッター映画もたくさん見ました。また、映画監督を目指していた父親とは、土日にゴダールなどのヌーヴェル・ヴァーグを見ることが多かったです。高尚な映画だけでなく、さまざまなジャンルを見ていた幼少期が、映画の原体験と言えるでしょう。

もともと映画監督を志望していたわけではありませんでしたが、高校の時に最初のきっかけがやってきました。当時の恋人が浅野忠信のファンで、嫉妬から彼が出ている全部の映画を見たのです。それが大変面白く、邦画ミニシアター作品の魅力を知り、映画業界を志すようになりました。

しかし、最初から監督を目指したのではありません。監督の仕事はどんなものなのか、全く想像がつかなかったからです。

「勘違いでしか物事が動かない」と日々思いますが、この時もそうでした。俳優ならできると思い込み、何も知らないままである舞台のオーディションに応募したのです。

決まった履歴書の書式があることも知らなかったけれども、それを面白いと思われたのと、その姿勢を気に入られたのか、一つ役をもらうことができました。それが初めての映画業界の仕事でした。

その後、事務所に所属することになり、役者として作品を重ねました。

次の転機となったのは、『着信アリ Final (2006)』への出演でした。役者としての仕事に、「仕事をしても目に見えて得られるものがなく、前に進んでいる感じがしない」という悩みを持っている時期でしたが、共演した役者たちも同じ悩みを抱えていることに気づいたのです。相部屋の役者が自分で動いて映画を撮っていることに影響されて、着信アリのメンバーで映画を撮り始めたのです。それが少しずつ評価されて、今に至っています。

—— 作品を作るときに持っている問題意識はありますか。

私が撮る作品の全てに共通して、「メインストリームに立てない人にカメラを向けたい」という思いがあります。

たとえば、『黒い暴動❤︎ (2016)』ではガングロギャルに焦点を当てましたが、ここではギャルが持つロマンに注目していました。社会の主人公ではないけれど、何かしらのロマンを持って突き進んでいく人にカメラを向けたいと思っています。

最近はさらに、世の中の不条理さと、その向き合い方に興味があります。

福島の震災は一つの大きなきっかけとなりました。福島の家が完成したその日に震災が起き、家が流された知人がいます。悪いことをしていない人にも悪いことが起こるその不条理さ、そしてしばらくして笑い話のネタにしてしまう逞しさに触れ、それを撮りたいと思いました。

いつ何が降りかかってきてもおかしくない世界で、何かが起きたときにどう生きていくか。渦中で必死にもがく人物も長い目で見ればコメディになると思い、これを「不条理コメディ」と名付けて撮っています。この姿勢自体が、不条理への一つの抵抗の形だと思っています。

—— 映画を作る時は何から始めますか?

ひとつだけその映画でやり遂げたいことを決めて、そのほかは予算やスケジュールなどの条件に合わせて進めます。妥協する点と妥協しない点を決めておくことが始まりです。

—— キャストの選び方は?

日本の脚本術では、感情は書かないのが一般的です。事象と動作のみを指示し、あとはその場で作り出すというときに、同じ方向を向ける人と一緒に作品を作っています。

私の作品の場合は、事前の本読みも行わないことが多いです。事前に流れを体感して、反応を準備してしまうと、本来の日常のやり取りのあり方と離れてしまうからです。相手の言うことをなるべく予測せずにコミュニケーションする、という行動を再現したいという意図のもとで、キャスト選びをはじめとする作品作りをしています。

—— 『異物』が白黒映画である理由、またアスペクト比が昔のものである理由はなんでしょうか。

『異物』は作成時期がコロナ禍と重なりました。薫が送る一部屋の物語が、なるべく彩りなく窮屈にうつった方が良いと思い、そのようなスタイルでの映像にしました。

—— タバコの描写についての質問です。喫煙者は今は肩身が狭いですが、映画の中では自由に吸っている様子が描かれます。その思いは?

まず映像の技法として、その中に流れを入れたいという思いがありました。白黒映画で単調になりがちなので、火や水に合わせて煙も入れました。CGを使わず、アナログで存在する流れには強い効果があります。

そして、私自身はスモーカーではないのですが、何かがじわじわと迫ってきて、気づいたら禁止されている、という規制の仕方には疑問を覚えます。この危機感も、タバコを描く理由の一つです。

海外の映画祭に出品する際、内容のチェックがありますが、このチェックが毎年厳しくなっています。最近では、タバコのシーンがあると、毒物シーンがある映画に該当してしまうこともあります。この場合、審査上不利になることは十分にあり得ます。

表現は千差万別なのに、一義的にレーティングすることにどれほどの意味があるのでしょうか。表現の自由を守り、規制に抗いたいという気持ちがあります。

—— 『異物』をタイトルとした理由はなんですか?

