ディシプリン(学問領域)に
とらわれない思考を身につけたい

第11回 12月20日 楡井誠

市場の異物?企業家──理由なき投企

イーロン・マスク、ホリエモン。経済の変容を先導する企業家たちはカラフルで多士済々、そしてときに少々人騒がせだ。彼ら彼女らが経済の中で担っている役割は、市場の論理によってどのように捉えられるのだろうか。本講義では、企業家の活動を手がかりにしながら、経済成長や所得分配を動かす力、さらには価格の形成と貨幣の析出まで、マクロ経済の観点から考えてみたい。

講師紹介

楡井誠
東京大学大学院経済学研究科教授。専門はマクロ経済学、特に景気循環と所得分配。異質なミクロ経済主体間の相互作用がマクロ経済変動に転化する現象を、統計力学的手法も援用して研究している。近刊書に『マクロ経済動学──景気循環の起源の解明』(有斐閣)。
参考文献

清水洋『アントレプレナーシップ』有斐閣2022
ブリニョルフソン&マカフィー『ザ・セカンド・マシン・エイジ』日経BP 2015
岩井克人『ヴェニスの商人の資本論』ちくま学芸文庫 1992
デヴィッド・グレーバー『負債論—貨幣と暴力の5000年』以文社 2016
楡井誠『マクロ経済動学—景気循環の起源の解明』有斐閣 2023

授業風景

第11回の授業では、東京大学大学院経済学研究科教授の楡井誠先生にご登壇いただいた。本講義では、企業家(Entrepreneur)の活動についての考察を起点として、所得分布、所得分配、経済成長などを、ご専門であるマクロ経済学の観点からお話しいただいた。

まず導入として、「企業家」(Entrepreneur)とは何かを辞書に記載されている意味から考えた。日本では現在、「きぎょうか」と聞くと「起業家」、つまり新たな事業をおこす人を思い浮かべる人が多い。しかし、より広く意味をとれば、事業の資金上リスクを持ちながら、ビジネスを持って経営している人全般を指せるという。こうした企業家の例を数多く思い起こすことができるだろう。近年はIT分野でのスタートアップが多く、企業家たちの目立つ側面がしばしば取り沙汰される。しかし、そもそも資本主義の世界は、事業をおこし、社会に有意義な貢献をなす企業家とともにあることを意識する必要がある。

そして、近年の特徴として、企業家が新興富裕層として台頭してきていることが挙げられる。実際、フォーブスのアメリカ長者番付では、IT分野の企業家のランクインが目立っている。例えば、2022年当時の1位であるイーロン・マスク氏は約2000億ドルもの純資産を誇り、その国家規模とも言える資産に驚くばかりだ。このようにして見ると、企業家たちは、もちろんおこした事業自体が社会にとって有意義なものなのだが、同時に個人として蓄える資産も桁違いであることがわかる。

そこで、当然のことながら、起業は儲かるのだろうかという疑問が生じてくる湧いてくる。この問いを検証するにはいくつか困難な点もあるものの多くの研究が積み重ねられてきた。それらを総合すると、起業は「あまり儲からない」が大体一致するところだそうだ。要するに、起業のリターンはそのリスクに見合ってない、つまり、起業家たちは資本主義社会にとって有用な人物だが、個人として必ずしも成功するとは限らないと言えるだろう。こういってよいかはわからないが、平均的な人が起業に二の足を踏むのはごく自然のことである。

それでは、起業家にはどのような傾向を見て取れるのだろうか?ある研究によれば、人口統計特性としては、白人・男性・高学歴という傾向が見られるほか、行動特性としては違法行為の傾向が見られるという。「頭が良くて無法な」起業家という形容はこの傾向を端的に指摘したものである。

ここまで企業家についてお話しいただいたあと、楡井先生は所得について話を移された。近年、アメリカでは富裕層中心に所得集中化の傾向があるという。先生が示された資料によれば、アメリカの上位1%所得が全所得に占める割合は、1975年ごろには10%ほどだったのが、2020年には20%弱にまで増加している。トマ・ピケティの整理にしたがえば、この要因として、富裕層に課される所得税率が減少したこと、労働組合の弱体化、IT等の新産業の対等を牽引した個人の参入が挙げられる。

それでは、この上位1%層とは何者なのだろうか、楡井先生によると、所得分布には二層構造が見られるという。上位1%以外の層については、指数関数的に上位所得者の数が減少していくが、上位1%層については、パレート分布というものに従っているため、上位所得者の数の減少は次第に緩やかになっていることがわかる。このパレート分布とは、「ありえないほど巨大な事象がそれなりの確率で起こること」を捉える統計法則だそうで、このような分布は個人資産だけではなく、例えば地震規模や都市人口、企業規模などに見受けられる。地震の多い日本に住む我々にとっては実感できるところもある。ともかく、パレート分布で用いられるパレート指数は、このデータに当てはめた場合、富裕層での所得のバラつきを示しており、所得集中と強く相関しているとのことである。実際、所得集中があまり起こっていない時期ではパレート指数は高く、起こっている時期は低い傾向にあるそうだ。

