ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第6回 11月08日

映画『異物-完全版-』視聴

宇賀那健一監督作品『異物』(完全版)を視聴します。

教室は通常とは異なり、18号館ホールとなります。

授業時間の変更はありません。

コメント(最新2件 / 10)

oku2222    reply

今まで見たことのないタイプの映画で衝撃を受けました。また、全部白黒で表現されていたのが印象的でした。さらに最後、異物がいなくなった後の場面になった時、ホッとするような感覚を覚えました。
質問なのですが、一つの映画の大まかな内容を考え始めてから出来上がるまでどれくらいの期間をかけられたのかお聞きしたいです。

nezumi02    reply

 見始めたときはさっぱり理解できないと思ったのに、見終わったときにはなんだかわかる気がする、不思議な感覚になる映画でした。
 平凡な日常生活に突然現れた「あいつ」は、現実ではまずあり得ない存在だと思います。にもかかわらず、それに出会い、驚愕し、恐怖を抱き、しかし徐々に順応し、「かわいい」と思ったり、仲間として扱おうとしたりしていく人々の様子には、どこか共感できるものがあります。それはきっと、私自身が、突然目の前に現れた「異物」に対し、初めは戸惑いや恐怖を覚えながらも、適応し、コミュニケーションを図ったり共存を目指したりしてきたからなのだと思います。そして、私だけでなく、すべての人がなんらかの形でこのような経験をしているのだと思います。
 この映画における「異物」は、現実世界における震災や新型コロナウイルスなどとも捉えられます。社会にとって震災や新型コロナウイルスといった存在が異物であるのはいうまでもなく、社会から完全には排除できないそれらの異物に対して、私たちは恐怖を覚えながらも共存を目指してきました。しかし、私はこの映画における「異物」に当てはまるものはそのようなものではなく、「他者」なのではないかと感じました。私たち一人ひとりにとって、自分以外の存在はすべて異物であり、他者も当然それに含まれます。従って、私たちは他者に対して戸惑いや恐怖を覚えたり、どう接したらよいかわからなくなったりします。しかし、コミュニケーションをとろうとし、共存を試みることで、完全には理解し合えなくても、通じ合い、共に平和に生きることができます。またそれと同時に、分かり合えていると思っていた他者が、「異物」として突如目の前に立ちはだかることもあります。そうした他者との関わり方について、今一度考えさせられた作品でした。
 雑多な文章になりましたが、自分以外の様々な存在との関わりを再考するきっかけとなりました。質問なのですが、「異物」をテーマとした映画をつくろうと思ったきっかけがあればお聞きしたいです。

k1t0k1t0    reply

あまり深く考えずに拝見いたしました。個人的にはコンパクトでテンポ感がちょうど良いように感じました。
いくつか疑問を下に記します。
・作中で煙草を吸うシーンが多かったのが気になりました。何か理由はあるのでしょうか。「増殖」で煙草やライターを後輩から奪う先輩や彼がタバコの葉を叩いて詰めていたりするのはとてもキャラクターが立っていておもしろかったです。他にも人物や場面に与える意味あいがあるのでしょうか?
・画面が映画の横長のものではなく正方形に近いつくりをしていましたが、シネスコにしなかったのは理由があるのでしょうか?最近のリアルを追求する映画とは違う感じがしました。個人的には、天井や床まで映ることで視点の意識が際立っているように感じましたが何か意図があるのでしょうか。
・モノクロについては「ウルトラQ」に影響を受けているというインタビューをみました。この作品も含めて宇賀那監督が影響を受けた作品は他にありますか?