抽象的な概念にしたかったからです。映画に登場するあの真っ黒の「異物」だけを指し示すのではなく、余白を持たせたかったので、一般的な単語にしました。海外の映画祭で『異物』を上映すると、移民の話は非常に多く出てきます。文化圏によって、また個人レベルでもさまざまに解釈してもらえているタイトルだと思っています。

—— 近年、ミニシアターが減ると同時に、配信サイトでの映画視聴が盛んになっています。こうした変化の時代において、監督にとっての映画の定義はなんですか?

フィルムでの撮影がデジタルに変わっていったように、映画の形はだんだん変化していくのが自然だと思います。TikTok向けのような短くインスタントなものを否定するつもりは全くありません。

その上で私にとっては、「映画館で見るもの」が映画です。映画館で最高の環境で見れるものになるように意識して撮っています。

—— 「異物」が性的な行為をとる理由は?

映画を撮るきっかけのひとつが、日本における性行為の頻度の低さでした。奥ゆかしさ、という言葉を使えばポジティブにも捉えられるが、そもそも日本では会話自体がクローズドすぎる。この不寛容さは日本の問題だと思っています。奥ゆかしさの裏に溜まっている、性的なものに限らず幅広い意味でのフラストレーションを描き出したいと思い、「異物」の行動を作り出しました。ただ、性的欲望の解消の話にはしたいわけではなく、それよりは、性的な行為をする異物くんの周りの反応を描き出したいという意図があります。

—— 心に余裕がないと、ものを作りたいという思いが湧かないと感じています。監督が映画を作り続けられるモチベーションはなんでしょうか?

私にとっては、映画を作ること自体がフラストレーションの吐口になっています。現在コンスタントに映画を撮り続けられる状況にありますが、そうして何本も違った種類の映画を撮る中で、できないことの吐口を違う映画に見出すということが可能になりました。

かつての会社員時代には、サラリーマンの仕事と映画制作を両立していました。その当時は、仕事が溜まっていても必ず定時で帰って映画制作に時間を取ることで、制作を続けられたと思います。

—— 製作陣の中では「アイツ(異物)」の設定を共有していますか?そうでないなら、制作中に意見が割れたとき、どうやって意思決定しているのでしょうか?

最終的に正解を判断するのは監督である私です。スタッフ・キャストは、正解はわからないけど同じ方向に走っている状況にあります。

異物の設定については、ほぼ共有されていません。そもそも言葉では全てを伝えられないのに、何かを言葉で伝えて、それに俳優が確信を持ってしまうと、不安定さが出せなくなってしまいます。それを危惧しているのです。問題が現場で起きた時も、正解を伝えるのではなく、ディスカッションのなかでなるべく曖昧に方向を伝えるようにしています。これが可能なのは、キャスティング、スタッフィングの時点である程度信頼しているからです。

映画は、完成した映像を映画館で繰り返し流すという、とても安定したメディアです。だからこそ、せめてそこに記録されるものは不安定なものでありたいと考えます。

—— 監督から学生たちに向けて、アドバイスやメッセージをお願いします。

居場所なんて常にないのが普通です。

異物という概念には、どこに対しての異物なのかという視点が付き纏います。この線引きは多様であり、誰もが何かしらの形で異物になりうるのです。

だからこそ、異物であることを恐れず、「普通」の枠に収まらないでほしいと思います。

映画館では、さまざまな人を描いた多様な映画が上映されています。映画の内容だけでなく、周りのおしゃべりに苛立ったり、スマホの光が気になったり、映画館で経験するすべてのことが映画経験です。暗闇の中で2時間拘束されて、他者と一緒に見る時間を経験してほしいと思います。

「異物」という普遍的なタイトルは、誰もが自分に引き寄せて捉えられるものだ。「誰もが線引き次第で異物になる」という監督のお話とも重なって、この『異物』という映画を見た経験は、自分にとっての異物観が浮かび上がる時間となった。

多数の人に同じ映像を届ける映画監督が、少数派に光を当てようとする意識を持っていることの意義は大きい。同じ映像を見た人とともに、それぞれの受け止め方を認め合うような映画経験を重ね、「異物であること=普通ではないこと」を恐れない気持ちを育てたいと感じた。(文責:TA本幡/校閲:LAP事務局)