近年のアメリカでは特に所得や資産の集中化(パレート指数が低いことに相関)が進行しており、問題とも言える。どうしてこのようなことが起こるのだろうか、これは市場経済の必然なのだろうか。楡井先生は単一ではなく、複合的な原因を見る必要があると指摘される。近代以降は、生産要素として労働(フロー)と資本(ストック)が挙げられるが、このうち蓄積できる資本は、いわば掛け算的に資産を成長させることにつながるため、莫大な資産を築く人が現れる確率が上がっている一つの原因と見ることができる。この資産からの所得は、開拓されていない領域で事業、変革を起こす企業家精神と結びつくことで、やはり掛け算的に成長していく。これらと、労働から人的資本への変化などによって、安全資産を通じた所得分配機能が低下していることは集中化の一つの要因として挙げられるだろう。この事実は、富裕層にとって、自らリスクをとってビジネスすることで所得を増やしていくことが重要であることも理解される。

ここまで主にアメリカの場合を見てきたが、日本の場合はどうだろうか。近年日本でも所得の集中が問題視されることが多い。しかし資料を見ると、日本では所得集中化は意外以外と進行していないとも言える。資料を見ると、確かに上位10%のシェアは増加傾向にあるのだが、上位1%シェアについてはアメリカほど顕著とはいえず、10%から15%の間ほどを推移していることがわかる。もちろんより詳細に分析するにはより高質な統計資料が求められるのはいうまでもない。楡井先生によれば、日本での所得格差で問題となっているのは、上位層への所得集中化というよりもむしろ、ボトム層の貧困化が進んでいることだという。実際、日本におけるシングルマザー家庭の相対貧困率の高さはこの例証である。こうした事象は、①労働市場での女性差別、②家族での嫡子非嫡子の差別、③正規雇用と非正規雇用の分断、などの社会的に不公正な要素がいくつか重なることで困窮が生じることを示している、する場合が多い。日本では、各家族をモデル世帯として保護のシステムが取られている場合が多く、分配において問題がある。こうした状況に対して策を取ることが必要なのは明確であるように思われる。

以上を簡潔にまとめれば、フローからストックへの移行、物的資本から無形資産への変化によって掛け算的な成長が見られることが近年の傾向といえ、それに伴って、リスクを取って、経済成長という経路が顕在化してきた。そうしたなかで近年、成長と分配が叫ばれることが増えている。成長して分配する、分配して成長するという二つの流れが考えられるが、持続性を考慮するのであれば、ただ分配によって需要を喚起するだけでなく、成長によって全体のパイ、供給を増やすことが肝要であると先生はおっしゃっていたのが印象的であった。

その後質疑応答で「新自由主義」についていくつかの質問に答えていただくなかで、時間がきてしまった。授業の最初におっしゃっていたように学生とのインタラクティヴな関わりを重視されており、気楽に質問する空気になっていた。、専門の話にも踏み込んだ授業だったため、すぐには飲み込めない箇所もあったが、例など交えて教えてくださり、初学者でもわかる内容だったと思われる。高校で習う政治経済とは異なる雰囲気に魅せられてあてられて、経済学を志す学生もいたのではないかと密かに思う次第である。

(文責・TA荒畑/ 校閲・LAP事務局)

コメント(最新2件 / 12)

oku2222    reply

後半になるについれて難しかったのですが、とても興味深い講義ありがとうございました。特に、パレート指数、グラフの傾きで富裕層の割合を比較できるのが面白かったです。経済学は今まで何も知らなかったのですが、少し触れられて、結構理系面も強かったので興味が湧きました!

shintaro0610    reply

自分で客を選べることが最大のメリットであるという部分には、心底共感した。やはり、誰かボスのもとで言われたことをし続けるのは楽なようでかなり精神的に窮屈であろうとおもう。講義中、起業に興味がある人、という問いかけには誰も挙手しなかったが、恐らく全ての人がそうできれば良いとは思っているはずだ。
近年、70.80年代以降、top10%への所得集中が進んでいることは知っていたつもりだったが、その大きさは想像以上だった。税制は、累進的に課されるものではなく中所得層に負担を強いるものになってしまっている。最高税率が70%というのも中々恐ろしいことだが、この現状にも明らかに問題があるように思えた。

k1t0k1t0    reply

起業のリスクが思ったより高いということを知り驚きました。自分も生存バイアスにごまかされていると思い知らされました。
掛け算で成長できる資産の形成を目指せればなという単純な欲望を抱いた一方で、膨張していく資本主義の営みに加担することになるのではないかという不安も感じた。
パレート分布という見方で確率分布として発生するブラックスワン的なある種の異物を捉えられるということは興味深いことだった。どうやっても確率の問題でで異物は発生してしまうものではないかということも考えさせられた。「成長と分配の好循環」のような話題も実際の所得分布の形を踏まえて再考してみようと思う。