achi003    reply

作品内で「あいつ」と表現されていた「異物」は見た目のインパクトが大きく、かなりグロテスクである一方、登場人物たちがその存在に最初は怯えたりしながらも好意的な反応を示していたのが印象的でした。主人公の女性は仕事仲間とうまく馴染むことができず、交際相手との関係もうまくいっていない描写があり、彼女を社会から弾き出された、社会にとっての「異物」であると捉えることもできるので、同じ異物である「あいつ」にシンパシーを感じているのかと考えました。人々が多かれ少なかれ感じているであろう、社会からの疎外感が「あいつ」に対する好意的な反応につながっているのだろうと私は解釈しました。
主人公の登場シーンでは、朝起きてコーヒーを淹れ、テレビをかけながら朝ごはんを食べるという日常シーンが繰り返されていましたが、最初のシーンと最後のシーンでは、朝食の内容が菓子パンからきちんとした和食に変化していたり、最初は遠かったテレビの音がきちんとこちらに届くようになっていたりと、異物との関わりを通した主人公の生活や心情の変化が小さな日常の変化から示されていたのが印象的でした。この映画を通して、なぜ「あいつ」は最後消滅しなければならなかったのか、ということが自分ではなかなか解釈することができず、そこにどういった意味が込められているのかが気になりました。また全編通してモノクロであるというのが印象的だったのですが、そういった演出に込められた意味もぜひお聞きしたいです。

dadasaba2023    reply

映画を5年ぶりくらいに見ましたが、やっぱり映画っていいなと思いました。何か描写などに意味があるのだろうと思い、自分なりに真剣に見てみました。映画の見方として良いのかどうかわかりませんが、繰り返しに見えるようなシーンでは、さっきのと何か変わっているところはあるかなというところに注目していました。盆栽、タバコを吸っている女の人、コーヒーを入れたりテレビを見ながらパンを食べていたり、男の人と一緒にご飯を食べていたり、仕事をしていたり(他にもいくつかあったような気がしますが、記憶容量の関係です)異物と対照的な日常を繰り返しているのかなと思っていました。ただ、パンが減っていたり、男の人がちょっとかじるだけの料理は変わっているなと思っていました。当然かもしれませんしよくわからないところに注目してしまったのかもしれませんが。また、作品を通してタバコがたくさん出てきたと思います。私はタバコを吸わないしお酒を飲む場でのタバコのお作法などはわからないのですが、バーのシーンで男の人が女の人がいるテーブルに座るとさっと女の人のタバコをもらっていました。時系列的には確かその後異物を見せて、気持ち悪いからしまってと女の人が言った後にまた二人がそれぞれ自分のタバコを出して吸って、その後もう一回見せて、女の人の意外と可愛いかもという言葉につながっていた気がしています。他人とつながっている感じがする他人のタバコをもらうという行為と自分のタバコを吸うという行為と、異物が受け入れられなかったことと受け入れられたことに何か繋がりはあるのかなと考えていました。私的には他人のタバコを勝手に吸うことのほうが自分のタバコを吸うことよりも相手とわかり合っているし受け入れあっているような感じがするのですが、意外とその逆かもしれないと思いました。増殖のところでも、おじさんが逃してもいいよというシーン(警察?が来る前二人で座って話しているシーン)でタバコを吸っていました。思い出せないのですが、あのシーンではおじさんがタバコだか火を借りていた気がします(了承も得ていた?)。消滅のところでそういえば女の人今まで一回も喋っていなかったなと気づきました。多分女の人が見ているテレビの音量も上がっていてニュースというかワイドショーみたいな感じの音声がきこえたのではないかと思いますがどういう意味があるのだろうかと考えました。箇条書きで色々書いてしまいした。まだどういう意味かわからないことがたくさんありますが、とにかく作品としてとても楽しませていただきました。

shintaro0610    reply

異物の解釈に苦しみながら鑑賞していました。最初は、ある人物の性欲の扱い方・接し方が、異物への接し方に対応しているのではないかと思ったものの、見進めるうちに異物を異物そのものとして捉えていいことに気づきました。異物にいち早く適応する人、抵抗を感じながらも少しずつ順応していく人。そうして順応の波が広がるうちに、異物は増殖し、いざ幅をきかせ始めると人間は不満を覚える。様々なことに当てはまるテンプレートだと感じました。ただ、どうしてあのような性的行動を行う習性が設定として必要だったのか、すこし疑問が残りました。