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コメント(最新2件 / 12)

dadasaba2023    reply

役者に答えのようなものを与えるのではなく、もし意見が食い違ったらなぜそう考えたのかを話し合っているということやCGに対する考えといった映画制作に関することも聞けてとても良い経験でした。また、メインストリームに立てない人達を扱ってみたということでしたが、先週映画を見て、異物が消滅のところでは法律で取り締まられていることが印象に残ったのを思い起こされました。異物であるとされているから取り締まられてはいるのですが、法律の要件に異物が“入りこむ”というのは個人的には異物もついにここまで来たかと感心?しつつ、安心?に近いものもを感じます。社会に受け入れられず取り締まられるであろう要素を持つものがある意味で一番“認められる”のは条文に罰則など諸々が記載された時なのではないかとすら感じました。また、具体的に異物を取り締まる何法のn条に書いてある文言を見たらきっと異物の異物らしさのうち一部を異物でなくした感じがいくつかの要因によってする気がします。不安や不安に思っていることを言語化すると楽になる説もあるらしいですが、法律に記載されるというのはそれだけでなくさらに何か意味を持たせる気がします。たとえば,消滅のシーンで金属バットでも持ったヤンキーのような人が異物を追いかけ回して若干周知されていないような動画サイトに異物追いかけ回してみたというような動画を投稿していたとしても、私が作中で『法律違反です』や『警察が来る』という言葉を聞いた時とは違うことを思うだろうと思いました。

achi003    reply

クリエイターの方にお話を聞く機会というのはなかなか無いので、今回こうして宇賀那監督のお話をお聞きすることができ、非常に興味深い講義でした。前回視聴した『異物-完全版-』についてのお話もそうですが、宇賀那監督ご自身の経歴についてのお話が、非常に波瀾万丈なもので面白かったです。『異物-完全版-』については、私自身の解釈が他の方のコメントのものとはだいぶ違っていたこともあり、いろいろな解釈が許容されているとのお話で少し安心しました。製作陣側でも解釈が厳密に共有されているわけでは無いとのことで、演者の方々も自分なりの解釈を持って演じているというのが個人的に少し意外に感じました。無粋かもしれませんが、宇賀那監督が抱いている「あいつ」に対する解釈も少し覗いてみたいと感じました。また主演の小出さんが、「あいつ」との初対面シーンは笑いを堪えるので必死だったとおっしゃていましたが、映画を見ている際にはそんなそぶりを全く感じなかったので驚きました。実際「あいつ」を見てみると、なかなかにグロテスクな見た目をしていましたが、製作陣の皆様が愛着を感じていた理由も、なんとなく伝わるような気がしました。

oku2222    reply

監督のお話を聞いて、まず映画館に行って映画を見たいと言う気持ちになりました。最近友達と映画を見る時は、映画館に行かず、DVDを借りたりサブスクで見たりしていたが、実際の映画館で、友達とも話せないという「拘束された状況で映画を見ようと言う気持ちにさせられました。映画制作についてやその流れでの詳細な心境などとても興味深いお話ありがとうございました。

Ita4048    reply

脚本に感情を書いてはいけないと聞いて驚いた。私は先週の授業に出席することができず映画を観られなかったが、今回の話はとても勉強になった。映画の制作について私は何も知らなかったので監督の話を聞けてよかった。

so6man    reply

制作の際の不安定さは見る者に解釈の余地を与えるという話は、かなり新鮮に思えると同時に、とても納得が行きました。
どうしても作品を見ると、その作品に込められた正解のようなものを探してしまいますが、監督・俳優・美術…と様々な人が「生々しさ」を与えるからこそ、ある程度の方向性はあっても、そこに誰も言葉にできない創造性が残される。当たり前のようであって、当たり前では無い考えでした。
私が以前お世話になった方が、劇団をやっていらしたのですが、「舞台は生物だ」と何度も仰っており、その劇団では映像配信は基本的にされていませんでした。それに対して、映画というのは「映像」がまず定義として存在しますから、舞台と違って不安定さが減り、画角等計算し尽くすことが出来るように感じていました。確定したものとして作品を残すからこそ、生み出される不安定さを面白さに昇華するために信頼が必要になる。まさに映画は、人がつくる芸術だなと、強く思いました。

k1t0k1t0    reply

監督の一貫した“不条理”に対する姿勢、不条理コメディーの根ざすものを知ることができ、非常に面白いお話でした。
映画異物-完全版-についてもストーリーや構成などだけでなくさまざまな要素にまで“異物”的な意味がこもっていることを聞き、感服しました。
メインストリームでない、いられない人、モノに光を当てるという軸を持ち作品を立てるのも、宇賀那監督ならではの強みを感じました。
もともと役者をやられていたところからの映画に対する視点も非常に興味深かったです。
作品の大胆さと繊細さのバランスの心地よさを深く知ることができました。今後も機会があれば作品に触れていきたいです。

otomitl3    reply

自分はミニシアター的な映画や不条理映画にはほぼ触れてこなかったため、どのように観れば良いのか、どういったコンセプトや考えで制作されたのかよくわからないと思っていたのですが、今回のお話をお聴きしてその一端を垣間見ることができたように思います。煙草には画面の中に流動的なものを配置するという目的があったというお話は驚きでした。映画ならではの音響のこだわりについてや、記録された安定したものだからこそ、内容に不安定さをもたせるというお話も大変興味深かったです。