Shintaro0610    reply

自分で客を選べることが最大のメリットであるという部分には、心底共感した。やはり、誰かボスのもとで言われたことをし続けるのは楽なようでかなり精神的に窮屈であろうとおもう。講義中、起業に興味がある人、という問いかけには誰も挙手しなかったが、恐らく全ての人がそうできれば良いとは思っているはずだ。
近年、70.80年代以降、top10%への所得集中が進んでいることは知っていたつもりだったが、その大きさは想像以上だった。税制は、累進的に課されるものではなく中所得層に負担を強いるものになってしまっている。最高税率が70%というのも中々恐ろしいことだが、この現状にも明らかに問題があるように思えた。

ustubi23    reply

経済学には高校の政治経済の授業くらいでしか触れたことがなかった中で、社会の中で何かと目立つ存在であり、ゆえに目にする機会も多い企業家について、企業家が経済において担っている役割や、企業家を取り巻く状況、そしてその分布など、詳しいお話を聞くことができ、今まで漠然としていた企業家への理解が少し鮮明なものとなりました。また、講義の途中の質問から、予定になかったであろう、新自由主義という1つの語の意味についての詳細な検討が始まりましたが、こちらについても、経済学者が経済用語にどのような感覚を持ち、それをどのように使用しているかという、なかなか聞くことのできないお話で、興味深く感じました。

nezumi02    reply

 日本でも格差拡大が話題になるのをよく聞くので、日本では富裕層への所得集中は起こっていないという話は意外に感じました。しかし、それは日本はネオリベ的改革をしたにも関わらず新しい企業家があまり出てこず、経済成長をしていないからかもしれないということで、所得集中が起こっていなければいいという単純な話ではないのだとわかりました。日本の問題はむしろ貧困層にあるということで、シングルマザーなど社会的に不利な立場にある人々について、問題点の指摘はなされているが解決策の議論が進んでいないことが一番の問題だと感じました。社会的に不利な立場に置かれている人々にどう所得を分配するのか、社会的不公正をどのように是正するのか、といった問題は、世代を超えて続いていく問題でもあり、早急に議論を進め解決策を考える必要があると再認識できました。

yamori59    reply

ゴールデンエイジの話が特に興味深かったです。これまでは無配慮にお金の多いところから少ないところへ分配できれば良いのではないかと考えていましたが、損をださないようにするためには、全体として経済成長しつつ、その成長を現時点で少ない部分に分配されるようにするべきだという話を聞いて自分の中の考え方が一つ前に進んだように思います。ありがとうございました。

otomitl3    reply

「ありえないほど巨大な事象がそれなりの確率で起こる」パレート分布が興味深かったです。所得分布に限らず地震エネルギーやウェブヒットなど様々なことでパレート分布が見られることにも驚きました。日本がそれほど所得集中化しているわけでもない、ということも意外でした。そうなるとますます下層の差別や分断は深刻な問題なのだと感じました。起業家の行動特性に違法行為がある、といったお話も面白かったです。

marika0401    reply

起業の理由で職場の環境や仕事内容を自分で決められることが挙げられていたのが印象に残っている。パワハラを受けているのに会社内での立ち位置が弱いことで自分が辞めるのが手っ取り早いという状態になっている人をみて、自分のためにも周りの職場の人のためにも職場の環境を改善できるだけの発言力をもつことは大事だなと最近強く感じている。そう思うと起業も魅力的だなと思い始めた。また、そういう理由なのであれは、起業家にとっては大成功することよりも、ほどほどに成功して安定することの方がまずは大事なのかもしれない。

so6man    reply

経済学に全く明るくなかったのですが、お話大変楽しく聞かせて頂きました。こういう話を聞くといつも、起業家たちがここまで個人資産を蓄えたとして、その資産の最終的な未来をどうするつもりなんだろうと思っていたのですが、リスクに挑戦するための布石のようなものなのかなとも少し思いました。

Reply from 楡井 to oku2222    reply

コメントありがとう。現実社会に関心のある理数系の人にとって経済学は面白い学問だと思いますよ。駒場で開講される経済学部教員によるオムニバス講義(講義名「現代経済理論」?)や、その内容をまとめた本『経済学を味わう』などお薦めです。

楡井    reply

そうですね。この政府資料のp.31など面白いかもしれません:
https://www.cao.go.jp/zei-cho/content/4zen17kai1.pdf
金融所得の税率が定率であるため、金融を主たる所得源とする富裕層に有利な所得税体系になっているという指摘が長らくあります。今回、超富裕層への総合課税方式の導入が決まりましたが、閾値が高すぎて影響を受けるのは100人単位とか。もっとも、所得1億くらいから総合課税にしたとしても、それだけで日本の財政がめざましく改善するわけでもないと思われます。

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