yamori59    reply

『異物』では”あいつ”のことを敵だと認識しある種の嫌悪感を抱いていたのですが、『適応』、『増殖』では明らかな異物でありながらも悪い存在ではなさそうな振る舞いに戸惑いを覚え、『消滅』では突然いなくなってしまうことに悲しみすら感じてしまう、そんな不思議な映画でした。映画中で気になったことがいくつかあります。主要な登場人物がほぼ全員タバコを吸っていたと思うのですが、これにはなんらかの意図があったのでしょうか。また、コーヒードリップの描写に比較的長い尺を取られていたと思うのですが、こちらには何かの比喩としての役割があったのでしょうか。最後に、増殖から消滅への移行はあまりに突然だなと思ったのですが、何らかの”あいつ”の目的が果たされたということなのでしょうか。

marika0401    reply

 観客の想像力に委ねるような描写や設定を自分はどう捉えるべきなのか、よくわからない状態ではありますが、見終わった後の自分の体には、アイツに対する不快感ともやもやと燻る異物感が残りました。アイツが消滅した後も、きれいさっぱり元の状態に戻ったとは思えなかったし、それは登場人物たちも同じだろうと思います。異物の存在を通して、たしかに自分や自分と他人との関係性は変化しています。
 アイツに対する不快感は何なのかというと、序盤の耳鳴りのような音楽を歌い、聞いた人間はトランス状態に陥って最後には気絶するというシーンが衝撃的だったからです。アイツは自分の身体や精神に侵入してくる、人間中心の社会では実感できない人間を超越した存在であるということを示し、本能的な恐怖を感じさせられました。
 一方で、圧倒的な格差を知らしめた後で突然、アイツにシンパシーを感じて親しみを感じる人間も現れ、アイツの存在は人間の内部に侵入し激しく変えていくような強い存在から、人間社会に馴染んで適応した存在に変化していきます。異物との向き合い方はさまざまでしたが、最終的に自分自身と対立しない存在として描かれているようだったのが印象的でした。
 異物は現実世界ではコロナのようにマイナスなイメージで捉えられることが多いように思うが、その不条理をコメディにしようと思ったことには何か考えがあるのかをお聞きしたいです。

mitsudashinya2    reply

映画《異物》の展開や構成からはまだ受け止めきれていないものも多いですが、一つだけ印象を書きたいと思います。
序盤の展開やサウンドから、どんな前衛的で理解しがたい映像が繰り広げられるのかと感じていたのですが、観ているうちに、「普通の映画らしさ」の枠が実はかなり忠実に存在するのではないかと思いました。関係に悩む男女、街の工場の人々などは、もっといえば普通に放送されているテレビドラマの人間関係の典型のようにも感じられるのではないかと思います。そして、そこに強烈な「あいつ」の存在が効果的に差し込まれるという構図を、鑑賞しながら読み取ろうとしていました。
まだ消化できていない部分、考えられる部分がほとんどだと思うので、水曜日の授業が楽しみです。

so6man    reply

モノクロだからこそ伝わるものがあるなと感じていました。最初、「あいつ」は性的な存在として生活に入り込んできたかと思うのですが、性的な行動が何を示しているのか少し考えた時に、単純に受け入れられる為に利用しやすいきっかけ(三大欲求)だからか?と最初は感じたのですが、のちのち見ていくと、単に「そういうのものだから」というだけだったのかのかな、という所に結局落ち着きました。「あいつ」にとっての「そういうもの」が、こちらから見たら異様に映ると言うのが、異物という作品のキーなのかなと、素人ながら少し思いました。
また、最終終着点は「適応」なのかな?と思っていたら2番目にもう出てきてしまって、最後はどうなるのかと生唾を飲むような気持ちで見ていたら、消滅と来て、震えました。異物の消滅は、アイデンティティ(ユニークな個性)の消失でもありますから、そうか、「あいつ」側にとってもそれ以外にとっても消滅だよなと。言葉一つとっても深く考えさせられました。

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