marika0401    reply

インタビューを通して映画の理解や考察が深まり、とても面白く聴かせていただきました。講義のすぐ後に「シン・ゴジラ」をたまたま見たのですが、ゴジラが休止状態に入って夜が明けると、昨日まで人々の生活が破壊されたにも関わらずいつも通りに電車は動き人々は通勤・通学をしているというシーンがあり、全部がそうではないけれどもどんな不条理が怒ったとしてもやっぱり誰かそこに人がいれば人々は想像以上に力強く立ち直って世の中はなんだかんだ回っていくんだな......と思いました。震災、ウイルス、謎の生物などいろんな不条理の形がありますが、その不条理は私たちの生活をかき乱して深く傷つけることもある一方で、人間にはそれを笑いに変えたりして立ち直る力がある、暗いニュースが多い中でほっとするようなメッセージでした。たばこ、コーヒー、モノクロ、盆栽、性的な描写などの意図もさまざまでとても面白かったです。
講義や講義後での宇賀那監督と小出さんの話からお二人の映画への愛や情熱が凄く伝わってきて、私はすっかり映画にハマってしまいました。先日阿佐ヶ谷に「やぶから棒に笑え」を見に行った時、入ってくる観客はどんな人なんだろうと思っていると、一緒に行く約束をしたわけでもないのにばったり会った人がいたり、上映中にガサガサ音をだしながらお菓子を食べている人がいたり、講演後のインスタグラムの投稿で私が同じ空間で見たこの映画を見てこんな風に思わされた人がいたのかと思ったり、小さい映画館ならではの経験ではありますが、一人で配信映画を見ていては感じられない面白さがたくさんあってとても楽しかったです。
モントリオールでの話も聞いていて凄くワクワクしました。私も好きなものにワクワクする気持ちを忘れずに大切にしていきたいと改めて思いました。貴重な講義をありがとうございました。

yamori59    reply

映画では脚本に感情を入れてはいけないからキャストとの意思共有が大事だという話と、逆に意思共有しようとしすぎてキャストの中で間違った真実が生まれる可能性があるのである程度余白を持たせるという話が映画監督の苦労を感じられて面白かったです。また、不条理という面では、本当の意味での居場所なんてないという話をいただいてはっとさせられました。

shintaro0610    reply

勘違いや突飛な発想、向こうみずな行動で夢の映画界に俳優として踏み入れて行った所にとても驚かされた。台本を全て覚えるなど、好きゆえの情熱は何ものにも変え難い原動力になるのだなと感じた。
黒ギャルの話も面白かった。本来の目的を超えて、手段が目的になっていき、その末に本来の目的について考えれば逆効果になっている。色んな分野に見られることだと思う。
一般的な映画やドラマの条理に添いすぎている点に違和感を覚えて、現実の不条理さを描いたと仰っていたが、まさに映画異物を見て感じたことだった。
異物の特性に疑問を抱いていたが、監督の返答を聞いてそれ自体、僕自身が抱いている異物への抵抗感だったのだと気付かされた。そのおかしな特性にどう向き合うかが大事で、かつメインテーマであるということ。

nezumi02    reply

 映画監督の方のお話を伺うことができるというとても貴重な機会で、大変興味深い講義でした。
 メインストリームに立てない人たちにカメラを向けたい、という発言が印象的でした。普段取り上げられることの少ない人たち、社会にとっての「異物」とも言える人たちに焦点を当てる、という思いは、人々の同質化が進む中その多様性に目を向けるという点で、今の社会にとても意味を持つのではないかと感じました。
 また、異物くんに対して製作陣すら共通認識を持たずに制作していたということに驚きました。絶妙なバランスの中で作られたからこそ観る人に様々な解釈の幅を与えられる作品になっているのだと思います。
 最後のお話も印象的でした。自らが異物となることを恐れず、むしろ異物たる存在になることを目指して、様々なことに取り組んでいきたいと思います。またミニシアターにも足を運んでみたいと思います。
 改めて、貴重なお話を本当にありがとうございました。

Thomas69    reply

やはり表現している人の言葉は強い何かを感じさせるものがあるように感じました。映画の内容とは関係ない気はしますが、講演早々に登場した「新しいことを始めるのは壮大な勘違いから始まる」という言葉に自分は刺激を受けました。今の自分の考え方の中だけで生きているだけだと何も新しいことはできないということを強く思いました。考えることが必ずしも悪いことではないのは当然ですが、殻を破るためにひたすらに多くの経験を積んでいこうと思いました。

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